月下星群 〜孤高の昴・異聞

  天上の海・掌中の星 〜玻璃清水
 

 
          




   ――― 俺、何にも出来ないままなんか?

   ――― 何にも…自分を守る力とか持ってないんか?

   ――― 俺、ゾロのお荷物なんか?



 ほんの先日、ちょっとした騒動があった。多くの人々が巻き込まれたような、新聞ダネになったような、そんな公的な大事ではなかったが。関係者たちには間違いなく、心胆冷やしからむるほどの"穏やかならざる"一大事。
「あ、ゾロさん。朝穫
りナスの良いのが入ったんだよ。見て行かないかい?」
 顔見知りの八百屋の奥さんに声をかけられ、店先に少しばかり張り出させた幌
ほろの日陰の下、ザルに盛られたツヤツヤのナスビを眺めやる。トマトにキュウリにさくらんぼ、早生わせ桃の香りも馥郁ふくいくと。瑞々しくもはちきれそうな、それは健やかな野菜&果物たちが、お元気な顔をそろえている中、視線は手に取った濃紫紺の夏野菜に向いているものの、
「………。」
 その大きな手の中のお茄子の中に、ついつい浮かぶは…愛しい坊やの幼
いとけないお顔。

   『頼むから。お前、こっち方面での考えなしは辞めてくれ。』

 彼にとっての大切な存在が思わぬ危険に晒された、それはそれは逼迫した事態だったものだから。これまで何の迷いもなく、ある意味、余裕で対処して来たことへ、初めての強烈な切迫を感じた。邪妖への対処にと向かったものの少しばかり間に合わなかった場合。犠牲が幾らか出たとしても、それは不可抗力というものであり。それ以外の部分で救うことが出来た対象がいるなら、これからの被害が出なければ、万々歳な結果だと。そんな機械的で乱暴な合理的解釈の下、これまでは冷然と対処し処理して来た自分だったのに。

   ――― ルフィっ!?

 この彼の存在だけは何があっても失われてはならないと、世界が滅んだって守り抜かねばと、そうまで想う対象が、時間という…唯一抗えない、歯が立たない流れのぎりぎり向こうに立っていたあの刹那。守り切れないかも知れないという事実を目の当たりにした瞬間、全身の血が泡立ち、気がつけば…ご大層にも"聖護翅翼"を広げていた自分だった。神格"淨天仙聖"としての史上最強の防御盾であり、あんなちゃちい邪妖には勿体ないくらいの代物。1匹のゴキブリを退治するのに核ミサイルを持ち出したようなもの。…そして、頼むから無茶なことはするなと。何があっても駆けつけて守るから、防御の外に出ないでくれと。大人しく守られていてくれと掻き口説いたところが、冒頭のような疑問符をその坊やから投げかけられたゾロであり。
"まあな。誰ぞから守られなきゃならない身だ…なんて言われて、小躍りしてまで喜ぶような奴はあんまりいないよな。"
 ナスビばかりに凝視を続けても何だからと我に返って、八百屋の女将さんから夏野菜カレーの作り方を教わって、お薦めのナスビとニンジンを買うことにした。

   ――― ………。

 お昼時が間近い商店街は、真夏の暑い中にも結構活気があって、行き交う人の数も結構なもの。夏休みに入ったからか、小学生くらいだろう、日頃よりかは少し大きめの子供たちの姿も見えて、買い食いのアイスキャンディを食べながら友達と連れ立って歩いていたりする。お行儀としてはあまり良ろしくはないが、この暑いのに外で遊んでいるお元気さだけは褒めてやっても良いのかも。今日のメインのメニューが決まったところで、
"あとは肉を買ってと…。それと、コロッケかエビフライでもつけてやろうかな。"
 それにサラダをつけてと、頭の中で晩餐への算段を固めていると、

   「あ。マリモの兄ちゃんだ。」

 唐突にそんな声が掛けられた。明るいめの緑という奇抜な色の髪を、その輪郭に沿って短かめに刈った頭は、成程真後ろから見ると確かにそう見えるのかも知れないが…その前に。この…涼しげに冴えた目許が少々鋭角的で、頬骨が少しほど立った、男臭くも彫りの深い、野性的な面差しをした青年に。上背があって肩も胸板も随分と分厚くて、余裕のあるゆったりTシャツにGパンという夏の軽快ないで立ちであってもそれらが伺える、途轍もなく頼もしき肢体をしたお兄さんに。付き合いがない人からだと、はっきり言ってちょいと恐持てのイメージさえ抱かれる、格闘家系の偉丈夫へ、しかも振り返った顔へと向けて、あらためて真っ向から指先を突きつけて見せる強者
つわものは、何と小学校低学年生くらいの小さな女の子であり。しかもしかも、
「いけませんよ、アイサ。」
 その傍らで、一応は窘めた声が上がったのだが、そちらさんもまた、
「お久し振りです、ゾロさん。」
 何の屈託も媚びもない、透き通るほどに朗らかな笑顔を惜しげもなく向けてくれる、若くてお美しいお嬢さんであったりしたものだから。

  「ちょっと奥さん、ご覧なさいよ。」
  「あらあら、ゾロさんたら隅に置けないわねぇ。」
  「ホントねぇ、あんな可愛いお嬢さんたちと知り合いだなんて。」

 そんなお声があちこちで、こそこそ・ちらほらと上がっていたりするのだが。
(笑) 此処までだったら片方からの一方的な認知。ゾロの側からは知らない人である可能性もなくはない。ところがところが、

  「なんだ。二人とも珍しいな。」

 自分よりも小さな二人の女の子を前に、ちょいと驚いたように眸を張りつつそんな言いようをしたからこれはもう確定。どうやらゾロからもよくよく知っている知己たちであるらしい。だが、

  「どこのお嬢さんかしら。」
  「そうよね、見かけない顔よね。」

 ここが、周囲からの注意を引いた点に外ならないのである。お総菜屋さんのとか、酒屋さんのとか、どこそこ何丁目のお嬢さんだとか、そういうデータが明らかであれば、仲が良いのねという程度で済んだものを。ミステリアスな要素がある分だけ余計に話題は尾を引き、市井の探偵や評論家をたくさん生み出して長く語られるもの。それでなくとも、その容姿が否応無く人目を引いている、ご町内でも屈指の男前だと噂の絶えない若い衆。これは当分、噂の種になりそな気配だが、

  「ゾロ、アイサ、水着買ったんだぞ。」
  「そうか。良かったな。」

 膝に手を置き、少しばかり前かがみになって、ゾロが相手になっているのはほとんど小さな少女の方であり。その少女のお顔に浮いた汗に気がついて、
「此処じゃあ暑いだろから…。」
 肩越しに振り返った店、ガラス張りで見通せる店内がさほど混んではいないのを見て、彼女らをそちらへと促したゾロだった。

  「…ゾロさんたら、小さい子が好きなのねぇ。」

 こらこら、奥さんたち。語弊があるって、その言い方。
(笑)





            ◇



 そこは、一応は冷房もかかってはいるがほぼ開放型の店舗で、壁沿いに幾つかのテーブル席と、カウンターの前にスツールが幾つか並んだ、セルフサービスの小さなドリンクバーだ。夏場はディップアイス、冬場は焼き立てワッフルがメインの店で、主に中高生の女の子でにぎわうところだが、この時間帯では子供連れの買い物客が休憩に立ち寄る程度。お嬢さん方にアイスとオレンジジュース、自分には烏龍茶をオーダーし、スタンドに立ったコーンの上にバニラとマンゴーの二段が載ったアイスと、紙コップに入ったドリンク2つを並べたトレイを受け取って、レディたちの待つ席へと運ぶ。
「うわい、ありがとうなvv」
 淡いオレンジと白のアイスにワクワクと嬉しそうなお顔を見せた少女は、きちんとお礼を言ってから、さっそく冷たいデザートに口をつけ、
「すみません。」
 柔らかそうな長い髪をゆるく三つ編みに編んだ、いかにも育ちの善さげな少女の方が恐縮したように頭を下げる。それへと"構わないから"と言いたげな会釈を見せて、
「けど、珍しいな。こっちに来るなんて。」
 さっきの言葉を繰り返すゾロだ。まだ生鮮品は買っていないので多少は時間を取られても大丈夫。小さなテーブルを挟んで、彼女らと向かい合って座った自分の隣りの席には、愛用のトートバッグがナスとニンジンを呑んで大人しく鎮座している。
「こちらよりそっちの方が、よっぽど店の数だって多かろう。」
 商店街に来合わせていたご町内の奥様方に見覚えがなかったのも無理はなく。彼女らはJRで一つほど隣りの駅の近辺を在所としているレイディたちであり、
「水着なら、向こうに大きな店があるだろに。」
 そう。実はそっちの駅、快速や特急が停車して、他路線への乗り継ぎも出来る、ここいらでは大きな方の駅でもある。当然、人の行き来も多いので、駅ビルやその周辺にはショッピングモールなんてのもあるし、各種様々な有名フランチャイズ店も軒を連ねていて、ちょっとしたお届けものだの、間に合わせではないお買い物、待ち合わせや外食、映画などの娯楽となると、ここいらの住民もそっちの駅前へと向かうほど。だというのに、こちらに来合わせていた彼女たちだったので、何か用があったのかと、社交辞令的に聞いたゾロだったのだが、
「馬鹿だな、ゾロは。」
 1段目のマンゴーのアイスを半分ほど制覇した、アイサという少女がけろりとした声で応じた。
「いくら大きな店でも、品揃えが完璧とは限らないぞ? アイサ、どうしても気に入ったのが見つからなかったから、コニスに無理言って連れて来てもらったんだ。」
「ほほぉ。」
 そうかいそうかい、女心が理解出来なくて悪かったなぁと、少々目許を眇めたゾロであり、そんな二人のやりとりに、コニスという名前らしき少女が可笑しそうにクスクスと笑って見せる。どうやら随分と親しい知己であるらしいのだが、やはりどうにも解せないのが、このゾロに、こんなにも愛らしいクチの知り合いがいたという点である。先に述べた恐持ての姿態風体で、加えてあまり如才がある方でもないながら、見かけによらない気立ての良さは既に知れ渡っているため、ここいらの奥様方や商店街の女将さんたちにちょいと会釈を見せるくらいはする。だがだが、そういえば。彼のプライベートというもの、その殆どがいまだに謎のままになっており、表向きは長期に渡って留守がちな父上兄上に代わってルフィの保護者代理を務めている人物…であるらしいのではあるが、彼の知己という存在、あまり見かけた人はいないような。

  "そうでもないぜ。サンジは結構見かけられてるし。"

 おや。そうなんですか?

  "だってほら。料理しに来てくれるじゃんか。
   そん時って、此処の商店街で材料揃えてくこともあるからな。"

 ふ〜ん。じゃあ、こうまで妙齢のお嬢さんというと、ビビちゃんとか たしぎさんとかを目撃されているのかも?

  "あの二人はまだ知られてないと思う。
   此処に来たのだって2回ほどだし、そのどっちもがこっそりしてたし。"

 そういやそうでしたね。………と、筆者との会話をしてくれてる人物に、ゾロの方でも気がついて。

  「…ルフィ。居たのか、お前。」

 さすがは彼専属の守護精霊。…というか、すぐ後ろのボックス席のシートの陰に隠れて居たルフィであり、そんな彼の気配を、だのにこうまで気づかなくてどうしますか、破邪様。
(笑)
「えと…。」
 夏休みの補習は免れたものの、柔道部の朝練があっての登校が7月中は続くらしくって。それでの学校帰りな彼であり。なぜ隠れていたのかはちょっと不明だったが…恐らくは"買い食い"してることがバレないようにという、そのくらいの理由だろう。白い開襟シャツに黒っぽいズボンという夏の制服姿の、ちょこっと所在無げなお顔になって居る坊やを自分たちのボックスへと手招きし、
「引き会わせたこと、なかったな。こちらは隣町のレストランのお嬢さんたちで、コニスさんとアイサちゃん。こっちはルフィっていって…。」
 そんな風にお互いを紹介しかかっていたゾロの言葉を中途で遮って、

  「…あ。俺、知ってる。」

 ルフィは向かい合う二人の、特に自分より少しほど年長さんのコニス嬢の方を、ついつい指さして見せた。
「Qタウンのモールにある、イタリアン・レストランの人だろ? こないだテレビで取材されてたお店だ。」
 わぁ〜有名な人だよ、タレントのレポーターも凄い可愛いって褒めてたし。そうと続ける坊やへ、破邪精霊様、ついつい一言。
「…ルフィ、人を指さすもんじゃない。」
 まったくである。
(笑)

  「でも、なんでそんな人がゾロと知り合いなんだ。」

 こらこら、坊ちゃん。人の話をちゃんと聞いているのかな? 君は。
"まったくよ。"
 興味のあることへのみ一点集中。まるで仔猫のようなところのある坊やに、だが、もう多少は慣れた破邪様、小さく溜息をつくと、
「ちょっとした縁があってな。この春にバイトさせてもらったんだよ、その店で。」
 納得する答えを教えるまでは、そのままこだわり続けて聞き続けることもお見通しだったので、しゃあないかとついた溜息。別に隠しておく必要もないことと、あっさり答えたゾロだったが、

  「バイトって………?」

 こらこら、何で眸が点になってるんだ、君は。さては覚えていないな。
(笑)










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