とある写しの恋煩い

―2話・とある写しの悪魔な主人―



顔を面布で隠した、亜麻色の髪の内気な審神者・鴇環(ときわ)。
彼女を見初めたあの演練以来、彼――山姥切国広は、
ふとした拍子にぼうっと立ち尽くす事が増えていた。
ある日は、朝起き抜けにいきなり叫んで騒動を起こした事もある。
本人は刀剣仲間に対して、頑なに「おぞましい夢を見た。」としか言わなかったので、
真相は主人である火輪の審神者しか知らない。
それでも、この頃の彼らしからぬ振る舞いに、薄々察した者もいる。


「ねー、まんばさん。
あんた、この前の演練で見た子が好きなんでしょ。」
執務室での事務作業が終わり、
書類を預かったこんのすけが政府に赴くために席を外した時。
唐突に火輪は話を切り出した。
思わず山姥切は眉間にしわを寄せ、小さくため息をつく。
「はぁ……。藪から棒に、何を言い出すかと思えば……何の話だ。」
「とぼけるなってば。ほら、あの薄いベージュっぽい髪の小動物系。
あんたがちらちら見てた子。」
「……見ていない。」
むすっとした顔で山姥切が答えれば、いっそわざとらしいほど大きなため息。
明らかに彼女は呆れていた。
「どエロな夢見たって話は言えて、惚れたのは言えないわけ?
あんたの羞恥心イミフなんですけどー?」
火輪は半眼でじろりと山姥切を見やった。
彼は先日、一目惚れした相手である、鴇環が出てくる淫夢を見た。
それをこの本丸で唯一知る彼女には、大変馬鹿馬鹿しい取り繕いである。
そもそも、淫夢を見たと女子高生の主人に白状する勇気がある方が間違っている。
こんのすけがまだこの部屋に居たら、そう指摘した事だろう。
火輪は猥談に動じるタマではないが、そういう問題ではない。
「うるさい……夢はあくまで架空の話だ。
それに引き換え、惚れた腫れたは現実の話だろう。勝手が違う、勝手が。」
「いや、どう考えてもエロい夢見たって言う方が勇気いるでしょ普通。」
「大体だ。俺が惚れていたからって何になる?
不毛な話に、現世でも多忙なあんたが関心を持つ暇なんて無いだろう。」
もっともな指摘はあえて黙殺して、今度は別の切り口から反論を試みる。
この話題にはさっさと蓋をしたい。彼の思惑はそれだけだ。
「えー、むしろ恋バナとか大好物なんだけど?
あんた女子高生舐めてない?」
何故か玉砕前提の話を聞かされて、火輪は口を尖らせた。
彼女の目から見て、山姥切は恋愛を頭から諦めて然るべき物件ではない。
日を浴びて輝く金髪が彩る凛々しい容貌は、女性受けはとてもいい。
ぶっきらぼうながら、真面目で仲間想いな態度も、印象は良い部類だ。
最初はとっつきにくさが印象強いだろうが、
少し様子見すれば、悪い奴ではない事はすぐに分かる。
生真面目な方なので、女性に対する態度も誠実だろう。
端的に言えば、物件としてはむしろ申し分ない。
もし彼が人間だったら、秋波を送る女は引きもきらないだろう。

「戦闘中のテンションはどこ行ったわけ?」
炎のように波打つ蘇芳のポニーテールを揺らして、
火輪は煉瓦色の目を愉快そうに細める。
卑屈な言葉を口にする姿も、職務に忠実な姿も、戦場での勇姿も知る彼女には、
己の近侍が何を思っているのかお見通しだった。
何しろ、彼女が審神者になって以来の万年近侍だ。
「切れ味が役に立つのは、戦場だけだ。
それに……あちらが俺を気に留める保証なんてない。ただの通りすがりだぞ。」
山姥切は、そういって目を伏せた。
写しを言い訳としないのは、この本丸で己の身の置き所を見つけているからだ。
しかし、そのささやかな自信も、今回は助けとならない。
「ふーん。でも、彼女にしたいんでしょ?」
「だから、それは無理だと――!」
「仲良くなりたくないわけ?」
「それは……だが、どう考えても不可能だ。他の本丸の刀剣なんて……。」
彼は言葉を詰まらせ、視線を所在なくさまよわせる。
親しくなりたいに決まっている。それが山姥切の本音だ。
しかし、住まいが異なるというのはやっかいである。
それだけで、城壁のように高い壁が立ちはだかるのだ。
言葉を交わすことはおろか、姿をかいま見ることさえままならない。
その逆境に燃える性格なら良かったのだが、卑屈で諦め癖すらある彼には酷だ。
「普段あたしら、ダチの刀とフツーに喋ってるじゃん。
ダチになれるのに、そっちは無理なわけ?」
「それとこれとは別だろう!近所付き合いの範疇と、色恋沙汰を一緒に出来るか。」
顔の広い火輪は、多忙の合間を縫って審神者の友人を作っている。
親交を深めた彼女の友人達は、確かに山姥切とも度々会話する。
しかし、あくまで知人友人がいいところだ。
これは、他の本丸の刀剣達も同様だ。
故に、それ以外の関係なんて、彼には想像できなかった。
「じゃあ、想像してみなよ。」
「何をだ。」
今度は何を言い出すのだと、山姥切は主人の言葉を警戒する。
自然と身を硬くしていた。にやりと笑った彼女の口が開かれる。
「――あの子が他の男といちゃついてると・こ・ろ。」
「――っ!」
愉快そうな火輪の言葉。
それが耳に入ったとたん、まるで言霊を囁かれたように、即座にその情景が浮かぶ。
鴇環が見知らぬ男と寄り添い、笑いかける姿。
頬を染めて、隣の男と腕を絡める姿。
しかしすぐさま黒いもやが現れて、それらの光景を塗りつぶした。
にわかに山姥切の眉根がきつく寄る。対照的に、火輪の笑みは深まった。
「いいねー、いいねー。今のあんた、超いい顔してる。」
「どういう意味だ。嫌味か?」
「まっさかー。あたしは喜んでるんだし。」
彼女ははつり目を細めて、にんまり口角を上げている。悪巧みをしている時の顔だ。
それを知っているから、山姥切は警戒心を強くする。
嫉妬に焼かれた胸中を映した己の顔を、彼が知らないのは幸いだった。
「いちゃつきたいよねー、どうせなら自分がさあ。」
「だが、俺は……刀だぞ。
いくら、一緒になりたくても――異種族が、幸せに出来るか。」
「幸せに出来ない、ねー。」
「何が言いたい。」
思わずきつく睨みつける。
武神である彼は、整った容姿と相まって、睨みつければかなり迫力がある方だ。
しかし敵もさるもの。嘲笑じみた顔は崩れなかった。
「ほんとはさぁ、振られるのが怖いだけなんじゃね?」
「……からかってるのか?」
「ぜーんぜん。マジもマジ。大マジ。
あんた、戦う前から逃げるわけ?それって超だっさ〜いと思うわー。」
ケラケラと火輪は声を立てて笑う。分かりやすく反感を煽っていた。
山姥切は、それが単純に言って不愉快だった。
むやみに煽り立てる主人も、その思惑通りに気分を害した自分も。
「馬鹿なことを言うな!そんな詭弁に、俺が乗ると思ってるのか?」
「怒るのは勝手だけどねー。あたしがあんただったら、あの子さっさと落とすわ。
可愛い子はとっとと売り切れるからねー。」
「……だから、あんたは!
どうして、しつこく焚きつけようとするんだ!!」
ついにたまりかねて、彼は声を荒げた。
目つきはますます鋭くなる。翠玉色の視線と煉瓦色の視線は、両者一歩も譲らない。
「そりゃ決まってるじゃん。あんた、後悔したい?
諦めるんなら、振られてからにしな。でないとあんた、一生後悔するよ。」
「振られると分かってて、話を切り出しにいけって言うのか……。」
「言うかバーカ。」
「なら、何で!!」
「じゃあ、今ここであの子を諦められる?
彼氏が居るか居ないかもわかんないうちに?」
出来る訳ないよねぇと、言外に含まれている。
実際。彼は答えに窮した。理性では、恋を諦め、忘れるべきだと分かっていた。
だが、主の問いに答えようとした喉は、凍ったように動かない。
「そーそー、それで良し。」
彼は、何がだと口にする代わりに、射るような目のままじっと見つめる。
今日は主人を睨んでばかりだ。
不敬に値すると言えばそうだが、
そもそも彼女が私的領域に踏み込んできているので、おあいこか。
「話はちゃんと聞きなよね。
これはさ、あの子が今フリー……つまり、相手が居ないって分かったらだけどね。」
そこで一旦切って、彼女は山姥切の方に身を乗り出した。
「あたし、勝てない戦はしないの。
あんたが本気で鴇環ちゃんを彼女にしたいんなら、協力するって話なんだけど。」
「どういう事だ?協力って……。」
「女心を知りたきゃ、女に聞けばいいじゃん。
仲良くなりたきゃ、ご主人様にくっついてきてるお供ってツラで話しかけりゃいいじゃん。」
それは要するに、日頃火輪の友人達と接するように、
主人同士の付き合いが主眼と装えば良いという提案だ。
同性がお近づきになりたいと言って友好的に接してくれば、
大抵の人間は疑わないだろう。
まさかその従者たる刀剣が、己に懸想しているとは夢にも思うまい。
「まずさぁ、いきなり告れなんて言ってないし。
先に好感度こつこつ上げてって、脈あり!ってところで口説けばいいじゃん。」
「だが、俺の勝手に主のあんたを巻き込むなんて……。」
ぐらりと、理性が徐々にひずんでいく。
欲を掻けと促す声は、建前に爪を立てて引き剥がす。
火輪の言葉は甘言だ。
欲しいと思えば、下位種族の思いなど構わず欲することも辞さぬ、
神の側面を引きずり出そうとしている。しかし、彼はためらっていた。
「そんな事が、許されるのか……?」
付喪神といえど、その心の有り様が人にとても近い山姥切。
己の浅ましさに気づかされているが故に、彼は戸惑っていた。
「恋は戦争だよ。
戦争に、ずるいとかそんなんありとか、ないでしょ?
だってさ、最後にゲットした方が勝ちなんだから。」
ぐっと山姥切が息を飲んだ。この神の、なんと律儀で臆病で、誠実なことか。
最後のあがきのように逡巡し、彼の翠玉の目は不安げにさまよった。
「そもそもだ……手にしたいと願うことは、許されるのか?」
この期に及んで、己の欲を押し込めごまかして。
好いた女性を傷つけることを恐れる姿は、人間よりも人間くさい。
いや、古今東西の神話において、そもそも人は神が作った種族だ。
神と人の感性が重なったとて、さして驚くことではないのかも知れない。
「もちろん、いいに決まってるじゃん。それにさあ――。」
もう一押しだと、火輪は確信した。
「あの夢を『現実』にしたくない?」
王手がかかる。彼の最後の防衛線はあっさり崩れた。
想いを寄せる少女が相手の淫夢を見た経験者に、それは下世話ながらも強力なとどめであった。
山姥切の頬が、かっと一気に朱に染まる。
どうやら、夢で見た艶姿をもろに思い出してしまったらしい。
火輪は噴出しかけたが、ここで笑うと台無しだ。
口をつぐんで、どうにか笑いの波をやり過ごした。
両者共に、精神的な体勢を立て直すまでのしばしの間が生まれる。
そして、1分近く経った時だろうか。
「……主。手を、貸してくれ。」
赤くなった顔を見せたくないらしい。下を向いた山姥切は、小さな声でそういった。
「あの子が欲しい?」
「ああ。……あんたに乗せられたのは癪だがな。」
面白くなさそうに言うものの、
再び顔を上げて主人を正面から見る彼の目は、もう迷いが無かった。
付喪神をそそのかす、人の皮を被った妖異の囁き。それでも構わない。
想いを成就させる見込みがあるのなら、何だって利用してやろう。
急に力がこもった目は、そう語っていた。
腹をくくった男の面差しというのは、いつだって最高に凛々しいものだ。
「そうこなくっちゃね♪」
してやったりと笑う火輪。
ここまで持ってくれば、もう彼は簡単に引かないだろう。
彼女はそう確信していた。
「……手始めに、怪しまれずに話をする機会を何とか設けて欲しい。
そうしないと、今現在、男が居るかどうかすら分からない。……頼めるか?」
「任せな。あんたに春を連れてきてやんよ。」
今日一番真っ当な笑みを作って、火輪は得意げに言った。
親指を立てた姿は、頼もしくすらある。
もしかすると、鴇環に男の影がないことを、見抜いてでもいるのだろうか。
あまりに自信たっぷりなものだから、山姥切はそんな風に思ってしまう。
「春、か……。まあ、期待半分としておこう。」
今後の期待にざわめく心とは裏腹な事を、彼は口にした。
そう言っておかないと、気が逸りすぎてしまいそうだったのだ。
ひとまず今は、少しだけ夢を見てもいいだろうか。
そんな思いが、にわかに湧き上がった。


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シリーズ2作目。火輪の審神者が、まんば君を焚きつける話。
相手に恋人が居るか居ないかを確かめる前に諦めるのは、ちょっと諦めが早すぎるという話。
ちなみに、火輪の審神者の心境を書いたものはこちら→おまけ