月下星群 〜孤高の昴・異聞

  天上の海・掌中の星

       〜 RUN・RUN・RUSH!
 

 
          




 今夏の奇妙な天候は、偏西風がうねうねとうねって蛇行したせいなのだそうで。日本の10年振りの冷夏と反対に、欧州では記録的な猛暑に襲われたのだとか。殊にフランスでは、例年過ごしやすい気候なものだから、なんと"冷房"という観念・発想が薄いのだそうで。お医者も休暇を取る夏のバケーションシーズンと重なったこともあるにはあるが、それよりも。一般の方々への"熱射病"への基礎知識が皆無だったがために、初期の応急処置が行き渡らなかったのが、途轍もない数の被害者を出した要因だったのではないかと、言われているらしい。


   ――― それはともかく。


 涼しかった夏との採算を合わせるかのように、九月に入ると数日ほどは猛暑な日も続いたが。雨が降れば、やはり…肌寒いまでの気温気候の、早い秋を思わせて。
"鬱陶しい天気だぜ。"
 おかげさんで洗濯物が乾かねぇじゃねぇかよと、めっきりと主婦臭くなった精霊さんが窓の外へと睨みを利かせる。鋭角的な目許をそんな風に眇めると、これがなかなかに迫力のあるお顔をしていて。短く刈られた淡い緑の髪形といい、幅のある肩といい、シャツの下に重ねたTシャツの胸元を力強く押し上げている肉の束といい。………見栄えだけなら、十分に恐持てのするお兄さんなんですけれどもねぇ。
(苦笑) 今日も朝から曇天で、用心をして室内へと干し終わった頃というタイミングに しとしとと静かな雨が降り出し、結局夕方まで上がらなかった。天気予報では"週末には何とか回復する"と言ってはいるが、近づく"衣替え"を前に、合服の長袖シャツだの体操着だの、きっちり洗って干しといてやりたいものが幾らでもあるというのに、と。やはり子持ちの主婦のようなことを思いつつ、台所のレンジ前で、裏、表と焼き網を返しながら温めていると、
「たっだいま〜っ!」
 玄関からお元気な声が飛び込んで来た。それへと応じた、
「おう、お帰り。」
というお声を掻き消すように、どたどたどたた…と板張りを蹴立てる音が鳴り響き、
「お腹空いた〜っ!」
 片方の肩に引っかけた濃紺のデイバッグを揺すり上げ、開襟シャツに黒いズボンという夏服の制服姿のお元気坊やが、真っ先にとキッチンへ顔を出す。ぱさぱさとまとまりの悪い前髪に、小さな露が留まっていて、
「濡れたろう。」
「うん、ちょびっとな。」
 傘を差していても"たかたか…"と走って帰ってくるお元気な子。だからあんまり意味がない。腕やらお顔やらもちょっぴり濡れていて、椅子の背にかけておいたタオルを手渡すと、受け取りながらも"くんくん"と匂いを嗅ぐ仕草を見せて、
「いー匂いだな。今日はサカナか?」
「ああ、今から焼く。脂の乗ったサンマが安かったからな、何本でも食え。」
 途端に"にひゃっvv"と眩しく笑うルフィであり、
「よしっ! 一杯食うぞっ!」
 受けて立つぞと、胸の前にて小さな拳をぐうに握る頼もしさよ。でもでも、


   「その前に、手ぇ洗って来い。」
   「ほぉ〜い。」


   お約束ですな、うんうん。



            ◇



 毎度お馴染み、とはいえ…ちょっとばかりお久し振りの、このお二人。随分とご無沙汰していたからねぇ。………皆様、覚えていらっしゃるでしょうかしら。
(びくびく…)学校からお元気に帰って来たのはルフィという坊やで、当年取って十五歳。近所の公立中学校に通う3年生で、ウチのサイトの"パラレル"では一番年少さんのルフィでありおいおい、これでも立派な受験生。
「むう。これでも、ってのは何だよう。」
 あやや、聞こえてましたか。でもでも、受験生なのに、夏休みも目一杯遊んでたんじゃないんですか? なんかそんな話をしていたように記憶しておりますが。
「宿題はきっちり片付けたよ〜だ。」
 きっちり あっかんべをする小憎らしさも どこか幼
いとけない、小学生と言っても通りそうなほどの童顔で小柄な男の子で。まとまりは悪いが水気が多くてつやつやした真っ黒な髪に、丸んまるなおでこの下に据わった大きな瞳は深い琥珀色。ぷくりと瑞々しい口唇は表情豊かで、ふかふかと柔らかい頬に、やはり柔らかそうな小鼻はひょいと摘まめそうな愛らしさ…だというのに、柔道部のエースでもあり。軽量級の中でも一際小さな体で、この夏の大会ではとうとう念願の都大会を制覇。その後の関東大会では惜しくも3回戦で敗退したが、それにしたって開校以来というダントツの成績であり、十月末に開催される秋の国体の少年の部で、東京都代表として出場することが内定しているのだとかで。
「ふふ〜ん。どーだ、凄いだろー。」
 はいはい、凄いねぇ。筆者との会話についつい気を取られていると、
「ほら、ルフィ。飯食ってる時に よそ見してんじゃねぇよ。」
 保護者様からの注意が入って、
「ほーい。」
 慌ててお食事の方に専念する。焼きたてのサンマは、今 箸をつけているのが3匹目。小松菜の煮びたしに、キンピラゴボウ、キュウリの浅漬け、豆腐と油揚げのお味噌汁。今夜は"純和風"の晩餐で、
「やっぱ秋はサンマだよな、ご飯がいくらでも食べられるもんなvv」
 焼きたてが特に最高だとか、塩加減がまた抜群だとか。一端
いっぱしな言いようをしつつ、パクパクパクリと。見ていても気持ちが良いほどの食べっぷり。そんな嬉しそうなお顔こそを御馳走だと言いたげに、テーブルを挟んだお向かいから、和んだお顔で眸を細めた保護者さんは、
"それほど手の込んだ料理じゃねぇんだがな。"
 いやいや、そんなご謙遜を。焼き魚って結構難しいんですってば。ガスコンロで焼くと、網に皮がくっついちゃったり、表面だけが焦げちゃって中は生焼けになっちゃったりとか しかねませんし。そうかといって、七輪使って炭火で焼くっていうのもね。何のご挨拶もなく庭先で焼いたりすると、洗濯物やお部屋に匂いがついちゃったなんていう形で、ご近所迷惑になりかねませんしね。
"そんなもん、風を真上にコントロールすりゃ済むだろうが。"
 …普通一般の主婦には、そんな技は使えませんてばさ。
(笑) そんな裏技も使いつつ、すっかりお料理の腕を上げつつある、こちらの保護者さんは名前をゾロといい、ここだけの話、実は"生身の人間"ではない。見た目に雄々しく、触れれば屈強で温かな体をしてはいるけれど、これはこの世界で姿を保持するためにと構築された仮のもの。実はこの人世界よりも一段階ほど階層が上になる、別な次元に住まう存在で。"天聖界"と銘打たれたそこから派遣され、人世界の邪妖を封印浄化して回っている"破邪"という精霊さんである。勇ましい名前の肩書きそのままに、人に仇なす 邪(よこし)まな存在、化け物や悪霊といった"負の陰体"を退治して回るのがお仕事で。そんな中でこの坊やと出会い、やはり邪妖に関わりの深かった彼を守るうち、お互いに何だか離れがたい気持ちを抱えてしまい。様々な事件や事態を一緒に掻いくぐっているうちに、そんな想いが大きく育って育って…。今や相手が居なくては にっちもさっちも行かないくらいに大切な存在になっていて。これ以上の詳しいお話は、これまでの拙作を読んでいただくことにして。(あははvv)
「ここんとこ帰りが遅いが、補習授業なのか?」
 大きな手がお向かいから伸びて来て、口の傍についていたキンピラのゴマを拭ってくれながら訊いたのは、この数日の坊やの帰宅時間について。お年頃の男の子なんだから、ついついお友達と買い食いの傍らに喋ってて…思いの外に時間が過ぎてくということだってあろうという理解はある。ゾロとしても自分の柄ではないことは重々承知であり、そうそう口うるさいことを言いたかないのだが、ルフィの場合、その身に良からぬ存在が寄って来やすい子である上に、あれほど目一杯走って帰って来るくらいの、実は"寄り道するより 早く帰りたい派"であるらしく。
「部活は早朝のトレーニングだけになったんだろ?」
 本来ならば夏休みで引退する3年生なのだが、秋の国体に出ることが決まってから、調整だけを毎日こなす身となった。自分の体を限界まで苦しめるよな練習は、あまり効果がないというもので。武道の基本、継続は力なり。それを淡々と守ることの方が、よっぽど良い。なのに帰りが遅いというのはちょっと妙だなと、それで訊いてみたのだが、
「うん。この2、3日は、運動会の練習やってんだ。」
 お元気坊やは、それは屈託なく笑って見せた。
「…運動会?」
「おうっ。来月の初めの日曜にあるんだぞ?」
 言ってなかったか?と、屈託なく言ってのけた坊やだったが、

   "………それでか。"

 ゾロが納得したのは、今朝方、航空便にて届いた最新型のハンディデジカメへ。差出人はこの坊やの父上であり、手紙も何もついてなく、なのに"受取人"がいつものルフィへではなく"ゾロへ"となっていたのが………何とも"???"だったのだが。

   "ルフィの勇姿をきっちり収録しろってか。"

 あはは…vv 相変わらずの親ばかさんなんですね、お父さんたらvv
"柔道の都大会なんざ、そりゃあ凄い騒ぎだったんだからな。"
 そういえば。夏休みの半ばまではこの家に二人きりだった彼らだが、まずはお盆を過ぎた頃にルフィの兄でカナダに留学中のエースが戻って来て。それからそれから、帰国は9月頃になると言っていた筈の航海士の父上が、ルフィの都大会出場&個人戦の決勝トーナメント出場の報を受けて…相変わらずどういう伝手と経路を使うのか。知らせた翌日には、やはり地球の裏側から きちんと帰国していて、可愛い末っ子の晴れ姿をその目でしっかと見届けた。
『おっしゃーっ! 行けぇーっ、ルフィーっっ!』
 応援団席で一番目立つ父兄による応援は、都大会では優勝を導く弾みにもなったが、だが、しかし。関東大会では残念ながら中途での敗退。そんな結果を前に、しょぼしょぼと見ていて気の毒なくらい萎
しぼんでしまい、
『いいか、ゾロ。秋の大会には あいにくと俺もエースも立ち会えない。だから、お前、しっかり応援するんだぞ?』
 ゾロがルフィの従兄…秋田に在住の、亡き妻の弟の子だという暗示を、相変わらず信じ切っている父上は、彼にそうとしっかり言い置いて。勝手に日程を はしょった分、早く回って来た次の航海へと早々に旅立ってしまったのだったが。
"秋の国体用にしては早いもんな。"
 特急便で届いたのだから、やはりこれは"運動会用"と見るべきだろう。だが。
「なあ、ルフィ。」
「んん?」
 かつかつかつ…っと。それは軽快にお箸を捌いて、サンマをきれいに裸にしては平らげてゆく坊やがひょこっと上げたお顔へ、
「お前、運動会の話、親父さんにメールとか出して知らせたか?」
「? ん〜と、教えてねぇぞ?」
 小首を傾げてから、お茶椀を差し出しつつ思い当たらないと答える坊やであり。
"…だよなぁ。"
 自惚れる訳でなく、この坊やがこの自分にさえうっかり話していなかった行事の日程、どうして海の上の父上に判ったのだろうか。
"去年は確か体育の日だったしなぁ。"
 子を想う執念の恐ろしさでしょうかしらね。
こらこら 少し大ぶりな茶碗へお代わりを盛ってやりながら、
「で? 運動会では何に出るんだ?」
 確か昨年は、100m徒競走の他に、クラス対抗のリレーとハードルやら平均台やらを飛び越えて走る障害物走、それからラストの総合競技、スウェーデン・リレーにも出ていた彼だった。飛び抜けて足が速いのはもはや公認であるそうで、本人は綱引きとか玉入れとかいう競技にも出たかったらしいのだが、一人4つまでしか掛け持ち出来ないとかで、点数を稼げる競技にばかり回されてしまったらしい。ところが、
「んん、それがサ。3年は100m走以外に、一人2つしか出れないんだって。」
 むうと眉を寄せて見せ、
「それと、リレーは1個しかダメって。」
 たいそう残念そうに言う。
「それで頭数は足りるのか?」
「うん。レースの数が減るだけのことならしい。」
 よほど沢山出たかったらしくて、
「走るのが苦手だっていう子もいるんだからサ。その分、出たいって言う奴が沢山出たって良いじゃんかよなぁ。」
 不平をぶうぶうと鳴らす坊やだが、
「まあ、そうぶうたれるな。」
 ゾロとしては苦笑が絶えない。
「今はビリになるのが憂鬱な奴でもな。後々になって、友達と写真とかビデオとか観る時にサ、自分の姿はあんまり映ってなかったら、ちっと寂しいだろうがよ。」
 ついつい"間近い明日"のことしか見えてはいない彼らだけれど、どんなに憂鬱なことでも、時間が経てば結構楽しい記憶になるもので。なのに、後になって"やっときゃ良かった"と思っても もう遅い。
「うん。…そっか。」
 噛み砕かれるとそういう理屈も判るのか。ほかほかと湯気の立つご飯の盛られたお茶碗を受け取りながら、何とか納得はした模様。最初に聞かれたことを思いだし、
「えとな。俺が出るんは、スェーデンリレーと借り物競走。」
 競技自体は気に入っているのか、にゃぱっと笑って見せる。
「借り物競走?」
「おお。コースに封筒がおいてあって、中に書いてあるもんを探して借りて、ゴールまで持ってくんだ。」
 知らなかったんか?と、小首を傾げる坊やであったが、
「…そのくらいは知ってます。」
 今度はこちらが"むむう"という顔つきになったゾロが、
「お前のことだから、障害物走かと思ったんだがな。」
 身の軽いルフィだから、ハードルを飛び越えるのも、平均台に登って"とととっ"と渡るのも、軽々こなせることだろうに。そうと思って訊いたところが、
「うん。でもな、借り物競走の方が点数が高いんだって。」
「…ほほぉ。」
 そういう種目には確実に勝てる選手を配したいという訳ですね。
「楽しみだなぁvv あ、ゾロも観に来んだろ?」
 大皿に盛られたサンマの4匹目を取り皿へと移しつつ、ちらっと目を上げて訊いてくるのへ、
「ああ。来んなって言われたって行くさ♪」
 何だかんだ言って、実はご本人こそが…坊やの活躍、しっかと見届けたい人である。じゃあ でっかい弁当作ってくれよな、ああ任せとけと、今からワクワク、楽しい行事への期待も高まっている、平和な秋の宵なのでございました。





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  *カウンター104,000hit リクエスト
    Chihiro様『天上の海〜設定で"運動会"のお話。ベタ甘でvv』

  *すいません。一気に書ききれませんでした。
   後半もすぐに書き上げますんで、ちょこっとお待ちを…。