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――― その人の懐ろはとてもいい匂いがするものだから。
格式ばった装いみたく、かっちりとした上着にて鎧いながらも。
その内にはやさしくて繊細な、年齢相応にやわらかい彼がいると知っている。
時に頑なに、時に素っ気ない素振りをし、笑い方も口調も刃のように鋭いのに、
声と匂いと温みはやわらかいままなんだと知っている。
装いようがないから、なのかな?
どうして そんななままで居ないのかな?
ホントは面倒見のいい、繊細な彼だのに。
ホントはとってもやさしい彼だのに。
照れるように、それを誤魔化すように、
皆に内緒でキャンディやデザートの作り置きを分けてくれる。
ゾロのこと、甘い甘いっていつも言うけどサ、
サンジだって……………。
◇
それは昨日の昼下がり。明日にも補給地に到着するとあって、様々な物資の管理担当者たちは、自分たちの手持ちの在庫を確認するのに少々忙しくばたばたしていたものの、それにまったく関与しない人物は、いつもと同じ過ごし方をしていて。後甲板では剣豪が日頃の日課である筋トレ・午後の部を始めており、
「…お。」
もう一人の暇人である船長殿は、天空のテラス、見張り台の中にて、真ん中に貫き通ったマストの先に凭れて居眠りの真っ最中であった。
"よく寝て…。"
トレードマークの麦ワラ帽子は、最初から脱いでおいたのか、それとも舟を漕ぐうちに脱げたのか、膝を立てたその足元に無造作に転がっている。背の高い"お兄ちゃんズ"の顔触れがこんな姿勢で…マストを背もたれ代わりにしたならば、窮屈で脚も胸板に付くくらいまで曲げたままとなってしまうところだが、この船では小さい方になるルフィには、マストからその縁の囲いまでの幅が、軽く膝を立てて座るには丁度良い位置関係になるらしい。それにしたって、円柱であるマストに凭れるというのは結構不安定な筈。パタリと横合いへ倒れ込みもせずにいるのは、まだ寝入り端ばなだからだろうか。
"………。"
陽射しにほかほかと温められた黒髪が、潮風にわさわさと掻き乱されている。無心な寝顔は彼の面差しの幼さを強調し、やわらかそうな唇が、合わさる寸前、若しくは離れる寸前を思わせる微妙な開き方をしかかった口許が…本人に直接それを言うと怒り出す言いようではあるが、何とも可憐で愛らしい。それは気持ち良さげにうたた寝の真っ最中である船長さんだが、
"けどなぁ。"
気候は悪くはない。天気も良いし、柱や屋根といった遮るもののない此処は、空からの陽射しが一番に降りそそぐ、日向ぼっこの特等席ではあろう。だが、風が強い。高みであるせいと、ここいらの海域が秋のそれをたたえた、少しばかり冷たい空気をはらんでいるからで、
「…ルフィ。」
身軽にひらりと。足音も極力立てぬように囲いを乗り越えて中へ入ると、すぐ傍へ屈み込み、背もたれにしているマストを避けるように、小さな船長さんだけを長い腕の中に囲い込む。肩先からの腕を全部と、胸元もかなり大きく開けたシャツ。間近になった肌は、果たして、かすかにひやりと冷えかけている。
「………ん。」
やはりまだ寝入り端であったらしく、風に紛れるほどの小さな囁きに、しっかりと反応を示して、かすかに身じろいだ彼であり、
「ルフィ、風邪ひくぞ? 寝るんなら下に降りて、キャビンに入んな。」
トーンはそのまま、優しい声で紡がれた囁き。いつもならもっと張りのある伸びやかな声をしている彼だのに、囁くような小さな声になると、不思議と甘い掠れをまとう。間近で聞いたならむず痒いくすぐったさをそそいでくれるから、
「ん…や、サンジ、くすぐったい。」
ルフィは小さく口許をほころばせながらそんな風に応じ、そしてその声へ…金髪のシェフ殿は"おや"と微かに眉を上げた。半分寝ていて瞼も降ろしたまま。だのに誰なのか分かったとはねと、それが少々意外だったのだろう。
"まあ、あのマリモ野郎がこんな気の利いた声の掛け方はしねぇか。"
黙って担ぎ降ろすか、この場で懐ろへ抱え込んでてやるか。そんなところかなと思いが至って…ちょいとムッと来た。この仲間内の中で唯一…暗黙の了解という微妙な代物ではありながらも、その間柄を認められている彼と彼。男のどこが良いんかねと呆れたのは最初のうちだけ。あれほどの男が…傍目は澄ましていつつもその実、結構なりふり構わずに入れ込むのが何となく納得出来る少年だとどんどん判って来たし。それほどの少年の方からもまた、ぽうと憧れ、慕っているその相手であるのなら、あんな野暮天だとはいえ、包み込まれて幸せそうにしている、その幸いへ冷水をぶっかけるような野暮もしたくはないのだが。そんな風に妙に優しく、臆病に構えたその結果、後から出会った"出遅れた"者の不幸を噛み締めてばかりいるのが、時折堪らなく苦痛になることがあって。
「…良い匂いすんのな、お前。」
無防備な寝顔。睡魔に負けかかっていて、力の入らぬ萎えた身体。床に膝をついて屈んだ姿勢のそのままで、小さな上体をくるみ込んだ腕の輪を少しばかり縮めて。陽射しに温められた水気の多い黒髪へ鼻先を埋めてみる。まだ子供だから、いやいや甘いものが好きだからか。この少年、髪や肌からさらさらと甘い蜂蜜水のような匂いがする。よほど傍に寄らねば判らない微々たるものではあるのだが、
「はにゃ?」
まだ寝ぼけているところ、髪を指先にするりと搦めたり、耳元でくすぐるみたいに囁き掛けたりし続けてやると、小さな肩を時折ひくりと震わせて見せる。
「蜂蜜の匂いかな。それともチョコレートの匂いかな。」
「んー、知らないもん。」
あやされるように優しい扱い。誰の目もないところでは、サンジは殊更に優しくしてくれるから。ルフィは半覚醒の心地よさにまだまだ浸っていたいようと、間近になったスーツの懐ろへ、甘えるようにこしこしと頬を擦りつけて見せた。手入れのいい、洗練された仕草の似合う、きれいな手指が、頬の先とか おとがいの縁をくすぐる。髪を梳いてくれる時には、そのまま頭も撫でてくれるその感触が、何とも言えずまろやかな優しさで心地いい。
「ふにゃ〜。サンジもいい匂いする。」
「んん? そうか?」
怒らせると物凄い剣幕で怒鳴るし、すぐに蹴っ飛ばす短気な彼だが、こうやって二人きり、うっとりと静かな時だけは別。いい匂いのする懐ろにもぐり込ませてくれるし、まるで高価な毛皮でも扱うかのように、大切にやわらかく構ってくれるから。それがどういうことなのだか、今一つ判っていない"お子様"な船長さんは、素直に欲求の赴くまま、恋人さんがいない間の"気持ちいい"を求めて、洗練されたやさしい手や温みへと簡単に懐いてしまう…という訳であるらしい。
◇
「だからさ。ゾロがきびきびしてて頼もしくて、大雑把で男らしいのも勿論大好きだけどさ。サンジが時々構ってくれる時みたいに、優しく甘やかしてくれるのも、俺、好きだからさ。」
それで今朝方は。微睡まどろみの中、もしかしてゾロもまた、優しく擽くすぐるように構ってくれないかなぁと、そんな期待を抱いだいて…故意(わざと)にすんなり起き上がらないで見せたのに。その大きな手であやしてくれないかなという思惑は大きく外れて、すかさずという勢いでチョッパーを呼びに部屋から飛び出して行ってしまった彼だったものだから、ちょいと膨むくれてしまったということなのだろう。
「…お前ね。」
そのサンジが作ってくれたのだという昼食のサンドイッチを、ゾロの分だからと1皿残しておいてくれた辺り、大嫌いだというほどにむっかりしていた彼ではなかったらしいが、それにしたって例えが悪すぎる。ルフィにしてみれば何の後ろ暗さもないからこそ、包み隠さず"最初から"を話してくれたのだろうが、
"そうか。昨日の晩飯がなんとなく豪華だったのは、食材を使い切るためなんてのだけが理由じゃなかったんだな。"
それだけご機嫌だったらしいシェフ殿へ、あの女たらしが、男にまで食指延ばしてんじゃねぇよと、そうと思いかけて、
"………。"
いや、その言い方もちょっとなぁと、我が身への跳ね返りに"ううむ"と眉を寄せる剣豪だ。自分たちは、厳密に言うと"同性愛者"ではない。たまたま今一番 愛惜しくて大切な相手が同性の男だったというだけであり、どんなに愛らしい子だからといっても他の"少年"へ今そうであるような抱擁込みの愛しさを覚えるかどうか。恐らくは単なる友情やら親愛止まりだろうと思われるくらい、いやむしろ論外なほど、そっちの気はないゾロだし、その点ではルフィも大差無いほど同様だろうと思われる。あまりに気が合い、あまりに理解し合っていて、その感触が…こちらからの把握も相手からの理解も、堪らなく快感だったから。どういう彼なのかがどんどんと判って来るにつけ、これほどの相手から一番だと位置付けられる優越感に、麻薬のように搦め捕られて。気がつけば此処に確固たる居場所を築いていた自分だ。そして、その始まりは彼からの執拗な"勧誘"から。ということは、彼の側からは随分と最初、それこそ付き合いが始まったその切っ掛け自体が"ゾロを気に入ったから"である筈で。
"だがなぁ。それを言うなら、あいつらだって同じようなもんなんだし。"
来た者を拒まなかったパターンは、今のところビビ王女とニコ=ロビンの二人のみ。麦ワラ海賊団の初期メンバーは、サンジもナミもチョッパーも、考えようによってはウソップでさえおいおい、ルフィの側から仲間に欲しいと熱烈アタックして陥落させた顔触れたちである。
「………。」
何とも微妙な告白をして下さった愛しい船長のお顔を眺めつつ、
「皆が皆、同じじゃあ面白くなかろうがよ。」
「…うん。」
「俺は俺だ。かなりの横着者で鈍感だし気も回らん。
けどな。こういう男だから、その…気に入ったんじゃねぇのか?」
「うん、そだよ。」
ざっかけなくて大雑把。言葉足らずだが、その分を補って余りあるほどの不言実行な行動派。突っ慳貪に見せかけて斜に構えつつも…実は義に厚く、そういうところが男らしくて頼もしいと、いつも憧れにも似た眼差しでついつい"ほややん"と見とれてしまう、屈強で雄々しい偉丈夫。だからこそ好きになったのだし、今だって変わらずに大好きだから。屈託なく是と応じたルフィは、
「………。」×2
しばしの沈黙。さして逼迫してもいないようなお顔のままに見つめ合って…幾刻か。
「そだな。」
にひゃっと笑って何やら納得した模様。
「サンジはサンジで、仲間として大好きだし大切だけど、それはそれだよな。ゾロんこと大事なのと一緒にしちゃいけないんだ。」
おおお、何なに? いきなり物分かり良くなってないかい?
「…ルフィ。」
こちらはと言えば、やっと判ってくれたらしいと安堵の表情を隠し切れないらしい剣豪殿であったものの、
「やっぱ、飯とおやつは別もんだもんな。」
――― はい?
何だか妙なことを言い出したぞ、この人。そして、
「ルフィ…?」
今度は何だか嫌な予感がして来たらしく、眉を顰め気味になったゾロへと、
「だからさ、どっちも凄んげぇ美味いんだけど、じっくり腹を膨らますには、やっぱちゃんとした飯でなきゃいけないんだ。口寂しいとか小腹が減ったってくらいなら、おやつでも良いし、甘いのが断然良いけどな。」
にこにこと、そ〜れは自信満々にご説明くださるルフィだが…それってさ。
"それって…おれが飯でコックがおやつだっていう例えなのかよ。"
凄い把握だなぁ。(笑) まるで、あのマリー=アントワネットが言ったとされてる俗説を彷彿とさせるお言葉じゃあ あ〜りませんか。
《パンが食べられないというのなら、お菓子を食べれば良いんじゃありませんの?》
本人、特に何かしらの…言葉の裏とかいうものは何にも意識してないみたいだが。彼にとっての"食べる"は、かなりとっても上位に位置するだろう、大切なことであるらしいのだと、重々知ってはいるのだが。
"…なんか。なんでだか空しくなるのは何でだろうな。"
さあて、何ででしょうかねぇ?(笑) どうも何だか、今日という日は、よっぽど噛み合わない日であるらしくて。自分なりの納得に非常に満足しているらしく、屈託のない笑顔全開の船長さんを前にして、
"………ま、何だ。とりあえずは、余計な手ぇ出してややこしいことのタネを作ってくれたコックに、きっちりと礼をすると。"
…おいおい、いきなり血の雨ですかい。ご機嫌さんなルフィには罪のないことと構える辺りが、やっぱり甘いぞ、この"偏向"副長。昨日のことなぞすっかり忘れているのだろうシェフ殿が、せめて大きな怪我なぞしないよう、祈ってやまない筆者だったりするのであった。
――― 合掌。
〜Fine〜 02.10.24.〜10.29.
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ちか様『やること成すこと、全てが裏目に出てしまう剣豪』
※コメディタッチでvv
*遅くなってすみません。
慣れない改装もどきに手をつけてしまいまして、
ただでさえ整理整頓って鬼門なのに〜〜〜。
おかげで毎日頭がパニックになっております。
そんな作業をサボっては進めておりましたお話ですが、
ちょぉっとご期待に添えてないかもしれないかも…。
すみませんです。
カッコいいゾロも滅多と書けませんが、
カッコ悪い剣豪も書けなかったみたいです。
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