蜜月まで何マイル? "漆黒の帳 闇夜の扉"
 

 

          



 海が近い。潮の香を含んだ風が時折思い出したように吹き渡り、群雲のような木々の梢をざわざわと揺らし、まるで遠いさざ波の音を真似ているかのよう。随分と夜も更けているので特に此処だけの話でもないながら、人通りもなく、人家も遠いこの辺りには、静謐な夜陰が暗幕のように垂れ込めていて。神話にでも出て来そうな"無限の闇"のその底を思わせるほどの寂寥感に満ちていて、殺風景この上ない。そんな中に唯一の存在として、頑丈な鉄製の高脚が対になって2つ、古びてはいるがやはり頑丈そうな大扉の左右に立っており。大人の身長ほどの高さに据えられた真っ黒な炎籠には、明々とした篝火が勢いよく焚かれている。規模はさほどではないが歴史の古い島。そこに先祖代々伝わる"祭祀用"の様々な装具や何やが収められている蔵であり、形は成程古めかしいけれど、

  『だからこそ、付け入る隙がないのよね。』

 最新式の錠前を提げ、それに頼って見張りが薄いという倉庫の方が、よほど簡単に破れる。知恵と知恵とのいたちごっこは、あまりに足早な進化についつい隙が生じやすいのか、そのシステムの思わぬ所に欠陥があるので案外と脆い。それに比べて古い型の錠前システムだと、用心のために番人がちゃんと立っているから近寄れない、もしくは時間という鍵がかかっているので人知では歯が立たないなど、それは様々に対策が重なっているがため、新しいものより むしろ取っ付きにくいのだとかで。そんなせいだろうか。結構有名なお宝が収められているのだそうだのに、これまでの長い長い間、特別な衛士を仕立てずともきっちりと守ってこれていた。

  『何しろ海神の祭祀だそうだから。』

 どんなに乱暴な荒くれ海賊たちにも縁起は守るという輩は多かったし、天におわします人間を束ねる神様は信じないが海の神様だけは別だとする者も以下同文。
こらこら 魔海と呼ばれるグランドラインに乗り出すような連中にしても同じことで、中には"その宝物ってのにはワンピースの一部が混じっているのかも"なんて思い込んで強奪を試みる者もいなくはなかったらしいのだが、

  『腕に自信のある者ほど、見事に失敗して海軍に突き出されたそうだから。』

 やはり海神にだけは逆らっちゃあいけないんだという噂が実
まことしやかに広がって、今日現在の無事安泰につながってもいるのだろう。とはいえ、そんな神憑りにばかり頼ってもおらず、毎晩きっちりと見張り役が扉前に立っている律義さもまた物を言ってもいるものと思われる。殊に晩の番人はなかなかに鋭い眼差しをした屈強な偉丈夫であり、よほどの切れ者なのか、ただ立っているだけのその姿にも威容が感じられ、鋭い集中により、一片も油断の気配はない模様。斜めに切れ上がった漆黒の双眸に、頬骨の立った険しい容貌。肉づきの薄い口元は、縫い綴じられてでもいるかのように堅く閉ざされて動かない。鎧だの籠手だのといった大仰な武装はなかったが、袖の長さの違う着物を順に重ね着る、和国の水干という装束に似た恰好をしていて、腰には業物らしき大刀を提げ、修験者の錫杖のような槍を利き手に握って微動だにせず立っている姿は、厳粛なまでの畏怖をたたえており、それだけで十分に威嚇の役目を果たしてもいる。
「………。」
 いかにも無表情な男の顔へ、時折 潮風に揺らぐ篝火が不規則な陰を落としては、怒ったり睨んだりしているかのような"表情"を勝手に塗りたくっていたのだが、
「…?」
 その無表情が、ふと。何かの気配を感じて、視線だけを動かした。篝火の光はさほどに明るくはない。炎そのものは眩しいが、せいぜい周囲の数mほどしか照らし出せない。そんな篝火の照らす光の輪の外。漆を流したようにムラのない暗黒の、つるんとしたビロウドの感触を思わせる奥行きの深い闇の中から。夜警に慣れているらしき その番人の感覚へと、何物かの気配が伝わって来たらしく。その手に錫杖をぐっと握り込みながら、自分を包む夜陰を見透かすように目許を眇めた。

  「………そんな怖い顔、しないでよ。」

 篝火の薪の表面が"じじっ"とはぜる音に紛れて、小さな声がこちらへと届く。表情豊かな琥珀の瞳が、いつの間にかこちらを伺っていたのに気づいた。
「…っ。」
 ハッとして腰の大刀の柄に手をかけた番人だったが、

  「何が怖いの?」

 夜陰の中から滲み出して来たのは、小さな人影がたった一つ。くすんだ色合いのマントをほっそりとした肩からまとっており、首元に紐を蝶々に結っている他には何の装飾も見られない、のっぺりすとんとした、いかにも簡素ないで立ちの少年で。もっと明るいところで見たなら、所謂"童顔"という部類の稚
いとけない顔立ちなのだろうけれど。この不安定な明かりの下で見ると…どういう加減なのだろうか、大きく見開かれた琥珀色の瞳の潤みが、いやに強調されており。うっすらと笑みを浮かべた口許も、風に躍っては揺れる篝火の振り撒く陰に妖しく はたかれて、妙に妖冶な色合いの表情を塗り重ねているかのようにも見えて来る。
「子供が何用だ。」
 ここいらでは見かけない顔だが、子供はその成長が早い。思春期にほんの1年も見ないとすっかりと面変わりしていたりする。来週にも海神様をお祀りする儀式の禊
みそぎが始まるから、その手伝いにと少し遠い村から出て来た子供なのかも。だが、
「こんな遅くに、こんなところを出歩いて。」
 親から何か言いつかっての外出にしても、こんな何にもない場所へやって来るような用事など、そうそうあるとも思えない。大通りから入った細道の突き当たりに位置する此処は、あくまでも祭祀用の宝物殿のみが置かれた場所であり、神社の母屋や納所・庫裏は別のもっと海の際にある。たった一人だということへも、却って警戒したくなるほどに訝
いぶかしさ一杯な、いかにも怪しい行動だが。ならば盗賊の類…にしては、
「………。」
 そのようには到底見受けられない不思議な存在なのだ。いかにも童顔の小さな少年。肩からまとった目の詰んだ布のマントは、随分と狭いままにつるんと足元まで降りていて。中に武装をしていたとしても、本人の体の幅を加算するとなると…大したものは隠せまいと思わせるほどにすんなり細い。よく見れば、体の前の胸元あたりにちらりと指先が覗いており、合わせがはだけないようにと左右を軽く摘まんでいるのだろうが、その指先のちょこりとした大きさから察するに、何とも小さな手の持ち主だというのがよく分かる。しかも、

  "裸足?"

 足元と言っても正確には膝あたりまでの長さのマント。その裾から伸びていたのは、見通しの悪い地面近くの闇溜りに白く浮き上がった、すんなりと撓
しなやかな一対の脛であり。靴も履かない小さな足は、やはりその持ち主の幼さを滲ませているばかり。

  「なあ、そんな怖い顔しないでくれよ。」

 職務柄の義務として、頭の先から足の爪先までをまじまじと眺め回しているその視線が擽ったいとでも言うように、くすくすという微笑を含ませた甘い声で囁いた相手は、漆黒の夜陰の中に今にも溶け入りそうな黒髪を、さわさわと潮風に梳かせるままにしつつ、
「俺、あんたに用があって来たんだぜ?」
 うふふと。口許を柔らかくほころばせて意味深に笑って見せる。ぱちぱちとはぜる篝火の息づく音だけが、堂々と響き続ける漆黒の空間は妙に静かで、
「…俺には心当たりはない。」
 偉丈夫が少年へと返した言葉は、低く響いて味のある声に乗りきっちり相手へ届いた筈だったが、
「そう。」
 そんなこと、何の差し障りにもならないという声音が短く返って来ただけである。甘くほころんだままの表情にも、失望や緊張の尖りはなく、

  「………やさしくしてくれるって、聞いて来たのにな。」

 くふんと鼻を鳴らして。幼なげに甘えるような、それでいて春をひさぐ手管に練れた、一端
いっぱしの夜鷹のような。そんな口調でぽつりと呟いた小さな声がして。

  ――― さら、と。

 少年の胸元で閉ざされていたマントの合わせが、風に揺れたかのようにほんの一瞬だけ ふわりと離れて。黒っぽい合わせに細く細く隙間が開いた。そうなのだと分かったのは、外へと覗けたものがただただ真っ白い肌だけだったから。胸元から始まって、足元は腿のあたりまで。途中に何か横切るものの一切ないままに、真っ白な肌目しか覗けなかった、その何とも煽情的なコントラストに、

  「………。」

 周囲の沈黙が尚の密度を増した。不揃いな前髪の下、男を見据える少年の、強い意志を乗せた琥珀色の眼差しは挑発の撓
しなりに満ちて一歩も引かず。何かをまさぐるようにこちらをじぃと眺めやっていたのだが。ふと。

  ――― くす、と。

 少年の唇の端がきゅううと持ち上がり、白い頬へと食い込むほど吊り上がる。男の喉が大きく鳴ったのが聞こえたからで、
「ね? ちょっとだけ。」
 掠れるような声で甘くねだるように囁けば、

  「…此処ではダメか?」

 相手の声も熱っぽくも掠れている。冷ややかに冴えた眼差しだったところへ、別な鋭さが加わっており、いかにも値踏みするかのように相手の姿を無遠慮にもじろじろと眺め回しており、
「いや。恥ずかしいもの。」
「誰も見てはいないさ。」
「だって。此処には神様にお捧げするものが収めてあるのでしょう?」
 罰が当たってしまうようと、悪戯っぽく含み笑いをして見せた少年が、そのまま白い裸足をするりと向背の闇の中へと戻しかかると、
「…、待てっ。」
 手にしていた錫杖をからりと手放し、すばしっこい少年が夜陰の中へ溶け込んでしまうのを追って、番人の男が扉前からその身を剥がす。これで本当に無人となった空間に、篝火のはぜる音だけがパチパチと堅く弾ける音を立てていた。






 どのくらいの間合いがあったのか。かささと茂みを騒がせる音を追えば、くすんだマントの陰が視野の端を掠めた。それを追って踏み込んだのは、道なりに植えられた木立ちの奥。さっきまで雲に隠れていた月が顔を出し、青い光に濡れたように染まった常緑の茂みの向こうに、篝火のための薪を置くのにと開けていた空間が見て取れて。こんな深夜だというのに何の衒いも無さげな軽い足取りで駆けてゆく少年の、細い背中、腿の半ばまで跳ね上がったマントの裾から覗く白い脛の裏が、男の視線を搦め捕ったまま離さない。静謐の中に悪戯っぽい含み笑いが滲んで聞こえて、それもまた男の気持ちを逸
はやらせている。急いで戻らねばならない大事な務めの途中だというのに、もう少しで届きそうな距離を挟んで逃げた少年をどうしても諦められない。
「…あ。」
 小さな声を立てて、逃亡者が不意に立ち止まる。そうだった、この先は少しばかり高さのある崖になっていた。足を励まし、一気に追いつき、途方に暮れているような背中に躍りかかると、
「観念するんだな。」
 肩を掴んで引き寄せて、そのまま細い体を抱きすくめる。どこか子供っぽい甘い香りのする肢体は、猫の背のような毛並みのいい撓やかさをマント越しに伝えて来て。何が擽ったいのか、抵抗にしてはゆるくやわく身をよじるのを甘えと取って、もう一方の手をマントの裾から這い込ませる。直接触れた肌のなめらかな弾力が、いかにも瑞々しくて若々しい。腿から上がって、小さめの尻に触れ、
「あ、やだ…。」
 そんな風にもぐり込んだ不躾な相手の手の感触よりも、めくれ上がってしまった裾を気にして伸ばされた手を掴み取り、
「大人しくしてりゃあ、優しくしてやるさ。」
 酷薄そうな笑い方をして、その手を自分の体の方へ、強引に引き寄せかかったその時だった。


  「…あ、ゾロ。」


 それまでの、どこか妖冶だった、いかにも物慣れて見えた所作や囁きからは程遠い、これもまた いかにもあっけらかんとした声音がすぐ間際から上がったその途端に、

  「はぐっっ★」

 ごいんとも ごつんとも、何とも言い難い鈍い音がして。後頭部への激痛を感じたと同時、宝物殿の番人さんは…その視界の中に銀の星がざわざわと舞い上がるのを眺めつつ、あっと言う間に意識を失ってしまったのだった。



  ――― お前な、あんな間合いで声かけて来るんじゃねぇよ。

       だってサ。なかなか出て来てくれないんだもん。
       それにあのおっちゃん、尻撫でんの凄げぇ上手かったしさ。

  ――― なんだそりゃ。

       だからサ、ゾロみたいにごっつい手なのに、
       ふわって撫でたりグイグイって揉んだりの混ざり具合が。

  ――― ほほぉ。

       何だよ、その言い方。
       あっ、やだ。こんなトコで何すんだ。///////




 ………悪いことは言わない。早く船に帰ってパンツをはきなさい、船長。
(笑)





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