蜜月まで何マイル?

  "蜂蜜キャンデー・フルーツワイン"


          



 見渡す限りの上下左右、ぐるりと一周の全方向360度。藍色、群青、蒼に碧、紫苑に浅葱に、水色、空色と、様々な青に取り囲まれた、此処は大海のど真ん中だ。この何日か、波も柔らかなら天気も上等、それはそれは穏やかな日和が安定して続いているのは、ここいらの海域が春か秋の気候であることを示しているのだと、そんな話をしてくれた航海士も今はキャビンに引っ込んでいて。潮騒の音、吹きつける風の唸り。波に揉まれる船の軋み。そういった当たり前なBGMは既に体に馴染んだものだからと、きっちり除外してしまったその後の、

  「………。」

 今日の上甲板は妙に静かで………。

  「………。」

 ただしんと静かなのではなく"妙に静か"なのだ。誰もいないから静かなのではなく。はたまた、いたとしても一人では…話す相手がいないのでは、やはり黙りこくるしかないから、それで静かだという訳でもない。いつもの常連である"彼と彼"が、いつものようにそれぞれの定位置にいるんだのに、

  「………。」「………。」

 何だか妙な沈黙が、昼下がりから…いやいやその前の午前中辺りから、ずっと続いている上甲板であり、
「…何だかサ、空気が重い気がするんだけれど。」
 舌っ足らずな声がその愛らしさと打って変わって逼迫したように訊くのへ、
「安心しな、チョッパー。そりゃあ"気のせい"じゃあない。」
 相方がこそこそと応じてやる。主甲板の中ほど、メインマストの陰に、その細身の身体の半分くらいを押し込むように隠して、前方やや上を窺っているのがウソップで、その足元にて、いつものように…緋色の山高帽子と顔の半分とだけを隠して、残りを全部外から丸見えに はみ出させつつも、ご本人はウソップと同じように身を隠しているつもりらしいチョッパーと。
「どっちの何が原因なんだ?」
「そりゃあやっぱり、あれだ。」
「あれ?」
「おうよ、アレだな。」
「アレ…ってなんだ?」
「分かんねぇのか? これだからお子ちゃまはヨォ。」
 ふ…っと溜息をつきながら、両手を肩の高さに緩く広げて"やれやれ"という顔になるウソップの態度に、
「何だとーっ! 馬鹿にすんな、俺はもう大人だぞーっ!」
 ついついカッと来て声を荒げかかったチョッパーだったが、
「こ、こらっ!」
 慌てて手を伸ばしてトナカイドクターの口を塞ぎ、そろぉっと問題の甲板の方を眺めやる。

  「……………。」

 特に反応はなく、やっぱりシンと静かなままで、
「あ〜、ビックリしたぜ。」
 ふゅい…とおでこを拭う真似をするウソップに、だが、チョッパーは、
「なあなあ、ウソップ。」
 どこか心配そうなお顔を隠せない。子供扱いされて怒鳴りかかったのさえ忘れて、こちらのドタバタした気配にさえ反応しないほど"重症"な彼らだということへ心配してか、
「あいつら…ルフィとゾロ、喧嘩でもしてんのか?」
 自分が見ていなかったところで、喧々囂々
けんけんごうごうという勢いの大喧嘩でもした二人なのだろうか。そりゃあ…彼らも人の子、しかも血の気の多い海賊であり、仲がいいならそれなりに"喧嘩するほど仲がいい"という言葉があるその通り、全然なんでもないことを切っ掛けに掴み合いの大喧嘩をすることもあると知ってはいる。ナミが言うには、二人それぞれの必殺技まで繰り出しての、本気の大喧嘩だってやらかしたことがあったとか。だから、喧嘩すること自体にはとやかくは言わないけれど、言わないけれど、でもでも…何だか。やっぱりあの二人には仲良しさんでいてほしいかなと。お日様みたいなルフィと、お父さんみたいなゾロじゃないのは、やっぱり何だか落ち着けないから、
「俺で出来ることなら、何かして執り成せるんなら…サ。」
 懸命に言いつのる、愛らしいトナカイくんなのに、
「残念だがな、チョッパー。」
 言葉の途中で遮って、ウソップは…こちらさんはどこか冷めたような表情をしたまま、厳然に言い切った。
「こればっかりは、いくら人が良くて名医のお前であれ、どうすることも出来ない代物なんだよな、うんうん。」





 さっきから何だか勿体振った言い回しばかりをしているウソップだが、事態は…実を言うと、そんなにも"複雑怪奇骨折的"な ややこしい様相を呈している訳ではない。一見、いつもの定位置に座しながら、どこか余所余所しい雰囲気を醸し出し合っている、問題のお二人さん。くどいようだが、ここいら一帯は波も気候も実に穏やかな海域の中であり、警戒せねばならない海賊や海軍の情報も特にはなく、仲間の目を欺いてまでというような、ややこしい作戦を遂行中…な彼らではない。例えそんな必要があったとしたって、他の面子ならともかくも、この、そういう"腹芸"なんてことが一番苦手だろう顔触れにそれを真っ先にやらせるほど無謀な参謀たちではない。………とはいえ、

  「………。」「………。」

 とってもとても分かりにくいことながら、これって…彼らにしてみれば、その苦手な"腹芸"に近い代物ではあるのかも。

  「………。」

 こっちに向けられた小さな背中に向けて、実はというと…何かしら声を掛け、話しかけたくてしょうがない剣豪さんであり。だが、その切っ掛けが掴めない。ただ名前を呼んでみるだけでもいいのに。何か用事か?と問われても、落ちるなよとか居眠りすんなよとか、何とでも続ける言葉はあるのだろうに。珍しくも"引け目"のようなものを抱えているがため、何だよっとばかり、怒ったような顔やら声やらを向けられるんじゃないか、だとしたら何か気まずいよなと。人並みにセンシティブなことを思ってしまって、声を掛けられないままに、意識だけをその背中へじっとじっと向け続けている始末。そして、片やの小さな背中、赤いシャツ着て羊頭の上に陣取っている船長さんの方はというと、

  「………。」

 実は実は、こちらさんにしてみても。ひょいっと肩越しに振り返り、大好きなお顔を見たくってしようがないでいる。いつもみたいに、大きなその手を頭の後ろへ回しての手枕の上、呑気なことに全身隙だらけにして長々とその身を伸ばして。その割に、気難しそうに眉間に深いしわを寄せながら、くうくうと昼寝をしている悠然とした剣豪さんのお顔や姿を。視野の中に据えておくだけでドキドキしちゃう大好きな彼の存在を、いつもみたいにちゃんと見て確かめたいのに。振り向いて、もしも目が合ったら? どうしたよ、なんて聞かれたら? 別に何でもないようと、いつもならそんな惚けた答えようで十分だったのに、何だかそれでは間が保たないというか、妙な空気になりはしないかなんて…こちらさんもまた、人並みにセンシティブなことを思ってしまっているらしく。声を掛けられないままに、前を向いたまま…意識だけを背中から背後の彼へとじっとじっと向け続けている始末。


   ――― 振り向いてくれれば良いのにな。

   ――― 声を掛けてくれれば良いのにな。


 お互いに相手の出方を待って…それへのリアクションで応じようなんて構えている辺り、彼らには珍しすぎる"他力本願"な現状で。それがための、ぎこちない沈黙が船医さんを戸惑わせ、狙撃手さんに困った奴らだぜと溜息をつかせている訳で。

   ………で。

 何でまたそういうややこしい…彼らにはまずは縁がなかったろう種類の、センシティヴな沈黙を共有し合うような状況になっているのかといえば。


  「…ゾロ〜っ♪」


 潮騒の音に華やかなアクセントをつけるかのように、キャビンの方から聞こえて来た声。まだどこか幼いトーンながらも、それは伸びやかな…紛うことなき幼いめの女の子の声であり。少なくとも…ナミさんやロビンお姉様、皆様にお馴染みなレギュラー・クルーたちの声ではない。とはいうものの、そんな意外なものが聞こえた途端に、
「…いっ☆」
 名指しのご指名を受けた剣豪さんの大きな肩がギョッとしたように竦み上がり、その視線の先にいた船長さんの小さな肩もまた、
「………っ。」
 ぴくりと小さく撥ね上がっている。とゆことは、彼らにとって"覚え"はある声には違いなく。やがてその声はキャビンを出て、
「ゾロ〜、どこだ〜?」
 とたとた…というリズミカルな小さな駆け足の音と共にお元気にデッキへと出て来て。まずは主甲板を軽やかに駆け回り、それから間違いなくこちらへとやって来て。

  「あ、いたっ!」

 下から柵越しに見えた大きな背中目がけて弾んだ声が飛び、そのまま短い階段を"とんとんとんっ"と弾むように駆け上がって来た、小さな小さな人物がある。トルコ帽のような つばのない小さくて丸ぁるい帽子を載せた、柔らかそうなウェーブのかかった亜麻色の髪を背中まで垂らした小さな小さな少女で、年齢の頃は十歳になるかならぬかというところだろうか。純白の絹のブラウスに丁寧な刺繍のほどこされた濃色のベルベットのベスト、少し厚手の藍色の生地をたっぷりと使った足元まで丈のあるスカートという、結構手の込んだ、どこかしら由緒のありそうな服装をしており、くりくりとした大きな瞳の闊達そうな美少女で。そんな女の子が、
「ゾロっ! 遊ぼっ!」
 ぱたぱた…と駆け寄って来た勢いのそのままに、傍らへとお膝を突いて座り込むと、当然顔で剣豪殿の懐ろへともぐり込む。投げ出されてあった腿の上へと馬乗りにまたがって、広い胸板に小さな白い手をついて向かい合い、
「なあなあ、何かして遊ぼうようvv
 カナリアのような屈託ないお声で話しかける無邪気な様子の何とも愛らしいこと。ヒマワリのような明るさと、仔犬のようなお元気さの同居した、いかにも天真爛漫そうな女の子であり、
「…あのな。」
 切れ上がった目許をやや眇めて、
「俺は今から昼寝するんだよ。」
 だから邪魔はするなと、ともすれば突っ慳貪に言い放つ剣豪さんだというのに、
「嘘だっ。」
 小さなお嬢さん、全然怖がりもせず胸を張って言い切って、
「朝もそう言ってたぞ。あれからもう6時間も経ってる。そんだけ寝ればもう十分だろうが。」
 どこか尊大な物言いをする。この船に一体どういう伝手や経緯があってこんな少女が乗り合わせているのやら、そちらもまた不可解なことであるけれど、それより何より。この…いかにも恐持てのする容姿風体の偉丈夫に、一片の恐れもなくこうまで屈託なく懐いているという構図自体が、途轍もなく異様なことではなかろうか。
「俺は…その、何だ。そうそう、夜中に備えて昼間は寝とかねぇとだな。」
 頭の中の乏しい"在庫"を掻き回した末に見つかった、どこか稚拙な言い訳を、口許を引きつらせつつ何とか紡げば、
「今夜の見張りはゾロなのか?」
 少女は身を乗り出すようにしてこちらを覗き込んで来て、
「じゃあ、私も付き合うっ! 今から晩に備えて昼寝するっ!」
 はしゃぐように"くふふvv"と笑って、その柔らかい頬をぴっとりと胸元へとくっつける彼女であり、
「はぁ〜あ?」
 言い聞かせて追い払うつもりが、ますます ぴとんと懐かれてしまっていては世話はなく、
「だ、だからだなっ!」
 ああもう、どう言えば通じるんだかなぁと、焦りが半分、苛立ちが半分という声を零す剣豪殿だ。日頃から特に圧しに弱いというタイプではなく、むしろ…すげなく突っ撥ねて冷然と対処するのもきっちりこなせる、至って強腰な彼な筈なのだが、
「ほら、ゾロもちゃんと寝ておけ。見張りが途中で寝てしまっては洒落にならんぞ?」
 ポンポンと。その胸板を小さな手のひらで叩かれて、よしよし落ち着きなさいとばかりに宥められていては世話はない。そんなこんなといきなり賑やかに沸き立ち出した甲板の…もう一方の一角にて、
「……………。」
 さっきからずっと、無言のまま背中を向けていた"もう一人"だったものが。やはり無言で ずりずりと羊の頭からすべり降りると、草履をぺたぺたと鳴らしつつ上甲板を後にする。これみよがしな態度ではなかったが、それでも…気がつかないでいられる相手でも行動でもなくて、
「おい、ルフ…。」
 声を掛けようとしかかったものの、それで何を…どう引き留めれば良いのかが、やっぱり思いつけなくて。中途で止まったゾロのそんな声を、聞かないようにしてのことだろうか、
「………。」
 目深にかぶった麦ワラ帽子の陰になって、顔はよく見えないままだった。とたとたと主甲板へ降りて行く彼を見送って、
「ほら、ルフィも気を利かせてくれたぞvv」
 少女は相変わらずの屈託のなさから、剣豪殿の懐ろでキャッキャとはしゃいでおり。そんな様子へ
"このヤロがっ。
(怒)"
 あくまでも胸中にて、大人げなく憤怒の拳をぎりぎりと握り締めかかったものの、
"………。"
 彼女のせいというよりも、自分の甲斐性がないことが原因だよなと、冷静に思い直すだけの節度はまだある剣豪さんであったらしい。こそりとついた溜息が一つ。
「なあなあ、ゾロ。お昼寝すんだろう?」
「ああ。判ってんだったら、ちっとは大人しくしてろ。」
「うんっ!」
 ゾロの側がとうとう観念したのか、どこか"子守りモード"の会話になった頭上からの声。それを ちらと肩越しに振り仰いで、だが。
"………。"
 こちらさんも…彼には珍しく、何も言わないままにそこから離れるルフィである。何だか妙な雲行きだが、それはあくまで"人間世界"という地上・海上での話。空も風も、海も波も。昨日と同じ色をして、明日も同じに流れてく………筈である。








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  *カウンター106,000hit リクエスト
    けーこ様『ひょんなことから助けたお姫様がゾロに一目惚れをし、
                         ルフィが焼き餅をやく。』
  *すいません。ちょっと続くお話になってしまいました。
   もうちょっとお付き合いのほどを。