桑田はどこの中学校の出身なのか?





 
まず、#8「花道入部」の号(1巻167ページ)では、バスケ部の新入部員が一列に並び、

そのなかで桑田が、「二中出身桑田です 162cm 50kg 中学時代はフォワードでした」と

自己紹介しています。

 しかし、#200の扉絵の、インターハイ参加申
込書(23巻47ページ)では、桑田の出身中

学は「藤園中」となっています。これはいったいどういうわけでしょうか? 

この疑問について、考えられるさまざまな状況を検討してみました。


 まず、
巻で自己紹介している桑田某君とその後の桑田登紀君とは別人である、という

能性も考えられます。このときの新入部員は、花道・流川を除いても少なくとも8人はいます。

このなかで、ほかに桑田登紀君らしい人がいるのではないか?と探してみました。 しかしこ

の天然パーマとおぼしき特徴のある髪型をしているのは、この自己紹介している桑田君一人

であり、ほかの新入部員は、全員坊主頭or角刈りorストレートヘアです。桑田登紀君がもし、


入部当時に丸刈りや角刈りで
あったとしたら、
陵南との練習試合までの間にあのヘアスタイル

まで伸びるとは考えられません
かといって、桑田登紀君が実はストレートヘアで、入部後わ

ざわざパーマをかけてあの髪型にしている
、という状況を想像すると、なぜかめまいを覚えて

しまうのは私だけでしょうか? そんなことがもし事実だとすれば、スラムダンクやその作者

井上雄彦先生に対しての私のイメージはだいぶ変わってしまいかねないので、おそらく
それ

が事実である可能性は、ゼロではないが非常に小さい、
と考えてよいのではないでしょうか。


 このように考えていくと、結局、1巻で自己紹介している桑田某君とその後の桑田登紀君が

別人であるという可能性は乏しく、162cmという身長が一致していることを考えても、1巻の桑

田君と桑田登紀君とは同一人物と考えるのが自然なようです。



 さて次に挙げられる可能性は「
井上先生が設定を変えた」ということです。例えばほかでは、

当初、彩子が海南大付属について「10年連続IHに出ているほどの…」(6巻118ページ)と言

っていたのが、後に相田弥生が「過去16年間海南大付属はIH出場を逃したことはない」(12

巻14ページ)と言っているように、10巻以降、細かい設定にいくつか変化がみられています。

そのため桑田君の出身中学校についても設定が変わってしまった、ということも考えられます。

 しかし、その可能性はもちろんありますが、それはあまりに安易な結論ではないでしょうか?

井上先生にはなにか深い考えがあってのことかもしれません。この矛盾をうまく説明できるよ

うな状況は存在しないのでしょうか? 
いや、きっと何かあるに違いない(確信)。



 そこで、もう一度、#200のIH参加申込書に注目してみましょう。

 桑田の出身中学は「藤園中」となっています。これはおそらく正式な出身中学です。正式な、

といえば卒業証書をもらった中学校です。そして、自己紹介で桑田本人が出身中学を「二中」と

言っているとすると、それは正式な出身中学ではないが、便宜上そう言っている、と考えられま

す。

 正式な出身中学ではない、というのはどういうことでしょうか? つまり、桑田は
卒業前に(お

そらく部活の引退後に)
中学校を転校しているのではないでしょうか。 そして、転校後は試合

に出ていないため、バスケ部での自己紹介の際には、出身校を、実際に卒業した「藤園中」で

はなく、大会などに出ていた「二中」と名乗ったのではないでしょうか。


 また、IH参加申込書から、石井・佐々岡の出身中学は「大塚二中」。これを略すと、おそらく

「二中」。つまり、桑田が自己紹介したのと同じ中学校ということになります。1巻175ページか

ら、初心者なのは花道1人ということがわかるので、
この3人は、中学時代、同じ部でチーム

メイトだった
ということになります。1巻167ページで、今日バスケ部に入ったばかりのはずの

桑田と石井が、隣どうしに並んで、流川について親しく?話しているというのも、もともと同じ

チームだったのならうなずけます。(桑田の転校の際、石井は「また高校で一緒にバスケしよ

うな…!」と約束し、湘北で再会を果たしたのかもしれません。)

 というわけで、
桑田は、部活引退頃までは大塚二中に通っていたが、その後転校し、藤

中で中学を卒業している、
と考えられるのです。



 ところで余談ですが、この#200のIH参加申込書を見ると、2年の安田とリョータが立?中、

潮崎と角田が谷?中、3年の赤木と木暮は北村中、と、それぞれ同学年2人ずつ同じ中学で

ペアになっています。中学からの同級生がいないのは、花道(和光中)、流川(富ヶ丘中)、三

井(武石中)の三人だけです。三井は一度部を辞めているので、中学からの友人がいなくても

ずっと部活を続けているのは、1年生である花道と流川の2人だけです。

 同じ中学からの友人が部にいれば、どちらかが「部を辞めたい」と考えたときにも、もう一人

が励ましたり引き留めたりすることになって、どちらも部に残りやすい、ということは当然考えら

れます。おそらく桑田、石井、佐々岡の3人も、同じ中学のバスケ部出身なので、おそらく今後

も、たとえすぐにはレギュラーをとれなかったとしても、部を辞めることなく、励ましあってバスケ

を続けていくのでしょう。

 しかし、それ以外の部員はあっという間に(練習試合中にも…)辞めてしまったということを考

えると、湘北バスケ部の練習は、友人同士で支え合ってなんとか耐えなければならないほどに

キツいのでしょうか?? それともまさか、湘北バスケ部の伝統として、いつも誰かと仲良く一緒に

いなければ居場所がない、という閉鎖的な雰囲気が存在するとか…?




      ゴリ:『木暮…、トイレつき合って…。』(倒)





カット:ヤブサカ




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