とある写しの恋煩い

―1話・とある写しの一目惚れ―



審神者の日々の課題として推奨される業務の一つが、演練だ。
審神者達がそれぞれ刀剣を率いて、手合わせを行う。
日頃の戦闘と違い、特別な結界の中で行われる。
そこでは砕けた刀装も、傷ついた刀剣の肉体も、試合前の状態に修復される。
故に、自軍を鍛えるには最適という事だ。
そういうわけで、演練場は今日も多くの審神者と刀剣達でにぎわっていた。
現世のモデル業が多忙な火輪の審神者も、
時間があれば自らの刀剣達を率いて、ここに赴いている。
懇意にしている友人と対戦する事もあれば、初めての相手を選ぶ事もあり。
ここは、審神者同士が知り合う貴重な場でもあるので、
この辺りは案外自由が利くものである。
今日彼女が選んだのは、初めての対戦相手だった。

「ねえねえ主、今日の対戦相手は女の子ですか?」
「あー、そうだね。何ー、あんたまたガン見するわけ?」
「そりゃもう!」
鯰尾が、楽しそうに一つ結びの髪を揺らして、主人にちょっかいをかけている。
受付用の端末には相手の審神者のプロフィールが表示されている。
本当に簡単なものなので、載っているのは審神者名と性別、年齢程度だ。
それでも鯰尾にとっては、テンションを上げるには十分だった。
「だって、生のちっちゃ可愛い女の子なんて、
演練か審神者の町に行かなきゃ見れないですもーん。」
「ずお兄、へんたーい。」
胸を張って開き直る鯰尾に、主にまつわりつく乱が辛辣な言葉を浴びせた。
そんなやり取りを横目に見ながら、少し離れた所で、山姥切は待機している。
近侍であり、今日の演練に出る隊の隊長でもある彼は、
基本的に対戦相手の審神者に興味はない。
頭にあるのは、今日の対戦相手が強いか弱いか、己や仲間の良い経験となるか。
戦いの事ばかりであるからだ。
他の審神者と諍いを起こす、厄介者でなければよいと思う位である。
好奇心旺盛な刀剣ならいざ知らず、初対面の審神者にはあまり関心がない。
彼はそういう刀であった。
それでも一応確認する癖はあるので、掲示される電光掲示板の表示をちらりと見る。
―鴇環(ときわ)か……。―
「ときわ」という読み仮名なら、普通は「常磐」の字を当てるだろう。
故に、少し珍しいと彼は思ったが、その感想はすぐに頭から抜けてしまった。


「お、カワイコちゃんの群れだね〜。んじゃ、よろしくー!」
試合会場に入ると、対戦相手の隊がすでに待機していた。
打刀と脇差が1人ずつ、残りは短刀4人。
火輪の言うとおり、可愛らしい面々だ。
「は、はい。こ、こちらこそ……よろしく……。」
ごにょごにょと口ごもり、緊張で顔を赤くしている対戦相手の審神者・鴇環。
癖のないまっすぐな亜麻色の髪を、肩の中程まで伸ばした女性だ。
左右の耳の上の髪を一筋分結わえた、上品な髪型。
現代語で言えば、ツーサイドアップの一種だろう。
目元は面布で隠れて見えない。声を聞く限り、少女というのが適切か。
緊張して引きつる唇は、グロスを一刷毛載せているのか、ほんのり艶がある。
「そっちの隊とは初めてだねー。ま、気楽にやろーよ。」
「あ、はい……どうも。」
初対面でも社交的な火輪と違い、鴇環は人見知りの気があるようだ。
緊張しきった様子で受け答えしている。
そんな彼女が纏うのは、巫女服と洋装を折衷したような装束に、黒い厚手のタイツ。
手にしているのは、大陸風の団扇。
これが審神者として持つ武器なのだろう。
その団扇のせいか、肩に纏った薄手のストールは、まるで天女のひれのように見えた。
―綺麗だ……。―
自分に対して使われるのは遠慮願いたい言葉が、すっと山姥切の脳裏に浮かぶ。
見慣れた女主人とは、年頃が似ていても対照的だ。
火輪は、外では愛嬌ある狐面で顔を隠しているが、それでも派手な少女である。
揺らめく火に似た蘇芳の髪と、丹色の派手な着物ドレス。
すらりと長身で、威風堂々とした立ち居振る舞い。
それと比べると、この少女の何と控えめな事か。
仮に両者が百合だとすれば、火輪は大きく香りも強い山百合で、鴇環は小さな笹百合。それ位違った。
そして、その可憐な笹百合に、彼はすっかり目を奪われていたのである。
相手の隊の構成さえ、ろくに確認しないほどに。

「――おーい、まんばさーん。」
「!」
「試合始まるよ。さ、暴れといで!」
とんっと肩を軽く押されて、いつものように声をかけられる。
「あ、ああ……。」
山姥切は、完全に意識がよそに向いていた。
今の呼びかけの仕方からすると、先にもう一声かかっていたはずだ。
あるまじき失態に自分で戸惑いながら、上ずった返事でごまかす。
すっかり集中が切れていたのだ。
努めて平静を装うとするものの、気持ちの切り替えには苦労する。
「訓練でも、無茶はだめですよ?」
「大丈夫だって。主は心配性なんだから。」
自軍の隊長である加州清光の裾を引いて念押しをするその声は、
よく通る鈴の音のように山姥切の耳に残った。


その日の試合は、彼個人にとっては誤算の連続であった。
ざわつく胸中。まとまらない思考。散漫な意識。全てが想定外だ。
―何だって、こんなに……!―
特に不利な戦いでもない。むしろ火輪の隊が圧倒している。
一太刀振るえば、刀装ごと相手の隊員を倒す勢いである。
そんな状況なのに、山姥切は内心の焦りを隠せなかった。
早い話が、どんなに意識しても集中力が途切れるのだ。
もはや、集中できないといっても過言ではない。
戦いの間に何度も視線を送ってしまうのは、遠く離れた観戦席。
隙あらばあちらを見てしまう。
視線を留めてしまうのは、おっかなびっくりという調子で、
火輪の言葉に受け答えをしているらしい鴇環の顔。
心が千々に乱れるという言葉は、今の山姥切のことを言うのだろう。
真剣勝負の最中に、余所見をしていれば世話ない。
仲間が気付いたら、果たしてどう思うだろうか。
「くそっ!」
何度目になるかも分からない、観戦席に送りかけた視線を無理矢理引き戻して、
彼は思い切り舌打ちした。
剣戟の音がうるさくて、多少音を立てようがまぎれるのは幸いであった。


隊長である山姥切は集中力をめっきり欠いていたものの、結果は圧勝であった。
対戦終了を受けて、観戦席から審神者2人が戻ってくる。
「あの……あ、ありがとう、ございました。」
「こっちこそ勉強になったわ。じゃあねー。」
開始前の挨拶と同様、緊張した様子で挨拶する鴇環に、火輪は気楽に返す。
挨拶を済ませると、隊長の加州の陰に隠れるように、そそくさと立ち去っていく。
細身の加州と比べても華奢で小さな背中を、山姥切は呆けたように見送る。
髪とスカートを揺らすその影に、目が釘付けだ。
(なーに見てんの?)
「?!!」
いきなり耳元にかかる、火輪の囁き声。
完全な不意打ちに、山姥切は肩をびくっと跳ね上げさせた。
「なっ……!いきなり何するんだ!」
「あんたがボーっとしてるからじゃん。
え、何?もしかして本気でびびった?」
「……何でもない。帰るんだろう?ほら、いくぞ。」
「それこっちの台詞!ったく〜。」
図星を突かれて、いつも以上にぶっきらぼうな態度で矢継ぎ早にものを言う山姥切。
分かりやすい近侍の態度に、火輪はこれ見よがしに嘆息した。
決まり悪いのをごまかすように、大股で立ち去る彼の背。
主人がついてきていないのにも気付かない様子だ。
それを観察しながら、火輪は品定めするように釣り目を細めた。


「……アド交換、しといて正解だったねー♪」
面白いものを見たと、火輪はにんまりと口の端を上げた。
企みいっぱいの鮮やかな紅の弧は、あいにく狐面の下なので、
たとえ山姥切が振り返ったとしても、見える事はなかったが。


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pixivにアップした「とある写しの恋煩い」シリーズ。こちらでは便宜上、話数を通し番号で振ってます。
自分の書くnot主従型姥さにの馴れ初めは、この連作でぼちぼち形にしていく予定。