天上の海・掌中の星

    “真昼の漆黒・暗夜の虹” 〜召喚師 終章
 




    
始まりへのエピローグ



 すっかり憔悴し切っていたルフィだったので、帰宅するとすぐにもサンジがキッチンへと足を運んで手際よく滋養のあるスープを作ってやり。ゾロがしっかと抱きかかえたままな坊やへ、それは丁寧に一匙ずつ飲ませてやって。
「どうだ?」
「…うん。なんか腹がポカポカするぞ。」
 小さな坊やは ふにゃりと笑って見せて、小さな肢体を抱えた保護者と料理長とを、やっとのこと、安堵させたのであった。そして、

  「んと、何も覚えてないんだな、それが。」

 ルフィは困ったようなお顔になると、眉を下げてそんな言いようをする。変な模様が飛び出して来てサ、それがぴょんって飛び掛かって来たその瞬間くらいから後のことは、ごめんな、何にも思い出せないと。済まなさそうな声を出す。そんな坊やの髪を、大きな手のひらで まさぐるようにして何度も何度も撫で上げてやり、ゾロはもういいからと、むしろ“もう思い出すな”と言いたげに、いい子いい子と宥めてやっている。その様子の何とも頼りなげな必死さ、真摯な健気さに、
「………。」
 サンジは、先程の格闘の直後のことを思い出して、再びの苦笑を力なくも口の傍へと浮かべて見せた。その身に怪力と瞬発力とを備えた、結構手ごわい手合いな筈の半獣人のミノタウルスもどきを…精霊刀の一閃の下にあっさりと成敗し、その拍子に弾け飛んだ生気の渦の中から ころりと姿を現した小さなルフィ坊やを、二度と離すものかという勢いにてその腕へ掻き抱いたゾロだったのへ、ややもすると呆れ半分の苦笑混じりなお顔にてしばらく見守ってやっていたサンジだったが、

  『おら。ちょっと間だけ離しやがれ。』

 皆様への辻褄合わせだ、我慢しなと。ゾロの大きな肩を叩いて促して、覚醒し切っていない坊やを連れて、結界を開封しつつ彼らが向かったのは…校庭内のトラックの上。テープが張られてあったゴール地点である。ルフィの手には、適当に…予備のものだろう別の封筒から抜き取ったカードと、そこに書かれてあった“肩提げ紐付きの水筒”を握らせて。ふわりと横たえ、結界を完全に消滅させる。唐突に現れたルフィの姿は、その唐突さよりも…倒れ伏しているという尋常でない状態を驚かれ、
『ル、ルフィくんっ?』
『大丈夫か?』
 係員の生徒や養護担当らしき教師が驚いて駆け寄ったところへ、後から足を運んで見せて、
『すいません、保護者です。』
 たった今 気がついて駆けつけましたという様子を取り繕って。
『貧血でしょうかね。連れて帰っても構いませんよね?』
 言葉を紡ぐ余裕のないらしきゾロに代わって、サンジが穏やかそうな物腰ながら…有無をも言わさずという言いようにて話を進め、取るものも取りあえずという慌ただしさにて帰宅して来た彼らであって。

  「俺がこんななくらいだから、他の皆も納得しきってないかも知れないのかな?」

 レースの途中で起こった不可思議。自分と同様に目撃した生徒たちだっていたことを思い出し、そっちはどうなったのと訊いたルフィへ、
「心配は要らねぇよ。暗示をかける意識結界を張った上で、そりゃあ強固な“合”っていう結界を張った中で処置したからな。」
 誰も気づいちゃいなかろうし、覚えてもいないさと安心させてやる。

  「合
ごう?」
  「ああ。特殊な結界でな。」

 以前に説明しなかったかなと感じたらしかったが、屈託のないお顔に見上げられては…逆らえないのか。サンジは“しょうがねぇな”と苦笑をしつつ、坊やへ説明してやることにする。
「結界ってのが何なのか、多少は分かってるよな?」
「うん。普通の人には見えない壁だろ?」
 不思議な作用がある魔法の壁で、特別なことを致しているのを隠すためとか、ごくごく普通の人間が彼らが本来は関われない影響力に巻き込まれないためにと張られる、特殊なバリアやシールド、仕切りのようなもの。人の注意を寄せない作用があったり、そこにあるのに見えなくしちゃう暗示が働いたり。はたまた、

  「ほんのちょっぴり“空間”を重ねてな。
   ホントなら何秒か後に着く筈の場所へ、先に ひとまたぎで到着しちまう。
   そういう“時間軸”を操って立ち上げるのが“合”だ。」

 同じ空間の中に壁を立てて“こっちに来んなよ”と仕切ってしまうものではなく、近場の…たとえば数秒後にやって来るところの“未来空間”という別の空間へ、時間軸を横滑りすることで先回りする。三次元というこの次界空間に於ける“自然な移動”ではないから、当然、同じことが出来る者以外はそこに到着出来はせず、外に取り残された者たちにしてみればこちらが急に消えたという格好になっている筈。
「未来?」
「ほんの数秒ほどの代物だがな。」
 それに、数秒で片付く筈はない何かしらが済んで後、同じ時間軸へと今度は“引き戻される”反作用が必ず起きるので、タイムトラベルなんてなもんはこなせないのだがなと、聖封様は笑って見せて、
「つまり、そういった“別の次元断層”へと滑り込んだ途端に、外の人間から隔離されて、俺らの時間はある意味で止まっちまうようなもんなんだよ。こっちから見りゃ外の方が止まってるんだがな。」
 方(かた)がついてから結界の封印を解けば、中で何分過ごしても、先に飛んだ“数秒先”に“引き戻される”から、外にいる者に不自然な違和感を抱かせず復帰出来るという訳で。
「まあ、いきなりコース上から消えてゴールへ現れたって事になっちまった点へは、それなりの暗示をかけて皆の感覚を均しといてやったがな。」
 数秒後の世界へ先に一歩飛んでおき、後から“追いついて来た”ところへ横滑りでもって戻って来たという荒業にて生じた“僅かなズレ”だけは…何ともし難いものだったがための応急処置であり、
「…というのが、俺らが妖魔を退治するのに取った処置であり、お前の上へ起こったことなんだが。」
 ややもすると手短な言いよう。いくらこういった不可思議な現象や事態に慣れた身であると言ったって、複雑な“理屈”には違いないので、

   「判ったか?」
   「???」

 坊やはその大きな瞳を“きょと…”と見開いただけであり、納得しましたという応じは見せずで。そんな様子へ苦笑したサンジは、
「まま、つまりは特別な結界を張って、その中で退治したってことだ。」
 周囲の人間へは大した事態になった訳じゃないから安心しなと、ルフィが一番心配したろう事へと安堵のタネを差し向けてやり、ふかふかな黒髪の乗っかった頭をぽふぽふと撫でてやる。

  “覚えていないからか、さほど怯えていない坊主はいいとして…。”

 ソファーへと腰を下ろしたまま、ルフィを自分の懐ろへと抱え込んでいるお兄さんの方が心配だぜと、サンジはこっそり眉を寄せた。坊やを寄り代にした魔物を斬ることへ、ああまで逡巡して見せたゾロ。いつもの冷静な彼ならば、まずはためらう筈がない簡単な理屈を…坊やをそれは愛しいと思う感情の部分があまりに強く恐れたせいで、飲み込めなかった、行動に移せなかっただなんてこと、

  “今まで一度だってなかったことだ。”

 誰の存在をも気持ちをも顧みないほど、そうまで冷酷な男ではなかったが、それでも。こんな基本にさえ いちいち躊躇するとは、これは由々しきことだぞと、人知れず案じているサンジであり。武骨で不器用なばかりの破邪殿の筈だったものが、大切なものへの想いを深めるあまり、あんな土壇場にてこんな方向へ行動を縒
れさせた彼だったのが とにかく意外。

  “…ったく、馬鹿が慣れない考えごとなんざ するんじゃねぇよ。”

 それでなくとも、どういう目的からかルフィを狙っているらしき召喚師の具体的な胎動が気になってるってところへ、坊やの守護である筈のお前までもが余計な世話を焼かすなと。何ともしょっぱそうなお顔になってしまった聖封様であったりするのである。深まり行く秋の宵の風の気配はどうにも素っ気なく。窓の外ではいつの間にか、赤みのかかった月が中空に上っており、彼らを黙って見下ろしているばかり………。










    ◇◇◇◇◇



 晩夏と呼べる気候もここ数日が最後かと思わせるよな、思いの外に速やかな秋の日暮れは物寂しくて。照明を点けぬままな室内は、早朝に満ちる黎明にそっくりな、青みを帯びたグレーのみに塗り潰されており。

  “この私が入り込めない結界を張り巡らせることが出来る者がいようとは。”

 広々とした室内はどこか無気質な冷たさに満ちた空間で、壁の一面をすべて本で埋め尽くされているところは“書斎”であるらしいのだが…それらの蔵書にしても、腰高窓の傍らにどっしりと据えられたデスクや何やの調度類にしても。人が触れたり使い込んだりして移る、愛着に手擦れさせた温かみというものが一切感じられないところが、ともすれば不気味なほどであり。

  “あれほどの素養がある子だ。
   それなりのガードがついていようと思ってはいたが。”

 一部始終を見届けることが適
かなわなかったのが心外で、だが、

  “それほど強固な守護体に守られている坊やなのだということが
   今回は確認出来たという訳だからな。”

 自分の処した仕儀が成功したればこその反応であり、妨害でもあったのだろうと事態を把握し、くつくつと低く笑って…一枚のカードを机の天板の上へと放り出す。ルフィに襲い掛かったあの円陣が描かれたカードで、

  「次回はもっと強い楔
クサビを用意せねばな。」

 低い低い声による呟きが、舌なめずりにも似た含み笑いに掠れて滲む。何ともただならぬ雰囲気の中、坊やへと忍び寄る魔手は、その不吉で鋭い爪をあらためて研ぎ初めている気配であった。












  〜 to be continued.〜  04.9.22.〜10.04.


  *どっひゃん。まだ続くみたいですよ、このお話。(ううう…。)
   こういう系統の長編は、集中力との戦いだから苦手なんだけどもなぁ。
   が、頑張りますので、どか宜しくです。

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