初キスどなた?

―後編―




それからしばらく。時計の針がくるくる数回は回った頃。
日がそろそろ沈みきり、一般的に店が閉まる時間帯だ。それは、いまや時代の華となった有名店でも変わらない。
リイタはそんな客足がなくなる頃合を狙って、アーリンを苦悩のどん底に叩き落した張本人の元へとやってきた。
「ビオラー、居るー?」
「あ、リイタ。相変わらず上半身が平らだね。言っとくけど、もう看板だよ。」
挨拶からなかなかの毒舌なビオラに、いつものことと承知しつつリイタはカチンと来た。
「ほっといてよ!ていうか、看板だからきたんだし。
それよりあんた、初恋の人って居る?
なんか、そういう噂を聞いちゃったんだけどー。」
アーリンにはさりげなく調べるといいつつ、根がまっすぐなのでリイタは直球な聞き方をした。
リイタにとってのさりげないとは、それに関心があるのはあくまで自分と主張することなのだ。
「リイタが教えなきゃ教えないよ。」
「言うと思った……。残念だけど、あたしは後にも先にもクレイン1人!
教えたんだから、あんたも教えなさいよ。」
腹が立つ態度だが、そこはアーリンのため。
友情の力でぐっとこらえて、やけくそ気味に答えてからビオラに逆に迫った。
あまりにあっさり答えられてしまい、ビオラは少々面食らっているようだ。
「そこまであっさり答えちゃうとは思わなかったな。
ま、約束だし答えてあげる。」
もう少し時間が稼げると思っていたのか、ビオラは少々困ったような顔を作ってみせる。
もっとも、これくらいで手が尽きるほど彼女は甘くないのだが。
「で、誰なの?」
ずずいっとリイタが詰め寄る。
そんなに真面目にならなくてもとビオラは思うのだが、彼女はそうではないらしい。
「カボックに来たばっかりの時に、隣に住んでたわんこ。」
「……はぁっ?!」
うっかりずっこけそうになったリイタは、思いっきり裏返った声を上げた。あごがガクっと落ちる。
「すっごく紳士的な子で、絶対吠えたりしないし、
転んだ子をぺろぺろなめて慰めてくれたり……いい子だったなぁ。」
「ねぇ、ちょっとそれ本気で言ってる?!」
妙に陶然とした面持ちで語るビオラに、半ばドン引きしつつもひるまずに問い詰める。
すると、ビオラはけろっとした顔でこういった。
「うそ。」
「あんたね〜〜!!
じゃあ質問変えるわよ。お付き合いした人って、アーリン以外に居るの?!」
「小さい頃、そのわんこの飼い主さんのお散歩に付き合ったけど?」
言うと思ったが、この手の冗談を笑って受け流せるほどリイタは大人ではない。
しかも、アーリンの心の平和がかかっている時にやられて、怒髪天を突かないわけがなかった。
「ふ・ざ・け・な・い・で・よーーーー!!
元彼が居るのかいないのか、きいてんのよ!!」
のらりくらりととぼけて、完全に人を馬鹿にした言動に我慢ならずにリイタは切れる。
ものすごい剣幕だが、ビオラは大して動じていない。慣れとはいえすごいものだ。
「んー、元彼はいないよ。」
「最初っからそう言いなさいよ!!
で、どうなの?!犬以外にキスしたことあるの?!」
やっとまともな返事を1つもらったが、ここまででかなり疲れたのは気のせいではない。
だが、1個喋ったからといってビオラがその後も聞きたいことをぽんぽん喋るとは思えない。
「さぁ。リイタに答える義理は無いし、黙秘権行使するから。」
―ごめんアーリン。ビオラの顔、殴っていいかな?―
おおむね予想はしていたが、許容したくない返事。リイタは遠い目をして、一瞬天井を仰ぐ。
同族の憂いを払拭するべくこっちは頑張っているというのに、肝心のビオラはこの態度。
リイタでなくとも、天を仰ぎたくなるし殴りたくもなるだろう。
「〜〜〜っ。とにかく、ふざけるのは勝手だけど!
あんまりタチの悪い冗談言って、アーリンをぐれさせんのは止めてよね!
へこんじゃってこっちは大変なんだから!……あ。」
「え、アーリンへこんじゃったの?!」
リイタがしまったと思ったが、もう遅い。ビオラは目を丸くして、カウンターから身を乗り出している。
ここまで驚いた様子を見せるのも珍しい。これにはリイタも毒気を抜かれてしまう。
「な、何よ。そんなびっくりしなくても……。」
本気でびっくりするビオラなんて見慣れないせいか、戸惑った様子でリイタは言った。
我に返ったのか、ビオラが乗り出していた体を元の位置まで戻す。
「……リイタ。」
「え、え??」
急に神妙な顔つきになられると、こっちが困ってしまう。
一体何があったというのだろう。
「ごめん。」
「……はぁっ?!」
突然の謝罪に、リイタはまたがくんとあごが落ちた。

「アーリンって、いつも割とクールじゃない。けっこう動じないタチでしょ?」
急に居心地悪そうにそわそわと視線をさまよわせるビオラのせいか、聞いているリイタもなんだか落ち着かない。
「うん、そうだけど……。」
一体何を言うつもりなのかちょっと思いつかず、リイタは怪訝そうな面持ちで答えを待つ。
すると、ビオラが恥ずかしそうにややうつむき、こういった。
「笑わないでよ……?ちょっと、あわてて欲しかったの。」
「え、なんで?!」
あわてて欲しかったとは、これいかに。急に何を言い出すのだろう。
ビオラはいつも変な事を言う時が多いが、今回はいつも以上に変だ。
本当に、何でとしか言いようが無い。ビオラは更に続ける。
「……クレイン君とリイタは、いつも一緒に居られるよね。」
「まぁ……そうだけど。」
「でも、私とアーリンはそうは行かないじゃない。冒険に出かけると、何日も会えないもの。」
「そうだよね〜……しょうがないけど。」
確かにそれはそうだと、リイタは納得した。
言われてみれば、その点でリイタは恵まれていて、ビオラは損だ。
「それに、会っても私もアーリンもあんな性格だから、人目が無くてもイチャイチャできるわけじゃないし。
だから、たまに不安になるんだよね。相手の気持ち。リイタもあるでしょ?」
しかも不器用なアーリンは、ポーカーフェイスでもある。
分かりにくいから、本当のところどう思っているのか気になっても不思議ではない。
恋する人間というものは相手の気持ちが気になるから、なおさらだろう。
「クレインの気持ちね……うん、わかるけど。
あいつ優柔不断だし、女の子にはみんな優しいから。あたしも、面白くなかったこといっぱいあったよ。
でも、だからって嘘言って困らせるなんて良くないと思う!」
ビオラの言い分はリイタも痛いくらいよくわかるが、やはりタチの悪い嘘を言うのはよくない。
リイタもクレインの鈍感さやはっきりしない態度で大分苦労しているが、こういう嘘をついて困らせようとは思わなかった。
「……うん、わかってる。あーぁ……私、アーリンの事をわかってないかもね。
アーリンがそういうのすっごく気にする人だって知ってたら、言わなかったよ。」
今回ばかりはいつもの人を食ったような態度で言い返すこともせず、ビオラはしょんぼりとため息をつく。
今度は彼女の方がへこんでしまったようだ。
「そ、そんなこといわないの!
今はわかんなくたって、これからたくさんわかるようになるってば。
ほら、最初っから分かり合える人なんて居ないんだから!
あたしとクレインだってそうだよ?むしろ、今だってわかんない事だらけだもん。」
「……ねぇ、1つ言っていい?」
リイタが焦って一生懸命ビオラを励ましていると、今度は何故か急にビオラの目が据わってきた。
「へ?」
これまた急な変化についていけずに戸惑うと、ビオラはびしっとリイタを指差した。
「あたしが我慢できなくて嘘ついた原因、リイタだからね?」
「……はぁっ?!ど、どーいう意味よそれ!!
あたしが何したって言うわけ?!」
何でそこで自分が出てくるのだと、リイタは猛抗議する。
あらぬ疑いを掛けられているのではたまったものではない。
「噂で聞いたよ。最近、アーリンと2人でよく喋ってるんだって?」
「……え?あ、あ〜っ!」
どこで誰が見て噂したのかは知らないが、そんな噂が流れていたとはリイタは知らなかった。
だが、おかげで今までの話が頭の中できれいにまとまった。
「もしかして、それって焼きもち?」
まさかまさかと思い、ちょっとだけ声をひそめて聞いてみる。
ビオラの顔が、恥ずかしさでほんのり赤くなった。
リイタがじっと見てくる目に耐えられないのか、あからさまに目をそらす。
「そ、そんなわけないよ。ちょっと興味あっただけだもん。」
「嘘ついた原因っていった段階で、誰が聞いても焼きもちだと思うけど?」
「……。」
非常に珍しいことに、ビオラはこの一言でリイタに完敗した。
日頃はビオラの方が口では強いが、今回ばかりは自分で墓穴を盛大に掘ってしまったようだ。
「ま、まぁ……アーリンと喋ってたのは、
アーリンが他の人に相談できないことを相談されてただけだから。
別にあんたが焼きもち焼くようなことは何にもないからね?」
「え、アーリンがリイタに相談?!
そんなことしてたの?意外だな〜……。」
いつも1人で自分の事は片付けてしまうアーリンが、相談をするというだけでビオラには驚きだ。
もちろん、それだけ切羽詰った事情だからこそなのだが。
「ま……アーリンだって、ああ見えて色々悩んでるのよ。
もちろん、あんたのことでね。
恋愛で色々心配だったり不安だったりするのは、あんただけじゃないんだから。
ま……内緒だけどね。」
アーリンの株を上げてやろうと、ここぞとばかりに彼の心情を教えた。
本当は隠しておきたいからリイタにこっそり相談してくるのだろうが、
今回は教えてしまっても別にバチは当たらないだろう。
「そっか……ありがと、リイタ。
こんどうちで何か買ったら、ちょっとおまけしてあげる。」
「ありがと。じゃ、誤解も解けたことだし、さっさと仲直りしてよね!」
「言われなくても。」
さっきのしおらしい態度はどこへやら。
ペロッと舌を出したビオラは、いつもの強気な彼女である。雨降って、地固まりそうだ。

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これで完結です。実はこの話、書きかけで長く放置されておりました。
急に思い立ったら、案外何とかまとまりましたけどねぇ。
まぁ、基本的な天界は全然いじってないんで、変なところもありそうですけどね。
密かに余裕がなかったビオラ嬢。たまにはこんなものいいかなぁと。
何気に一番苦労しているのがリイタですけどね(笑