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マイペースなのは誰か一人に限った話ではない。この海賊団の全員が、何らかの格好で自由気ままなマイペースな者ばかり。やんちゃな破天荒船長は言うにおよばず、平生はその船長の遊び相手も同然な船医殿や狙撃手さんも、お調子に乗れば船を壊しかねない大羽目外しをやりかねず。相手の格を一瞥で断じることくらい簡単な筈の、剣豪とシェフという凄腕戦闘部隊の双璧たちは、選りにも選って仲間内で馬が合わないのかしょっちゅう角突き合わせている間柄。妙に喧嘩早い気性が発揮されるそのたびに、最もか弱い筈の女航海士さんの鉄拳によって引き分けられている始末。その航海士嬢はといえば、芯はしっかりしているくせにお金優先のちゃっかり者で、しかも実はその鉄拳でクルーの男ども全員に恐れられてもいる強者だし。もう一人の女性に至っては、掴みどころのないままの完全独立。団体行動に一向に参加せぬままでいるばかり。…ま、そういうのを強制しない彼らでもあるのだが。
「…うにゃ。」
夜中をついつい用心深くも警戒のゲインを上げて過ごす反動で、昼寝をたしなむのが常な剣豪さんは、だが、そのささやかな至福の時を邪魔されたのにもかかわらず、どこか優しい顔つきで、自分の懐ろ、すやすやと寝入る幼い寝顔をじっと見守っているばかり。昼寝にお膝を提供すると言い出したのはそちらな筈が、自分の方が先に午睡の縁へと転がり落ちてしまったそのせいで、逆に枕の代わりとなってやっているゾロである。ま、この顛末と構図自体は特に今日に限った話じゃあない、いつものことではあるのだが。(笑)
「………。」
柔らかな頬に臥せられた睫毛の陰が落ちた目許。薄く開きかかった唇がちょこっと妖冶な色香を滲ませた口許。それをそうと感じて愛らしいと思う自分は、
"相当のこと、腐っているのかもな。"
切っ掛けは心意気。文字通りの"その身ひとつ"で大海原に漕ぎ出した、天真爛漫、屈託なく笑うお日様みたいな少年は、口先だけでなく…命を懸ける覚悟というものをちゃんと知ってる人物でもあって。いくら特別仕様の体だからといっても、そうそう…海軍という正規の公安関係を相手に、しかもずらりと居並んだ銃口前で、その身を楯に出来るものではない。銃がダメならとすぐさま切れ味のいいサーベルが出て来るのは当然のこと。どこまで事情を知っているにせよ、何の義理も縁もない、ほとんど見ず知らずの相手のために、徒手空手で飛び込めるものではなかろうにと。その飛び抜けた行動力と、義憤を"そういうものだ"と飲み下せない心意気が何となく気に入って。
"………。"
それから少しずつ、どんなとんでもない少年なのかが判ってくるにつけ、その破天荒さに呆れたり、そんな彼との道行きに本気で不安を覚えもしたものだが、気がつけば…嵐の去った後には、言いようのないほどの高揚感や達成感が最高の美酒として全身を浸している。とんでもないことだからこそ、それをこなせた能力やら運の強さやらを自覚した瞬間に凄まじいまでの快感が込み上げて来る。剣技・活劇のみならず、人としての厚みや寛容という次元でも、一回りも二回りも成長している自分に気がつく。無論、それらは彼が与えてくれた訳でなく、場面場面で自分が選択した試練をくぐり抜けたその結果であるのだが。常に前を向き、天にも自分にも恥じない生きざまを貫き、馬鹿だからこそそれしか知らない、正道をこそ信念として目を逸らさずに見据え続けて来た少年。それがどんなに苦難苦行で、且つ、要領が悪かろうと、果たせるなら問題なかろうと笑って見せる男前な彼だから付いて来たのだし、そんな彼だからこそ、その夢の方を優先してやりたいとさえ思うようになった。自分がそうであるように、彼にも譲れない夢がある。それへと到達するためならば、飛び立っていっても構わない。何なら踏み台になってやっても良いとさえ思うようになった。
"…ま、ちょろっと庇うだけでも怒るくらいだから、そんなことを言った日にゃあ、どんなお怒りを食らうことか、だがな。"
そうでしたねぇ。そんな風な、ちょっと変わった指向というか感じ方というか。そんな点にまできっちりと把握が行き届いている間柄。同じ事象を見た後に、黙って見交わした眼差し一つで判り合ってたりするから、信頼関係もここまで来ると"ツーカー"を越えて、いっそ神憑りなまでの以心伝心。自分としては気が進まないが、彼は恐らくは"こうしたい"のだろうなと、そういう形での把握までこなせる自分が、時に恨めしくなることさえあるほどだ。
"………。"
喜ぶべきか、それとも改めた方が良いものか。今はまあ、これで幸せなのだからまあ良いかと、胸の内にて豪気な結論を出しつつ。腕の中の愛しい人の、柔らかな頬に光る産毛に何ということもなく見とれていると、
「おっす。おやつだ…ぜ………と。」
ココンと短いノックと共に、返事も待たずに開かれたドア。声で誰なのかはすぐに判って。だが、
「…お。」
懐ろ猫がくうくうと眠っているのに気づいてだろう。
「邪魔したな。」
ドアがそのまま閉じかかるのへ、
「何をまた、詰まらん誤解をしとるフリをするかな、こいつはよ。」
さして慌ててはいないながらも、目許を眇めて…別なことへとクギを刺すゾロで。それが耳に届いたか、芝居がかった様子で外へと戻りかけたサンジは、くつくつ…と小さく笑いながら再びドアを開いて室内へと戻って来た。
「どうだい、この寝顔。可愛いもんだねぇ。」
「いちいち白々しいんだよ、お前は。」
そういえば…このところ妙な擦り寄り方をし倒して、さんざん面食らわせてくれたルフィだったが(笑)、それらのそもそもの原因となる"余計な知識"を彼かの少年へ吹き込んでくれたのがこのシェフ殿だ。自分に直接突っ掛かってくるだけでも鬱陶しいのに、そういう余計なことまでしでかしてはルフィまで巻き込むのは正直辞めてほしいのだが、ルフィに言わせると…二人きりの時はとても優しいサンジだからついつい話を聞いてしまうとのこと。剣豪にはますます歯軋りものな事実だが、ルフィのお気に入りなのならそうそう無闇に水を差す訳にもいかない。………純なんだねぇ、あんたって。(ほろり…)それはともかく。蓋つきトレイを片手に掲げて、二人のすぐ傍らへと付き合いよく屈み込んだ彼へ、
「それにしても…おやつってのは何なんだ?」
自分はさして詳しい方ではないから已を得ないとして、この食いしん坊なルフィがひくりとも動かないほど、何の匂いもしないメニューだということだろうか。訊かれたサンジはにんまりと笑って見せて、
「今日はオーブンが塞がってるからな。ベイクド系のケーキは作れねぇんだよ。だから…。」
そうと言ってトレイの蓋を取り去ると、そこには…つるんとなめらかそうな淡いモーヴのムースをタルト生地に流し込んだ、ノン・ベイクド系ケーキ代表の、
「山葡萄のムースだ。あと、作り置きで悪いがクッキー各種。」
どんな環境下にあっても出来たて作りたての最も美味しいところを提供することに誇りを懸けてる節のあるコック氏だが、始終腹をすかせているやんちゃな船長さんのためにと、焼き菓子や飴、チョコ菓子などを沢山作りおいてはあちこちに隠し持っていることは、もはや知らぬ者のいないほど暗黙の了解と化している事実である。
「それにしたって、こうまで傍に持って来ても匂わねぇ筈はない。」
トレイに乗せて一緒に持って来た紅茶をそれぞれのカップへとつぎ分ける香りだって立ち上っているのに、ピクリとも動かないというのは少々訝おかしくて、
「お前の体臭が強すぎんのかね。」
「喧嘩売ってんなら後で買ってやるぜ。」
そうと言いつつ、引き寄せた和道一文字の鯉口を、既にチキッと切っている剣豪殿だから、どこまでがジョークでどこからが本気だか。そんなゾロの恐ろしいジョークを、片頬で笑って一蹴し、
「きっと今朝からの"お仕事"で気を張ってたんだろうな。」
するりと手を伸ばして来たサンジは、懐ろ仔猫のふかふかな頬にそっと触れる。
「こいつがどんだけ不器用で、どんだけ人の言うことをちゃんと聞かない奴かは知ってるだろう?」
「…ああ。」
その手を払いのけたいところだが、あまりばたばた騒いではせっかく気持ち良さげに寝入っているルフィを起こしかねない。内心で"チッ"と舌打ちしつつも是と頷首すると、
「そんな不器用な奴が、多少は叱られながらもかなり頑張って手伝ってたんだぜ? 料理の下ごしらえも、飾り物のセッティングもな。そんだけお前のためにって頑張ったんだ。泣かせるじゃねぇか、まったくよ」
何かしら"ごにょごにょ"と口の中で呟いたルフィだと気づいて、サンジは手を引っ込めると小さく笑った。彼としても、船長さんを起こすつもりではないらしい。女性に目がない究極のフェミニストにして、気が短い暴力コック。こんな彼が、だが、船長さんを見やる時は…何となく柔らかな眼差しになるから。
"こいつ…。"
剣豪にしてみれば油断も隙もない身内であることよ。(笑) いや、そうじゃなくってだな。
「未だに信じらんねぇよな。」
いかにも感慨深げな声を出したサンジであり、
「こんなお子ちゃまの率いてる船に乗ったことも、このお子ちゃまがあんなに強いってこともサ。」
剣豪殿へとそう言って寄越す。度肝を抜かされたほどの"意外性"。こんなにひょろひょろした、こんなに小さな少年が、五百隻もの船団を率いていた"人間凶器"のドン・クリークを素手で叩きのめし、人の能力を超えた力を持った残忍サメ魚人のアーロンをさえ撃破した。自分もまた数奇な人生を辿った身の上、多少の物事には驚かない自信があったのが、あっさりと打ち砕かれたのだから、これはもう特別拵えなのだと認める他はないというもので。ゾロもまた同感なのではないかと思っての言葉だったらしいのだが、
「だから面白いんじゃねぇかよ。」
くくっと笑いつつの剣豪からの一言に、一瞬"むむっ"とサンジの特徴ある眉が寄ったのは、相手にかなりの嵩かさの余裕が見えたのを敏感に察知したからだ。………とはいえど、
「ま、それもそうだがよ。」
勇みかかっていた肩から、すとんと力が抜け落ちる。セオリーも常識も"フツー"も一切通用しない、奇妙奇天烈な海賊団。荒くれ揃いの海の世界には珍しくもない肩書きなれど、その海賊たちの持ち出す"裏のセオリー"さえも、通用しないしさせないし。裏の裏へとトンボを切ってにんまり笑う、そんなややこしいことの大好きな、奇矯な面子揃いな一行で。
「平和が一番なんていう、風変わりな海賊団だしな。」
どうせなるなら目指すは"一等賞"なのが男の子。奇抜という点では既に間違いなく一等賞だろう彼らである。それを重々自覚しつつ、サンジは敢あえて和んだ眸を彼らに向けた。
「お前やルフィが美味しそうに寝てる時ってのはサ、そりゃあ安泰で平和なんだっていう何よりの証拠だろう? 海賊団がそんな活気のないことじゃあ、ホントはいけないのかも知れないが。何かサ。良いなぁって思えてな。」
美味しいこと、腹一杯になって満足することへこそ情熱を燃やす彼のこの表現には、ゾロも思わず"くつくつ…"と笑い返すばかりだ。何とも穏やかな、とある秋の一日。隣りのキッチンでは、彼のためへの祝賀の宴が着々と準備されつつあって。日頃あれほど剣突き合っている僚友が…船長の存在を間に挟んでだとはいえ、和んだ声で語り掛けて来て。そしてそして、膝の上、懐ろの中には、それは愛しい人がすやすやと眠る。こんな穏やかな誕生日を迎えられるとは、
"海賊ってのも悪くはないな。"
……………いや、あの。風変わりなんだってばさ、あんたたちは。
「ところでお前、ルフィと酒の次に何が好きだ?」
「…はあ?」
「メニューの話だよ。
何でも食う奴かと思ってたが、
こないだ作った自家製こんにゃくの田楽、全部残してたろうが。」
「う…。」
〜Fine〜 02.11.9.〜11.10.
*以前からウチのお話では、キッチンの横にもう一つの部屋があって、
そこを"医務室"扱いにしておりますが、
どうやらそれは誤解だったようで。
キッチンの真下、主甲板にドアのある倉庫っぽい部屋を、
何かで勘違いしたまま、こういう風に把握しとったみたいです。
(ほら、時々ウソップやチョッパーが研究所にしてる部屋。)
今更書き換えるというのもナンですので、
ウチではこうなのだということで。おいおい
*ラストの会話を書いてから気がつきました。
劇場版の第一話、
ルフィとゾロとでおでん屋さんを"総挙げ"してなかったか?
まま、こんにゃくは食べなかったということで。(笑)
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