たまには不協和音  “蜜月まで何マイル?”より


          



 ふと。風が変わったと気づいたその途端に前方の視界が思い切り開けて、随分と高台に出たことを知る。濁りなく透き通った、抜けるような青空ばかりが広がる視野のその下辺。切り立った崖かと思っていたが、ぎりぎり縁まで近づけば…その真下には恐ろしいほど急勾配の斜面があって、眼下に広がる結構な森を挟んでその向こう、島を取り囲む海原の辺までが見通せる。
「………。」
 そんな高みのその上に。昼下がりの乾いた陽射しをたたえた青空を背負って悠然と立つ一人の男。はっきり言って、なかなかの偉丈夫である。結構な上背があり、それに見合うだけのバランスを保っていることと、ただただパワーだけを求めるのではなく、瞬発力を放つ柔軟な筋肉の鍛練も疎かにしていないせいだろう。パッと目にはそうと目立たない、均整の取れた体躯をした人物なのだが、武芸や戦闘によくよく熟知した者にならすぐにそれと判るほど、無駄のない鍛えられ方をした、かなり屈強そうな肢体の持ち主だ。気配を殺す"消気"の術も心得ているから尚のこと、雑踏の中や木立ちの澹
あわいなどにも容易に紛れてしまえる男だが、本気で戦闘態勢に入るなり、殺気を漲みなぎらせるなりすれば、たちまちその存在感は本人の身体の何倍にも膨れ上がること、間違いない。顎の下、おとがいから鎖骨の合わせにかけての、きゅっと引き締まった肌が張り詰めた喉になかなかの色香があって。頼もしいまでに厚みのある充実した胸板の輪郭を透かすシンプルな白いTシャツと、ありふれた黒っぽいボトムという何ともあっさりとしたいで立ちだが、腰に回された…なぜそれが来るのかサッシュやホルダーベルトではない緑色の腹巻きには、厳いかめしい三本の日本刀が当然顔で通されていて。これだけで彼がどこの何者か、判る人間には判ってしまうその筋での有名人。自前のものなら珍しい、柔らかな色調の緑色の髪を短く刈った、ワイルドな風貌をしていて。しかも愛想というものに縁がないから、今もどこかしら不機嫌そうな無表情で、眼下の眺めに尖った視線を投げている。切れ上がった眸は所謂"龍眼"というやつで、翠色に透き通ったその奥に冷たい光を凝縮させて、澱むことを知らず冴え返るばかり。…ではあるのだが。

   "………。"

 時折吹きつける海からの風に、二の腕へ巻き付けた黒いバンダナが音立ててなびき、耳元で棒ピアスがゆらゆらと揺れている。底厚のワークブーツの踵が、小石混じりの砂を咬んで"じゃりっ"と軋んだ。日頃は冷静で判断力もあるのだが、何かやらかす時の破天荒さや無茶苦茶ぶりは、彼が唯一その指示に従うところの"破茶目茶ゴムゴム船長"殿といい勝負。今もこの、急斜面…というよりはやはり切り立った"断崖絶壁"のお仲間だろう崖っぷちに足を掛け、不敵そうにニヤリと笑いつつ何かしらの間合いでも取っているような雰囲気があるから、もしかしてもしかすると…。
"大したこっちゃねぇさ。ちょいと近道するだけの話だからよ。"
 まあね。いつぞや、船長さんのゴムゴムで一気に船までの滑空ショーをやらされた時に比べれば(アニメオリジナル"アピスと千年竜・ロストアイランド篇")、自発的な覚悟があってのこと。しかも、御自慢自前の足で体で駆け降りようっていうのだから、いっそ抜群のバランス感覚や瞬発力を研ぎ澄ます鍛練の代わりのようなもの。第三者がどうのこうの口出ししたところで、聞く耳持つ人じゃないのでしょうけれど。
"これ以上まどろっこしい探検ごっこしてても埒があかねぇからな。"
 ………見栄なんか張らないで正直におっしゃい。どう進んでも歩んでも、どういう地磁気との相性なのだか、船を着けた地点へは辿り着けないから。見えたのを幸い、一直線コースを取ることに決めたと。すなわち…またしても道に迷ってこんなとんでもない丘の上にまで来てしまったのだと。
"…さぁて、行くとするかな。"
 あ、こらっ! 筆者の段取りまで無視するか、あんたはっ! 待てってばっっ!



            ◇


   ――― 思えば、朝一番から始まった齟齬である。


"………ん。"
 今回の航路には特に目的もないし、次にと目指す島もまた、ごくごく平凡な…内乱も政治不安も、秘宝を巡る海賊たちによる襲撃や蹂躙もない、平和な土地だということで。いつも通り、ログが溜まるのを待ちながら、物資と情報の収集のための上陸を予定しているというプランが、昨日の内にクルー全員へ伝えられてあった。買い物の予定がある面子たちは昨日までの内に在庫の下調べをしており、準備は万端。島に関する情報は先の島にて十分集められていて、色々と整ったちょこっと大きな港があるにはあるのだが、海軍の臨検が抜き打ちで行われるということなので、今回は島の岩陰、人気の無さそうな小さな入り江に停泊することとなっていた。この、思いがけないことだらけなグランドラインにあっても、海流や風を空気の匂いや肌合いで的確に読み取れる、それは腕のいい航海士と、骨惜しみせずによく働く、たいそう息の合ったクルーたちによる操船術の成果が、予定通りに船を運んでいて。陽の出を少し過ぎた頃合いの、あと1時間もしないうち、目的地へ無事に到着と至る筈。そういった"状況"を浅い眠りの中、思い出しつつあった剣豪殿は、それと同時、何かしら妙だよなという感触を間近な気配の中に覚えてもいた。

"………。"

 いつもの朝と違う何か。大判の毛布を2枚重ねたその下の、ゆったり広い自分の懐ろの中。さらさらした感触の肌を、だが少ぉし高めの体温で馨
かぐわしくも温めたお子様が約1名、少しばかりぶかぶかなパジャマ姿で、当然顔でくうくうと眠っている。それは構わないことなのだが、
「…ルフィ?」
 あと1時間で到着とあって、船内には…早起きなコック殿が調理中の朝食だろう、スープのヴィオンやササミだか豚ベーコンだかを炙
あぶっているらしい香ばしい匂いだとかが、実に魅惑的な温かさで彷徨さまよい漂っているというのに。朝に強くてしかも大食らいの彼が、こんなに遅くまで…少なくとも夜型の自分よりも長く、ずっと眠ったままというのは訝おかしい事態だ。これが他の人間であるのなら、ままそういう日もあるさと放っておくのだが、
「どうしたんだ? んん? まだ寝てるのか?」
 顎を引くようにして懐ろを覗き込む。秋島海域に入ってこっち、朝方なぞ少し冷えるようになったから、それでお腹でも壊したのだろうか。それとも風邪でも拾ってしまい、頭が痛いのではなかろうか。大きな手のひらを丸みのあるおでこに当てがうと、
「…うにゃい。」
 小さな応じの声が帰って来た。そのトーンから、起きてはいるらしいと察して、
「どこか具合でも悪いのか?」
 あらためて毛布でくるみ込んでやりつつ訊くと、
「ん〜ん。」
 声だけでの返事。首さえ振らない、顔も上げないという、元気の塊りな筈のこの彼にしてはどこか動きが緩慢なのも気になった。ということで、
「ちょっと待ってな、チョッパーを呼んで来るからよ。」
 こういう場合は急いだ方が良いに決まっている。そうと思えば身軽に起き上がってしまえるフットワークも軽快に、こちらは上半身が半裸だったところへシャツを着込みながら、とっとと通路へ出ている彼である。先に起きた者がついでに開けたらしく、天井に幾つかある蓋戸が半分ほど開いていて。そこから乾いた朝陽が射し込んで通路はもう既に結構明るい。そんな中に、
「あ、おはよー、ゾロvv」
 ウソップと一緒の資材庫を自室にしているチョッパーが出て来たのと丁度鉢合わせた。愛らしくもにこにこと、朝から機嫌の良さそうな小さなトナカイ船医殿へ、
「おう。朝イチで悪いがちょっと来てくれねぇかな。」
 会釈に付け足すように、そんな声をかけたゾロだった。さして逼迫した言いようはしなかったのだが、
「なになに? 具合でも悪くなったんか?」
 そこは自分のポジションへの強い自負と責任がある名医さん。自分への用件となると、単に手を貸してほしいというものではなく、誰ぞが怪我をしたとか熱を出したとかいった、医療関係の急な事態への招聘だろうと心得ている。
「俺じゃなくてルフィが、だがな。様子が訝しいんだ。診てやってくれないか。」
 静かな声だ。さして心配性ではないながら、あの小さな船長さんにだけは心を砕く彼のこと。本当に見るからに具合が悪ければ、有無をも言わさず小脇に抱えてという勢いで連れてくことだろうから
(笑)、恐らくは判断がつかなくて呼びに来たのだなと察しがいって、
「判ったぞ。診に行こう。」
 自信に満ちた笑顔でこくりと頷いたチョッパーは、ほてほてと通路を彼らの部屋まで向かった。


   ――― ところが。


 戸口が開いたままだった、一番船首の突き当たりの部屋。その戸口から中を見やれば、
「…あ。」
 こちらに足元のボードを向けて置かれたベッドに、ルフィがちょこんと座っているのがはっきりと見て取れた。寝乱れたままの黒髪がぽさぽさと、あちこちに向いて撥ねており、いかにも"今起きました"という様子だったが、顔付きはそんなでもない。大きな眸はしっかりと開いていたし、表情のピントもくっきりしたもので。しかも…どこか、気のせいだろうか、不機嫌そうな口許、目許。そして開口一番に、

   「ゾロって気が利かねぇっ!」

と、来たもんで。今度こそ見るからにそれと判るほど不機嫌そうに、空気を目一杯吸い込んで頬を膨らませるものだから、
「…ルフィ?」
 これでも彼にしてみれば…ルフィにまつわることにだけは、日頃の荒くたさや大雑把なところをかなり抑えて、きちんきちんと立ち止まる格好で気を回している方なんですが。そんな筆者の呟きへ、
「だよな。」
 小さな船医さんが舌っ足らずなお声でそうと応じてくれたのさえ、二人の耳には届かなかったようである。


            ◇


 何でだか原因は不明ながら、朝っぱらからいきおい不機嫌になってしまった愛しい船長さんは、朝食中もそっぽを向き続けたその揚げ句、着岸したその途端に、脱兎のごとく…は尻尾を巻いて逃げる時の描写だな、えとえっと。
『陸だっ!』
『あっ、こらっ! 待ちなさいってばっ!』
 ともあれ、凄まじいまでの勢いでとっとと上陸してしまい。まま、それはいつものことと、皆も今更、さほどには深刻なことでもなかろうと解釈したらしいから…慣れって凄い。
(笑)
『この島のログは1日で溜まるんですって。よって、出港は明日の昼早く。』
 このところ無人島やら小さな村しかないような島にばかり小刻みに寄港していたものだから、久し振りに賑やかな港町のある島へ着いたということで、宿も一応取ることになったが、
『例によって"あんたたち"は船番ね。何を揉めてるんだかは知らないけれど、ちゃんと連れ戻して船で寝かせるのよ?』
 船から降りる前の申し送り、一応の打ち合わせの場にて。航行責任者である航海士嬢は、相変わらずの強腰姿勢で、恐持ての戦闘隊長さんへ言い置いた。一体"誰を"かは、省略されていてもすぐに判る。小さな村の場合は、船長の人懐っこい人柄が物を言ってか、一緒くたに村長さんの家だの公民館や教会などに泊めてもらうこともあるのだけれど。今回のような…ある程度の規模があって、公安系統の守りもしっかりした土地の場合、お尋ね者の船長と剣豪は顔が指すのを避けるためにと、夜は留守番がてら船での寝起きを余儀なくされることが多い。別に強制力はなく、町の居酒屋で遅くまで酒を引っかけようが、何かの弾みで乱闘に雪崩込もうがそれは勝手になさいませ、但し、こっちは顔までは割れていないのだから、物騒な騒ぎに自分たちまで巻き込まないでよねと。航海士嬢がきつく言い置いたのが始まりで、陽が沈んでからは別行動を取るのが常のことと化して久しい。まま、そのうち全員の顔が別々な手配書となって刷り上げられて、大々的に公開される日もさほど遠くはなかろうが、今のところはこのパターンがごくごく自然なこととして踏襲されていて、
『まったくもう。甲斐性がないんだから困ったもんだわよね。』
 ナミが肩を竦めながら言い放った付け足しへ、
『…何がだよ。』
 そこは敏感に眉を顰めて反応した剣豪さんだったが、
『あんたが手綱を締めないで誰があの鉄砲玉を御せるっていうの? 一応は相棒というか副長みたいなもんなんだから、一番間近い者として、そこんとこもしっかりシメてほしいって言ってるの。』
 この船自慢の凄腕戦闘班、バナナワニでもサンドラオオトカゲでも、恐らくはサンドラマレナマズだって叩きのめせる頼もしき男衆たちを、有無をも言わさず空の彼方まで蹴り飛ばせる"豪傑航海士"は溜息混じりにそう言うと、
『甘やかすのもいい加減にしておかないと。あんたの手にさえ余るようになったら、もう誰にも手がつけらんないんだから。その辺はちゃんと自覚しておいてよね。』
『………。』
 言われるまでもないとか、余計なお世話だとか、遠慮とか手加減とかいうもんを知らないお前に言えた義理かいとか。色々と言いたそうな顔をしたものの、今日はさすがにいつものような"打てば響く"というタイミングの応酬もないまま、ふいっとそっぽを向くようにして船から降り立った剣豪だった。



 その後、結構なにぎわいを見せる町の中を散策しつつ、彼ならばこういうところにいるだろうと何となく目星をつけた様々な店や広場に行ってもみたが、そのどこにも姿がなかったルフィだった。途轍もない方向音痴だという情報が天下の海軍データにまで乗っているロロノア=ゾロ氏ではあるが
(笑)、事が"船長の居場所"というジャンルにおいては…かつての筆者の大好きヒーロー、ピッコロ大魔王が悟飯ちゃんの危機に必ず現れたごとく(古っ)、特注センサーでも内蔵されているのではなかろうかというほど、見事に探り当てて来たものが、今回ばかりは空振ってばかり。今朝のあの不可解な言動といい、ルフィの思うところが今日に限ってはまるきり読めない自分であるらしいと、そう思い知らされているようで何となく気が晴れない。そんなこんなしている内にも陽は天空を駆け登り、昼を少し回ったところで、
『ああ? ルフィならさっき船まで荷物持ちさせたぜ。ご褒美にって飯作ってやったからな、まだいるんじゃねぇのかな。』
 市場にてたまたま姿を見かけたシェフに言われて、そいでのあの、海から遠い崖の上からの特攻となった訳やね、あんた。ルフィ・センサーが異常を来
きたすとは、今日はよほどに相性が悪い日であるらしい。


 そうしてそして。凄まじいまでの急勾配、前傾姿勢のバランスが少しでも崩れれば呆気なく失速して、数十メートルもの落差のある崖のような山肌を文字通り転がり落ちたろうという、途轍もない暴挙に至った彼である。力とバネを備えた強靭な足腰とずば抜けた瞬発力とで、まるで荒馬を御すように急斜面を一気に駆け降りる。駆け出したら最後、もう停まることは適わないという、一気呵成にしてすこぶるつきに乱暴な方法にて…森の中に突っ込んでからは、眼前に立ち塞がる木々を自慢の刀で薙ぎ倒しつつ、自然破壊行為込みの爆走で辿り着いた岩場の入り江。やっと平坦な場所に到着し、勢い余ってそのまま海に飛び込むかというほどの猛スピードを"おっととと…"と均してやっとストップ。
"ちょ、ちょっと早まったかもな…。"
 おおう、もしかしてちょびっとドキドキしてますね、自分のやったことへ。
(笑) 肩で息をしつつ、無事に辿り着けたことを噛み締めていたその矢先。

   「遅いっっ!」

 頭の上辺りからそんな尊大なお言葉が降って来た。ああ?と見上げれば、それは愛船の甲板からのものであり、船端には見慣れた人影。
「…ルフィ?」
 そう。腕を組んで踏ん反り返った、なかなか勇ましい立ち姿の船長さんからのものである。
「何してたんだよっ。町ん中でもどこにもいないしっ。俺んこと、ワザと避けてたんかっ?!」
「…あのな。」
 それはこっちの台詞である。おもむろに身を起こし、
「お前こそ、どこをうろついてやがった。」
 そうと訊くと、
「だから…っ。」
 それまで勢い込んでいたものが、ふいっと失速を見せて、
「……………刀や剣の店とか、居酒屋とか、鍛冶屋とかを…見て回ってた。」

   ――― おや。

「………。」
 それって。ルフィが一緒でないまま、されど何の杞憂もこだわり事もなかったならば、ゾロが自然と立ち寄りそうな場所じゃあありませんか。
"そっか。それで…。"
 お互いがそんな行動を取っていたらば、相手が見つからなかったのも無理はない。しかも、それに加えて二人ともが迷子の達人だから始末に負えない。今日はよっぽど噛み合わない日であるようだ。とは言っても、
「大体だ、今朝からこっち、何をプリプリと怒ってやがんだよ、お前。」
 そもそもその辺りから歯車がおかしい彼らなのでもあって。だが、ゾロの側には一向に…あんな風に突然道理の見えない不機嫌を突きつけられるような心当たりはない。駆け違えたボタンのように、いつまでも不具合が均されないままというのは、何とも気分が落ち着かないもの。他のことならいざ知らず、彼との間に生じた齟齬なれば放っておく訳にも行かないと、ゾロも少々むっとしているようであり。そんな彼から挑むような眼差しを真っ直ぐ向けられたルフィはというと、

   「……………。」

 むむうと子供じみた膨れっ面になったまま、それでも…問答無用と振り切るでなく、登って来いと言う代わり、縄ばしごを放って寄越した彼ではあった。



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