距離感覚
side:山姥切
俺が演練で見初めた、鴇環(ときわ)の審神者。
背中の中ほどまで届く亜麻色の髪を、左右一房ずつ耳の上で結わえた、
華美な主と正反対の印象の、大人しく清楚な少女。
何故恋焦がれたのか、理由を尋ねられても答える事は難しい。
ただ、目を留めた可憐な花が置かれた苦境を知る程に、
より一層愛おしく、庇護欲のようなものが育つ事を自覚した。
己の立場を生かし、彼女と顔を合わせる関係を構築した主は、こう言った。
「手伝いはやってあげる。だからあんたは、頑張って口説きな。」
俺の想いを早々に看破した人物は、
刀の身に過ぎるであろう望みを鼻で笑うどころか、欲しいものは手に入れろとのたまった。
だから俺は、与えられた機会を十全に生かすことにした。
主に初期刀として選ばれ、早期に本丸に参じたという名目で、
鴇環に実戦経験から得た知識を惜しまず伝え、まずは信用を得ることに腐心した。
彼女が俺の事を何も知らない状態では、始まるものも始まらない。
どんな種類でも、とにかく好意を持たれたかった。
そして、当てにされているという手応えを得た頃だった。
まだ想いを告げるには早いと思っていたある日、鴇環は不意に俺にこう尋ねた。
「……私が好きって、本当ですか?」
先を越される形にはなってしまったが、
恋い慕う女にそう尋ねられて、返事を濁してしまうことなど出来なかった。
元々言葉を飾る事は不得手だから、そのまま伝えた。
すると彼女は、困惑して顔を背けてしまった。
迷惑だったのか、理解が追いつかないのか。この反応では判断が付かない。
「あんたは、どうなんだ。」
焦った俺の口から滑り出たのは、直接意思を問う言葉。
彼女は、人の機微にあまり鋭くない俺にでもわかるほどうろたえていた。
しばらく逡巡する時間が、俺にとって一日千秋に等しかったのは言うまでもない。
だから、その唇から「好き」という言葉が滑り出て来た時、
俺達刀剣の精神高揚を示す桜吹雪がふわりと舞ったのは、致し方ないことだった。
鴇環を連れて行きたかった店は、万屋の近くにある、別の大きな店だ。
自作を好む人間に合わせて、材料や機材の類を揃えている。
この中に、主が贔屓にする手芸店がある。それが俺の目当てだ。
先日、主がこう提案したからだ。
晴れて恋人になったのだから、そろそろ食べ物以外のものを贈ってもいいだろうと。
それなら、鴇環が愛用する薄手の肩掛けを贈りたいと言った所、
材料を買ってきたら仕立ててやろうと言われた。
その申し出に甘える事にした俺は、こうして彼女を連れて布を選びに来たというわけだ。
本人が居る方が、似合う色を選ぶのは楽だろう。
「お使い、頼まれてたんですか?」
「いや、個人的に入用のものがある。」
「そうですか……。」
鴇環は俺の前だと、態度が少し硬い気がする。
俺は無愛想な男だ。他愛無い会話を振ろうにも、やりづらいのだろう。
燭台切のような気さくな色男とは行かないまでも、
同じ堀川派に属する兄弟のような明朗さが欲しかった。
せめて声音だけでも少し柔らかくしたいのだが、
好いた女の前というのは、いつもの事ながら気を張ってしまう。
おかげで、声の無愛想さにはむしろ拍車がかかっている気がする。
多少の自己嫌悪に陥りながら、目当ての布がそろう棚の前にやってくる。
色とりどりの薄布。鴇環が愛用する肩掛けと似た布地だ。
「……この辺りだな。」
紺色を薄めたような色の布と、卵色の布。
どちらかにするか、両方とも買ってしまうか。
今日の装いに合わせるとは限らないので、
今着ている物との色目は気にしなくてもいいだろう。
「……?」
黙って不思議そうに首をかしげる鴇環は、
俺が彼女への贈り物の素材を物色していると分かっていないらしい。
変に勘繰られずにほっとするような、
気付いてもらえず気落ちするような。
何とも複雑だが、ちらりちらりと彼女の髪や肌の色味と布地を見比べて、買うべきものは決まった。
後は、糸も買っていかないといけないが、あまり詳しくは分からないので、
近くに居た店員を呼んで、一通り見繕ってもらった。
何に仕立てるかを小声で伝えたら、すぐに足りないものを揃えてくれた。
さすが心得ている。
(やっぱり、お使いなんじゃ……。)
会計を待つ間、少しだけ離れた所で待っている鴇環が、ぼそりと独り言を呟いた。
違うと言いたくもあったが、言える状況ではないので看過する。
確かにこの布一式は、主の仕立て待ちとなる身だが、
決して彼女の趣味として消費される代物ではない。
とはいえ、注釈をつけるとかえって言い訳じみる気がすると考えているうちに、会計が済んだ。
「待たせたな。」
「いえ、全然……。」
店を出ようと身を翻そうとした時、ふと鴇環の片手が所在なげに見えた。
かばんを持たない側の手だから、ただ下ろしていただけなのかもしれないが。
「その――。」
「はい?」
「……嫌なら言ってくれ。」
さすがに直接聞く事はためらって、
具体的に許しを請わないまま、彼女の小さな手を握る。
普段、彼女に直接触れる機会はほとんどない。大抵人目があるから、当たり前なのだが。
だからこそ、勇み足かとも思うが、この機に触れたかった。
「?!」
触った瞬間に、鴇環が驚いて身を震わせた。
嫌だったのかと思って顔を伺えば、小声で「大丈夫です。」と答えてくる。
振りほどくような気配はない。どうやら本当に驚いただけだったらしい。
女らしく柔らかい手は、様子を伺うように握り返してくる。
嫌がられてはいない。
ただ手に触れる事を許されただけだというのに、うっかり桜を舞わせてしまいそうだ。
あちらから触れてくる事がないから、
正直に言って、この程度も許容されるかどうか、自信はなかった。
だが、臆病な彼女が少しずつ許してくれるというのなら。
付喪神の俺でも、高望みをしてもいいだろうか。
今はこの程度で十分だ。
いつかはあの日見た夢のように、この腕に抱ける日が来ればいい。
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交際中の切国と鴇環の審神者。将来の見通しに関しては、少々温度差がある2人。