あの時の断りの言葉は、あいつの優しさだったんだな。






横浜の駅前に、一人で買い物に出かけた日のことだった。
あの日は天気が良くて、半袖の腕が太陽にじりじりと焼かれているのが分かるようだった。休日の歩道は買い物客やカップルで混み合っていて、道を歩くにも絶えず誰かの身体やデパートの紙袋に肌をつつかれなければいけなかった。
車道を挟んだ反対側の歩道に、偶然、あいつの姿を見つけた。人ごみから頭一つ飛び出しているあいつの顔を、見間違うわけなんてない。
声は、掛けられなかった。身体を返して、路地の陰に身を隠すので精一杯だった。脚に力が入らなくて、駆け出すこともできなかった。周囲が混んでいて……紛れられて良かったと思った。
仙道の隣にいたのは、オレでも知ってる、あの男だった。
肩を抱いて、相手の耳元に唇を寄せ何か囁いていた。普通の親密度ではないことは、すぐに分かった。
気を許し切った、無邪気な笑顔。
オレは、自分の身体が熱いのか冷たいのかよく分からなくて、何かの汗が体中から噴き出してくるのをただ耐えた。心臓の拍動が強すぎて、息が詰まる。強張って自由の利かない身体の内で、ただひとつはっきりと意識されていたのは、あの時――オレが仙道に気持ちを伝えた時の、あいつが言った言葉の本当の意味だった。






「……そうか。でも、越野のことは友達以上には思えないと思う。気持ちは、すごくありがたいよ。言ってくれたことも、勇気要ったと思う。越野が、オレのことさりげなく気遣ってくれてるのは、いつも感じてるよ。……ありがとう」






拒絶されたことよりも、仙道がくれた感謝の言葉の方に、涙が出そうになった。自分の気持ちは、通じていないどころか、ほとんど見透かされていたと言ってもいいくらいだったのだろう。心のどこかで、彼女か好きな人がいるのかな、と思わないではなかったが、それを言うか言わないかは仙道が決めることであって、オレがわざわざ聞くべきことではないことは分かっていた。
きっぱりと断られてしまえば、自分の心をきつく縛って苦しめていたのは、寧ろ「もしかしたら」という万が一つの期待の方だったということがよく分かった。
告げたことに後悔はなかった。こればっかりは相手のあることであり、自分の力ではもうこれ以上どうこうできることではないと十分分かっていたから、辛い辛くないは別の問題として、もう前に進むしかないんだと思えた。後に残ったやり場のない性欲は、なんにしろ男である限り、適当にやり過ごさなければならないのは変わらない。
仙道は仙道で、以前と何も変わらない態度で「わりいプリント貸して」とか軽口を叩いてくるから、オレも「そんな調子じゃ赤点とっても知らねーぞ」なんていつものノリでやり返すだけのことだった。
たとえ仙道があまり常識に囚われない性格だとはいっても、もし告白をすればそれとなく敬遠されることもあるだろうことは、覚悟の上だった。それだけに相変わらずの仙道の態度には安心もしたけれど、一方では心の底で燻り返しそうになる情念にいつも自分で言い聞かせなければいけなかった。「いつかそのうちに」なんて期待は、持たないことに決めた。それよりも、自分の感情が一時の気の迷いのようなもので、やがて自然に薄れてただの静かな友情に戻ればいいと願った。そうなれば、オレは余計な独占欲から離れて、純粋にあいつのためになるかどうかだけ考えられる、本当の意味でのあいつの味方になれると思った。いや、本当は、そうやってあいつの理解者の一人として側で支えてやりたいと思うこと自体、オレの行き過ぎたエゴでしかないのかもしれない。ただの、不要なお節介でしか。
だって、オレはあいつのことを全然分かってなんかいなかったんだから。

同性だから、恋愛の対象にはならない。それは言うまでもないくらい、当然過ぎるほど当然のこと。告白をする前に、オレがそのことを悩まなかったわけはない。それは、仙道だってよく分かっていたはずだ。
「同性だから」――仙道の言葉の前提として、オレは無意識にそのことを付け加えて解釈してしまっていたことに、自分で全く気づかなかった。
そうしてオレは、それ以上何かを問うこともなく、仙道のごくごく普通の、オレにとって一番想定内で納得の行く断りの言葉を、ただ受け容れて疑問に思うことすらしなかった。









同性だから、男だからダメなわけじゃない。
他に「男」がいたんだから。









もしそのことを知ったら、オレが傷つくってことを仙道はよく分かっていた。だから、言わなかった。
だから……オレも知らなかったことにする。









「越野さん、今年の文化祭の出し物何にしましょうか……。わい、実行委員になってもうて、プログラムの提出期限迫ってまして」
部活が終わり、むさ苦しい男子部員の臭気と湿気が篭る部室で、彦一がおずおずと切り出してきた。そういえばもうそんな季節なのか、と思う。HI予選が終わり、魚住さん始め3年生は既に部活を引退しているから、自分達2年生と1年生だけでなんとか取りまとめていかないといけない。新キャプテンになった仙道は、用事があるのか、今日は一足先に帰っていた。
「去年は魚住さんの女装ですんげーインパクトだったもんな。あれは越えられねーよ」
明治がシャツのボタンを掛けながら笑った。
「でかいやつなら他にも一杯いるけど」
植草が涼しい顔で言い、福田が心底嫌そうな顔をした。
「まあ、毎年女装ってのも芸がねーよな」
福田の苦い表情を見かねてオレが言うと、
「女装なら、越野が一番似合う」
「……てんめぇ福田、フォローしてんのに」
そうして、あちこちから冗談交じりのアイディア雑談が始まり、周囲はにわかに話し声と笑い声で一杯になった。オレは時計を見て言った。
「今日はもう警備が閉まる時間だから、どっかで時間とって話し合うか。みんな土曜の部活の後って1時間くらい大丈夫か?」
面々を見回す限り、特に問題はなさそうだった。部室の端々からうぃーすと野太い声が上がる。
「じゃちょっと仙道にも聞いてみるよ」
ロッカーからカバンを取り出し、携帯を引っ張り出す。手早く仙道にメールを送ると、程なくそっけない返信が返ってきた。<ごめん、その日は予定あり>。
予定。その文字の連なりに、何の予定なのか、誰と過ごす予定なのか、醜い詮索が次々と頭に浮かんで思考を奪いそうになる。慌てて首を振って、一度携帯を閉じる。
「仙道ちょっと予定があるってさ。土曜はとりあえず何案かまとめといて、あとで仙道も混ぜて決めるか」
言うなり、やたら彦一が食いついてきた。
「予定ってことは、もしかしたらデートとかなんですかね。越野さん、仙道さんって彼女いてはるんでしょうか?」
ずきっ、と、尖った痛みが胸に走る。刺さったままの棘に触られるような痛みだった。
「なんでオレに聞くんだよ」
「なんとなく越野さんなら知ってはるのかなー、って」
「知らねーよ、気になるんなら彦一自分で聞け」
「ええッ、そ、そんな、なんや、聞きにくいやないですか」
「なら興味本位で聞くな」
半分笑って釘を刺しておいた。プライベートのことを無神経に詮索されたら、仙道だっていい気はしないだろう。とは言っても、あいつのことだから、もし聞かれたところで冗談を言ってかわすか、のらりくらりやり過ごすか、どちらかなのは目に浮かぶようだが。

お疲れーっす、と声を残して、三々五々、部員達が部室から出て行く。その度に「お疲れ」と声を張って送り出し、自分の帰り支度が済む頃には、植草と福田が残っているだけだった。3人で窓とドアの戸締りを確認し、警備に体育館と部室の鍵を返却する。校門を出ると、二人はそれぞれの家の方向に帰っていった。
湿った海風の吹く歩道を一人歩きながら、仙道に再度メールを打った。<途中で抜けてもいいから、もしちょっとでも顔出せたら出せよ。みんな、お前が来るの待ってるから>。送ってしまってから、やっぱりただのお節介だよな、と、後悔が身体を縛って立ち止まる。それでも、送ってしまったメールを取り消すことはできない。代わりに溜息だけ吐いて、また歩き出すしかなかった。

家に着いて風呂から上がると、<了解>と二文字だけの返信が届いていた。






パッと見、どことなく近寄りがたくて、しかもその気になればなんでも一人でそれなりにできてしまう仙道。だけど、それでも、オレはあいつに周囲から孤立して欲しくなかった。教室で、部室で……コート以外の場所でも、ちゃんとあいつが気を許して自由にして居られる場所があって欲しいと思った。

ずっと近くにいられるわけじゃないことは、分かっている。だから、せめて一緒にいられる間くらいは、自分にできる精一杯のサポートを続けたい。






それが、何かを残すものではないのだとしても。




後日談を読む(やや長め)





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