パレードが始まる前に
7
ライフルによる固め撃ちの狙撃なぞという
港のお祭りどころではない、それは緊迫した大騒動となった某所であり。
とんだ災難をこうむってしまった某氏だったが、
過ぎてしまえば あっという間と言ってもいいほどの
刹那の刻に駆け抜けた疾風、嵐のようなもの。
途轍もない異能による治療を受け、けろりと平生のお顔になったご本人へは、
ヤードを見下ろせる廃ビルの屋上に一人、
別のタワーの上に一人、傭兵らしい外人の狙撃手がいて、
だが、片やはロープでその身を拘束されており、
もう一人のほうは何処からともなく飛んできた覚えのないライフルの弾丸により、
足の甲と腿を撃ち抜かれており、
それぞれ身動きが儘ならぬまま、密告通報があった軍警により、
銃刀等所持規定違反、テロ準備罪などなどの罪名で逮捕された…という知らせが届いたそうな。
何はともあれ、総身は小さいが(…) 懐は広くて深い
ポートマフィアから派遣されていた 守護神様が無事だったことを
大層たくさんの人々が、こちらこそ祭りの主眼であるかのように歓喜し。
冷や汗をかいた分、取り戻すかのように
あちこちで繰り返し繰り返し祝杯が挙がったとかで。
また、パレ―ド見物の賑わいの中、疾風のように駆けて駆けて
奇跡の女医を間に合わせた人虎の少年の健闘も、
その場に居合わせた顔ぶれがわが自慢のように吹聴して回ったとか。
「だが、その坊主は武装探偵社の社員なんだろう?」
敵対する関係にあるんじゃなかったか?というごもっともな声も上がらぬではなかったが、
「本拠の構成員からすりゃそうかもしれんが、
俺らはそのまた下の小請け孫請けみたいなもんだしよ。」
中原さんの侠気がそんなもんの垣根なぞ ものともせんほどでっかいだけの話よ、と、
何が何でも快挙よ誉れよとしたがる声には勝てる訳もなく、
ともすりゃ大通りの祭りの浮かれようよりも、うんと盛り上がっているほどで。
そうは言っても、彼らもそうそう遊んでばかりもいられない、
パレードの後片付けにと駆り出されたクチの若い衆が出てゆき、
コンテナヤードは昼を待たずして日ごろの閑散とした空気を取り戻す。
閑散とした広場の一角、
数日ほど前の場面をそのまま繰り返しているかのように。
廃棄処分待ちのコンテナの上に坐した男が、
そこへ真っ直ぐやって来た少年を見下ろして静かな声を掛けている。
「…よお。」
昨日はそりゃあ慌ただしくも双方が別々にもみくちゃにされたまま別れた格好になっており、
そんなせいもあって特に約束があったわけじゃあない。
それでも…コンテナの山の中、最初に再会した錆びついた函体の上、
腰を下ろして待っていた中原の前へ、
そちらもなんら迷うことなく、中島敦が辿り着いていて、
細い顎を上げると ここに来た目的だったのだろう“彼”を見上げた。
「お体のほう、大丈夫ですか?」
与謝野の異能力を信じていないわけではなく、
だが、死地から強引に引き戻され、気持ちの上での動揺や何やがあったかもしれぬと。
その辺りを訊いているらしい敦は、だが、
ここ数日の印象に強かった、どこか及び腰な態度ではなくて。
あれほど無邪気な少年だったが、それでもさすがに、
今日の彼らはいろいろと背景が異なる二人なのだということ、
しっかと自覚した上での来訪であることが早くも忍ばれる。
時折吹き付ける潮風は、昨日までの冷たさを払拭しており、
遠い遠い市街からは、港の祭り二日目の賑わいの輪郭がぼんやり届く。
いやに真摯な目をしている少年を見下ろす中原の側も、
これまでの気さくで柔和な態度は微塵も見せず。
すっかりと冷めたような顔をして、
風に揺れるシャツの襟に、時折白い頬をはたかれている少年を、
黙ったままの間合いが幾合か過ぎゆくままに見下ろしていたが、
「此処での騒ぎも方がついたんでな。俺も本拠へ戻ることになった。」
そう。彼の本来の居場所は此処ではない。
ヨコハマの中心地に聳え立つ、
表向きは別の名ながら、ポートマフィアがその活動の本拠としている現代的なビルこそ、
五大幹部の一隅に坐す中原中也の本来の居場所。
こんな寂れた場所でぼんやり風に吹かれているのではなく、
夜陰を味方とし、マフィアに徒なす不心得者を容赦なく誅す死神のような存在。
それがこの男の本来の肩書なのであり。
「お前も もう此処へ来る必要はなくなったんだろ?」
不慣れな場所で、敵対する組織の人間と顔を突き合わせる必要もなくなったわけだなと。
ここで初めて、ふっと静かに破顔する。
これまで少年へ見せてくれていた、気さくで朗らかなそれではなく、
口許だけを横へ引き歪めるような笑みを浮かべた彼へ、
「…いやです。中原さんに逢えなくなるなんて、そんなの…。」
昨日までの一連の会話の端々や、
何より撃たれた彼が危地から生還した折のぎゅっと飛びついてきた様子などなどから、
情が移ってのこと、そんな駄々をこねるのではないかということも、
幹部様には織り込み済みであったようで。
ここで敦の側も初めて…少しほど眉を下げて見せた弱腰を拾い、
「俺が香水なんぞ使っているのも、半分くらいは血の匂いを誤魔化すためだ。」
短い間の付き合いなんぞ、断ち切るのも容易いと、
一番効果があろう言いようを突き付ける。曰く、
「俺は紛うことのない人殺しなんだ。良い人なんかじゃねぇぞ?」
「……っ!」
凡そ、人の世のどんな教えや、道徳、倫理、価値観の中で最も罪深いとされる悪行。
それを手掛ける身であると、
眉一つ揺らさず、むしろ口許の笑みをますます濃くして、
造作もなく言い放った彼であり。
「お前が身体を張って、傷だらけになって、何とか十数人救う間に、
俺は異能を繰り出して、鼻歌混じりに何百人を殺せるし、
そこに罪悪なんて一縷も感じねぇ。」
それが首領からの命令なら、
恨みつらみもないどころか、顔さえ初めて見るような、
どうかすりゃあ何の落ち度もない善良な相手であっても、
見せしめのためってだけの理由で何の感慨もなく殺せるんだ、と。
敦から視線を逸らすこともなく、淡々と言ってのける。
「わざわざ説明するのが恥ずかしいくらいに当たり前のことだし、
お前だってそれは判っていたはずだ。」
だから…それでもヤだという駄々を わざわざこねに来た少年であるに違いなく。
案じていた通り、やや堅いお顔で姿を見せた敦だったのへ、
中原は自身の喉奥が苦々しい何かでチリチリと焼けるのを自覚しつつ、
用意していた一番手ひどい言いようで両断し、彼を追い返すことにしたのだが、
「そんなの聞けない。」
これまでの押しの弱い彼とは思えないほどに、
腹の底に芯を突き立てたような声で、敦がはっきりと言い返してくる。
「僕は僕が見て知った中原さんしか信じない。」
「な…。」
馬鹿かこいつはとまずは呆れた。
態度や言動なんてどんな風にだって取り繕えることであり、
だのにそんな風に返してどうするかと、
聞き流すことさえためらわれるよなあんまりな言いようへ、
思わずのこと表情が弾かれた中原へ、
「強くて優しくて暖かで、僕を僕より判ってくれようとして。」
言葉を見つけられなくて、しどもどするたび、焦らなくていいと待っててくれた。
切ないという言い回し、いとも容易くするすると紡いで教えてくれた。
「目を伏せた横顔がすごくきれいで、でも、笑う時は豪快で。
そんないろんな顔を子供の僕に一杯見せてくれて。」
いきなり何を言い出すやら、
はい?とついついツッコミを入れかかった赤毛の幹部殿へ、
「あの芥川だって、どれほど案じて必死になってたか。」
「う…。」
それを持ちだされるとやや弱い。
世間的には指名手配中の爆弾魔にして殺人鬼。
この少年へも本気の殺意を差し向けていたというに、
なのにも関わらず、死地から戻った中原へ今にも泣き出しそうな顔を晒しており。
ああもう、お前、そんな顔はなしだってと、
髪に手を掛け、ぐしゃぐしゃにしてやりたい衝動にかられたほどで。
「中原さんは良い人なんだ、ホントは。
マフィアとしての任務上は、引っ張り回して誤魔化そうと構えてた僕を、
だのにその身で庇ったのが何よりの証拠じゃないですか。」
うあどうしよう、
このままだと俺は“実はいい人”にされかねぬ。
「そんでも、たった三日ほどで俺を全部知ったわけじゃなかろうが。」
本当は残虐で、気が短くて、
こんの鈍間がと腹の底では罵っていたのかもしれない、のにと言いかかり、
「……っ、だからっ。」
真っ直ぐ睨むように見やって来られて、何故だかあちこちが痛くてたまらない。
思えばこうして少年を待ち構えていたこと自体、
気を張らねば言い負かされそうな予感があってのことかも知れぬ。
言い訳なんてそもそもする必要もないでしょ? 放っておけばいいのにね、
そんなところが律儀なんだよなぁ…なぞと、
小馬鹿にするよな誰かさんの声が聞こえたような気がして。
お前の部下だろがこいつと、架空の其奴へ言い返したくなったものの、
“こいつ…。”
もしかして、鬼でも聖人へでも同じように力技で食ってかかる手合いなのかも。
だとしたら、あの…いつだって澄ました顔でいて
人の何歩も先をゆき、何か見落として失態を晒したこちらへ
だから言ったじゃないかなんてしゃあしゃあと嘯いてた憎たらしいあいつも実は
この子のこの天然無垢な一本気なところに中てられてるんじゃなかろうか。
“いやそんな可愛い奴じゃあないかな?”
でもだけど、あのQを取り返す攻防の最中なぞ、
多少は人間が甘くなっていたようなところが見受けられたが、
あれってまさかこの子の影響なのではないかしら。
だとしたら、鬼さえ惑わす、史上最強の天然なのかも…。
「……。」
こんな説得わざわざ構えたのは、
俺も居なくなってしまうこんな危ないところへ
立ち寄っちゃいけないよと言ってやるためだったのかも?
確かに、他のややこしいところへ首を突っ込まれるのは難儀だと、
そこでと自分が障壁になって彼の相手をし、注意を逸らさせる作戦を取ったのだったが、
互いの腹のうちが薄々判っていながら、
それでも昨日なぞ、この子の顔を見るのを楽しみに、
こうして待ってた自分ではなかったか?
“…まったくよ。”
何でまた、あいつが目利きした
厄介だが骨のある、将来性も豊かな部下ばかりを
色んな意味から“引き受ける”ことになる自分なのだろかと。
そろそろ諦めの境地がやって来たらしい
赤い髪の重力遣いさん。
今日もかぶっている黒い中折れ帽をひょいと手に取り、
「…そんなに言うなら、俺からの関心を持たせてみろよ。」
「はい?」
唐突には唐突か、
今度は中原の側が、そんなことを言い出して。
「明日、昼から港の高台公園にいる。」
「え?」
ヨコハマ港を一望できる遊歩道や広場が合体した、たいそう広い広い公園で、
常設の花壇には四季の花々が育まれ、
大道芸人がパフォーマンスをしていたり、様々な催し物があったりと
広大なエリアを誇りつつ、同時に人のにぎわいの絶えぬ場所でもあって。
「どこに居るか、ヒント無しで探し当ててみな。まずはそこからだな。」
「えっとぉ?」
急な話の逆流に、さしもの敦も目を丸くする。
実は実は彼自身も、どうやったらこの人を説得できるのか、
伝えたいことを前もってまとめて理論武装してきた…わけじゃあない。
こんの分からず屋がと最悪 掴み合いの喧嘩になってもしょうがないなあなんて、
中原が思っていた以上にノープランの、当たって砕けろでいたらしく。
「…判りました。探し出せたら会ってくれるんですね。」
「ま・そういうことだな。」
いきおい、頑張るぞという張りのあるお顔になった現金さも、
呆れこそすれ、だがだが、中也にはさして不快じゃあない。
それどころか、
会ってどうするつもりなのか、
此処でそうやって過ごして居たような、
お喋りをしてすごしたいとか考えているのかな?
もしやしてそこもノープランかも知れないなと先に気がついて、
確か公園で桜祭りが開かれるのへ、
腕づくで引き摺っていってやろうと画策を固める。
日当たりの良いところでは、
満開とまではいかずとも五分咲きくらいにはなっていようから、
そういうのが好きなこの坊や、
きっとまたその大きな目をぱちりと見開いて、愛らしい笑顔になるに違いなく。
“…ちっ。”
ああもう、こんな考えてる時点で関心持ってる証拠じゃんかと
自分で自分へダメ出しをしてから。
急に言葉が途切れたこちらを、ともすれば眺めて楽しんででもいるものか、
目許を細めて見上げている坊やへ、
ついと手を伸べ人差し指でちょちょいとクリック。
「…わ。」
先にもやって見せたそれ、
重力操作でふわりと浮かせ、コンテナの高さまで引き上げてから、
こっちへおいでと虎の少年をやや強引に招き寄せる。
ありゃりゃあとビックリしつつも、
だが、覚えのあることゆえ、今度は言われずとも抵抗は無しで。
肩だか腰だか、見えない糸に吊られたまんま、
どんどんと小さな幹部様の傍までを運ばれて。
先だってはお隣へ下ろされたのが、今回は、
「…え?」
そのお膝へ、しかも向かい合う格好でと来て、
うあ近い近いとここで初めて狼狽えかかる。
とはいえ、コンテナの縁へ腰かけている中原の膝先と言えば、
そのまま崖っぷちもいい位置な訳で。
下手に身じろぎでもしようものなら落っこちかねぬ、
いやそこは中原が異能で支えてくれているのだろうが、
それでも慣れない滞空状態なのへ、
ついつい手を伸べると向かい合う相手の肩辺りへしがみつけば、
「俺は4時ごろまでなら待てると思うから。」
何のことはない、明日のかくれんぼの打ち合わせをしたい彼だったようで。
それへキョトンとしたのもいっとき。
まだどこか幼い表情を浮かべる口許、キュッと口角を上げて弧を描かせて、
「そんなに待たせませんよ?」
冗談の応酬みたいに、堂々と言い返したものの、
「まあ、頑張れよ。」
そうと応じた中也が、そのお顔に滲ませた笑みを深めると、
そのままもっと顔を近づけ、耳元へと囁いたのが、
「ただ、怪我をするよな無理はするな、いいな? 敦。」
「……え?」
だってお前、昨日のあれん時
とんでもない走りで与謝野を連れて来たって皆が言っててと。
無茶をするなのほうへの“え?”だと受け止めた中也だったが、
敦の方はそれどころじゃあない。
「い、今、何て呼びました?」
「あ? 何がだ?」
「だからっ。」
ねえねえ何て何てと繰り返しせがまれ、
しょうがねぇなぁと眉を寄せつつ、
敦と連呼してやった中也は、
ずっとずっと彼を“人虎”と呼んでたことに気付いてないらしく。
何でそうと偏ったのかの元凶さんが、
今度は中也の呼び方へ唖然とすることとなるのは後日の段である。
〜Fine〜 17.03.23.〜03.31
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