魔法のチーズ
      
   "蜜月まで何マイル?"より


  「………なんだ、夢か。」

 のっけから妙な一言で失礼致します。
(笑)はっと我に返って辺りを見回せば、何だか暗がりだったので"あれあれっ"と慌てて起き上がって。立ち込め始めたばかりらしい宵の薄闇の中、浮かび上がっているシルエットと柑橘類独特の香りがしたのへ、
"ああ、なんだ。此処ってナミのみかんの樹の…。"
 キッチンの屋根の丁度真上。後甲板の柵の手前。三つの大きな鉢に一本ずつ、結構立派なみかんの樹が健やかに育った身を寄せ合っているのだが、その隙間にあたる"真ん中"は、夏日の昼間なぞ心地いい日陰となるので、体の小さな船長や暑いのが苦手な船医殿なぞが潜り込む、格好の避難所になってもいる。どうやらそこに横になっていた自分であるらしいと気がついて。
"なんだ〜。俺、あれから不貞寝しちまってたんだ。"
 あふあふと欠伸をしながら、腕を片方、空に向かって突き出して。う…んと伸びをしたその拍子。肩が寄って来て狭まった首条に、
"あれれ?"
 何かしら違和感を感じた。かさこそとくすぐったい感触がする。見える場所ではないものだからと、首へと手のひらを這わせてみると、何やら肌に添ってくっついているものがあるような。
「何だ、何だ。」
 端から指を突っ込んで引っ張ってみるが、却ってきゅうきゅうと狭まってキツクなる。
「あだだだ…。」
 取れないよう…と悪戦苦闘しているごそごそとした気配を察したのか、
「何やってんだ? ルフィ。」
 みかんの樹を掻き分けるように覗き込んで来た剣豪へ、
「これ、何か取れなくて…。」
「ああ、ほら。手ぇどけてみな。」
 状況を察したらしく、手を伸ばして来ると首の後ろにあった結び目をほどいてくれる。
「ほら。」
 手渡されたのは、赤いサテンのリボンが一本。
「…なんでこんなもん、巻いてたんだ?」
 女の子のチョーカー・ファッションでもあるまいに。しかもほどくのに往生していたところを見ると、自分で結わえたとも思えない。
「覚えてねぇけど…。」
 訊かれて小首を傾げたルフィは、
「確か…ナミが…。」
 でもそれは夢の中での話だったよなと、言葉を濁す。そう。さっきまで見ていた夢の中、ルフィの首にナミがリボンを巻いたシーンは確かにあった。あったけど、あれは夢の筈で………。

  "…あれぇ?"

 おいおい、どうした船長。


            ◆◇◆


 昼前辺りにとある島に辿り着いた麦ワラ海賊団ご一行。補給物資にはそれほど切羽詰まった陰りはいなかったのだが、気候も良く、結構賑やかな港町のある、活気のある土地ならしくて、
「町だっ!」
「おうっ、町だっ!」
 港からは死角となる岩陰を選んで停泊した船上。年少さんたちがワクワクと船端から陸を見やっている。
「船も一杯泊まってるぞ。」
「おうっ。こりゃあ、きっと賑やかなトコだぞぉvv」
 何だかとっても嬉しそうな船長殿と船医殿で。だが、
「ダメよ、特にルフィ。あんた、判ってるの? 懸賞金目当てに、どっから刀や弾丸が飛んで来るか、判ったもんじゃないのよ?」
「俺、銃はへーきだぞ。」
「だ・か・ら。」
 相変わらずに、あれはダメ、これもダメと、いちいち実際例を挙げねばならない面倒な相手なのが、全くもって骨が折れる。ナミは"はぁ〜っ"とため息をつき、それを反動にするかのように、やおら顔を上げると、
「ともかく。チョッパーは良いとして、あんたはただでさえ迷子になりやすいの。これまでの実績が山のようにあるんですからね。そんなことないとは言わせないわよ?」
 相変わらずにきっちりと理屈も筋も通った立派なご意見と、半端ではないこの迫力とには、一体どこの誰が逆らえようか。
(笑)
「うう"。」
 口で勝てる筈のない船長殿の眼前に、ぴしっと立てられた白い指先。
「どーしても上陸したいんなら、そうね。」
 ナミは何事か考えているような間合いをしばし見せてから、おもむろにこうと告げたのである。


  「ゾロと一緒に行きなさい。それなら、まあ構わないってことにしてあげる。」


「おうっ!」
 何だ、そんな条件で良いのかと、喜び勇んで保護者を探しに船端から離れたルフィで。そんな彼の背中を見送って、
「…良いんですか? ナミさん。」
 ぽつりと呟いたのはシェフ殿だ。それでは"上陸して良し!"と言ったも同然ではないかと感じたからで、あの剣豪が船長のおねだりを聞かない筈がないのは、彼らの間では…お日様が東から昇るのと同じくらいに決まり切ったこと。だが、
「それが"大丈夫"なのよ。」
 何故だかナミは"ふふふ…"と、いやに自信ありげに笑って見せる。おやおや、何か企んでますね、才女様vv



「なあなあ、ゾ〜ロ。」
 緑髪の剣豪は、降りそそぐ陽射しも明るい、いつもの指定席である上甲板の板張りにごろりと横になっていた。戦闘時にはあれほど…惚れ惚れという感覚がより一層加速して"ゾクゾク"になるほどに切れのいい動きを見せながら、日頃は横のものを縦にもしないでゴロゴロしている彼だが、そうやってバランスというものが取られているのだから仕方がない。これでも毎日の鍛練は欠かさないし、いざという時への機動力は素早く、精神的には常に"トルクアップ状態"にある彼で、
「んん?」
 いつもの足音がパタパタ…とやって来ると、ちらっと目を向けて来る。但し、この"反応"は敵の襲来などへ向けられるものとは正反対の気色のそれ。もうほとんど一種の条件反射、いやいや運動をつかさどる小脳辺りが管轄するところの"反射"なのかも知れないくらいに身についた代物である辺りは、戦闘態勢への機動スイッチよりも感度はいいのかも。
(笑)
「…どした?」
 掛けられた声はどこか切れが悪かったが、そんなことにはお構いなしで、
「なあなあ、町、行こうぜっ。」
 すぐ間際にしゃがみ込んだルフィは、わっくわくとした顔で持ちかける。
「町?」
「おうっ。昼飯食ったらウソップとチョッパーも降りるんだって。だから、俺たちも行こうよ。な?」
 行こうよという訊き方だが、彼の中ではもう"行くのだ"と決まったことになりつつある気配。何しろ、この剣豪、船長からのおねだりにはとにもかくにも弱い。なあなあなあと甘えの滲んだ声を乗せて揺さぶれば、やれやれという顔ながらも"しょうがねぇなぁ"と起き上がり、大概のことは意のままに聞いてやる甘さだから、毎日毎日ご苦労様と、筆者なぞは思わず手を合わせて拝みたくなるほど。
こらこら………ところが。
「何か用事でもあんのか?」
 あれ?
「ん〜ん、ねぇよ、まだ。」
「まだってのは何だよ。」
「降りたら何かあるかも知んねってことだ。」
 正確には"何か起こるかもしれない"ではなかろうか。いやいや"何か起こすかも…"とか?
あはは
「………。」
「ゾロ?」
 何だか反応がトロいなと、ルフィはここでやっとその大きな眸をきょろっと瞬かせる。剣豪殿が甘い甘いと先に書いたものの、ダメだと言い出す場合もなくはない。剣呑なところへ出掛けると言い出した時だとか、どうしても眠いから付き合えない時などがそれで、
「俺は行かねぇ。」
「え〜〜〜っ?」
 途端に"そんなの嫌だ"という気色を含んだ声が上がる。
「何でだよぉ。ゾロ、昨夜はたっぷり寝たろうよ。」
 そ、そうなの?(あ、いえいえ。だって、このシリーズに限っては、ねぇ?/笑)
「そんでもだ。」
 起き上がりもしないまま、つまりはこの場から動かんぞという姿勢の彼であり、
「何でだ? 行かねぇのか?」
「行かねぇ。用はねぇからな。」
「行ってみなきゃ判んねぇじゃん。何か面白いもんがあるかも知れないし。なあぁ〜〜〜。」
 肩と胸元へ小さな手を載せて、ゆさゆさと懸命に揺さぶる。お暇な方は別のシチュエーションのアテレコをお楽しみ下さい。


  『パパぁ〜、キャッチボールしに行こうよぉ〜。』
  『ん〜、パパは疲れてるから堪忍してくれ〜。』


  『お客さん、こってますねぇ。肩なんかガッチガチですよ?』
  『ん〜、そこそこ。あ〜、気持ち良〜い〜。』


 だが、(…失礼しました/笑)
「行かねぇったら行かねぇんだ。どうしても行きたいなら、ウソップとかに連れてってもらえ。」
 珍しくも頑として動かない彼であり、
「む〜〜〜っ。」
 とうとう船長殿の口許が見事なくらいに尖り出す。そして、
「もういいっ!」
 捨て台詞を叩きつけると、がばっと立ち上がり、そのままドタドタとばかり、いかにも怒っておりますの態勢で上甲板を後にしたルフィである。それをやはり寝転んだままで見送って、
「………。」
 剣豪殿はどこか複雑な感情を乗せたものであるらしい"無表情"を見せて、小さく小さく吐息をついた。




"何だよっ。ゾロの馬鹿っ!"
 ぷんぷんと怒り心頭、ついつい仕草も乱暴になるルフィで。早めにサンジが出してくれた昼食を、一気に押し込むようにして食べ尽くすと、そのままドタドタとハシゴを降りて船倉へと潜る。約束は約束だ。ゾロが腰を上げない以上、ナミとの約束から出掛けられない。出掛けられないなら自分たちの部屋に引っ込んで不貞寝でもしてやるっとばかり、彼には珍しく内向きに拗ねている。
"…何にも用事がなくたって町に降りたって良いじゃんか。"
 駄々を聞いてくれなかったからではなく、駄々の内容を飲んでくれなかったことへと怒っているルフィであり、
"せっかく二人きりになれるのに。"
 そう。何も物見高い気持ちからねだったルフィなのではないのだ。いつからときっちり限定は出来ないものの、皆からもその間柄を公認されてもう随分と久しい…にも関わらず、相も変わらず、船の上では…皆の耳目があるところでは、どこかしら照れが出るらしい剣豪殿で。やっと最近、膝枕くらいならしてくれるようにはなったものの、ちょっとでも顔同士が間近に近寄ったりしようものなら。真っ赤になって…どこぞの金創の妙薬を絞り出す両生類もかくやとばかり
おいおい、脂汗まで浮かべてどぎまぎして見せ、場を立ってしまうことまである始末。部屋で二人っきりの時は全然平気で、さんざん甘やかしてくれるその格差の物凄さと言ったら…ああ、まあ今回はそれは置くとして。(笑)だからして、
"町を歩いてみたかったのに。"
 人の目がない訳ではないが、見知らぬ人々のそれだし、ただの旅人、さほど注目されることはない。そして…迷子にならぬよう、しっかり見つめてくれる。どんなに近づいても赤くなんかならず、ちょっとした仕草や目線を向けるだけで"判ってるよ"と微笑ってくれるから。だからだから、彼との"町の散策"が大好きなルフィなのに。
"ゾロの馬鹿っ!"
 おお、これは怒っているぞ。そんな彼だったが、
"………んん?"
 ふと。通路に沿って並んだドアの一つが薄く開いていることに気がついた。大概の部屋が、倉庫 兼 誰かの個室となっているよう改造された船倉だったが、そこだけは倉庫のままな部屋、食料用の格納庫である。常温保存の利く、ジャガ芋だのニンジンだのタマネギだのといった根野菜中心の倉庫なので、いきなり口に入れられるものしか狙わない"つまみ食い王"のルフィにはあまり関心のない場所だったが
おいおい、ゆらゆらと揺れているのへ何となく誘われて近寄ってみる。通路のあちこちには甲板や上階層への蓋扉があって、昼間は換気のために開け放たれてあるが、倉庫や個室内への蓋扉はない。まして、格納庫には湿気が入り過ぎては困るからという機密性も兼ねて、換気口さえない。
"真っ暗だ。"
 昼でも暗いその中に、戸口からの明るさが仄かに滲んでいるだけで。少々オカルトに弱いルフィは、何だか居心地が悪くなり、扉を閉めようと身を引きかけたのだが。
"…あれ?"
 ふわりと鼻先へ漂って来た匂いがあった。甘いような、香ばしいような、何とも表現の難しい、だが、とっても良い匂い。
"何だろ。"
 お干
ひるは食べたばかりだったが、それでも年中食べ盛りな船長殿。この、途轍もなく美味しそうな匂いにはついつい誘われて、暗さに怖じけかかった室内へ、一歩を踏み込んでみた。部屋はその奥に腰の高さの仕切りのある大きな棚と、片側の壁に5、6段の戸棚がある作りで、逆の壁にくっつけて細身のテーブルが据えられてあるのは、棚から選んだ食材の品々を一旦集めて載せるため。そのテーブルの上に、
「…あ。」
 白っぽいものが載っていて、どうやらそれがこんなにも良い匂いを放っているらしい。5センチ四方くらい、厚みは3センチくらいのそれは、
「チーズだ。」
 冷蔵庫にしまうべきものを、こんなところへ、しかも皿にも置かない"じか置き"とは、何だかサンジらしくない。だが、
"ここに一旦持って来て、何か取りに戻ったとか。"
 そうでしょうかねぇ? 冷蔵庫はキッチンにあるんだから、順番が逆じゃないですか? …と思った筆者の呟きは、残念ながら船長殿には届かなかったらしくって。
"へへ、いっただきま〜すっvv"
 あ、こらっ! 叱られるぞ、勝手に食べちゃあ。…あ、あ〜あ。食べちゃってまあ。むぐむぐとそれは美味しそうに味わって、こくんと飲み込み、
"御馳走様でしたvv"
 さっきまでの不満顔はどこへやら。あんまり美味しかったものだから、くふふと笑ってさえ見せる。………ところが。

   "………あれ?"

 何だか。急に辺りが暗くなったような気がした。暗いのは嫌いだ。何か物陰に居そうで落ち着かない。
「ゾロぉ…。」
 喧嘩したばかりなのに、ついつい頼りにしている名前を呼ばわってしまった。部屋から出ようと後ずさったが、
"…あれ?"
 こんな狭い部屋、1歩どころか半歩で扉にぶつかる筈が、とたたた…と後ずさったのに全然どこにも背中がぶつからない。背中だけではない。回りに伸ばした手もどこにも触れないから、
"あれあれれ?"
 何だか変だ。何かが訝
おかしい。
「どしたんだ? 此処、倉庫だよな。あれれ?」
 ついつい声を出して辺りを見回す。結構夜目が利く筈の、大きなその眸に映ったのは…やたらに太い柱である。
"???"
 この狭い部屋に、こんな大きな柱があったかなと、首を傾げたその時だ。
「…わっ!」
 いきなり首根っこを"がっし"と摘ままれたのである。
「やめろよぉ、服が伸びちまうってばよ。」
 じたばたしても何の抵抗にもならなかったらしく、しかも何と…次の瞬間、ふわっと足元が床から浮いた。人ひとり、体のどこも地べたにつかない状態へ抱え上げるのにかかる力は、その人の体重以上必要なのをご存知だろうか。何たって生き物だから動きますしね。相手が協力してくれて、進んでこっちへ抱き着いてくれれば別ですが、そうそうひょいっと持ち上げるなんて事は出来ない筈で、
「???」
 一体どんな怪物だろうかと身構えながら、肩越しに振り返ったルフィの眸に映ったのは…。



 今は用事のなかった食糧庫だが、扉が開いているのに気がついた。
「??」
 ルフィはここに収めてあるものへは関心を示さない。芋やニンジン、タマネギといった、調理しなくては食えないものしか入っておらず、よほどの空腹でもない限り、たとえ釣り用の餌は食ってもこっちにまでは手を伸ばさない奴だと把握しているシェフ殿で。
「何で開いて………お?」
 一応は中をぐるりと見回したサンジの眸が、とある地点でふと留まり、
「密航者、見っけ。」
 すいっと伸ばした腕の先。指先だけで彼が軽々と摘まみ上げたのは、黒キジ模様の小さな小さな仔猫だった。


   "………あれ?"



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