ふかふか 〜蜜月まで何マイル?
             *更に調子づいてみました。『
ぐりぐり』『ちゅくちゅく』の続きですvv


 
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 広い背中に頼もしい肩。普段着のシンプルなシャツに陰影が浮き上がるほどの、隆々と張った胸。いかにもがっちり、むくつけき大きな体躯をしていつつも、ぴしっと伸びた背条の締まりようがすらりとした印象を与えていて、その立ち姿には凛と清冽な雰囲気さえある。剣の使い手として、切れはあっても無駄はない、それはそれは機能的な動きがその身に馴染んでいるからでもあろうし、ここが"グランドライン"という、油断も隙もない海域であるからというのもある。鋭敏にして冴えた、研ぎ澄まされた勘と反射とを無理なく持ち合わせている豪の者。…そう。油断も隙もないと判っていながら、だが、彼本人は対手の隙を突くような、所謂"ちゃちい"器の男では決してない。卑怯結構、勝てば官軍が堂々とまかり通っている"海賊世界"に籍を置きながらも、絶対に正道主義を譲らない、とことん馬鹿正直な船長さん。それへと便乗するかのように"右へ倣え"をしている彼であり、油断がないと言ってもぴりぴりと張り詰めるでなく、余裕でもって泰然と構えている男前。

   ――― 回り道の人生ってのも悪くねぇ。

 どれほどの修羅場をかいくぐって来た勝者であるのか、まだ十代とは到底思えぬほどに、重厚な存在感がある彼こそは、この海賊団が誇る凄腕の戦闘隊長。三刀流の"元・海賊狩り"と言えばその筋ではかなり有名な、ロロノア=ゾロ、その人である。数百キロにも及ぶ重しを使ったとんでもない鍛練をしていない時は、手枕に頭を載せて甲板にて悠々と昼寝をしていて、誰が呼ぼうが嵐や雪が襲い掛かろうが一向に眸を覚まさないでいるという、実にマイペースな男だが、唯一にして絶対の例外が先程挙げたこの船の船長。声を掛けられずともその気配だけで、五感が目覚め、どこへ行くのか何をして居るのかと追跡を始めるほどの気の遣いよう。自分の野望達成のためだけに、そう簡単に死ぬ訳にはいかないのだとしぶとい生きざまを続けて来た彼が、出会って間もない頃にもう、自分の命と天秤に掛ける対象だと把握していた存在が、この奇天烈海賊団の最年少船長さんなのである。





「…ぞーろーっ。」
 その声は、珍しくもこそっとしたトーンで掛けられた。
「???」
 キッチンから出て来たばかりという剣豪は、意外と間近だったその声の出所を探すようにキョロキョロと周囲を見回して。そんな彼の視線が、
「こっち。」
「………お。」
 一旦通り過ぎてから引き戻されたのは、キッチンキャビンのすぐ隣りの部屋…のドアの陰。小さな手が"おいでおいで"と手招きをしていたからだ。何をまたと、怪訝そうに目許を眇めたものの、いつだって何かしら…時には出鱈目極まりないよな思いつきのお遊びを繰り出して、仲間たち皆を振り回す"彼"のこと。また何か、ゲームだか発見だかにワクワクし、それをおすそ分けしようと声を掛けて来たのかも。
"やれやれ…。"
 そういうのへはウソップやチョッパーを相手に選べよな、と。面倒なことよと、そうと思いつつも、口許は…仄かな苦笑にほころんでいる辺りが何とも正直なもの。取るに足りないようなことや、もしくは振り回されるばかりな多少は傍迷惑なことだろうと、判っていても何となく。それはきっと、愛らしい何かに違いないだろうと、そんな気がするゾロであり、その上へ…余計なお世話ながらも敢
えて加えて言うならば。彼からの"おいで"は、ある種の特別扱いを意味しているようで正直"嬉しい"のだ、この剣豪殿にしてみれば。
「何してんだ? お前。」
 この何日か、我らがGM号の船内は…何だかこっそり、何だかバタバタと慌ただしかった。不穏な代物でなしと、気に留めつつも詮索はしなかったそれが"何故"なのかが、このとっても鈍感な剣豪殿にやっと判ったのが今朝のこと。

   『さて、今日はあんたの誕生日だからね。』

 朝食の席にて、ナミがそれはあっさりと言ってのけ、
『例によって今日の夕方から、晩餐を兼ねたパーティーを予定してるのよ。あたしたちは一日中その準備で忙しくなるの。だから、い〜い? 今日の水汲みとお風呂掃除。この二つを任せたからね?』
『…おい。』
 何で今日の主役がそういう"雑用"を任されるかねと、言っても無駄だと判っていながらもついつい不満そうな声を出すゾロへ、
『まま、甲板は空けといてあげるから。いつもみたいに、設営の邪魔だって鍛練途中で追い出されないだけマシだと思いなさいな。』
 にっこり笑って"譲歩満載なのよ、珍しいでしょう?"と、臆面もなく言ってのけるところが相変わらずに強腰な航海士さんであることよ。ちなみに主会場はキッチンだそうで、今丁度秋島海域にいるこの船であり、吹きっさらしの中では寒いから…であろうなというのは見え見えであるのだが。そういうバタバタの最終的な仕上げに入った船内にて、午前中のうちこそ、皆と一緒になってあちこちの手伝いをしていたらしいルフィだったのを、こちらは風呂場や淡水化装置の部屋などから、筒ぬけな会話を聞いて感じていたのだけれど。
『だぁ〜っ、こらっ! それはメインディッシュの飾り付けに使うカナッペだ。今食うなっ!』
『あああ、ルフィっ、動くな! そのままバケツに手ぇ突っ込むと感電するぞっ!』
『ルフィっ! それはもう数が揃っているから、切らなくて良いのっ!』
 そうまで何もかもが筒抜けなほど安普請な船ではない。こんな具合に、!マーク付きで
さんざん怒鳴られていたればこそ、また何かしでかしたな…と外にいた人間にまで易々と伝わったという訳で。そんなお騒がせ船長さんが、昼食を取ったらすぐというノリでこちらもキッチンから追い出された剣豪さんに一体何の用向きなのか。
「とうとう準備班から追い出されたのか?」
 だとしたなら微妙ながらも自分と同類、することなくて暇だから遊ぼうよというお誘いかもなと、苦笑混じりにドアを開くと、
「む〜、追い出されたんじゃねぇもん。」
 ドアを薄く開いたその隙間から手を出していた彼だのに、そのドアを開けたすぐ傍に居なかったのは、彼のお得意"ゴムゴム"で腕を伸ばしていたからだろう。ご本人はというと、部屋の中央、板張りの上へ敷かれた厚手のラグの上に直に胡座をかいて座り込んでいる。壁の丸い船窓から射し込む午後の陽射しが彼の身体の片側に当たっていて、小さな肩や黒髪を温かな明るい色へと浮かび上がらせている様が何とも愛らしい…と感じるのは、この小さな少年へ心底骨抜きになっている証拠だろうか。
"どこにでも居そうな、ただのガキなんだがな。"
 黒々と大きな眸もぴくぴく小鼻も、ふわふわの頬も食いしん坊な唇も。指通りの良い黒髪も舌っ足らずな声も、あっさり掴み取れるよな細っこい手首や腕も。それこそ、そこいらの"少女"なら誰でも持ち合わせているものな筈。だからといって、可憐で幼(いと)けない、そんな風情の女性が好みでもなかった筈で。これはやっぱり、好みからではなく、彼の個性、彼自身の魅力に搦め捕られたからこそという順番なんだろうなぁと、今更ながら再確認した剣豪殿だったりする。そんな想いについつい和んで、やさしい眸で見やってくるゾロへ、
「ちゃんと午前中に一杯いっぱい仕事したぞ、俺。」
 むむうと頬を膨らませ、皆から"お邪魔"にされた訳ではないと言い返して来た船長さんだったが、
「じゃあ、こんなトコで何してんだ?」
 一応訊いてみる。戸口際の作り付けのソファーでもない、壁に寄せられたベッドの足元。くっきり丸い陽溜まりの落ちている部屋の真ん中というこの位置は、この数日の少しばかりの少ぉし肌寒い昼下がり、小さな船医さんと二人して、お昼寝にコロンと転がっていた辺りである。天然暖房にホカホカとぬくとい場所へと陣取って、忙しい筈の現場から一人離れ、こちらもその"現場"には近寄れないゾロを待っていたらしいルフィであり、
「あんな、晩のパーティーが始まるまで暇だろ? だから、それまでの間、ゾロの相手をしててあげなさいって。」
「…ほほお。」
 どう聞いても自分の頭から出た段取りではありませんな、そりゃ。彼の間近まで歩み寄り、ただでさえ身長差のある小さな船長さんをちょいと傲岸にも見下ろす剣豪さんは、
「誰に言われた?」
 つい。念を押すように、確認を取るように訊いてみた。すると、
「ナミに言われた。」
 けろんと応じるルフィだったから………やっぱしなぁ。
(笑)
"それを厄介払いされたって言うんだがな。"
 まま、今更判ったところでどうなるものでもないこと。詮無いことを訊いたよなと、そういう苦笑を口許に薄く浮かばせる。そんなゾロのズボンを、座った位置からぐいぐいと引っ張る手があって、
「なあなあ。」
 長身なゾロの顔を見やるのにと顔を上げているのが疲れたか、これは"そのまましゃがめ"と促す仕草だ。すんなり応じて長い脚を折り畳み、片膝突いた格好で顔の高さを同じくらいにまでしてやる。こうまで間近に近寄ると、ふわっと、陽射しに温められた彼の甘い匂いが鼻先へ届く。いかにも子供っぽい、さらさらとした取れたての蜂蜜みたいな甘い匂い。ヒマワリ笑顔に相応しい、どこかあどけない匂い。それへとついつい気を取られていると、
「あのな、ここ。」
 大きく広げた両の手のひら。それでもって自分のお膝を"ぽんぽん"と叩いて見せる。
「ああ?」
 これはどういう合図だったかなと、眇めるとたちまち怖い顔になる目許の眉をついつい顰めたゾロだったが、
「だから。ここだって。」
 再び"ぽんぽん"と叩いてから、その片方の手を伸ばして来て、ゾロの短く刈られた髪を載っけた頭をぐいっと自分の方へと引っ張った。
「おい…ってっ。」
 唐突だったからビックリしたが、そこは…足腰の安定感には自信があって、いくら力自慢のルフィが相手でも、そのくらいでみっともない たたらを踏むことはなくって。謂れのない仕打ちではあっても、そうかと言って払い飛ばす必要もないこと。こちらがこそ軽々とくるみ込んで抱えてやっているのを真似してか、首っ玉を自分の懐ろへと抱え込むルフィにさして逆らわないまま、やりたいようにと合わせてやりつつ、
「何だよ、一体。」
 子供に良いようにおもちゃにされてやってる大人という体で、のんびりした声を出すゾロであり。一方で、
「だからっ。」
 体格の差からかそれとも体勢が悪かったのか、自分がやりたいようにはならなかったらしいことへ"むむう"と眉を寄せてから、
「膝だよ、膝。」
「膝?」
 結構身体が柔らかい剣豪が、片膝突いた中腰という格好のまま、中途半端なヘッドロック状態で抱え込まれた体勢から窮屈そうに聞き返したその途端、
「ん〜〜〜っ。」
 がしっと脇腹を掴んで次の瞬間には、
「ていっ!」
「おわっ!」
 ぐりんっと視界が回って、自分にかかっていた重力も後から慌ててついて来た。お好み焼きをコテで返すように、これだけの筋肉質の大柄な体躯をあっさり反転させた船長さんは、
「膝枕だっ。」
 ふんっと鼻息も荒く言い切った。
「はあ?」
「今日は晩までここで昼寝してろ。いいな?」
 …って、また乱暴な寝かせ方があったもんである。
(笑)
「う〜んと。」
 片方だけの腿の上というのは不安定だと気づいたらしく、胡座を崩して両足を前へと伸ばし、
「おいおい。」
「これなら いっかvv」
 そこへと頭を載せ直させて、
「準備が済むまで、大人しくしてろって。目を離せないけど今日ばっかりは忙しいからそうもいかないしって。」
 ナミがそう言ったのだろうそのままを口にしたらしいルフィだったが、
"………それって、俺のことか?"
 そだね。目を離したら何をしでかすか判らないってのは、もしかしなくともルフィの方のことではなかろうか。だのにも関わらず、お膝の上という珍しいところに来ているゾロの短い髪を、どうかすると保護者気取りで"いい子いい子"と撫でたり、殊更に機嫌が良さそうなルフィであって。
"相変わらず"策士"だよな、あの女。"
 はい?
"ルフィ本人に角が立たないように、誰がってところを暈してそういう言い方をしたんだろうさ。"
 成程。そして、間接的にそれを聞かされたあなたへだけ"真の意味合い"が届くようにってですか。しかも…お目つけ役が必要なくらい"手のかかる奴"という認識をルフィに植えつけたままに、と来ては、ゾロとしては腹の一つも立つところ。
"まったくだぜ。"
 凄いなぁ、ナミさんてば。
(笑)
「ほら。そんな顔してっと皺が取れなくなるぞ? いつも言ってんだろ?」
 何かというと眉間に深い気鬱そうな皺を刻むゾロであるのが、ルフィとしてはお気に召さないらしい。
「それとも、俺と居るんが面白くないんか?」
 ぺたぺたとおでこや頬を撫でられるのが少々くすぐったくて鬱陶しいが、
「寝ろって言うなら、それはやめな。」
 観念して瞼を降ろしながら一言告げると、あははと笑って、だが、もう手は出して来ない。そこまで性懲りのない"お子様"ではない…と言うよりも、大好きな人からの申し出だから聞き入れたというところかと。
「ここだと暖ったかいからな。夕方までたっぷり寝な。」
「ああ。」
 ここはお言葉に甘えるかと、半ば諦めの境地で素直に午睡に入ることにする。トレーニングの方は午前中にノルマ分はこなしてあるし、退屈がってる船長さんからじゃれつかれるのだって平生のこと。いつもの"構っておくれ"とはパターンが逆だが、たまにはこういうのも良いかなと、ぼんやりあれこれ思いつつ。さすがにぽかぽかと暖かいのは事実で、それが何とも気持ち良くって。
「ん…。」
 やがてうとうとと、睡魔が忍び足でやって来たかな…という間合い。

   ――― …っ!

 眠っている頭を預けていたその枕が、いきなりむくりと浮き上がったものだから、
「どわっ!」
 ともすれば安心しきって微睡
まどろみかけていたゾロの驚きは、そりゃあもう只事ではなかったが。それでも反射は素晴らしいまでの切れで働いて、がばっと上体を起こしてから、
「どうした、ルフィっ。」
 枕を買って出たルフィに何かあったからこそのこの事態だと、一瞬にして思い出せて反応出来る反射もまた…物凄いぞ、あんた。
(笑)
「ルフィ?」
 ……………で。その、心配させてくれた枕さんはといいますと。
「うにゅぃ…。」
「おいおい。」
 後ろざまにばったり倒れ込んでも目を覚まさないほど、くうくうと先に寝入っていたりする。正確に言えば、凭れていたベッドの縁沿いに体がズレていって、その揚げ句に横へと倒れ込んだ彼であり、そのばったりという衝撃に揺すぶられてゾロが跳ね起きてしまったのだ。
「…まあ、いいけどよ。」
 これではどっちがお守りをされているのやら。結果としてナミの思惑通りなのが少々腹立たしいものの、膝枕してやる、などと言い出すほど頑張ろうとしてくれたのは、ルフィの自発的な気持ちから出たものなのだろうし。思わぬ格好で選手交替となってしまったが、このまま夕方までのひとときを過ごすとするかと、苦笑に口許がついつい緩む剣豪殿である。




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