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世間に広くその名を馳せている、希代の大怪盗、人呼んで"剣豪"こと、ロロノア=ゾロという男がいる。物騒な拳銃や爆薬、若しくはコンピューターの専門的な何やかやなんてものを一切動員せぬままに、どんな複雑な警備システムもどんなに堅牢な大金庫も、その身一つにてきっちり制覇し、見事鮮やかに数々のお宝を奪取せしめる凄腕で。しかも人々への"おすそ分け"も忘れない、強きを挫き弱きを助ける、至れり尽くせりの義賊ぶり。彼が狙うわ、資産家・金満家の保持する金品のみならず…ほぼ確実な収賄疑惑が、されど証拠がないがために"疑惑止まり"な悪徳政治家や大手企業の癒着があれば、その関係を根底から赤裸々にするような証拠書類のコピーを、検察省庁の朝方の通勤時間に空からばら蒔いた、なんてこともあったものだから。その快刀乱麻な活躍の、今時には滅多にない痛快さがこっそり庶民からの人気を呼んでいて。この数日も新聞紙上を賑わせる活躍ぶりを示している彼だが………実は実は。そんな彼の鼻を明かし、お宝の横取りを続けている奇妙な少年がいる。どうやって嗅ぎつけるのだか、ゾロが狙いをつけた美術館や資産家の屋敷、大企業や銀行の金庫室などなどの現場へしっかり駆けつけ、経験や体力、時の運まで総動員して、苦心惨憺、やっと開いた金庫から掴み出したるお宝を、鮮やかな釣竿捌きで"ひょ〜いっ"と横ざまから掠め取っては、尻に帆かけて逐電する。その逃げ足のまた速いこと速いこと。まるで大人をからかうかのように、ミニバイクだの自転車だのを使わない、徒歩・疾走にて逃げ回る彼との鬼ごっこが、先日の"マドンナの何とか"で都合7回も続いていて、
『何とかじゃなくて、瞳よ、瞳っ! "マドンナの瞳"っていうサファイアよっ!』
盗みの依頼を取り次ぐ"仲介人"のナミからも、何とかしなさいという厳命を下されている。…いや、ご本人はそんな煩(うるさ)いご注文にはてんでこだわってはいないのだが、子供に鼻を明かされ続けているというのは、やはりどうにもいただけないので、
『次の仕事で決着はつけるさ。』
いい加減に鳧をつけようと構えたご様子である。
◇
前々から目をつけていた有名な秘宝があった。大きな玉石の中、古代の化石の欠片がそれは見事なばらの花の形になって埋まった琥珀で、人呼んで"黄昏の薔薇"。
『その子、お宝よりもあなたに関心があるんじゃないのかしら。』
ナミはそんな風に言っていた。
『だって、いくら…あなたが何とかしてこじ開けたその後をただ通過すれば良いってことであれ、お宝が据えられてたところって、とんでもないシステムとか場所だったりしたのでしょう?』
ナイルのしずくは50メートルもある高い塔の頂上に飾られていた。アルハンブラの夕陽は、大きな強酸の泉の真ん中に特殊な浮き島を浮かべて保管されていた。
『そんな"けもの道"ですもの、並大抵の運動能力でついてけるもんじゃない筈よ。』
『………おい。(怒)』
けもの道って、そんなはっきりと。(笑) ナミの言いようはちょっとあんまりだったけれど、そんな危険を冒してまで金庫の前や危険な代物かもしれない特殊な警備システムの奥向きへついて来るとは、確かに尋常では無さ過ぎる。
『外で待ってて奪うってのが無理だからじゃないですか?』
しっかりと懐ろにしまい込まれては釣り技でひらりとばかりの"横奪り"が出来なくなるから、金庫や宝石箱など、最後の扉を破ったその瞬間という一番油断してしまう瞬間を狙うのでは? サンジがそんな意見を差し挟んだが、
『どっちにしたっていい料簡じゃねぇかよ。遊び半分じゃないならないで、しっかり引導渡してやらあ。』
ゾロはそんな風に啖呵を切って、前々から依頼されていた"黄昏の薔薇"のお持ち帰りへと着手することにしたのだ。所蔵しているのは某企業の美術館。ここはさしてややこしいシステムは置いていない。ただ、後回しにしたことが祟って、ここ何日かの"剣豪"の暗躍を警戒してか警備員の頭数がかなり増やされている。よって、本当は今少しほとぼりが冷めてからと構えていたのだが、まま、歯が立たない訳でなしと、闇夜の風に紛れての侵入を果たし、今は…最奥の展示室の片隅、大劇場の緞帳のような豪勢なカーテンの陰からこそりと姿を現したところ。体力には自信がある。自分の体くらい支えられて当然で、ロープや道具なんぞは使わず、懸垂や足首のバネひとつで、ひょいひょいとビル登りをこなしてしまえるし、気配を読んだり消したりの能力だってそれはそれは研ぎ澄まされていて、今やその道の"達人級"だ。監視カメラだのコンピューター仕様のタイムロックだのという無機物が相手でも臆したりはせず、滅多に拝めないという伝説の秘刀にて、すっぱり両断してとっとと通過する強者(つわもの)である。
"…さてと。"
それでも一応、電気系統の探査というのを前以てこなしており、照明系統や通信関係、電化製品向けのコンセントなどといった"一般向け"の電気配線の他に、警備用に極秘にセッティングされてあったことは調査済み。…そういう地味なこともちゃんとこなすんだね。偉い偉い。
"…うぉいっ。(怒)"
あはは、すまんすまん。(笑) 一匹狼で、しかも何かしら"神憑り"な存在な訳でなし、一応の下調べは入念にしておくのも基本中の基本。だが、
"あくまでも"一応"だからな。"
黒っぽいシャツは襟の詰まったスリムなタイプ。隆々と張って引き締まった胸板を、辺りの薄闇に馴染ませることでシェイプして見せているが、その襟から手を突っ込んで…摘まみ出したのが一枚のコイン。それを緩く握った右手の人差し指の上に載せ、親指でピンと弾いて少し先の床の上へと飛ばして見せる。毛足の長いカーペットの上、音もなく落ちたコインは、だが、バチィッという強く弾けた音を発し、真っ赤に煮えたかと思った次の瞬間には、もう影も形も無くなっていて、
"高圧電流か。"
ただの防犯用警報装置の域を越えた装置が仕掛けられているのも、そんなに珍しいことではない。本来、あまりに過激なものは人体への影響があろうし武器や凶器へと転用されかねないため、防犯用でありながらも逆に武装と見なされての規制があるのだが、盗まれれば身の破滅となりそうなものを守らねばならない側にすれば、そんな悠長なものを素直に聞いてはいられないというところか。コインは消えたが警報は鳴らない。息の根さえ止めれば、身動き出来なくなった相手はいつだって回収出来るからという構えなのだろう。それだけ自信がある装置なのだろうが、
"準備万端整えていりゃあ、臆するに能あたわずなんだがな。"
大窓の下辺、腰高な出窓のようになっている桟に腰掛け、ゾロが両足に履いたのはゴム長靴だ。…って、ねぇねぇそんだけで大丈夫なの? いくら、ゴムは電気を通さないとはいえ、あまりに高い電圧な場合、辺りの空気もまた帯電しているから、直には触れない高さにだって、放電している余波が渦巻いているのでは?
"だから、服の下にはドライスーツを着ているさ。"
おお、スキューバダイビングの時に着るあれですか。なるほど、準備万端なのですね。おお、ついでにゴーグルも。そうですか。
"さてと。いくぞ。"
目には見えねど、殺傷可能な放電に満ちた魔の空間へ。怪盗殿はその第一歩を踏み出したのであった。
その周囲を取り巻いて立ち込める夜陰。やはり濃密な、奥深いビロウドのような闇には違いないが、さっきまで居た展示室とは違い、四方八方へすっかりと開放的で、頬に触れる風もひやりと冴えて心地いい。鬱陶しいドライスーツの、頭の部分をとりあえずは脱ぎ去って、
「………。」
手のひらには見事に盗みおおせた"黄昏の薔薇"。青い月光を浴びてその表面がつるんと光るその秘宝を眺めつつ、屋外とはいえ まだ美術館の敷地内、裏庭だろう管理棟の傍らの小さな空き地に立ち尽くし、じっと何かを待っている。そんな彼の表情が、
「…っ。」
何を感じ取ってか一瞬、ひくりと弾けた次の瞬間。風を切って宙を飛来して来る何物かの気配がしたから………。
「………あれぇ?」
ひゅんっと飛んで来たのは、釣糸の先に重し代わりに結わえられた…どこぞの神社のお守りのような大きさの、小さな小さな布袋。だが、それが目がけた筈の標的が、姿を消したから投擲手が…ちょいと無邪気な声を出して小首を傾げた。本当についさっきまでいたのに。狙いをつけてからは、目線は離さないのがキャスティングの基本だから、じっと見据えてた筈なのに。ゴマ粒みたいに小さなものならともかくも、あんな大きな立派な体躯、そうそう見失うものではなかろうに。自分の視覚が変になったのかな?と、首を伸ばすようにして辺りを眺め回し、それでも見つからなくて…身を潜めていた物陰からこそ〜っと出て来たその時だ。
「いい加減にしねぇと叩き斬るぞ。」
背後からするりと伸びて来た腕があり、あっと言う間に羽交い締めにされていた。がっしりとした、丸太みたいに頑丈な腕。ぐいっと引き寄せられた背後には、土壁みたいに堅い胸板。声は頭上からして、どうやらその懐ろへと抱き込まれてしまったらしい。
「どこの坊主か知らねぇが。いい加減にしねぇか。俺だってこれで飯食ってるプロなんだからな。そうそう"しゃあねぇか、やれやれ"で済ましちゃあいられねぇんだよ。」
いかにも乱暴そうな、伝法な口利きであり、
「…いっ☆」
返事も待たずにぎりぎりと腕をねじ上げられて。少年は堪らず…それでも随分と頑張ってか、短い短い悲鳴を上げた。
「これまでに横取りしたお宝はどうした。どっかの兄貴分にでも吸い上げられたか? 詰まんねぇ"使いっ端(つかいっぱ)"が、玄人の邪魔するとどうなるか、今此処で思い知らせてやろうか?」
言い終えたと同時に"しゃり…ん"っと。涼やかな金属の鳴る音がした。月光に青く染まった大太刀が、顔の前、数センチ手前にまで迫って止まる。
「俺を尾け回してたんなら、これも知ってるよな。」
特殊スチール鋼製の大太刀。普段はベルトの中に仕込めるほど、それは撓しなやかな材質の特殊合金製で、鍛鉄に劣らぬ強靭な芯を備えており、使い手の腕前如何いかんでは、斬れぬものはないほどの鋭い切れ味を見せる名刀。
「お子様のお遊びじゃないんだよ。こういうもので命のやり取りだってするんだ。そんなところへお前みたいなチビさんがちょろちょろと顔出したりするとな、煩せぇんだ、鬱陶しいんだよ。」
陰に響いて物凄く。せいぜい怖がるようにと、刃の上、月光の濡れた光をゆらゆらと躍らせて見せる。こんな恐ろしいものを鼻先の構えられれば、それこそ大の大人でも腰を抜かしかねないのだが。
「…覚えてないんだ、俺んコト。」
俯いた顔の陰。少年は、どこか打ち沈んだ声でぽつりと言った。
"………?"
んん?と。ゾロが不審に感じて眉を顰しかめる。怖がらせるのが目的だったのに、どうにも怯えているとは思えない様子である。………通じないんでやんの。(笑) じゃなくって。
「………。」
少々呆気に取られた格好のゾロの手がそのまま緩んだ隙を突き、その拘束からするりと抜け出した少年は。数歩、離れて向かい合い、ジャンパーの下、丸首のトレーナーの襟元から紐を手繰って引っ張り出す。
「もういい。そんな臭い芝居するほど迷惑なんだな。」
そんな言い方をするのへ、ついつい"うっ"と気色ばむゾロだ。本気だったが真剣ではなかった…とでも言おうか。堪忍袋の緒が切れかけていたのは本当だったが、だからといってやはり、子供に刃を当てても始まるまいと、その辺りの道理はまだ判断出来る。怯えて"追っかけ"を辞めればよし。これでもダメなら、せいぜいみっともない小者ぶりを露呈してやり、がっかりさせて追い払うという第2弾も考えていたのだが。坊やは微妙に…そう、芝居を打たれたことを見抜いた上で、ゾロの側からこそ合点のいかない事を言い出しながら、そのテンションを下げてしまったようである。襟から引っ張った紐は、服の下にしまっていたらしい小さな袋を吊るしていたものであるらしく、
「これ、返す。」
引き千切って放り投げられたそれをぱしっと受け止める。中に重みのあるものが入っているようであり、
「??」
手のひらへ開けてみると、ころりと出て来たのは。これもやはり月光に濡れて赤く光った、それは見事な宝玉一つ。しかも…ただのお宝ではない証拠に、ゾロの表情が硬く強ばった。
「…っ?! これは…っ。」
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