パレードが始まる前に
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室内自体は静かだが、壁がずんと薄いのか
雑踏にでも接しているものかと思わせる、
すぐ外の雑然とした人ごみらしき気配があっさりと拾える。
そんな部屋の中で横になっている自分だと気がついた。
“あれ?”
煤けた壁紙、古ぼけたアルミサッシの上にはやや埃の目立つエアコン。
蛍光灯が灯されていて、でもまだ遅い時間ではなさそうなのが窓の明るみで察せられ、
天井板にはシミが目立つが 室内にこもるのはさほど不衛生な空気じゃあない。
町なかによくある小さな事務所の執務室みたいな空間。
でもでも、自分が世話になっている探偵社は勿論のこと
この直近に出向いたあちこちの似たような場所とも違う、
今の自分にはまるきり見覚えのない場所で。
というか、なんでまた今の今まで眠っていたのだろうかと、
応接セットらしいソファーに横になっている自分の
現状に関するいろいろな“はてな”の札が伏せられていることへ気がついたのと同時、
「おお、気がついたか。」
そんな此方へのものだろう、声掛けがあって。
ちょっとばかり傍観者みたいな感覚でいたものか、
かすかに薄い膜がかかってたような意識がその途端にパチンと弾ける。
え?え?と頭を巡らせると、数歩分の空間を空けた壁際に机が据えられてあって
そこの回転いすに腰掛けている人物がいるのが見えた。
赤みの強いくせっ毛にシャギーを掛け、
前髪とうなじへ長い目に垂らした若い男性で。
そんな奔放な髪型といい、声音の響きといい、20代だろうと思われるのだが、
それにしてはかっちりした衣装で身を固め、
ウエストカットというのだろうか丈の短いジャケットに、
腰下まであるベストを重ねたこじゃれたいでたちをしていることといい、
俳優とかバンドマンとか、芸術系の人なのかなぁと何となく思う。
面差しも少し線が細いながら鋭角的で、
切れ長の双眸が力みを帯びて凛々しいばかり。
簡潔な言い方をすれば美丈夫といって不足はなく、
泰然と落ち着きはらっているのが、何とも頼もしい。
自分が知る美男子といえば、先輩で教育係にあたる太宰さんだが、
あの人は百合や桜のようにどこか憂いを秘めた淑とした印象なのに比し、
こちらの人はバラや芍薬といった、華麗で豪奢な雰囲気をたたえている。
キイとかすかに椅子を軋ませてその身を動かした拍子、
ほのかに届いたのはかすかながらも特徴のある匂い。
果物の香りと花の香りが絶妙に混ざったような、
際立っていつつも爽やかなそれは、
言っては失礼ながら、こんな簡素な部屋への芳香剤とは思えないから、
彼がその身へまとうフレグランスなのだろう。
こうまできっちり行き届いた洒落ものだのに、何でまたこんな煤けた事務所に?と、
そのバランスの不均衡を飲み込めずにいるこちらだとは気づかぬまま、
「菱屋のおばさんと坊を庇ってくれたんだってな。」
そんな風に続け、にこにこと表情豊かに笑っている彼で。
ああそうだった、その諍いの末に、情けないことに昏倒した自分だったと、
現状の手前、何があって見覚えのない此処にいるのかにやっと合点がいき、
「ホントならウチの誰かを付けとくところだったんだが、
どういう手違いか、誰も居ねぇって不始末になってて。」
初老のご婦人が切り盛りしていた小さな食堂。
孫だろうか小さな男の子も炊事場のほうにいて、
いかにも地元の皆さんの定食屋という雰囲気の店だったのだが、
昼下がりの閑散としていた店内で
柄の悪い輩たちがつまらぬ因縁をつけて彼女らを困らせていて。
普段ならこういう場面へしゃしゃり出る性分ではないのだが、
他には誰も頼れる人が見受けられずで、つい。
「ああ。いえあの…。」
でもあれって庇ったと言えるのかな、
通せんぼするように立ちはだかったら胸倉を掴み上げられて、
何発か殴られた結果、引っ繰り返っちゃた。
そんな騒ぎを聞きつけたのか、誰かが おい何の騒ぎだと覗き込んだのを最後に、
意識が飛んでしまったわけで。
今更ながら不甲斐なさに言葉を濁しておれば、
「異能を使えば楽勝だったんじゃねぇのか?」
ククっと、何かしら可笑しいことでもいらうように
短く喉を鳴らすように笑って、その人は付け足して来た。
ちょっぴりざっかけない口調になったのと、
此方に関して何か知っていてこその言い回しだったのへ、
「え…?」
微妙な感触を覚えてつい表情が止まる。
まだ知らぬ人も多いし、知っていても“そんなの都市伝説じゃないの?”なんて
真に受けない人の方が断然多い、異能という不可思議な能力を持つ人たちが実はいる。
桁はずれの怪力を出すとか、超人的な跳躍力を発揮するとか、
物理的な才を繰り出せる人もいれば、
時間を止めたり風を呼んだり、人の思うところを読めたり、
磁力や重力を操れたり、etc.
一体どういう作用で生身でそんなことが出来るのかからして謎なことがこなせる人もいて。
「変身すればそれはタフで銃弾も弾く、
知ってる奴には “人虎”で通じる身だそうじゃないか。」
隠したって無駄だ、言い逃れられんぞというような
厭味や何やを含む傲岸顔ではない、
当たり前のこととしてさらりと述べたその人は、
そういえばどこかで見た顔で。
直接会ったことはないけれど、
探偵社の資料の中、確かわざわざ写真を添えられていた注意人物ではなかったか。
「あ…。」
思い出した名をそのまま音にしてくれたのが、
やはりさほど距離はないところにあったドアを外からノックした人の声。
曰く、
「中原さん、いいですか?」
「おう。」
そうだ、中原。
中原中也とかいう、ポートマフィアの幹部の人ではないかしらと、
遅ればせながら思い出す。
人と物資が大量頻繁に行き来する交易の街、
港湾都市ヨコハマの、主には裏社会で暗躍する犯罪組織のことで。
銃や盗品、国内への持ち込みに厳しい規制のかかる密輸品、
果ては麻薬に人身まで取り扱い、
他所の組織との抗争では容赦のない制裁を繰り出す超武闘派まで抱えている
それはそれは恐ろしい組織であり。
盗品売買から誘拐や殺人まで、様々な犯罪を手掛ける彼らの跳梁に、
軍警に代わり、果敢に挑みかかってお縄にすることもあるのが、武装探偵社。
……という関係にある以上、
此方に資料があったよに、彼方にも同等の用意はあったよで。
“そうか。それで…。”
此方の身の上もとうにご存知、な彼だったのだろう。
しかも、おうという軽い応じに反応し、外からそのままドアを開けて入ってきた人物がまた、
自分には因縁深い相手だったりし。
それがそのまま平服なのか、
襟元から棒タイ付きの白いシャツを覗かせつつ、見覚えのある長い黒外套をまとう若い男。
硯石のように感情のない黒々とした双眸が、
用件のある相手の次、居合わせたこちらへも向けられて、それがそのまま括目する。
「な…人虎、何故此処にっ!」
持参した書類をあっさり手放して、コートのポケットへ手を入れる反射の鋭さよ。
こちらの彼も芥川龍之介という異能力者であり、
それも強力な戦闘タイプに特化している非情な青年。
その身にまとう黒い外套に獣の性質を孕ませ、
影のように不定形で、何でも喰らう「黒獣」に変身させ操る。
黒獣はかなりの行動範囲を持ち、
また空間さえ喰らい、拳銃や火炎放射などによる攻撃を無効化できて。
そんな攻守どちらにも優れた性能を生かし、
残虐苛烈な仕儀を何ら厭わず繰り出す過激な武闘派で。
孤児院を追い出されたそのまま武装探偵社へ拾われたばかりの自分を、
闇社会からの依頼で捕獲しようとしたところから始まった
彼と敦の因縁は、
幾度とない邂逅と対峙を経た今でもなかなか揮発性をゆるめない。
とはいえ、世間をまるで知らなかったこちらには分があるわけもなく。
外套の制御の構えを取り、それは速やかに攻撃の姿勢となった彼と、
あまりに突然な展開に
ソファーの上へ起き上がったものの、
萎縮したまま身をこわばらせてしまう自分…というように、
戦歴の長さ深さの差異は歴然。
だがそんな自分たちの狭間に居た存在が、
場の空気というものをあっさりと均してしまう。
「落ち着け、芥川。」
怒鳴りつけるではなく、さりとて制止に足るだけの張りはある一声とともに、
彼の傍ら、するすると伸びてきかけていた黒獣の先を、
何と素手でポンと叩き落としたではないか。
“す、素手で…。”
その鋭い攻勢に襲われ、何度身を刺され切られ、抉られたことか。
一番最初の襲撃の折なぞ、脛から下を弾き飛ばされてしまい
あまりの激痛と混乱から虎へと完全変態してしまったほどだったというに。
こちらの幹部殿は事もなげに…お手玉でも飛んできたかのように
それはあっさりとはたいてしまうのだから物凄く。
しかも、
「先月もここの天井落としやがったの忘れたか。」
「……否。」
凄みこそなかったが、知らないなぞと言えたものだろかという重い重い声で付け足され。
日頃マフィアの狗と名乗る彼は、この幹部様の狗ではなかろかと思えたほどの従順さ、
身構えを解くと、態度からの棘をも引っ込める。
それでもまだ表情は訝しげだったのへ、
「菱屋のおばちゃんとタケルを庇ってくれたのだ。借りがある。」
「菱屋の?」
それだと8か所になりますと、
先程威勢よく取り落とした書類を拾い上げつつ芥川が付け足す。
どうやら敦が遭遇したような諍いや小競り合いが頻発しているらしい口ぶりで。
「何だそりゃ。
目に余るようないざこざやらかすなんて、しばらく聞かなんだが。」
中原が続けざまに“他所ものか?”と訊いたのも、
彼らがここいらと差す周辺範囲には、
よほどに何かない限り、彼らの顔見知りしか出入りしないというのが窺える。
となると、
何故また武装探偵社の中島敦がこんなところへ入り込んでいるのかも
俎上に上がりかねないのだが、
「まま、週末には港の祭りとパレードがあるしな。」
桜の北上と重なるように
ヨコハマに春を告げる一大ページェントとかいう謳い文句の下、
毎年のように催されるにぎやかな祭りがすぐの間近に迫っている。
春休みと五月の頭の連休との狭間の時期に、何か目玉になるような観光イベントはないものかと
一般からアイデアを募って始まったとかどうとかいう、
4月最初の土日の二日をかけてのずんと大きなお祭りで。
広場へステージを設け、ラジオ番組やケーブルテレビの公開生放送があったり、
ご当地アイドルやゆるキャラのショーがあったりと、結構盛り上がるそれで、
二日目には協賛企業が幾つかのフロートを出し、
JR駅から港の大きな公園までの大通りをパレードするのが呼び物で。
フロートの合間合間には鼓笛隊だのダンサーチームだのが花を添え、
企業から市民サークルまで、参加料さえ支払えば誰でも行進に参加できるオープンな催しは、
いつからか結構な見物客を呼ぶ有名イベントにまで成長。
パレード見物のためにと先乗りする観光客まで当たり前に居るそうで。
「混乱がないよう、山出しの悪いのが悪戯を過ごさねぇよう、
見廻りのシフトを組めよとここの若いのには言ってあるんだがな。」
人が大勢集まる催しともなりゃ、
ソフトターゲットとみなされてのテロから、
置き引きや掏摸、誘導整理ミスによる将棋倒しまで、いろんな心配事も想起されるし。
逆に言や、それに乗じた“人知れずの企み”への煙幕に
利用される恐れも考慮しなければならず…
“…というのを、こちらも警戒しているのだけれど。”
春の港祭りという賑わいと並行し、
ぶっちゃけた言い方で、どさくさに紛れて怪しい跳梁をする存在があるやも知れぬ。
オリンピックやW杯ほどワールドワイドな規模のものじゃないとはいえ、
開催地がヨコハマだというだけで、きな臭いものをいくらでも想定できるというもの。
現に港湾警察にはパレードを妨害してやるという不謹慎な予告メールもたんと届いているらしく。
只の悪戯にこんな特殊なソフト使って素性を隠しますかねぇと、
無視しちゃいけないかもしれない手合いのものも随分とあったらしく。
しかも、軍警からの通達によれば、海外で名を馳せている犯罪者がこそり偽名で来日してもいる。
パスポートや旅券に穴がない以上、逮捕は敵わぬとかで、
随分な人出となるのだろうお祭り騒ぎの中に紛れて一体何が起きるのか、
一緒に警戒してほしいとの依頼があって。
“でもでも、こんな青年互助会の延長みたいな集まりへ、
こうまで格の上なポートマフィア幹部がいるなんて。”
なめてかかったわけではないが、
閑散としている場末ゆえ いかにも物騒な素因は居なかろう。
だからこそと裏をかいてのこと、人知れず何か潜んでおれば、
それを見つけられよう流れはそれこそ重畳。
そのまま摘発し、軍警へ通報すればいい。
ただしちゃんと直属の上司へ連絡するようにと注意も授かっており。
そういったことには関係なさそうな、
乱暴なゴロツキに絡まれただけのはずだった展開は、
意外な根っこにつながっていた模様。
たまたま居合わせた格好で聞こえている会話によれば、
彼らの側でも何かしらの警戒はしているようだし。
「6番埠頭には誰か出張っているのか?」
「6番ですか?」
あそこは一昨年の事故からこっち、区の管理課の指示で封鎖されていて使えませぬと。
なので誰も監視してはないということを暗に含ませつつ、
芥川がデスク上のタブレットへ手を伸べて、
地図を呼び出し、場所を確認する。
中原もそれは知っており、だが、腕組みをすると細い眉をきゅうと寄せた。
「その“封鎖”自体が怪しいと睨んでるんだがな。俺は。」
「…というと?」
高速艇だか巡視艇だかが埠頭の壁面へ接触事故を起こしたというが、
実態は船体の塗装が剥げたくらいの軽微な事故で、
なのにフェンスや南京錠付きの門扉までこさえて完全封鎖は大仰すぎる。
「役所の職員を抱き込んで、
○○会あたりが盗品や薬の取引の足場に使ってやがるって噂でな。」
「…っ。」
ランチやトレジャーボートでの出入りなら、道路の検問も関係ない。
埠頭は幾つもあるから何処から来てどこへ行くのかなんてわざわざ監視しなくちゃ判らぬだろし、
区の職員が管理している封鎖なら、自然な人払いが出来るうえ、誰も怪しみゃしないかも。
そんな推察をする中原の言へ、それはあるかもですねと頷いた芥川同様、
“ふわぁ、凄いなぁ。”
敦もまた、するすると出て来たのっぴきならぬ事態への可能性とやらへ、
目から鱗という心境になっており。
自身はどちらかといや、
何が拾えるものなやら、まったく当てにはしていなかったのだけれども。
さすが荒事のベテランや頭の回転が速い人は違うんだなぁなんて、
大した説明もなしに自分を此処へと送り出した、
美丈夫で切れものだが、時々つかみどころがなくなる教育係の先輩のこと、
今更感心してしまうのだった。
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