月夜に躍る B


 
          



「"紅蓮の極星"っていうんだってね。
 それを国立美術館から盗み出したのが、
 あんたのデヴューってことになってるんだよね。」

 今から何年前になるのか。世界的な金満家が家宝だと言い触らし、国立美術館へ展示したそれは大きなルビーの宝珠。だが、展示の公開を明日に控えた夜陰の中で、紅の宝珠はまんまと盗まれ、人々の前から姿を消した。当時、大きな話題になったが、実を言えば。それはそもそもゾロの師事していた武道の御大の家に伝わるもので、巧妙な詐欺行為にて奪われたと身内はみんな知っていた。本来なら、親から子へと婚礼の時に引き継がれる、武道とは関係のない温かな絆を象徴する大事な宝珠であったのに。単なる大きなルビーだという価値にだけへ目をつけて、相場から考えてもマイナスの方向で法外なほど端
はしたな金で、彼に売ったことにされてしまったのだ。関係者たちは相手の策謀を呪ったが、そういう筋ではまるきりの素人ばかりで、ただただ悔しい涙を呑むしかなくて。まだ年若く、身も軽かったゾロは、インタビューなどで高らかに笑いながら、さも自分の家の代々の秘宝のように誇示する金満家の様子にどうあっても黙っていられず。破門を望む別れの手紙を師範の元に残して、闇の世界に飛び込んだ。
『………っ!』
『侵入者かっ!』
『待てっ!』
 厳重警備の監視を観察し、そして決行。今のように自信も蓄積も何もない、ただの素人の潜入で、かなり危なく、かなりがところはツキが味方してくれた場面も多々あったが、それでも決死な執念が勝ってか、目的を果たして…夜陰の帳
とばりに飛び込んだまま、闇に紛れた彼だったのだが、
「………あ。」
「思い出したか?」
 どこか期待に満ちた瞳で見上げて来る幼いお顔。今でも十分"お子様"なこの坊やの、もっと幼い面差しに、確かに覚えがあるゾロだ。
「お前…。」


            ◇


 まんまと盗み出せはしたが、物が物だ、相手も必死で追っ手をかけて来た。地元の警察がとんでもない迅速さで駆けつけて途轍もない包囲網を敷き、それを掻いくぐっての逃走途中に、
『…ふや…、わあぁっ!』
 細い路地へ強引に突っ込んだ警察の車両があって、しかもその向かう先には…どこぞの店の裏口か、小さな子供が短いステップに座り込んでいたものだから堪らない。避けることも適わぬままに轢かれてしまったかに思えたが、
『………あり?』
 ふわっと。その小さな体を抱えて、空に飛んでくれたお兄さんがいた。軒下からは見えなかった月が、眩しく思えたくらいに高く。夜空の中を高く高く、この路地裏しか知らない坊やには、生まれて初めての高さを見せてくれた、不思議なお兄さん。うわぁっとびっくりしたのは実質的にはほんの一瞬だったらしくて、
『乱暴な警察があったもんだよな。』
 再び降りた路地の片隅。忌ま忌ましげに呟いたのは、そのお兄さんだったのか。結局、警察の車は確かめにも停まらぬまま、突っ切って行ったらしい。
『あ、あの…。』
 ありがとうかな? ごめんなさいかな? なんて言えば良いのかなって迷ってるうち、お兄さんは そぉっと坊やを降ろしてくれて、ぽんぽんて頭を軽く叩いてそのまま、路地から外へ、あっと言う間に駆け去った。
『ふみ………。』
 やっぱり"ありがとう"って言うんだったのにって、ちょっとだけ悲しくなりかけた坊やの眸に、
『あえ?』
 ちかりと光って見えたのが………赤い星だ。路地端に転がっていた綺麗なガラス玉。真っ赤でカクカクって周りが切ってあって、きらきらと綺麗な赤い石。拾った坊やは気がついた。さっきまではなかったから、これってきっと、さっきの"お空のお兄ちゃん"が落としたんだと。
『お〜い?』
『あ、兄ちゃん。』
『迎えに来たのか? ありがとな。だけど、早くウチへ帰ろう。』
『なんで?』
『泥棒が追われてる。しかもあの金貸し親父のところを狙った奴だそうだ。ここいらを管轄にしてる警察の署長は、あの守銭奴の息がかかってるからな。捕まえんのにどんな手を使うか知れたもんじゃない。巻き込まれでもしたら怪我をしかねないぞ。』
『あ、うん…。』


            ◇


「…で? 俺にそれを気づかせて、それからどうしようって思ってたんだ?」
 坊やの…もとえ、少年の説明に、ゾロもその当時の情景を思い出したのだろう。だが、その声は相変わらずに素っ気ない。
「こんな稼業だ、何がどう転んでもお互い様で迷惑がかかるからな。関わる人間を覚えておかない主義なんだよ。」
 つれない物言い。それはそうだろう。知己や関わり人というものは、悪い言い方で、隙や弱みになりかねないから。お互い様で忘れるに限る。それと、
「巻き添えにしたくなければ、知らないって言い通すしかないもんね。」
「…知らねぇな、そんなこたぁ。」
 情なんぞ忘れたと、あくまでもそっぽを向き続ける彼へ、それでも怯まず少年は言葉を続けた。
「俺、ずっとあんたのこと覚えてた。大きくなるにつれて、あんたは泥棒なんだって判って来て。でもさ、あんたは"義賊"ってやつなんだろ? ただ金目当ての悪党じゃない。だったらやっぱり、もう一回会いたかったんだ。」
「このルビーを返しにか?」
 それにしては、やたら悪戯をしかけて引き擦り回してくれたのが腑に落ちない。そんなことまでする必要はなかろうに。怪訝そうに訊き返すと、少年は思い切ったように顔を上げ、


   「俺、弟子入りしたいんだ。あんたと一緒に怪盗になるっ。」


「………。」
 なかなか…思い切ったことを言う。意表をつかれて、さしものゾロでさえ一瞬絶句したほどだ。だがまあ、何とか気を取り直して、
「馬鹿が。わざわざ好き好んで泥棒みたいな外道なんぞになってどうするよ。」
「そんな言い方すんなよっ。」
「いいや。これだけは譲れねぇ。どんだけ手際が良かろうと、盗んだお宝をちょろっとばかり、困ってる奴らにもおすそ分けをしようと、外道は外道なんだよ。誰も怪我させねぇとか何も傷つけてねぇとか、そんな身勝手な言い訳は通用しないんだ。」
 自分のことなのに、そんな言いようをする彼で。
「考えてもみな。いけすかねぇ奴の鼻を明かすのが目的でもな、実際にお宝守ってるのは本人じゃない。警備を任された連中の家族までもを路頭に迷わすかも知れないんだぜ? それのどこがご立派だ? 十分に"外道"だろうがよ。」
 表情も硬いままにきっぱりと言い切ったゾロだ。決しておためごかしで言っているのではない。

   『盗まれたのはこの家の者から買い上げた宝珠でございます。』

 ゾロが命からがら宝石を盗み取ったその翌日。あろうことか、その金満家はそれまで自慢げに吹聴していた宝珠へのお墨付きをあっさり覆し、

   『どうしても金が要りようだというから用立てて、
    しかもそんな理由で手放したことが明るみになっては
    末代までの恥になるからと。
    そこで最初から我家の家宝のように言い立ててくれと、
    自分たちからそうと申し立てたくせに、
    後になって惜しくなったか、盗んでいったに違いありません。』

 そうまでとんでもないことを、マスコミへも聞こえよがしに言い立てて、縁
よしみのあった警察関係者を煽って無理からの家捜しをさせ、何年もの間、逆恨みからの嫌がらせをし続けた。当然、宝珠はこちらの坊やが持っていたくらいで、どこをどう探そうが出て来はせず、また、そんな無茶苦茶がそうそう許されるほど世間も甘くはない。後年、脱税の疑惑が高まったと同時に、その警察関係者との金脈という形での縁故が暴露され、経済界はおろか、この国の表立った場から完全に抹殺されたという話だが。
"………。"
 我を忘れるほどに沸き立った義憤からだとはいえ、頭に血が昇ったがための一時の気の迷いから敢行してしまった"犯罪行為"から、恩ある人たちを結果的に苦しめてしまったその愚はどうあっても忘れられるものではない。

   「…ゾロ。」

 黙りこくったままの彼の中には静かなる怒り。辺りの夜陰が凍ったような冷たさに満ちているのさえ圧倒していて、それをひしひしと感じるルフィである。自分だって決して"遊び半分"でこんなことをした訳ではないのだけれど。大人のゾロの"本気"は、まだまだ子供の自分の"一所懸命"なんかでは到底追いつけないくらい、物凄い深みがあったりするのかなぁ。想像もつかないような修羅場とか、死ぬような思いとかを一杯くぐり抜けたから、それを知らない…レベルがまだまだ低い奴とは組めないってことなのかな。
"…俺だって。命を助けてもらったから、それで…それで探してたのに。"
 一杯一杯"しゅぎょー"とか練習とかもして頑張って来たのに。ゾロが通った後とはいえ、結構きつい場所にもついてったし、どうしても無理な場合は、じゃあどうすればいいかとか、一生懸命…学校のお勉強でもこんなに頭使ったことがないほど考えた。大体、年の差は仕方ないじゃんか。俺が後から生まれたのは俺のせいじゃないんだし、俺がこんな子供だったから、ゾロより小さかったから、あの時庇ってもらえたんだろうしさ。
「………。」
 そんなこんなと思いはするが、口に出来ない。言えば言うほど、ますます…小さな子供が拗ねているように、駄々をこねているようにしか聞こえないような気がした。そんな風に。自分を追い払うのに茶番を打とうとしたゾロの気性とか、今の自分が繰り出せる言い分とやらは子供じみた駄々だと断じることが出来るとか。物の道理みたいなものとか、秘してなおそこに在る色々を悟れるようにもなったのに。それでもダメなのかなと、ちょいとしょぼんと項垂れた少年へ、
「………っ。」
 ふと。ゾロが先程構えたスチール刀を振りかざす。
「???」
 まさかまさか、顔を見たから生かしてはおけないと、後腐れがないように斬ってしまおうというんだろうか。そうして自分の中にまたぞろ"罪悪感"を飲み込んで、苦そうな顔をして生きてく彼なのだろうか。そんなゾロ、もう見てたくない。自分の首、締めてばっかでさ。一人で居なきゃいけないって思い込んでてさ。仲間作ったって別に良いのにさ。そんなまで迷惑なら、好きにすれば良いんだ。斬りたきゃ斬れよ。そんな風に思いつつ、じぃっと真正面から睨んでいたらば。

   ――― ぐがっっ!

 野太い声がして、少年の真後ろ、何かがドサッて落ちた音がして。
「ほら。ぼーっとしてんじゃねぇよ。」
 ゾロが。そん大きな手を、刀を握ってないほうの手を伸ばして、少年をぐいって引き寄せた。
「悪りぃな。時間を取り過ぎた。」
「…え?」
 自分の背後、広い背中の陰に入れるようにして、少年を押し込む。何のことだか判らなかったが、月光の中、自分がさっきまで立ってたところに黒い影を見てはっとした。手入れされないで伸びたまま枯れた下生えの上、むさ苦しいおじさんが白目を剥いて倒れているのだ。
「もっととっとと話をつけられると思ってたんでな。そいで、こんな場所でお前を待ってたんだが、それがどうやら仇になった。」
 しゃあねぇなと、ほりほりと、ゾロはさっき少年を引っ張った左手で自分の頭を掻いて見せ、
「こうしようぜ、坊主。この急場、少しも邪魔にならないまんまで切り抜けられたら、弟子んでも仲間んでもしてやろう。」
「ホントっ!?」
 気が変わったか、いやいやもしかして。集まりつつある警備陣に、自分はともかくこちらの少年の姿や顔を覚えられる危険へ思いが至ったゾロであるらしく、
「ああ。但し、ちょっとでも邪魔になったら"人質"扱いにする。そうして適当な所でおさらばだ。」
「その話、乗ったっ!」
 にかっと笑った少年は、確かにあの夜の小さな坊やであったのだが。同じ月夜でありながらも、今はすっかり、頼りに出来そうな自信を秘めた横顔を見せて、にんまりと力強く笑って見せたのであった。









          終章



「ふ〜ん。じゃあ、その子のこと、弟子にしちゃう訳?」
「さあな。」

 さて、翌日の朝ぼらけ。この数日ほどの不景気顔はどこへやら。どこか愉快そうな顔になり、マスター自慢のブレンドコーヒーを味わっているゾロであり、
「だって、結局は逃げ果
おおせて、一緒にいるの、構わないって言ってやったんでしょ? その子に。」
 フェイクファーのショートコートを傍らのスツールに載せて、マイクロミニのレザーのスカートに、パルキーセーターとやはりレザーのベストといういでたちで、危なっかしく座っているナミからの問いかけへ、
「言いはしたがな。こっちにばかり難関があるってもんじゃあなくってな。」
 はっきりしない物言いをする彼であり、その割に何だか楽しそうな雰囲気なのが、妙に不審だ。
「いやぁね。何よ、その顔。」
「男の子、なんだろ? その"三平"ちゃん。」
 こちらはこちらで事情が判らない二人が怪訝そうな顔になり、
「"そういう"気があったのかしらね。」
「さてね。気がつきませんでしたが。」
 そうかだからこのあたしの魅力にも動じないのかこの男…と、ナミが言えば、じゃあ俺なんか危なかった訳ですかねと…サンジまでが冗談口に乗って勝手なことを言うが、ゾロは珍しくも特にムキになって否定もせず。ただ、
「…お、来たな。」
 背後に気配を感じて、スツールを回すと表からのドアの方へと体を向ける。相変わらず明るいうちは無人の店内。ブロンズグラスのドアは、どこか恐る恐るというゆっくりさで押し開けられて、
「あの…。」
 顔だけひょこっと覗かせたのは、昨夜の大殺陣回りの中、結構なコンビネーションを示してくれた新しい相棒くん。こちらを見やって、ゾロの姿を見、にこぉっと笑った彼だった…のだが、
「…っ! ルフィっ!?」
 そんなゾロの背後から。突拍子もない声が上がって、すっちゃんがらがら…がちゃがちゃぱりん、と。食器や何やが床にぶちまけられたらしき大音響。
「………サンジくん?」
 きょとんとするナミにも場を取り繕おうとはせぬままに、やってはいけない最大のタブー、カウンターに手をついて、ひょ〜いっと飛び越え、そちらへ向かう。大きくて好奇心旺盛そうな黒い眸を据えた童顔に、少しばかり猫っ毛のショートカットにした黒い髪。ジーパンにトレーナー、NFLだかNBLだかのスタジアムジャンパーを羽織った小柄な男の子。それへとつかつか、真っ直ぐ歩み寄ったサンジは、相手の二の腕をがっしと掴んで、
「なんでお前、此処にいるっ。此処には来ちゃあいけないってあれほど…。」
 何へか焦るように、ややキツイ口調で言って聞かせる。どうやら彼とは知り合いであるらしく、
「だって、ゾロに呼ばれたんだもん。」
 ルフィというその少年がけろりと応じたのへ、
「………それって。」
 何とも情けない顔になったマスターさんであり。
「あ、じゃあ。あの子って…。」
 二人を指さしながら顔はゾロの方へと向けて、ナミがたいそう簡略された訊き方をしたのへ、
「ああ、あれが"釣キチ三平"で、しかもサンジの弟らしい。」
 ゾロは愉快で愉快でたまらんという顔でにやにやと笑っている。そう。一番の謎、一体どうやって、ゾロが目串を刺した秘宝を正確に嗅ぎ取れた彼だったのかを、昨夜の大殺陣回りの後に聞いてみたところ、

   『あのな。ゾロが行きつけにしてる"バラティエ"って店、
    あそこのマスターのサンジってのが、俺の兄ちゃんなんだ。』

 彼はこれまたあっさりと白状した。
「…似てない兄弟よね。」
「だよな。」
 おいおい。
(笑) だからといって、サンジが"その日の出来事"っぽく何から何まで語って聞かせていた訳では決してない。それどころか、あまり店には来るんじゃないと、きつく言い渡されていた。だがだが、どういう奇遇か、それともこれも巡り合わせか。たまたま様子を見にこそっと遊びに来た時に、店内にゾロの姿を見つけた。それから程なく、此処が"仕事"の依頼を受ける店なんだと気づいたルフィは、時々はサンジに見つかって"こらこら"と追い払われつつも、裏口に張り付いての情報集めに専念した…という訳で。
「…ちょっと待て。この子が例の"弟子入り"志望者だってのか?」
 弟くんの腕を掴んだまま…どこかしら強ばった顔になって肩越しにこちらを振り返って来るサンジへ、
「らしいぜ? さてどうするよ、保護者殿?」
 先程からの延長で、余裕のまんま にまにまと笑いつつ意地悪く訊くゾロであり、
「良いよな? サンジ。」
 ルフィ本人からもにこにこと笑顔で聞かれて、慌てて首を横に振る。
「いかんいかんっ! そんな危ないことっ、絶対に許さんからなっ!」
「何でだよぉ。ゾロって凄腕なんだぜ? サンジの方が俺よりよっぽど知ってるんじゃないのか?」
「それでもダメだっ、ダメったらダメだっ!」
 こんなに可愛い弟を何でまた、そんな…裏の世界の危険極まりない仕事に関わらせにゃならんのだと、必死になって掻き口説く。なかなか苛烈な兄弟喧嘩を、関係者のくせして他人事のように眺めつつ、
"ま。どっちに転んでも、俺は構わんのだがな。"
 この店内では初めてかもしれないくらいに、やたら楽しげに笑って見せた、天下の怪盗"剣豪"ゾロであったそうな。





   〜Fine〜  03.1.2.〜1.9.

   *カウンター62000番 リクエスト
     YUKI様『パラレルで、かっこいいルフィとゾロのお話』


   *かっこいいって何?おいおい
    当然のことながら筆者も"かっこいい彼ら"が好きですけど、
    書くのはね、なかなかでしてね。
(苦笑)
    そいでついつい"活劇系統"へ逃げてる、パターンな奴です。
    どこか『黒い瞳の…』に似てなくもないですが。
うう"
    終盤、何か理屈に逃げてるみたいでもありますが。
    YUKI様、いかがなもんでしょうか、こういう彼らで。

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