パレードが始まる前に


   6



コンテナ広場のあちこちにも、祭り帰りの顔ぶれが増えつつあって。
今年はなかなか贅を尽くしたフロートがあってとか、
祭りの話題で明るい声が飛び交って。
そんな中を嫌に早足で通る人影、
苛立ちを含んでいるのが剥き出しになっており、
それというのも
ほんの先刻まで語らっていたというに、
なんでそのまま一緒にいなかったかと後悔しきりだから。
そんな中原が、歯噛みしもっての探しものをしており、
会う人会う人に片っ端から掛ける声はといえば、

「人虎の坊主を見なかったか?」

というのも、不穏なうわさを聞いたのがつい先ほど。
どんな些末なことでも拾う構えでいたところ、
清掃に回っていた業者の年寄りが、
そいや昨夜、妙な人影を見たという。
コンテナの陰で二人ほどの男らが深刻そうに何か話していて、
こっちの弱弱しい気配には気づけなんだか、
結構近寄ってしまったこちらへ わあと驚き、そのままそそくさと立ち去ったが、

「軍警の犬がどうの、見せしめに締めてやるとか、何か物騒な話をしてましてね。」

パレードに子犬のサーカスも参加するとか孫が言ってましたから、
それを襲って奪おうっていうんですかねぇなんて、
見当違いな言葉が続いたが、それを聞いた中也は顔色を失った。

「…そうか。そういう手合いだったか。」

ポートマフィアを何だと思っているものかと。
当初の取り引きで逮捕者が出て一件落着したにもかかわらず、
いつまでも去らぬまま、小さな諍いを続ける輩の動向に引っ掛かったままだったが、
彼らが相対す目標の相手はマフィアではない。軍警であり世間なのだと気がついた。
治安の悪さを薄々ディスられてもいるヨコハマの公安関係各位へ、
ポートマフィアだけ抑え込んどきゃ安泰だなんて思うなよと、暗に脅しをかけたい手合い。
自分たちへも目こぼしをおくれと、
そんな働きかけをするためのプレゼンテーション。
いやいや、マフィアだとて警察各位へなんてそんな伝手やコネなど持ってはいない。
サイレンが聞こえれば撤退するし、指名手配になっている構成員もいるのだと気がつかぬ浅はかさ。
そんな浅慮から立ち上げたらしい悪だくみはだが、馬鹿々々しいと一蹴は出来ぬ。
加担するのだろう顔ぶれが一応は裏社会で名を馳せた連中だし、

『狙撃で名を上げているバロウズ兄弟が入国しているそうですぜ。』

かつてあの組合(ギルド)に籍を置いていたとも噂される、北米の狙撃王。
そんな奴に周辺のビルからピンポイントで狙われては、
こうまで開けた区域のどこに居たって防ぎようがないではないか。

「…人虎の坊主っ!」

何とか人づてに聞き回って車検場にいると判り、
コンテナの山で築いた大路の突き当り、
バラックづくりの整備工場を目指すと、
古びた小屋の前、ここ数日で見慣れてきた風変わりな髪型の少年が見えた。
気が急くままに声を掛ければ。振り返ったそのまま屈託なく笑った彼だったが、

  ちゅん、と

そんな彼の頬と肩口の間隙を、
目にも止まらぬ疾風が駆けて、背後の木戸へぱぁんと当たる。
その物騒な気配には覚えがあるか、ハッと身が凍った彼と周辺と。
巣をつつかれた蜂もかくやと、駆け出したり 辺りを見回して怒鳴ったり、
誰もが一気に浮き足立ってしまったが、

「西からの狙撃だ、そこのコンテナの東側に飛び込めっ。」

そうと通る声で怒鳴ったのが中原。
伊達に戦闘要員からのし上がった身じゃあない。
瞬時のこととて入角度も把握済み。
軌跡を逆にたどり、あれかと目星をつけた雑居ビルを見すえ、
手近なH字鋼材の山へと手をかざす。
10mはあろう頑丈で重量もある鋼材を、重力操作で頭上へ浮かしたそのまま、
紙飛行機でも放るよにぶんっと宙へ投擲すれば、
空気抵抗さえ受けぬまま、大きな槍は目標へ疾走し、着地点にて重さを復活。
階段室ごと誰かを潰したようだったが、こっちはそれどころじゃない。

“確かバロウズ兄弟といってたな。”

その名のまんま、年の近い兄弟でタッグを組んでいる狙撃手で、
複数で異なる角度からの攻勢をしかけることで成功率を上げており。
となると、この周辺にもう一人いるということだ。
先程 怒鳴った指示に従い、コンテナの陰に身を寄せた少年と目が合って、
ああこの子を守らねばと感じた、そんな意識が高まることで集中も高まる。
間近にある気配ではないはずなのに、途轍もなく遠いところにある存在のはずなのに、

 ふと、何か嫌なそよぎを頬に感じたのは、
 それもまた長年の経験則というやつか

たたたんっと乾いた響きが聞こえ、
それを追い抜くように襲ったは、数発の銃弾の群れ。
腕の一閃で起こした圧の塊で捉えたそのまま、重力を掛け、足元へ叩き落したが、

「…ち。」

機関銃ではなさそうながら、
1発だけ時間差があっての遅れて放たれたはずと、弾数の合わぬことへ舌打ちをする。
彼が得意とする重力磁場は
輻輳させると思わぬ方向へよじれて弾ける“反発軸”が生じかねないため、
一か所へ密集させて放つのは危険。
捕まえたはずの弾丸があらぬ方へ飛んでっては意味がない。

「人虎っ。」

その身を守る対象の側に駆けよって、其方から薙ぎ払おうと、
それは素早い判断をし、地を蹴ったのと。
行方を見失った弾丸が唸りをおびて中空から出現したのがほぼ同時。

「な…っ。」

兄弟二人がかりで多角的に配置された銃を操るのみならず、
片やの狙撃手は異能を持ってもいたらしく。
ずれたのではない、わざと時間差が出来るよう、
逃げ惑った後の隙を衝くように襲うよう、邪悪な段取りで宙を走った弾丸が

 小柄な、だが、この街を守りし将の頭蓋へ、深々食い込む。

着弾で加速までねじ伏せられたか、
失速して宙から墜落するジャケット姿の君。
居合わせた皆が皆、
目を逸らせぬまま、だのに誰の手も届かなかった悲劇へ息を引き、
刻を止めんと身を凍らせる。
嘘のようにあっけなく、地べたへ倒れ込む小さな身。
ああそれまでは頼もしいまでの存在だったものが、
やけに小さく、頼りなく見えて。

「中原さんっ!」

最後に声を掛けられた格好の敦が悲鳴を上げて駆け寄りかかるが、

「触るなっ!」

そんな彼を押し潰したいかのような大きな怒号が降った。
蒼穹へと開いて解放された広場の全部をびりびりと震わせたほど、
大きく鋭い裂帛の怒声であり。

「…っ!」

孕んだ怒気の鋭さに、総身を震わせ立ち止まれば、
ちょうど反対の方向から駆けて来ていた黒装束が、先に男の身へと辿り着いており。
日頃より一層顔色を悪くしてがなったのが、

「頭だぞっ、揺さぶるだけで一巻の終わりだッ!」

恐らくは何も知らず、そのまましがみつこうとしかかった虎の子へ、
雷槍のごとき怒号を浴びせた芥川は、
何への怒りにかその顔を歪めたまま、切り裂くような怒声を放ち続ける。

「貴様のところの与謝野を連れてこい、今すぐだッ。」

自身は玉砂利のうえへ膝をつき、
流れ出す自分の血でじわじわと染まりゆく
倒れ伏した兄人を見まわしてそうと指示を出した。
ああそうだと遅ればせながら敦も思い出したのは、
探偵社に専属の女医のこと。
どんな瀕死の状態からでも生還させられる
奇跡の異能を持つ彼女なら何とかしてくれようと、
短い呼びかけからきっちり察し、

「わかったっ」

一気に駆け出す彼の足元は、気がつけば虎の異能を発揮しており。
風のように翔っていって、あっという間に姿が見えない。
だがだが、自力で走るのは無謀と思ったクチもいて、

「車を出した方が」

早くないかと言いかかった何者かへは、それを苦々しく見送った黒外套の青年が言い返す。

「今日はどこも交通規制がかかっている。」
「あ…。」

大路をゆくフロートやパレードの演目が優先されるため、
渋滞に巻き込まれるのは必至だから、あの虎の子の人間離れした脚力の方があてになる。
ビルの壁さえ駆け上がれる瞬発力を発揮すれば
何mもの雑踏さえも一瞬で飛び越せよう。

「奴が戻るまで半径10m以内に何も入れるなっ! 人も弾丸も何もだ!」

がらむ声での彼の指揮へ周囲の誰もが “おう”と勢い込んで応じ、
周辺へ視線を配るべく外を向いて居並んだ屈強な男らがフェンスのような輪を作る。
また他の何人かはこの集積場の入り口へと駆けだした。
敦が支障なく戻れるよう、道を出来るだけ空けに行ったか、
それを片頬に感じつつ、芥川はだが悲痛な表情をこわばらせたまま、
鮮血に染まる中原の端正な横顔から目を離せない。
気兼ねなく凭れていいのだと
いつも豪快に笑う彼は、短気そうに見えて思慮深く。
豪胆であろうとしつつも その実ただただ不安定な芥川の傍に常に居て、
何でも飲み込み、溜息一つつかずにいてくれた。

 “死ぬな、死なないでっ。
  まだ僕は何も伝えてはいないっ。”

ありがとうもごめんなさいも、
あなたへまだ伝えていないのに。
どれほど頼もしく支えてもらったかを、
言葉でも態度でも届けていないのにと、

 「中原さんっ、…中也さんっ!」

日頃は呼ばない名前を叫び、
意識を手放すなと必死で祈る芥川だった。
不安と苦衷に張り裂けそうな胸を抱いて…。



     ◇◇


そんな地上から十数mは高みのどこか。
殊更強い風の吹き付ける音が耳元で騒ぐ中で、
薄型のツールを耳に当て周囲を用心深く見まわす人影があって。

「与謝野先生? 頭を銃で撃たれた急患が出た。
 敦くんが迎えに来るから用意して待っててやって。」

スマホで淡々と連絡し、
眼下の街並みを見下ろすその人影は。
パレードに沸く港側の街路には目もくれず、
錆びついたコンテナの固まる広場を見やり、
そこからぐるりと敷地周縁を銃に取り付ける型のスコープで検分してゆき、
とあるビルに視線を固定。
傍らへ立てかけたライフルの長い銃身を手に取ると、
グリップの重さも感じさせぬ手際の良さで肩へと構え、
横腹のチェンバーを引いて発射の準備を整える。
すらりと伸びた長い脚のつくコンクリの地べたには、
一方を鋼の手すりへ結ばれたロープに分厚い胴体をぐるぐる巻きにされて、
白目を剥いて昏倒している大男が座り込んでおり。

相手の狙撃手はどうやら二人ではなく三人組だった模様。



「私の大事な部下と弟子の二人に、
 あんな顔をさせた罪はあがなってもらわねばね。」

まとまりの悪い蓬髪が潮風にかき乱されるのも厭わず、
ライフルのスコープをあらためて覗き、照準を合わせ、
小さな視野の中、何やら喜色を浮かべる異人へ向けて
深みをおびた鳶色の瞳を鋭く絞りつつ、

「大丈夫、殺しはしないから。織田作との約束は守るから。」

誰へ云うともなくの呟きとともに、
銃身を宙へと持ち上げられ、ゆったりと構えられたライフルは、
模範のような的確な所作にて引き金が引かれて…


     ◇◇


「…っ!」

再び轟いた乾いた空への銃声に、コンテナヤードでも緊張が走ったが、
蒼穹の側へと響いた音だと皆して胸を撫でおろし、
黒獣の主も その身を傘のようにして咄嗟に庇った人を見下ろし直す。
まだそんなに時間は経っていないはずだが、
それでもまだかまだかとの焦りが喉奥を押しつぶそうとする。
彼の人は呼吸も浅く、顔を近づけねば拾えないほどで。
今にも息絶えてしまうのではないかという恐れに襲われて、
自身の頭蓋までが固く絞られたように痛み、胸が刺すように苦しい。
こんなに間近に居るのに手を伸べることも出来ず、
今にも手の届かぬどこかへ発っていこうとする中也を、
引き留めも出来ない身なのが切なくて悔しくて。
このまま彼が息絶えたなら、自分もそのまま攫われるやもしれないと、
いっそそうであれと、後ろ向きなことを願いかかったそこへ、

 「人虎だっ、もう着くぞっ!」
 「そこも開けろ、真っ直ぐ飛び込ませろっ!」

門扉のある方からの怒号が次々と波のように押し寄せる。
ここのような港湾部からは途轍もなく離れたビジネス街の一角にあるビルまでを、
一体どんな直線コースで辿ったやら。
人垣の中からすさまじい加速で再び姿を現した人虎の少年は、
そのさして大きくはない背中へ、
すらりとした姿態も麗しの、黒髪の女性を負っており。
彼女こそは、マフィアの狂科学者・梶井基次郎がこの場に居たら真っ青になっただろう、
武装探偵社が誇る名医にして女傑、与謝野晶子であるらしく。
武骨な男どもが取り囲む臨場へと恐れもなく踏み出すと、

「こりゃあ文句なしの瀕死の重体だねぇ。」

何やらごちゃごちゃ入っているものか、
足元へ置くと金属がぶつかり合う音が響いた大きなカバンを、だが開けもせず。
その細い手にはめていた手套をするりと外し、
横たわる中原の傍らへと膝をついて座り込む。
いつぞやの三社鼎立では隠れ家への急襲を仕掛けた男だと判っていように、
それはそれ、今は停戦状態にあることをわきまえてか、
それとも迎えにと社屋へ飛び込んで来たときの敦の必死な様子にほだされたものか。
理知に冴えさせた顔、更に鋭く引き締めると、
自身の異能力の名をその場へ突き刺すように一喝した。

 異能力 君死給勿(きみ しにたもうことなかれ)

たちまち、異能力を発揮している証、まばゆい光と捲き起こる旋風。
その手をかざされている中也の顔にくっきりした陰影が刻まれ、
髪や血に染まった衣紋がバタバタと叩かれて千切れんばかりにはためく。
砂混じりの陣風に、わあと目許を押さえるものが大半な中。
すぐの間近の砂利の上、
やはり膝をついて陣取っていた黒と白の青年と少年は、
片時も目を逸らさずに、
力なく瞼を下ろしたままの中也を祈るように見つめていたが。

 ややあって、異能の陣風がその威勢を納め、
 場が静まってゆく中で

まずは深い吐息が一つこぼれ。
せっかく気持ちよく寝入っていたのに起こされた時のような、
ギュっと瞼を力ませる様子が拾えて。
これはこれはもしかして。
気が急いて勝手なことをしては、せっかくの灯火が消えるかもしれぬと、
声を出すことさえ憚り、息を飲んで皆が見守る中、

 「…何だぁ? あの世ってのは別嬪しか居ねぇんだな。」

暢気なのだか大物なのだか、
今にも死の縁へ転げ落ちそうだった身のくせに。
取りだせた銃弾を手のひらで転がす晶子や、
感極まって何も言えない芥川や敦といった、
至近に居た顔ぶれをゆっくりと見回し。
まだ少々意識が曖昧だったか、寝ぼけたような声で、
そんな的外れな言いようを放って身を起こそうとした彼なのへ。

「おやまあvv」
「…っ!」
「中原さんっ!」

今度こそ構うまいと、敦が飛びつき、
周囲の皆してわっと沸く。
この奇跡のような出来事は、今後長く語り継がれることとなった。






「さて、帰ろうか敦。」
「はい。…え?」

少年の細い肩へ手を置いてぐんと引くとかがませる晶子であり。
もしかしてと顔が引きつった敦へ、

「勿論、おぶって送ってくれるんだろう?
 別に同じコースじゃなくてもいいんだよ?」

「いやあの、怖くなかったんですか?
 ○×ビルの横っ腹を駆け上がったときと、
 強引な方向転換にって
 ▼▼橋の街灯に手を掛けて回ったときに悲鳴上げてたでしょう?」

ああやっぱり、そんなとんでもないコースで往復したのかと、
高架になった高速道路まで届こう名物街灯を
鉄棒の大車輪のように遠心力付けて回ってショートカットしたらしい
とんでもない一端を聞いた皆が青ざめる中、

「何を言ッてんだい、
 あんなスリルある想いは其処らの絶叫コースターでもなかなか出来ないよ?」

与謝野先生はどこまでも与謝野先生であるらしかった




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