月下星群 
〜孤高の昴・異聞

  天上の海・掌中の星 〜青葦白刃
 

 

          




 夏の黄昏、逢魔ヶ時は結構長くて、陽が沈んだ後も小一時間くらいは余裕で明るく、
"花火がしたい時なんかは、暗くなるのが待ち遠しくて堪
たまんないんだよな。"
 明るい曇天を思わせるような薄暮の中を、ほてほてとのんびりと歩きつつ、ルフィは空を見上げてそんなことを思い出す。今年は雨が多くて長引いた梅雨だったが、それがやっと明けたその途端、打って変わって勢いよく、例年通りの酷暑・猛暑な毎日が続いていて。落差があまりに大きかったものだからか、大人たちは口を開けば途轍もない暑さだとついつい愚痴ってしまいもするところ。
『毎日うんざりするほど暑いわよねぇ。』
『梅雨のままな方がいっそ良かったわよね。』
『でもねぇ、そうなるとお洗濯ものが乾かないし。』
『そうそう。それにお陽様が照らないとお野菜の値段が上がるしねぇ。』
『ああ、そっか。それも困るわよねぇ。』
 まったくもって大人は大変だなと思いもするが、こちとら今のところはそういった"世間様"にはまだまだ関係が薄い、お元気溌剌な中学生。
"八月に入ったから、もうすぐ町内会の盆踊りがあるぞvv"
 その前にも、あちこちの花火大会があるし、夏祭りだの縁日だのと、夕涼みがてらに遊べるような催しが、ご近所の町々には一杯あって、
"うくくvv きちんとスケジュール、立てとかないとな♪"
 出来るだけ沢山回るんだもんな、去年は重なっちゃったから行けなかったお祭りが幾つかあったもんなと、受験生なのに相変わらずにお暢気な坊や。遊ぶことで頭が一杯な、相変わらずの夏休みを堪能中であるらしい。
"そんなことないもん。"
 ………お? 聞こえました?
(笑) 何が"そんなことない"のかな?
"じきに柔道部の都大会があるし、それにこれでも宿題はきちんと毎日片付けてんだぜ?"
 夏休みが終わる頃に困らないように、毎日少しずつ手をつけて、きちんと片付けておくことってゾロと約束したから。問題集とか英語の短編集の原書本の翻訳とか、ちょっとずつ毎日手をつけている。英語の方はお友達と分割したんで随分進んでる方だし、今日だって、ウソップやクラスの皆と一緒に、隣町の植物園まで写生に行った。帰りが少々遅くなったのは、同じ館内で夕方からホタルを特別展示しているのを見せてもらったからで、
"ちゃんとゾロにも携帯で連絡してあるもん。"
 とは言うものの、
"ちょっとは疲れちゃったかな。"
 はふうと珍しくも溜息。宿題の課題の写生と、自然研究用の下調べ。その両方を一日かけて手掛けてみて、思ったよりも沢山の資料が集まったのは良かったものの、静かな図書室で分厚い図鑑をめくったり、パソコンで探した図版をプリントアウトしたり。さすがに慣れない"良い子"でいた反動は大きかった模様。いつものように元気な駆け足ではない辺り、ちょぉっとお疲れ気味な坊やであるらしい。
"またそういう言い方をするっ。"
 筆者からのちょっかいへ"むむう"と怒ったそのまま、ふかふか頬っぺが膨らんでしまった幼いお顔が、だが、

   「………っ。」

 不意に…何にか注意を引かれ、ハッと鋭く引き締まる。仄かに生暖かさの残る宵の外気の中、その大きな瞳だけを動かして辺りを見回し、そのまま…肩に担いでいたデイバッグをするりと降ろして肩紐を手に持つと、油断なく身構えて、
"…誰だろう。"
 平生にはないほど隙のない警戒の表情を見せるルフィだ。昼の間の炙られるような熱気をいまだ十分に含んだ空気の中に、居場所・方向は定かでないものの、確かに潜む何者かの気配。それも…、
"これって…人の気配じゃないかも?"
 日頃は暢気で屈託のない、いたって明るいこのルフィ坊やだが、生まれ持ったる能力として、肉体から離れた魂の存在を感じ取れる特別な感覚、所謂"霊感"がある。ただ感じ取れるばかりではなく、彼自身にもそういう"陰体"を引き寄せる素地があるのだそうで。意識も薄く、あてもなく、ただ徘徊
さまよっている存在のみならず、悪しき気色の凝り固まった"負の陰体"をも招き寄せてしまうのだとか。
"うっと…。"
 この人世界は"陽世界"なので、太陽…日輪のおわす日中は、殻を持たない"陰体"たち、その灼熱のパワーに負けて活動出来ないでいるのだが、こんな夕暮れから夜にかけてはその制約もなくなり、ふらりふらりと迷い出る。そういう"陰体"に関わるのは、例え…その手の感応に慣れていたり霊感が強い人であれ、本来使わない感覚を知らぬ間に引き出しての対応となるので消耗も激しく、出来ることなら避けるのが賢明。小さい子供などは感受性が豊かであるが故に霊体験をしやすいが、そんな後には数日ほど高熱に冒されることもある。論理を越えた直感的なものを拾いやすい、未分化の感覚器を勝手に使われるその反動からのことで、よって、好奇心ごときで簡単に縁
よしみを結んではならず、中途半端な儀式だの除霊の真似事などを手掛けるなんて、以っての外…なのではあるが。向こうから勝手に寄って来るケースへは、仕方がないから対策を講じる必要もあって。
"…ゾロの結界が張ってあるから、ちょっとくらいの奴なら知らん顔してやりすごせるんだけどもな。"
 坊やの家に同居している従兄…ということになっている、たいそう頼もしい のっぽの青年。その彼が、こういう輩からの影響力から坊やを守るための封印結咒を、毎日のように張ってくれている。三和土
たたきに立った坊やと向かい合い、背の高い彼がわざわざ上がり框かまちに低く低く屈み込んでくれて。そりゃあ頼もしくも長い腕で、坊やを懐ろ深くに引き込んで。大好きな匂いがする、シャツ越しでも堅い筋肉の束が分かる胸板に、大きな手で包み込んだ頭をそっと伏せさせ、何事か口の中で封咒を唱えてから"きゅううっ"て抱き締めてくれて。
『悪い虫がつかねぇようにな。』
 悪戯っぽく にかって笑って掛けてくれる、目には見えない魔法の障壁
バリア。坊やを守り、邪悪な魔や、妖あやかしという悪しき因子を寄せ付けない、聖なる結界。本当は苦手な分野の呪文だったのに、とある騒動をくぐり抜けてからは、坊やにのみ強力に働く咒を唱えられるようになったゾロ。
"そういえば、凄い久し振りだよな。"
 ゾロの能力がランクアップして、結界の質も上がったせいなのか、ここんとこは滅多にこういう手合いも寄り付いて来なかったみたいで。だけど、それなのに感知出来たということは、
"こいつ、かなり強い奴なのかもしんないな。"
 知らんぷりをした方が良いのだけれど、困ったな、進行方向にいるみたい。それも、
"こっちの気配を伺ってる。"
 つい。立ち止まってしまったから意識されたんかな。気のせいか、辺りがどんどん暗くなって来たような。それでも街灯の光は、まだ何となくグレーの空に白々と浮いて見える"逢魔ヶ時"で。
"…どうしよう。"
 こんな風に。このルフィが無意識ながらに立ち止まる事を選ぶほどの相手だという事実が、そのまま結構なクラスの手合いだという定規代わり、立派な判断材料になるのだと、

  「そういう理屈も、ちゃんと本人にも教えておけよな。」
  「………。」

 こちらはさすがに もう細部は見えないほどの"シルエット"になってしまった、本多さんチのお庭の大きな松の木の上。切り絵のように黒々と聳
そびえる上の方の細い枝の先に、危なげなく立っている人影が二つほどあって、坊やと何者かの睨めっこを先程から見下ろしている。年代もののブロック塀にその両側を挟まれた、薄暗い通学路の小道は、上から眺めやるにはもうすっかりと陰の中に沈んでしまっているのだが、彼らの目には路上の小石の色までくっきりと見通せて、
「………。」
 坊やが立ち止まり、じり…と片方の足を後ろへ引いたのも見逃さない。そんな動作へ、
「ちっ。」
 しょうがねぇなと舌打ちをした片やの影が、立っていた枝を撓
たわませもせずにヒラリと飛び降り、
「待ちな、ルフィ。」
「…っ!」
 後足にバネをためて、その勢いで駆け抜けようとしたのか、それともまさか…相手に掴み掛かろうとしたか。どちらにしても相手のいる方へ真っ向から突っ込もうとしかかっていた坊やへと"待った"をかけたから。またまた唐突に機先を制されたがため、ギョッとしたルフィは、だが、今度は…心からホッとしたような声を上げた。

  「ゾロっ。」

 黄昏の中にいつもの緑が沈んで、単に浅い脱色をしただけなように見える短い髪と、耳朶で揺れて、鈍く光った三連の棒ピアス。今日は割と明るい色のシャツを着ていて、その輪郭がまだ何とか見える、それは頼もしい大きな背中をこちらに向けている彼こそは、ルフィに念咒の結界をかけてくれた、大好きな"破邪精霊"さんである。とはいえ、
「何でだ? 俺、まだ呼んでねぇぞ。」
 大きな瞳をくりくりと瞬かせ、ルフィが不思議そうな声を掛けたのへ、
「呼ぶ気なんざ なかったんだろうがよ。」
 肩越しにちろりと背後を見やったこちらさんは…そのワイルドに尖った目許をちょいと眇めていて、見るからに不機嫌そうな顔をする。いつだってそうだ。実体を既
とうに失った霊魂だの、邪悪な負の陰体である"邪妖"だの、禍々まがまがしい系統の良からぬ者たちが、勝手に擦り寄って来てはちょっかいを掛ける小さな坊や。大邪妖の筐体いれものに仕立て上げられるところだったという、古き呪咒の名残りが招くのか、彼へと負の陰体を惹き寄せる素養は生まれついてのもの。だからこそ、半端な小者は近寄れないような結界を掛けてやり、その上で、
『良いか? 声に出さなくたっていい、心の中で念じるだけでいい。』
 それで十分届くから。何処に居たって何をしてたって関係ない、お前の声を一番に優先して、まっしぐらに駆けつけるからと。逆手に取られればその意志を縛ることになるほど、精霊には大切なものである"真
まことの名前"を、わざわざ教えてやってあるというのに、
"一体何度ほど言い聞かせたことやら…。"
 まったくもって不届きな奴だと、ついついむっかりくるほどに。この鳥頭な坊やと来たら、もう。警戒レベルが結構高いクチの邪妖と遭遇しても、あまつさえ襲い掛かられかかっても、その"おまじない"を滅多には使わない。後になって"性懲りのない奴だ"と説教するたび、
『あ、そうだった。』
 なんて言って思い出して見せるような、慌てていたからうっかり忘れてたというケースも、全くない訳ではないが…そんなのは片手に余るほど。大概の場合は、家に辿り着ければそこに居るゾロの気配を察して諦めるだろうからと、我慢をしたり、息を切らすほどの勢いで駆けて駆けて帰って来たり。相変わらずに、迷い出たクチの"陰体"相手にまで気を遣ってやり、何事もなく済めばそれでいいじゃんと言い張ってなかなか反省しない彼なのだ。今回にしても、唱えるつもりなんざ最初からなかったんだろうという指摘に、
「えと…。」
 言葉を濁してしまう辺り、やはり何とかやり過ごせればと構えていた彼であるらしく。それへと大きな肩を落とすほどの"はあぁ"という溜息をついたゾロとしては、
「説教は家に帰ってからたっぷりしてやるからな。」
 きっぱりと言ってのけるところが、さすがは"保護者代理"。そしてそれへと、
「あやや…。」
 こんな掛け合い風のお返事がルフィから出るところは、
"二人とも結構余裕あるよな。"
 そうですね、サンジさん。
(笑) さてさて、余裕の寸劇はそのくらいで置くとして。

   「………。」

 進行方向に何かが居ると察知した時に感じたのは、何かしら良からぬ"気配"だったのだが、
「…あっ。」
 進行方向の少し先。小道が別の通りに真っ直ぐ接することでT字路になり、ブロック塀がその手前で途切れていた曲がり角。そこから…音もなく彼らの前に進み出て来た相手はというと、年の頃は坊やより少しばかり年上の青年というところだろうか。半袖のTシャツに洗いざらしのGパンという、年齢相応の平凡な恰好。ただ…だらりと降ろした右の手に、その先が今にも地面にくっつきそうな長い棒状のものを下げていて、

  《 ………。》

 無言のままに ゆらりと、さして力んでもいないような姿勢にて。彼らの行く手を遮って、道の真ん中へと立ち塞がって見せる。
「あれって、人…だよね?」
 この"陽世界"では、力が弱いものだと実体もほとんど保持出来ない。そんな"陰体"の姿を、だがだが認視出来るだけの能力を持つルフィではあるものの、
"この相手はそういうのではないみたいだ。"
 ちゃんとした…という言いようも妙なものだが、タンパク質の肉体を持つ"人間"。まだしっかり生きている存在。そんな気がしてゾロに声をかける。何か変だなと迷っていたのもそのせいで、
「まぁな。」
 ゾロにも当然その点は識別出来ていて、是と頷いて見せ、
「だが…。」
 すうっとゆるやかに。それほど高くはない頭上近くへ掲げられた、ゾロの右腕。その先の大きな手に、ふわりと灯ったのは仄かに青い点のような光。それが尾を引くように横へと伸びて、一瞬。辺りを白く塗り潰した光が、現れたと思った次の瞬間にはもう消えていて、その代わりにと彼の手へ残ったのが、一振りの日本刀。純白の鞘に収まった、ゾロ専用の精霊刀"和道一文字"である。それを大きな手の中に掴み取ると、
「邪妖の眷属って訳じゃあないが、単なる"通り魔"でもなさそうだ。」
 鞘の鯉口の周りへぐるりと巻き付けられた組み紐の提げ緒を左手に、そして綾糸をぎっちりと巻かれた柄の方を右手にと、押しいただくように握ってから、ゆっくり左右へ腕を開いてゆく。顔の高さの空に開かれるのは、こうまで宵の気配が満ちた薄明かりの中にも紛れない、冷たく鋭い光をおびた銀色の刃。その光にも負けないくらいに冴えて凍った眼差しのまま、

  「こんな町ん中で"やっとう"の稽古かい?」

 ゾロは低く響く張りのある声で、相手へと声をかけた。期待してはいなかったが、
「………。」
 やはり相手からの返答はない。
"呑まれてやがる、か。"
 膜が張ったような、正気の色ではない眸をしょっぱそうに見やってから、ゾロはその胸中にて"やれやれ"という溜息を再びついた。間違いなく"陰体"の匂いがする。こういう手合いは、これから深夜にかけてその力を増す輩。夜陰の帳(とばり)のベールが、宵の薄色から本格的な夜の深みを帯びてしまう前に、手早く片付けた方がいい。
「………。」
 取り払った鞘を宙空へとふわりと消して、しっかと握った柄を、両手の中、ぎりりと引き絞る。薄暮は辺りを曖昧なグレーに塗り潰し、空は もはや光の色を失って。じわじわと薄絹をまとい、淡色を亳
いてゆくよに深まる、闇色の訪れを黙って待つ静謐しじまの中、

  「…ぐ、うぐぅ…。」

 猿轡
さるぐつわか何かしら、口が自由に開かないような枷でも嵌められているかのような。言葉にならない くぐもった声を発しながら、青年が振り上げた腕の先。そこに握られていたのは竹刀が一本。今にも前のめりに倒れかかりそうになりながら、その竹刀を思い切り振り下ろして来るものだから、
「ひゃっ!」
 ゾロの背後で…思わずの反射から身を縮めたルフィを、素早く抱き込み、抱え上げ、そのまま懐ろ深くに庇いつつ。とんっと軽く地を蹴って、舞うような身軽さでの後ずさりをし、あっさりと切っ先を躱して見せた破邪様は、
「何だか奇妙な流派みたいだな。」
 喉の奥を"くくっ"と震わせるようにして笑ってから、
「こちとら暇な身じゃあないんでね。お上品なお手合わせは御免こうむるぜ。」
 懐ろに柔らかく庇った坊やには決して浴びせることはないだろう、それはそれは冷ややかな眼光での一瞥。それまでもが逃れようのない必殺の武器であるが如く、相手を射貫くように鋭く見据えてから、
「ルフィ、離れてるか?」
「やだっ。一緒がいいっ。」
 先に坊やへお暢気にも訊く辺り、これもまた余裕というものか。返事と同時に向こうからも"ぎゅうう"としがみついて来た小さな温みを、より一層にと引き寄せて抱きかかえ、残った片手で構えたる精霊刀。
"本人の意識からのことじゃあないらしいから…。"
 どれほどの加減をしたものかと、素早く胸算段を固めてから、ちゃきりと鳴らした冷たい刃。向こうもまた、再び大きく振りかぶった武器に…どこか引き摺られるようにして突っ込んで来るところ、

   ――― 哈っっ!

 辺りに立ち込める宵の空気を引き裂くような、それは鋭い気合い一閃。
"ふえぇ…。"
 その瞬間に、銀色の稲妻がすぐ背後で"かかっ"と閃いたような気がしたルフィだったが。ぎゅうっと眸を瞑っていたから、ぎゅうっとゾロにしがみついていたから大丈夫。ちょっぴり堅い、でもでも頼もしい胸板に頬をぎゅうっと押しつけていた坊やの頭上から、

  「終わったぞ。」

 深い響きの穏やかな声がしたから。やっとのことで、ほうっと安堵の吐息をついて見せたルフィであった。


   ――― だから。俺を狙ったって無駄なんだっての。


 そだね。こんな頼もしい守護精霊がついてるんだもんね。そういう方面への効果的な宣伝の方法があるといいのにねぇ。
こらこら






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