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摩訶大々将棋の楽しみ


 日本には古くから大将棋が存在し、華麗な動きをする多種類の駒が登場していた。しかしその反面、遊ぶのにあまりにも時間が掛かり過ぎるので、簡略化して中将棋が考案されたことは以前に述べた。
 さて、一方では更に大型の将棋も次々と考案されていった。その中でもゲームとしてのバランスがよく、完成度の高いものとして、この摩訶大々将棋を挙げておきたい。  摩訶大々将棋は図のように双方96枚ずつの駒を19×19の盤に並べる。現代の将棋とは異なり、取った駒は使えない。また、敵陣に突入した時ではなく、敵の駒を取った時点で成ることが出来る。





















 

 

 







 

 

 

 

 

 

 





 

 

 

 

 

 

 







 

 

 







































         

             

         
                                     
                                     
                                     
                                     
                                     
         

             

         







































 

 

 







 

 

 

 

 

 

 





 

 

 

 

 

 

 







 

 

 




















 さて、駒の動き方は省略するが(各自ネット上で調べられたい)、普通に考えると、摩訶大々将棋がおかしいと思われる点は、こんなところであろうか:

・飛車・角行をはじめ、強い駒に限って、成ると金将になって弱くなる。特に、鉤行と摩羯という化け物までもが、成ると金将になってしまう。
・小駒の多くが成ると奔が付いて走り駒に成る。
・王将、無明、提婆が成ると化け物になる。

 ところが、実際に指してみると、これらのルールが複合して、スリリングなゲームとして完成度が高いものになっていることに驚かされるのである。
 まず、序盤は鉤行・摩羯の睨み合いから始まる。中将棋のように獅子を繰り出そうとすると、摩羯の筋違いの位置以外にはとても出せないし、鉤行がむき出しで出てきた時点で、獅子は退却を余儀なくされるのである。
 ところが、鉤行・摩羯は1回しか使えない長距離ミサイルである。敵の駒を取った時点で金将に成ってしまうのであるから。鉤行・摩羯が消えたところで獅子(早めに奮迅に成らせたい)が出てきて、龍王・龍馬とともに小駒を従えて、徐々にせり上がって行くことになる。ここから中盤であるが、敵の駒を取るなり金将に成ってしまう駒が多く、睨み合いが続くことになる。
 小駒でも比較的後ろから出てくるものは、成ると走り駒になる。中盤の後半、飛車・角行が金将に成ってしまっても、今度は虎、狼、熊、猫、猪・・・が走り駒に成って暴れ出す。終盤には金将以下も走り始めるのである。
 なるべく早い段階で敵の小駒(歩兵でよい)を数枚分断し、完全に包囲してしまおう。そして、そこに忍び寄るのが無明、そして王将である。法性、自在天王のどちらかが出来ればしめたもの。提婆を教王に成らせても、意外と使えないことが多い。不正行度出来ない狛犬系は、どうしても破壊力の点で劣るようである。しかし、居食いは出来るし、3枚取りをうまく使えば強力である。
 自在天王が出来ても、取れる敵駒はそれほど多くない。初期配置で浮き駒になっているのは飛車だけしかないし、驢馬が動けば反車が利く。また、龍馬が動くと石将が浮くが、それ以外の駒が序盤で浮き駒になることは少ない。しかし、自在天王があれば、敵の王将の繋ぎ駒を取っただけで詰んでしまうのである。奔狼などをどんどんぶつけてしまおう。お互いに利き合っている駒の集団には法性か奮迅が接近して居食いするのも効果的。あるいは、法性と奮迅で王将を挟み撃ちにすれば、比較的簡単に詰んでしまう。
 成ると金将に成る駒と、走り駒になる駒を使い分ける楽しみ。これは大将棋にあって中将棋にない醍醐味であるが、摩訶大々将棋は一層奥が深いようである。

無明・提婆の特殊ルールについて
 日本中将棋連盟の向井会長の研究によると、無明・提婆の駒を相手方が取った場合、それを取った駒と無明・提婆の駒とをその場で取り替え、さらに法性・教王になった状態にしてゲームを再開するということである。ここで、無明・提婆の意味について考えてみよう。無明とは仏教用語で、仏の心を理解していない者というほどの意味であろうか。提婆は釈迦の従兄弟であり弟子となった提婆達多のことに違いない。彼は師である釈迦に背いた悪人であるが、その彼でさえも仏の導きにより往生したとされている(妙法蓮華経提婆達多品第十二)。
 さて、無明は成ると法性、提婆は成ると教王となり、如何にも仏の教えを極めたような名に変身する。これは、どれほどの悪人であっても、仏の導きにより救われるという仏教観に合致している。では、これらの駒が盤上から消えることなく、取った相手が法性または教王になってしまうとは、どういうことであろうか? これは恐らく、「仏は滅し給ふことなし」ということであろう。
 では、もし王将で無明(法性)または提婆(教王)を取ったらどうなるのであろうか。王子がない状態で王将が別の駒になってしまっては負けであるから、取れないことになってしまう。あるいは、例外的に王将ではこれらの駒を取ることが出来るのかもしれない。恐らく摩訶大々将棋が考案された時点で、そこまでは考えられていなかったと思われる。実際に対局するときには、この辺りのルールを決めておかないと揉めることになるであろう。

自在天王について
 向井会長によると、自在天王が出来た時点で勝ちとするルールが存在したそうである。しかし、これは摩訶大々将棋が指される過程で発生したローカルルールではないかと筆者は考えている。自在天王が出来るということは、王将で敵の駒を取るということに他ならない。この自在天王が出来ても、すぐに勝てる訳ではないことは先に述べた。また、自在天王が出来ても、数手後に必然的に敵にも自在天王が出来る場合も少なくなかろう。そうすると、先に自在天王が出来ただけで勝ちとすれば、王将で敵駒を取れば勝ちというつまらないゲームになってしまう危険性を孕むことになる。やはり、双方自在天王が出来た上で睨み合うのが楽しいのであろう。泰将棋は最初から自在天王があるが、ゲームとして成立しているのであるから。



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