ラグタイム


 
エノロジー   化学と生物, 31(7), 430 (1993)

 マロラクティック発酵   化学と生物, 31(12), 816 (1993)

 甘口と辛口   化学と生物, 32(3), 194 (1994)

 ソルビン酸カリウム   化学と生物, 32(5), 342 (1994)

 官能検査   化学と生物, 32(12), 768 (1994)

 ワインの知識   化学と生物, 33(2), 90 (1995)



エノロジー

 読者の多くはエノロジーという言葉をご存じないのではなかろうか.エコロジーの誤植ではない.フランス語でoenologie,英語でenology,ワイン醸造学のことである.日本の農芸化学者の多くがこの言葉を知らないと聞くと,欧米の科学者たちは驚くに違いないが,バイオテクノロジー全盛の一方で酒類の研究の比率が低下していった現在,これはやむを得ないことである.しかし,このエノロジーの具体的内容を見ると,今日の農芸化学者にも興味深い内容が少なくない.
 そもそもワインの質は原料ブドウの出来によって大半が決まってしまうといわれているが,いくら良質なブドウがあっても醸造の段階で失敗すれば元も子もない.ワインづくりはブドウ栽培(viticulture)とエノロジーが両輪となって進められる.前者は畑を開いてから収穫するまで,後者はブドウを受け入れるところから製品としてのワインが完成するまでが概ねの守備範囲である.
 さて,フランスでよく用いられている教科書
(1)を参照しつつ,エノロジーの具体的な内容を見てみよう.
 まず,ブドウの形態と成分について.また,ブドウ中の成分の変化と収穫時期.成分の改善法(補糖,補酸,除酸).そして発酵中の成分の変化.
 次にブドウの処理と発酵の管理に関する理論的および技術的な問題,具体的な醸造法.
 そして出来上がったワインの成分,熟成,清澄化など.また保存中のワインの”病気”(微生物的および化学的な変質)について.ワインの分析法と官能評価.最後に経済的な問題や,フランスのワイン産地についての記述がある.
 以上のように,エノロジーは微生物学的および生化学的に興味深い内容を少なからず含んでおり,我々農芸化学者が活躍し得る分野が多いものと思われる.しかるに日本のエノロジストの多くは工学系の研究者で占められているのが現状である.我と思わん方は是非エノロジーに首を突っ込んでいただきたいものである.
 エノロジーの中でも興味深くかつあまり知られていない亜硫酸の問題についてお話しよう.ワインを醸造し,また保存する際,何らかの形で亜硫酸を添加する.ワインの瓶の,大抵は裏側のラベルに,「酸化防止剤(亜硫酸塩)含有」などと表示されている.しかし,亜硫酸は単なる酸化防止剤ではない.日本の法律でこのように表示する決まりになっているだけである.アスコルビン酸などの他の物質を添加して,亜硫酸の量を減らすことは可能であるが,完全に置き換えることはできないのである.亜硫酸の効能を列記してみよう.
 1)抗菌作用:有害な野生酵母や細菌などを殺し,発酵を円滑に進める.また,保存中のワインの微生物作用による変質を防ぐ.2)酸化防止作用:それ自身が還元剤であるだけでなく,オキシダーゼの類の働きを抑える.3)風味の改善:アセトアルデヒドと結合し,不快臭を消す.
 このように,亜硫酸はワインにとっての万能薬であり,太古の昔より用いられてきたのである.ところが,日本の消費者の間には「添加物=悪」という考え方が根強くあり,酒屋へ行って,「添加物の入っていないワインをくれ」などとおっしゃる方が珍しくない.この点に関しては,優良な添加物を開発された方も同じ悩みをお持ちに違いない.それはともかくとして,この亜硫酸の問題に関してだけでも,農芸化学者が研究したくなることは無数にあるに違いない.
 ところで,フランスにはdiplome national d'oenologueという資格がある.「杜氏」になるためには,ちょうど薬剤師や管理栄養士のように,大学を卒業し,国家試験に合格しなければならないということであろうか.

1)C. Navarre: "L'oenologie", LAVOISIER-Tec & Doc, 1991

   
ページの先頭へ    ホームページへ



マロラクティック発酵

 もし筆者の母校,某大学農芸化学の大学院入試で「ワイン醸造の際の発酵について述べよ」と出題したら,受験生はどういう答案を書くであろうか.アルコール発酵を知らない学生はいない.ブドウ中のブドウ糖(実際は約半分が果糖であるが)が解糖系に入り,エタノールになるまでは大抵詳しく書ける.さらに少しでも点を貰おうと,Saccharomyces cerevisiaeについて詳しく書いたり,アルコールデヒドロゲナーゼについて細かいことを書く者もいるであろう.しかし,一体何人の学生がマロラクティック発酵(MLF)について説明できるであろうか.筆者自身,受験生当時にはどれだけ書けたか怪しいものである.今回はこのMLFについて,一般に誤解されていることなども含めてお話しよう.
 ワインが他の酒類と決定的に違うのは,その酸味の強さである.その酸味が日本人の伝統的な味覚とは相容れないため,かつてはワインに砂糖やアルコールを加えて調整したものが広く飲まれていた.甘味と酸味は互いに打ち消しあうのである.今日に至っても,ワインは甘くすれば売れると思っているワイン屋は少なくない.それはさておき,この酸味の大半は酒石酸とリンゴ酸によるものである.酒石酸はワインの複雑な味わいの一部として欠かせぬものであるし,リンゴ酸の爽やかな酸味は軽快な白ワインには辛口・甘口を問わず不可欠である.果汁の酸味が不足している場合,酒石酸などを添加することが多くの国で認められているくらいである.
 ところが,リンゴ酸の鋭い酸味は,まろやかで重厚な味わいのワインにとってはむしろ邪魔になる.ここで登場するのがMLFである.これは文字通り,malic acidがlactic acidになる発酵である.
  HOOC-CH(OH)-CH2-COOH → HOOC-CH(OH)-CH3 + CO2↑
 これによって,リンゴ酸の酸度が半減する上に,リンゴ酸の鋭い酸味が乳酸のまろやかな酸味に変化するのである.ワインの入門書などの中には,MLFは赤ワインの場合にのみ行い,白ワインでは酸味を残すために避けると書いてあったりするが,実際には辛口の上等な白ワインではむしろ積極的に行わせることが多い.
 しかし,このMLFはアルコール発酵に比べて制御するのが難しい.その理由として,1)アルコール発酵ほどには旺盛でない,2)アルコール発酵終了後のワインが細菌の生存環境としては比較的厳しい,3)菌株が多様であり,接種する際の選択が難しく,また多くの野生株がすでに含まれている,などの原因が考えられる.
 さて,このMLFを行う微生物は乳酸菌,それも特殊な乳酸菌ではなく,Pediococcus, Leuconostoc,Lactobacillusなどのごくありふれたものである.それらの中には球菌もあれば桿菌もあり,ホモ発酵のものもあればヘテロ発酵もあり,生成する乳酸もD体あり,L体あり,両方作るものもありで,MLFは実は通常の乳酸発酵のヴァリエーションと言うべきものなのである.
 かつて欧米の科学者はアミノ酸発酵を「発酵」と呼ぶことに抵抗を感じたが,MLFは何のためらいもなく「発酵」と呼んでいる.これはMLFがアルコール発酵や乳酸発酵と同様,嫌気的なエネルギー代謝だからである.
 嫌気土壌中にリンゴ酸を添加すると,単糖類や少糖類を添加した場合と同様の現象が見られるとの報告
(1)があるが,これは土壌中でMLFが起こっているためであるかも知れない.ワイン以外でのMLFについては,いくらでも研究することがありそうである.

1)佐藤立夫,関根靖彦,和田秀徳:土肥誌,60(2), 134 (1989).

   
ページの先頭へ    ホームページへ



甘口と辛口

 読者の中には一杯やりながら『化学と生物』を読んでおられる方もあろう.そのお酒は甘口ですか,辛口ですか? 筆者はワインを飲みながら原稿を書いている.円高のおかげで安くなった辛口のフランスワインである.
 清酒にもワインにも甘口と辛口がある.しかし,その基準が随分と違っていることにお気付きであろうか.えっ,私は最新のバイテクをやっているのだから酒の話なんか分からない? 結構々々.でもお酒も農芸化学の一分野であるから,下戸の方も是非お読みいただきたい.
 さて,甘口とはその名の通り甘い酒で,糖分が比較的多く残存しているもの,逆に辛口は糖分が少ないまたは残存しないものをいう.これは相対的なもので,その基準が清酒とワインでは非常に異なっているのである.
 清酒では日本酒度という比重の関数が用いられる.
  (日本酒度)=1443×(1/d - 1)     (d=比重)
 この値が大きいほど辛口(比重小),小さいほど甘口(比重大)で,比重1のとき日本酒度は0となる.清酒の日本酒度は通常−10〜+10くらいの範囲であろう.清酒はアルコール度数が大きく変わることはなく,糖分以外に比重に影響を与える成分が少ないため,比重で甘辛が判定できるのであるが,これを成分が大きく異なる他の酒類に適用することはできない.たとえば,焼酎の日本酒度(?)を計算すると+35〜+60となるし,同じ辛口でも酸味や渋味成分の多い(いわばより辛口に感じる)ワインは日本酒度が低くなってしまうのである.
 日本酒度はさておき,清酒は辛口のものでも2%くらいの残糖分がある一方,甘口でもせいぜい5%程度である.ワインはというと,辛口はほとんど0,甘口は15%を超えるものもある.この多様さがワインをわかりにくいものにしているのも事実であろう(ちなみに国産白ワインは数%,つまり清酒程度のものが多い).
 また,酸味が強いと甘さを感じなくなることも忘れてはならない.たとえば,ドイツワインは糖度と酸度を計算した上で辛口などの表示が許可される.最近は清酒でも糖と酸のバランスから甘辛が判断されるようになってきた.たとえば,最近流行の端麗辛口とは,酸度・糖度ともに低いが,酸度の割には糖度が低いものをいう.
 実は,清酒もワインも元来は完全な辛口である.明治時代の清酒は酸度が現在の数倍,糖分は痕跡量であったという.西欧の伝統的なワインも概ね辛口であると考えてよかろう(昨年7月号で紹介した
フランスの教科書では甘口ワインはむしろ特殊なものとして扱われている).辛口の酒はきわめて安定である.これ以上発酵するものがないのであるから,酢酸菌による酸敗やマロラクティック発酵以外には変化しようがないのである.完全な辛口の清酒は火落ちしないはずであるし,マロラクティック発酵が終了した健全なワインも無酸素条件では微生物作用を受けない.今日のような微生物管理が不可能であった時代には,このような辛口の酒が造られ,売られ,飲まれていて当然なのである.その後,技術が進歩して酒の保存が容易になったため,現在のようなやや甘口の酒が流通するようになったのである.もし,今日でも糖度0,酸度5という,辛口ワインのような清酒を造っている蔵を御存知の方がいらっしゃれば,是非お教えいただきたい.
 ところで,日本にも極甘口の伝統的な酒があるのをご存じであろうか.それはみりんである.これは実は立派な酒類で,酒税も取られている.みりんは,たとえばアルコール分14%,日本酒度−200のお酒である.昔の日本人は,ちょうど西洋のリキュールのようにみりんを飲んでいたらしい.読者の皆様もみりんを冷蔵庫で冷やしてストレートかロックで,あるいは清涼飲料水か,いっそ軽いタイプの赤ワインで割ってカクテルはいかが? なお,「みりん風調味料」は飲めないので念のため.

   ページの先頭へ    ホームページへ



ソルビン酸カリウム

 ある日,筆者がいつものように勤務先のワイン会社本社の窓際の席で欠伸をしていたところ,本社の所在地の地方自治体が主催する食品衛生か何かの講習会に行かないかと言われた.法律だの規制だのには興味はないが,ちょうど天気も良いことだし,散歩がてら,輸入ワインの担当課長殿にお供して出掛けることにした.
 最初は厚生省の偉い人のお話.いわば一般論で,結構なお話だが,少しうとうとしながら聴いていた.次に地方自治体の担当者が最近の違反事例という話を始めたら,一遍に目が覚めてしまった.
 食品衛生法では食品や食品の放送容器に使用できる添加物をすべて指定してあり,それ以外のいかなる物質を添加しても違反になる.消費者の安全を守るために,厳しく規制していく必要があるという.実に正論である.ところが,その食品衛生法の中身と運用が問題である.
 たとえば,ソルビン酸という不飽和脂肪酸が保存料として用いられていることはご存じであろう.

   CH3-CH=CH-CH=CH-COOH  ソルビン酸

 食品衛生法ではソルビン酸とソルビン酸カリウムのみが指定されていて,ナトリウム塩やカルシウム塩は載っていない.現状ではこれらの塩を添加すれば,いかなる場合も指定外物質の添加として処罰されるのである.実際,包紙がソルビン酸カルシウムで処理されていたフランスのチーズが販売禁止になったという.
 カルシウム塩は日本の官僚がその使用を予見できなかったために欠落していたのであろうが,ナトリウム塩が認められていないのには理由がある.ナトリウム塩はカリウム塩に比べて不安定だからである.ではナトリウムもカリウムも含む液状の食品に買ってきたばかりのソルビン酸ナトリウムを添加したらどうなるか.どうせ分析してもわかりっこないのだから,ソルビン酸あるいはソルビン酸カリウムと表示しておけばとがめられない.しかし,ソルビン酸ナトリウムを添加したと言えば,やはり立派な違反になるのである.たとえば,ワインに亜硫酸ナトリウム(Na2SO3=126)を63ppmとソルビン酸カリウム(C6H7O2K=150)を150ppm添加しても違反にはならない.しかし,まったく同じ結果を与えるにもかかわらず,亜硫酸カリウム(K2SO3=158)を79ppmとソルビン酸ナトリウム(C6H7O2Na=134)を134ppm添加すれば違反になるのである.
 また,表示が義務づけられている添加物の定義と解釈が複雑である.リキュール類にカラメル色素を添加すると添加物(着色料)になるが,ウイスキー類に添加しても表示する必要はない(英国政府の圧力に屈した結果であろうか).あるいは,アスコルビン酸を通常の食品にビタミンC強化の目的で添加しても添加物とはならないが,ワインに酸化防止剤としての効果を期待して添加すれば添加物として表示しなければならない.ところが,ブドウにはもともとアスコルビン酸が含まれているので,少量だと添加したのかどうか定かでない・・・.
 農芸化学の研究は,大抵は何かの実用的なものに結びついているはずである.そしてその何かは産業と結びついていて,必ずそれを規制する法律があるはずである.読者の皆様も一度自分の研究対象に関連する法律を読まれてみてはいかがであろうか.きっと信じられないようなことが書いてあるはずである.

   
ページの先頭へ    ホームページへ



官能検査

 官能検査.どれだけなまめかしいかを検査するわけではない.食品などの品質を人間の感覚で判断する検査方法のことである.
 学生の時,研究室で急に気分が悪くなって教授室で休んでいたら,秘書のお姉さんが気付け薬だといって茶色い液体を持ってきてくれた.香りを嗅いで,すぐプレミアム・スコッチだとわかる.口に含んで,これはロング・ジョン12年.正解であった.
 またワイナリーで酒盛りをしていたとき,すっかり酔っ払った頃になって,これは85年産の極上のワインだと言って,赤ワインをグラスに注がれた.これは偉大なメドック.このまろやかな味わい,芳醇な香り,これは紛れもなくシャトー・マルゴー.これも正解であった.
 こういう話を官能検査だと思っている人がいたら,それはまったくの誤解である.官能検査とは,一定の判別能力を持ったパネラーを使って,食品などの味,香りなどを判別したり評価したりすることである.
 たとえば,ブレンダーがウイスキーをブレンドしたとする.今まで売っていたウイスキーと同じものを作ったとすれば,前に作ったものと比べて差がないことを確認しなければならない.そこで,両者を比べて差の有無を何人かに答えさせるのである.あるいは,一方は同じものを2つ,他方は1つを並べ,3つ並んだ中から1つだけ異なるものを当てさせるという方法もある(当たらなければ差がないということになる).また,ブレンドしたものが新製品の試作だとすれば,それが適切な品質であるかどうかを評価させるのである.
 人間の感覚で判断するというと,実に非科学的な方法だと考える人がいるが,決してそうではない.むしろきわめて科学的な根拠があるのである.官能検査を行う際には,まずパネラーを検査する.香りや様々な味を判別できるかどうかを検査するのである.この場合,有意差検定を行って判別能力があることを確かめるべきである.次にこのパネラーを使って製品の検査をするのであるが,その場合にも必ず有意差検定を行って,品質に差があるかないか,あるいは適切な品質であるかを調べるのである.ここでは品質に差があるか,あるいは品質に問題はないかなどを調べるのであって,各個人が好きか嫌いかを答えさせるのではない.
 最初に酒の銘柄を当てるのは官能検査ではないと言ったが,これもある意味では官能検査の親類であるかも知れない.自分の記憶の中の特定の銘柄の品質と,今目の前にある酒の品質を比べて,差があるかないかで判断するのであるから.ただし,そこに有意差検定など入り込む余地もないから,やはり官能検査とは一線を画するものなのである.しかし,もしラベルの剥がれたワインが出てきて,これを何人かのワイン通が飲んでみて,みんながシャトー・マルゴーだと言ったとする.有意差検定をやって,有意であるということになれば,そのワインはたとえば有意水準5%でシャトー・マルゴーであるし,この作業は立派な官能検査と言える.
 ところで,知人の輸入業者社長に面白い人がいる.彼はワインは甘ければ何でも美味しいと言う.しかし,辛口の高級ワインを飲ませると,品質の良し悪しを見事に言い当てるのである.どちらが良いかと聞けば必ず品質の高いほうを選ぶ.ところが,どちらが美味しいか,あるいはどちらが好きかと聞くと,どちらも駄目だと答えるのである.実はこういう人こそが最も優秀なパネラーであるのかも知れない.何せ,まったく主観の入り込む余地がないのであるから.

   
ページの先頭へ    ホームページへ



ワインの知識

 世の中には何某の権威,あるいは自称しないまでもそのように振る舞い,また扱われることを快く思うものが大勢いるもので,特にワインのように一般に不可解と思われているものに関してはこういう輩が少なくない.ところが,そういう人間に限って醸造の知識や経験に乏しく,ワインづくりを生業としている者にとっては滑稽に感じられてしまうことが少なくない.それが偉いソムリエ(本来はレストランの飲料専門の給仕であるが,ワイン評論家のような人も少なくない)ならまだよい.農芸化学者の偉い先生(?)に素人向けの本で読んだワイン醸造の知識を曲解して振り回された日には救いようがない.
 実際,普通にワインを楽しむには難しい知識など必要ない.最近は安いワインが氾濫しているから,試しに飲んで美味しければそれでよいではないか.中には興味をもって色々本など読みはじめ,いつしかワインの知識の宝庫になってしまう人もいるかも知れない.しかし何も考えず,ただ美味しいからまた飲むという人のほうが多いであろう.何れにせよ,どちらも正しい楽しみ方である.
 では正しくないワインの楽しみ方とは? それは中途半端な知識,あるいは迷信とも言うべきものを盲信し,ワインとはこうでなければならない,ああでなければならないと言っているうちに,肩ばかり凝って,何を飲んでいたのかわからなくなってしまうことである.あるいは妙に変な知識ばかり詰め込み,いわゆるスノッブになってしまうことである.そして多くのワインの権威達はこの正しくない楽しみ方を助長しているに過ぎない(かく言う筆者もつい口を滑らせて人を惑わせてしまうことなきにしもあらず).日本のワインは,たとえば自称音楽評論家が「モーツァルトは古典派だから属七以外の四和音は使用しない」と言い,マニアがその出鱈目の話を丸暗記したり,あるいはクラシックは難しいからやめておこうと思ったりするような状態なのである.
 筆者が最も尊敬するソムリエのM女史は,ボルドー大学でワイン醸造学を学び,本場の3ツ星レストランで修行した本格派であるが,彼女の初歩の講義は非常にわかりやすく,初心者を惑わすような余計なことは決して言わない.そしてワインをまったく知らない人々をいつのまにか惹き込んでいく魔力のようなものを持っている.しかし,日本ではこのような人は非常に珍しい.一方,欧米ではソムリエもワインのセールスマンもみな,読者諸氏がまったくご存じないようなブドウ栽培学およびワイン醸造学の専門的な知識を持っている.M女史もフランスへ行けば普通のソムリエに過ぎないのである.
 先日ボルドーの某シャトーの社長が来日し,ワインのセールスについてのセミナーを行った.近隣のセールスマンに招集を掛けたが集まりが悪いので,筆者もサクラに駆り出された.ワインのセールスの話なんか面白くもないと思っていたら,何とその内容たるや栽培および醸造に関する高度な話題が中心で,非常に意義深い内容であった.しかし,日本のセールスマン諸兄はこの話をさっぱり理解できず,居眠りなどしていらっしゃる方が少なかったのである.そうだ,読者の学生諸君,大学院生諸君よ,エノロジー(ワイン醸造学)を学んでワインのセールスをやってみる気はないかい?
 日本のワイン界は大体がこういう状況であるから,ワインについてあれこれと難しいことを言う人の話など信用しないほうがよいのである.ワインのセールスをやるつもりのない読者は難しいことなんか考えずにお飲みいただけば結構である.え? 本多の言うことも信用しないほうがよいのかって? 勿論ですとも!

   
ページの先頭へ    ホームページへ