とある写しの恋煩い

―7話・とある担当者の黒い噂―



鴇環(ときわ)の審神者の本丸を尋ねた日の夜。
火輪の審神者は、執務室に近侍の山姥切を呼んでいた。
鴇環の鍛刀がうまくいかない問題を、この本丸の担当者に相談した話をするためだ。
もう風呂を済ませた後という事もあり、白い寝巻にいつものぼろ布をまとった楽な格好で、
山姥切は火輪の前に座っていた。
呼び出した彼女自身も、普段内番の手伝いをする時に着るジャージ姿だ。
「主。あんたの担当者は、鴇環の所の奴については何と言っていた?」
「やっぱ審神者受け悪いって。後、新人担当者にも態度悪い時あるって言ってたわ。」
「やはりな……。」
想像通りだと、山姥切は悟る。
「ね。聞いた感じ、かーなりやばいわ。」
そうぼやいた後、火輪は先程自分の執務室での会話のあらましを語り始めた。


今日の夕方、火輪は自分の担当者と映像通信で話をしていた。
内容は、鴇環の本丸の状況の相談と、以前彼女の本丸でその担当者と遭遇した時の件の2つ。
鴇環の本丸の担当者の話をすると、彼女は顔を曇らせた。
“いきなりあなたに罵声を浴びせたんですか……それは災難でしたね。
彼に代わってお詫びします。本当に失礼しました。
もうその件でお察しでしょうが、あの人は身内でもいい評判を聞かないんです。”
火輪の担当者は、鴇環の担当者についてそう答えた。
「えっ、それマジですか?」
“そうなんです。本丸担当同士ではそこまででもないんですけどね。
ちょっときつい怒り方する時もありますけど。”
「審神者相手だと?」
“前に彼が担当してた子を引き継ぎましたけど、
怒り方が怖かったって愚痴を聞いた事がありますね。”
「それって、お前ゴミ役立たずってテンションだったりしません?」
“そうです。高圧的なんだって。
心霊学部卒の人なんですが、他の学部卒の新人にもちょっときつい時があります。
確かに怒り方が怖い人ですよ。”
「それって、他の心霊学部卒の人より怖かったり?」
“しますね。”
心霊学部で扱う内容は、付喪神や審神者の仕事で扱う陰陽術が含まれる。
つまりこの学部卒の人間は、本丸の担当者の仕事においては有利だ。
当然本丸担当者に心霊学部卒は多く、少数派になる他の学部卒を見下す傾向がないとは言えないだろう。
だが、鴇環の担当者はそれが同僚の目に余るほど顕著らしい。
“不正なんかはないと思いますが……。火輪さんが鍛刀を失敗したのは気になりますね。
ちょっと調べてみます。鴇環さんご本人の鍛刀記録もありますか?”
「あ、それならばっちり。コピって送っときまーす。」
鴇環の本丸の鍛刀記録は、先日すでに写しを受け取っている。
火輪は二つ返事で担当者の依頼を引き受けた。
“すぐにはお返事できませんが、時間が掛かりそうなら途中で状況をお話しますね。”
「はーい。」
画面の前の担当者が軽く頭を下げた後、通信は終了した。


「……ってわけ。」
「あんたの担当者が調べてくれる事になったか。助かるな。」
役人側の協力を取り付けられたのは吉報だ。火輪の説明を聞いた山姥切は、胸をなでおろした。
「しかも向こうから言ってくれてラッキーだわ。」
火輪も似たような気分らしく、見た目にも機嫌がいい。
赤い紅を引いた唇が弧を描いている。
「どう頼むか、あんたも少しは悩んでたみたいだしな。」
「何か引っかかるんだけどその言い方。」
「言いがかりだ。ところで、他に用はないか?」
主の機嫌をうかつに損なったら後が怖い。
適当に話を逸らすと、彼女は首を横に振った。
「なーんにも。さっさと部屋に帰んな。」
「分かった。」
事態が進展するのは、また後日になるだろう。
言いつけられる用事がないのであれば、留まる理由もない。
彼は素直に主の前を辞した。

自室に戻る道すがら、山姥切は考える。
火輪の担当者は、真面目で話の分かる女性である。
火輪が現世で高校生とファッションモデルを兼ねる都合も、きちんと考慮に入れる人物だ。
――あの男が尻尾を出すかは別として、調べはつけてくれるだろう。だが……。――
難しい顔をして、山姥切は庭に面した廊下から空を見上げた。
朧にかすんだ頼りない月。その姿は、彼が思いを寄せる鴇環に重なった。
彼女の覇気のなさは、この月明かりよりもさらに儚い程だ。
就任後ずっと、鍛刀で打刀を呼べずにいるからというだけではない。
本来新任の審神者が頼りになるはずの担当者は、結果を出せと恫喝するばかり。
出口の見えない苦境は、人の心を塞いでしまう。
――俺一人でどうにかしてやれる事ではないが……。
俺があの本丸のために出来る事を、1つでも多く見つけないといけないな。――
一目惚れした少女に近づきたいという下心がきっかけでも、山姥切のこの思いは本物だ。
いつしか足を止めてじっと月を見上げる格好になっていると、廊下の先から重い足音が聞こえた。
「おお、月見か?」
「兄弟。」
通りかかったのは山伏だった。ほっと山姥切の肩の力が抜ける。
「月見でなくば、考え事か?」
「……そんなところだ。」
兄弟はお見通しかと、どこか他人事のように感心しながら山姥切は答える。
彼に胸の内を悟られる事は、不快ではない。
「今日は鴇環殿の本丸に出向いたそうだが、何か成果はあったか?」
「鍛刀の問題が、どうやら式神の不具合らしい事が分かった。
ただ、前にも不具合で式神を交換していると言っててな……。」
「粗悪な式神を二度にわたって支給した事になるのか。政府が。」
「そうなる。」
山伏は目を丸くして驚いた。当たり前だろう。
本丸の担当者は、審神者の後方支援者という側面がある。
本丸の運営がより円滑になるように手助けするのも仕事なのに、足を引っ張るなんて言語道断のはずなのだ。
「うむ、確かにおかしいな。鍛刀場は本丸の戦力を生む要。
二度も粗悪な式神が渡るなど、わざと狙わなければ起きないように思える。」
「やはりそう思うか。」
「誰に聞いても、そう思うであろう。
一体その担当者は、どういうつもりでそのような事をするのか。」
「俺もそこが引っ掛かって仕方がない。
まさか弱みを握って何かさせるつもりなのか……。」
「ありえない話ではなかろう。
他の本丸では、普段の任務とは異なる任務を請け負う審神者も居る事だ。
他で断られるような仕事を、無理に押し付ける位は考えているかもしれん。」
山伏は腕組みをして考え込む。
政府から命じられる審神者の仕事は、歴史を守る事だけではない。
何らかの理由で放棄に至った本丸の後始末や、
現世で人に被害をもたらした妖の退治など、臨時の仕事が舞い込む事は珍しくない。
その中には、当然多くの審神者が敬遠したい仕事も含まれる。
「汚れ仕事を押し付けるか。いかにもだな。」
「もし手勢の少ない本丸で臨時の任務となれば、相当な負担となるであろう。」
「それで普段の仕事が回らずに、ますます評価が下がるという寸法か。泥沼だな。」
山姥切は吐き捨てるように呟いた。
普通は余裕のある本丸にしかこういった仕事は回らないが、あの高圧的な担当者ならやりかねない。
そう思ってしまう位には、彼は鴇環の担当者に反感を持っていた。
出会い頭に見たものが、想い人を恫喝する姿と、自分の主を侮辱する姿だったのだから、当たり前だ。
「無論、あちらの本丸で本当にそのような仕事が割り振られているかは分からんが。」
苛立つ弟の様子に気付いた山伏は、見かねたように付け加える。
「今は、な。」
ふんっと山姥切は鼻を鳴らした。
兄にたしなめられても、一度気が立ったらなかなか静まらないものだ。
「急ぐ気持ちは分かるが、そのような時こそ平常心を保つのだぞ。」
「分かってる。俺が一人で焦っても、何も出来ないからな。」
鴇環の本丸の苦境を解消する道のりは、一筋縄ではいかない。
気が急いた所で、待たねば開けない道だってある。
山伏の言う事は、もっともであった。
「俺達で鍛刀場を修理出来れば、こんな面倒もないのに……。」
「大丈夫だ。御仏は見ておられる。
諦めず道を進めば、きっとご加護があろう。」
「……そうだな。」
「さあ、もう遅い。ゆっくり休み、英気を養おうぞ。」
兄に促されるままうなずいた山姥切は、そのまま素直に寝る部屋に戻っていった。



翌日。主不在の火輪の本丸に、幽霧の審神者から映像通信が入った。
主に代わって山姥切が一人で応対するため、執務室の据え置き端末を起動する。
通信が繋がると、映ったのは簡素な個人部屋。
そこには、目印の真っ白な和装が印象的な鶴丸と、それと対照的に地味な少女の姿が映る。
灰緑色の目深なフードからこぼれた枯草色の長い髪に、
地味な緑の作務衣、青白い肌が不気味な彼女こそが幽霧。
依代の審神者を指導役とする見習い審神者だ。
彼女もまた、山姥切の主である火輪の友人である。
以前所属していた本丸では、その主である実のいとこから暴力を受けていた暗い過去の持ち主だ。
“昨日はごめんよ。気付いたのが朝でね。主は留守かい?”
「いや、構わない。こちらこそ、主が不在ですまないな。
ところで、本題の前に少しだけ聞きたい事がある。」
“何だい?”
「あんたが前に居た本丸の担当者は、どんな人間だった?」
“担当者ね……外れだったよ。”
「あんたが以前居た本丸でだめだったのは、いとこの審神者だけじゃなかったのか?」
山姥切は少し驚いた。
彼は幽霧のいとこの審神者の行状は知っていたが、もし担当者も問題児ありだったのなら初耳だ。
すると、彼女は画面の向こうで大げさに肩をすくめる。
“あそこの担当者はいとこの外面のよさにだまされて、
まともに見習い教育してないのをスルーしてたからね。そんなのが当たりだと思うかい?”
「それもそうだな。」
幽霧のいとこがたちの悪い所は、自身の刀剣達はもちろん、実の親ですら欺く外面の良さ。
両親を小学生で亡くした彼女が、いとこの家に引き取られてからずっと虐待されていたのに、
長年発覚しなかった大きな要因だ。
表沙汰にならないで済む悪知恵を巡らせる人間に、外面が合わさると実に厄介である。
だから担当者が欺かれるのも仕方なくはあるが、幽霧から見たら立派な外れ枠だろう。
そういう意味でも山姥切は納得する。
“ところで、何で俺の主にこの話を振ったんだ?
本題は、鴇環って審神者の本丸で鍛刀してくれる人間を探すんじゃなかったのかい?”
「俺個人の興味だ。参考までにと思ってな。
……あまりにとんでもない人間だったから、少しな。」
“あー……まあ、結構聞いてると外れの担当者はいるよなあ。
若竹の審神者の所の前の担当者も、君の主が言ってた担当者とためを張る腐りっぷりだったし。”
鶴丸が困った顔で腕を組む。
若竹の審神者は、今の本丸を一から立ち上げた人間ではない。いわゆる引継ぎの審神者だ。
彼が来る前、その本丸は重大規律違反本丸――俗にいうブラック本丸だった。
当時の審神者と担当者がつるんで悪事を行ったため、
本来働くチェック機能が全滅してしまって酷い有様だったという。
“証拠を集めて大人しく観念するかな。そうは思えないけど。”
「主の担当者は聡明な人間だ。
勝算なしにあんた達審神者の手を煩わせたりはしないだろう。そこは信用してくれ。」
“ま、確かに火輪もそう書いてたね。ま、安心してよ。
勝ち目があってもなくても、僕は全面協力する。
腐った担当者を呪ってくれっていうなら、それでもいいよ。”
“いやいやいや、そんな事頼まないだろ。なあ?”
「当たり前だ。」
“そう、残念だよ。”
ふふっと皮肉っぽい笑い声を立てる幽霧に対して、山姥切は渋い顔をする。
人殺しなんてさせるわけがないのに、黒い冗談が過ぎるというものだ。
「あいにく、僕は呪術以外には取り柄がないからてっきりね。」
「見習い審神者に選ばれた時点でそれはないだろう。」
見習いの審神者は、正式登用年齢の当年16歳を待たず召集される。
それは審神者の才能に優れている者を、早くから確保して教育するためだ。
山姥切の指摘通り、選ばれた時点で才能は保証されている。
「火の山姥切の言う通りだ。まったく、そういう言い草は悪い癖だぞ。」
つんつんと鶴丸が主の側頭部をつつく。
嫌がった彼女は、黙って頭を傾け指から逃げた。
「で、向こうに行く日は君の主に相談すればいいのかい?」
「受けてくれるのか。」
「君の主は友達だからね。友達の頼みは受けるよ。当然じゃないか。
呼ばれればいつでも行くっていっておいて。
何なら学校も休むから。」
表情はうかがえないが、きっぱりと言い切る声音で彼女の感情は分かった。
幽霧は見た目から想像しづらいが、友人に対しては情が厚い所がある。
「おいおい、そいつは巫女さんがいい顔しないぜ。ま、全面協力するって位で頼む。」
「分かってる。あんたの心配には及ばない。……だが、あまり悠長にしていられないのも事実だ。
迷惑をかけないと約束は出来ないかもしれない。」
「そうか……ま、悲観しても仕方ない。上手く行くことを考えよう。」
「ああ、そうだな。」
山姥切はうなずいた。
鶴丸の言う通り、まだ決まっていない先の事を悲観ばかりするのは無意味だ。
とにかく早め早めに動き、最善を尽くす事に頭を使う方がずっといい。
集まる審神者のスケジュールのすり合わせがうまく行くかは運もあるが、
それ以外は人為が入る余地があるのだから。


後日。スケジュールのすり合わせは無事完了し、晴れて同じ日に複数人で鍛刀出来る事となった。
鴇環の本丸に集まった審神者は、火輪、風花、幽霧、若竹の4人。
それぞれ護衛の刀剣を2名ずつ連れて、鍛刀のためにやってきた。
彼らは、不正に集めた証拠ではないという証明のために、火輪の担当者から撮影機材も持たされている。
大掛かりな検証実験の幕を開けであった。

「すーみすっみすっみ、すっみまっつりー♪」
風花が縁起でもない歌を歌いながら、出来上がった失敗作の刀を側の箱に放る。
ぐにゃぐにゃ歪んで真っ黒な、炭状態の刀がガランと音を立てた。
ここは二口仕込むのが限界の小さい鍛刀場なので、時間はかけていられない。
同時に作業する人数を2人とし、残る2人は途中で交代という形式だ。
資源をガンガン注ぎ込み、手伝い札を連発する。
出来上がる刀は半分以上が失敗作だが、欲しいのはデータの数だ。
一喜一憂する時間を無視して、とにかく刀を作り続けなければいけない。
「あー、やっぱポコポコ作ると霊力食うわ。蓄霊符ちょーだい。」
「はい。」
火輪が催促すると、鴇環がすかさず求められた符を渡す。
蓄霊符とは、審神者が霊力を回復するための術符。
今回の連続鍛刀で重要なアイテムだ。
きちんと回復しないと、途中で気力が尽き果てて倒れてしまう。
「サンキュー♪」
上機嫌で受け取って、火輪はさっそく符を使う。
立ち上った淡い靄のような光は、すぐに彼女に溶け込み消えた。
効果を失った符を軽く折り畳み、ゴミ箱に投げ込んだ。
「ごめんなさい、付き合わせちゃって……。」
「いいのいいの。こんなにボンボン作るとかないしさ。」
多くの審神者は、一日にそう量産する事はない。
鍛刀にばかり霊力と時間を使ってしまったら、他の仕事に差し支える。
資源はもちろん有限だが、この蓄霊符だって安くはない。
普通なら、緊急時の備えとして置いておく。審神者にとってのお守りのようなものだ。
「ところで、今日は清光君も青江さんも留守なんだねぇ。」
「二人は今、遠征に出ています。この頃なかなか行けなかったので。」
「あ、そうだったんだ〜。」
風花の疑問にこんのすけが答える。
以前にこの本丸に来た時は見かけた2人の不在が、彼女は気になっていたのだ。
加州と青江は、共に貴重な青年姿の刀。
この本丸に欠かす事が出来ない存在である事は、付き合いが浅い風花にも漠然と想像がついていた。
「うちの本丸、二部隊作れないから。
主さんの安全を考えたら遠征どころじゃないもん。」
一応審神者達の警備要員として控える乱が、困り顔でぼやいた。
「だよねぇ。」
「今日はみんなが護衛を連れてくるって聞いたから、
しばらくぶりに遠征に行こうってなったんだよ♪」
「世知辛いね。」
幽霧が横でぼそっと呟いた。
日頃人員のやりくりに苦心している事は、深く聞かずとも彼女には想像ついていた。
「今更だけど、人の本丸で鍛刀して、問題にはならない……よね?」
少し不安になった鴇環が、傍らのこんのすけに尋ねる。もちろんだと、彼は深くうなずいた。
「大丈夫ですよ。火輪様の本丸担当者が許可を出していますし。
ただ、鍛刀した審神者のものになりますので、我が本丸の刀にはなりませんけれど。」
「そっか……問題ないなら、いいんです。」
鴇環はほっと胸をなでおろす。よその審神者が鍛刀というのは、普通はやらない事である。
そういう例外事項は、心配性の彼女にとって気を揉む種となりがちだ。
そんな杞憂を尻目に、鍛刀作業は進んでいく。丁度交代の時間となった。
「幽ちゃーん、交代しよ〜。」
「いいよ。」
風花と入れ替わり、今度は幽霧が鍛刀する。材料を式神が運び入れ、幽霧が手伝い札を使う。
すると、あっという間にきちんとした打刀が出来上がった。失敗作ではない。
「……おや、出来たね。」
「何が出来たの?」
「えーっと……。」
風花と若竹が横からやってきて覗き込む。
本体だけ見ても、ぱっと見ではなかなか名前が出てこない。
こんのすけがぴょんと若竹の肩に飛び乗って、出来上がった刀を確認する。
「これは宗三左文字ですね。」
「へえ。帰ったら顕現してみようかな。僕はまだ持ってないんだよね。」
見習いの幽霧は、指導役の依代の元で鍛刀を行った事がない。
持っているのは、一緒に移籍してきた鶴丸と、彼が拾ってきた小夜だけだ。
だから、比較的出会いやすい宗三もまだ未所持なのだ。
「小夜ちゃんきっと喜ぶよ〜♪」
「そうだといいね。」
自分の成功のように浮かれる風花。答える幽霧の声音も柔らかい。
和やかな光景を見て、鴇環は一人浮かない顔になった。
「……はあ。」
「主様。大丈夫です。この問題を解決すれば、主様の元にも絶対においでになります。」
「……うん、ありがとう。」
慰めるこんのすけの頭を、鴇環は優しく撫でてやった。


一方その頃。
審神者で来ているお供の刀剣達は、内番の仕事を手分けして手伝っていた。
訓練に付き合う事も大事だが、今日この本丸は遠征で6人出ている。
残った本丸の面々では、本丸内の仕事もなかなか片付かないだろうという気遣いだ。
そういう事情で始まった畑の手伝いの最中に、山姥切は今剣に話しかける。
「なあ、今剣。あんたの主は、その……あんたから見て、どんな主だ?」
鴇環に近づきたいという本音を悟られないように、
あくまで当たり障りない内容を尋ねる。
「あるじさまは、とってもやさしいかたです。
あたまもよくて、がっこうではすごくゆうしゅうなんですよ!
やさしくてかしこくて、ほんとうならりっぱにかつやくできたはずなんです!」
「そうなのか。霊力も多いんだったな。」
「それだけではありませんよ。」
今剣の主自慢の声が、すぐそばで雑草取りをしていた前田を呼び寄せた。
「主君は、いつも金や銀の刀装を作ってくださるんです。
手入れもお得意で……本当に、苦手としていらっしゃるのは、鍛刀だけなんです。」
「つれぇよなあ。3ヶ月も経って打刀一本じゃよ。」
「そうなんです。しかもぼくたちは、まだこの『よりまし』とたましいがなじんでません。」
「それじゃー、力が強い敵の相手は余計大変な時期だよなー。」
風花の浦島が、相槌を打って同情する。
審神者は自分の刀剣の強さを測る指標の一つとして、媒体の刀と宿った分霊の馴染み具合を用いる。
刀匠が打った刀に宿る刀剣男士の源・本霊と違い、分霊は今の本体と出会ったばかりの状態だ。
それもあって、顕現直後は戦闘で思い通りに体がついてこない。つまり、その分弱いのだ。
「あるじさまは、いつもぼくたちがすこしでもたたかいやすいように、がんばってます。
しゅつじんも、ここでのおしごとも……。」
「僕達が力不足なばかりに、最低限求められる任務をこなす事さえおぼつきません。
いつも主君は、とてもおつらそうです……。」
主自慢に目を輝かせたのは、ほんの束の間。今剣と前田は、揃って顔を曇らせた。
本来は明るい彼らだって、主の現状を想えば到底晴れやかな気分になんてなれない。
「えんせいだって、ほんとうはもっといかないとなんです……。
でも、ぼくたちがるすのあいだ、あるじさまになにかあったらっておもうと、
がっこうがあるひしかいけません。」
「残りが4人じゃなー……。」
今剣の言わんとする事を理解して、隣の畝を作業中の和泉守が難しい顔をする。
刀剣達にとって、主とは守るべき本丸の要。
時空の狭間に浮かぶ本丸は、外部からの侵入手段が限られる。だが、それでも絶対安全な場所ではない。
時には遡行軍から襲撃を受ける事もある。
万一の状況に陥れば、たった数人の刀ではどうにもならないだろう。
ここまで守りが手薄なら、遠征を減らす方がましと考えるのは自然だ。
しかしここまで人手不足の支障が出ていてなお、この本丸の担当者は何ら有効な対策を取ろうとしない。
「あの男、どういう了見なんだ……!」
悪態をついた山姥切は、目についた害虫を八つ当たり交じりに指で潰した。
完全なとばっちりで、哀れな虫は圧死する。ビチャっと体液がボロ布に飛び散った。
「おい万年近侍、布にすっげー虫の汁飛んでんぞ。いいのかよ。」
「汚れているくらいでちょうどいい。返り血みたいなものだ。」
和泉守に見咎められても、山姥切は涼しい顔だ。
本丸内で自分の立場が安定していようが、「山姥切国広」は自身の汚れを意に介さない。
洒落者の和泉守にしてみれば、全く受け入れがたい態度だ。
「女の子の所に来てるんだから、もうちょい気にしろよな。
絶対虫ダメだろあの子。後でまた顔出す時どうすんだ?」
「……む、虫の汁とばれなければ、どうという事は。」
「動揺する位なら最初っからやんなよ……。」
声がいきなり上ずったものだから、山姥切の動揺は筒抜けだ。
指摘されるまで、片思いする少女の顰蹙を買う可能性に全く気付かなかったのだから、さもありなん。
「山姥切、よその女の子だと気になるの?」
「なっ?!そ、そういうわけじゃ……。」
浦島まで追い打ちになる事を聞いてくる。しかし、天はそこまで鬼ではなかった。
「だめだよー、ちゃんと自分の主さんでも気にしなきゃ!」
「そうですよ。主君の前でも身だしなみは整えないと。」
「そうだな……考え直しておく。」
幸い、浦島も前田も発想が清らかだ。下種な勘繰りはしなかった。
ほっと胸をなでおろし、山姥切はようやく平静を取り戻す。
下手をすれば、よってたかっておもちゃにされる類の失態だっただけに、心底安堵する。
「おいおい、なーに安心してんだよ。
うちの主も、虫はうぜぇって言ってるだろ。
虫の汁なんて引っ付けたまんまにしてたら、焼き討ちされるぜー?」
「ああもう、洗ってくればいいんだろう、洗ってくれば!!」
せっかく場が落ち着きかけたところに、にやにや笑いながら和泉守が茶々を入れてきた。
これ以上虫の体液に振り回されるのが嫌になった山姥切は、
荒っぽい足取りで水道に向かった。

植物の世話などに使われる屋外の水道。
そこで汚れをざっと落とした後、部分洗いした固く布を絞る。
雑巾絞りで水をほとんど切る位は、山姥切の力なら造作もない。
「まったく、遠回しにいじるのは余計だろうが……ん?」
ぶつぶつと不満を漏らしつつ、彼は布を被り直す。すると、丁度縁側を歩いてきた鴇環と目が合った。
彼女は、手に飲み物と菓子が載った盆を持っている。
一瞬驚いた様子を見せた後、山姥切に向かって軽く会釈をしてきた。
「あっ、あの……お、お疲れさま、です。」
「どうしたんだ、こんな所で。」
これが怪我の功名という奴か。
そう内心で思いながら、山姥切は努めて冷静な声音を作って尋ねた。
「お手洗いのついでに、休憩用のお菓子を持って行こうかなって……。
乱ちゃんは皆の護衛とお手伝いをしてるんで、私が。」
「だからと言って、何もあんた自らやらなくても……ああ、そうか。」
山姥切は鴇環の言葉に異論を唱えかけたが、途中で思い直した。
この本丸の刀剣は10名。遠征に6名出かけると、残りはたった4名だ。
残った面々は、何だかんだで全員手が空いていない。だから、主がやるのが一番能率がいい。
鴇環が、本丸の主としてそう判断したのは明白だ。
「すまない。余計な口出しだった。」
「いえ……普通の本丸じゃ、しないんですよね、きっと。
でも、私がちゃんと鍛刀出来ないから……仕方ないんです。」
「……悪いのはあんたじゃなくて鍛刀場だろう。」
「あはは……いえ、今鍛刀してますけど、皆は打刀がゼロって事はないんで……。
やっぱり、そのー……私がだめなのも、あるんですよ。」
口元に苦笑いを浮かべて、鴇環はやんわりと山姥切のフォローを否定した。
押し黙った彼は、何とも言えない心持ちだ。心なしか硬い顔つきになる。
それに気付いた鴇環は、慌てて頭を下げて詫びる。
「あっ、ごめんなさい。まだ畑の途中ですよね?
変な愚痴言っちゃって、すみません。あの、えっと……また後で。」
「待ってくれ。どうせ、主達に持っていくだけなんだろう?俺がやる。」
「えっ、でも……。」
「客だからといって気にしなくていい。俺の勝手だ。」
山姥切は、鴇環を引き留めて強引に言いくるめる。
少しでも長く話す時間が欲しい彼は、手段を選んではいられない。
盆を貸せと、当然という顔で手を差し出す。
すると押しに弱い鴇環は、自分の手にあるそれを渡さないといけない気持ちになってくる。
「じゃ、じゃあ……お願いします。」
おずおずと渡してくる彼女の手から、山姥切は盆を受け取った。
グラスに入っている飲み物はバラバラだ。審神者達は銘々自由に注文したらしい。
「あんた、ずいぶん主達のわがままを聞いてくれたんだな。」
「えっ、だ……大丈夫ですよ。全部、厨房にある物から選んでもらっただけですし。
本丸の中では小さいですけど、普通の家と比べたら人が多いんで、
いくつも買っても、飲みきれるし……。」
「……その、何が人気とかは、あるのか?」
会話の糸口になるかもしれないと思って、山姥切は思い切って尋ねてみた。
鴇環は少し考えこむ仕草をした。
「あー……そうですね。飲むヨーグルトが、意外に人気です。」
「あれか……少し値が張るから、あまりうちの本丸にはない気がするな。
俺もほとんど飲んだ覚えがない。」
火輪の本丸の冷蔵庫にも、飲むヨーグルトはあまり入っていない。
飲みたくなった仲間が買ってきて入れている事はあるが、それ位だ。
「この本丸だと、受けがいいのか。」
「そ、そうですね……割と、多分……。」
鴇環はこの会話にかなり緊張しているらしい。山姥切もそれは察していた。
しかし、会話を中断するつもりはない。
一言でも多く言葉を重ねれば、自分を知ってもらえる。印象に残せる。
雄弁は金とばかりの考えが、今の彼の頭にはあった。
「ちなみに、あんたは何が好きなんだ?」
「え?!」
まさかそこまで聞かれるとは思っておらず、鴇環は驚いた。
聞いた山姥切の方も、内心ではかなり緊張している。彼なりに踏み込んだ質問なのだ。
「そ、そうですね……ミルクセーキとか、ココアとか、メロンソーダとか……甘いの好きです。
あ、でも麦茶とか、緑茶とか、普通のも美味しいと思います。」
「そうか……。」
納得した顔で、山姥切は今の返事を心に刻み込む。
ここで、せっかくなら彼女の好物がおいしい店を教えてもらおうとか、
次に繋げる案を即座に実行出来ないのが、山姥切の口下手たる所以であった。


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シリーズ7作目。虫には気の毒だけど、けがの功名な一幕。