魔法のチーズ A
      
   "蜜月まで何マイル?"より


 キッチンまで抱えて来た仔猫を、だが、さすがにテーブルの上へは上げられず、窓辺のベンチの上へと載せてやり、
「ちょっと待ってな。」
 サンジは棚と冷蔵庫に手を伸ばしてから、手早く戻って来た。目の前に置かれたのは少し深さのある小皿で、中にはミルクがなみなみと注いである。
《牛乳だけか? もっと何かほしいよぉ。》
 顔を見上げて訴える"ルフィ"だが、やはり出て来る声は"にゃあにゃあ"というそれ。サンジはにこりと笑って見せて、
「これじゃあ足りんってか? それ全部飲んだら足してやるって。」
《ち〜が〜う〜っ。》
 あんた、それどころじゃないのでは? 猫になっちゃった身を少しは案じなさいっての。…って、無理かな、この能天気船長では。
(嘆)という訳で、ミルクだけじゃヤダ〜〜〜と不満たらたらなご様子だったルフィだが、ふと、その小鼻がひくひくっと動いた。
《あれ?》
 どうしてだろう。なんだか凄くいい匂いがするのだ。ただのミルクなのに、物凄い御馳走のような魅惑的な匂い。試しに、ぺろんと舐めてみると、
《うわぁ〜〜〜、凄げぇ旨ぇっ!》
 もともと嫌いではなかったが、それでもただの飲み物でしかなかった筈なのに。大好きな骨付き肉のローストと同じくらいに美味しい。深みがあってコクが何とも言えず、甘い匂いは馥郁(ふくいく)とまろやかで、盛んに食欲に囁きかけてくる…といったところだろうか。もっとも我らが船長殿にそういったボキャブラリィがあるわきゃないので、
《旨い旨いっvv》
 皿に顔を突っ込みかねない様相になり、しゃぷしゃぷしゃぷしゃぷ…っと息つく暇も無いといった勢いで舐めることに専念しだす"ルフィ"である。と、そこへ、
「あら、可愛いわね。どうしたの?」
 水でも飲みにとやって来たらしい、ナミの声がした。蛇口から汲んだ水をたたえたグラスを片手に、しゃぷしゃぷしゃぷ…と小さな舌を一生懸命に動かしてミルクを舐めている仔猫に気づいて、こちらへとやって来る。
「どこから紛れ込んだやら、食糧庫にいましてね。」
「あら。それって変ね。猫って水を嫌うって聞くけど。」
 随分と言葉が省略されているが、だからして泳げないだろうに、そんな場所にホイホイと紛れ込めるもんじゃなかろうと、そう言いたい彼女らしい。
「誰かが持ち込んだんでしょうかね。」
「あ、そうか。そうかもね。」
 くすくすと笑って、
「ちょっと待ってよ。」
 何を思いついたやら、グラスをテーブルへと置くと、スカートの脇ポケットから何かを引っ張り出すナミだ。そして、
《え? え?》
 くいっと一瞬、顎を上げさせられて。口許からミルクをポタポタこぼしながら見上げたナミの顔は、何やら楽しそうにほころんでいる。
「…ほ〜ら、かわいい。」
 きゅっと首の後ろで蝶々の形に結ばれたのは、どうやらリボンであったらしい。
「さっきビビと机周りを片付けてたら出て来たのよ。こないだ付け替えた、ルフィの帽子のリボンの余り。」
 宝物の割に扱いの乱暴なせいで、件
くだんの帽子はいつもボロボロ。見かねて時々あちこちを修理してくれるナミであり、外した方のリボンはちゃんと裏側に縫い付けてくれてあるサービスの良さ。
《何だよ。おもちゃにすんなよな。》
 ちょこっとぶうたれつつ、ミルクで濡れた口許をぐいぐいと手でぬぐう。本人は手の甲で拭っているつもりだが、傍から見る分には…小さな手の先をくいくいと口許へ擦りつけては舐めているような、それはそれは愛らしい仕草にしか見えなくて。
「ホンット、可愛いわねぇvv」
 ひょいっと抱き上げて、そのふくよかな胸へと抱え込むナミであり、
"…うわぁぁっ、羨ましいっっ!"
 こらこら、サンジさんったら。眸がハートになってるよ?
(笑)一方で、
《やめろよぉ。何か、何か鼻が痛いぞ、お前。》
 犬には負けるが猫の嗅覚も結構鋭い。(ちなみに、その代わり猫は眸が良くて、一方、犬は概ね"色盲"だと聞いたことがある。)ナミのつけている香水だか化粧水だかの匂いが、容赦なく襲い掛かって来てクシャミが止まらない。加えて言うなら、猫は柑橘系の匂いを嫌う。"いやいや"ともがいた揚げ句、"ルフィ"はぴょいっと飛び出してサンジの方へと戻ってしまった。
「あらら、この子、やけにサンジくんに懐いているのね。」
「変ですね。見つけはしましたが、それ以上の付き合いはありませんよ?」
 付き合いって…。見上げてくる仔猫の小さな顎の下に指をやり、ぐるぐるとくすぐるように撫でてやるサンジで、案外とこういう小動物が好きな彼ではあるのだろう。
「ま、良いわ。あたしも忙しいのよ。ここまでの海図、一応仕上げとかなきゃいけないの。それと、これからの進路も確認しとかなきゃなんないし。」
 いよいよアラバスタ王国も間近い。ということは、ビビもそれへ付き合うということだろう。
「判りました。あとで飛びっきりのデザートを2人前、お部屋までお運びしますよ♪」
 皆まで言わせず、にっこりと微笑って見せるサンジであり、
「頼むわね。」
 美しき航海士は優美な会釈を残してキッチンを去った。
"ん〜〜〜。後ろ姿まで美しいっvv"
 …やってなさい。
《なあなあ、サンジ。》
 いつまでもナミの去った方ばかりを見やっているシェフ殿に、業を煮やしてか"ルフィ"が声をかける。にゃあにゃあという声に、やっと我に返ったサンジは、
「う〜んと。」
 腕の中の"ルフィ"を見下ろしてちょこっと考え込むような顔になった。
《んん? どしたんだ?》
「そこらにうっちゃっといても良いのかなぁ。海に落ちでもしたら可哀想だしなぁ。」
 独り言のように呟いて…サンジにしてみれば、仔猫と会話しているつもりはなかったのだから立派な"独り言"だったのだが。
「…そうだな。暇にしてる奴がいるから、あいつに任せよう。」
 そんな風に締めくくると、腕に"ルフィ"を抱いたまま、キッチンを後にした。



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