月下星群 〜孤高の昴・異聞

  天上の海・掌中の星 〜晩夏黄昏



          
終章




   ………さて。


「え? もうカナダに戻るのか?」
 昨日一昨日に引き続いてきっぱりと晴れた朝一番に電話があって、それが昨夜どこかへ出掛けたまま戻って来なかった兄からのもの。自分を挟んで剣突き合っていた二人のことを、あれほど心配していたのに。戻ってみれば…意気投合してビールだ酒だと明るく盛り上がってた"彼と彼"の二人であり、
『………あのねぇ。』
 花壇への水やりからのろのろと重い足を引きずっての帰途。ついでにというか、ついつい気後れして、本屋やコンビニへ寄り道していてやや遅くなって帰宅したところが…彼らのそんな様子を目撃し、あんなに心配したのにと一気にがっくりと脱力したルフィだったのだ。それから、コンビニで買って来た弁当や総菜と、久し振りに兄が作った得意料理の"ふかふか玉子とエビのトマト煮"で夕飯を済ませ、どのくらい遅い時間だったかは覚えていないのだが、さほど…というか全く酔わないままの素面
しらふ同然、しゃっきりした態度で夜半にどこかへ出掛けていった兄であり。何故だか眠くてしようがなくて、帰りも待たずに寝てしまったその翌朝にこれだったから、冗談抜きに"寝耳に水"なルフィの驚きようは半端なものではなかったが、
「今、空港? 何で昨日の内に言ってくれなかったんだよ。」
 くしゃくしゃな夏布団に絡まってイモムシみたいになってた彼に、居間から携帯電話を運んで来てやった緑髪の精霊さんは、せっかくの兄弟水入らずの会話だからと離れかけたところを、弟さんにシャツの裾を掴まれて已
やむなく傍らにいる。で、
"ゾロは聞いてたんか?"
 目線でそう聞かれて…電話での会話もゾロには筒抜けだろうと判断してのことらしく、やっぱ切り替えの早い子だなという認識も新たに、
"聞いてねぇよ"
と、首を横に振って見せる。その内心で、どうやらサンジのかけた暗示は無事に効いているらしいと察し、
"やっぱ、日頃から偉そうにしてるだけはあるんだな。"
 相棒の能力に今更ながら感心している彼である。

   ……………つまり。

 先程述べた"兄とゾロの意気投合の図"などというルフィの記憶。ここまでを順を追って読んで来られた皆さんには、

  "え? え? それって何の話?
   Morlin.さんたら、またリンク間違えてつないでない?"

とばかりに驚かれたかも知れませんが。
(笑) 実を言うと、全部サンジが刷り込んだ代物。エースにも了解を取った上で、妖邪に襲われた記憶を無難なものへと塗り替えておいたのだ。



            ◇



   「まだ明るいこんな時間帯に牙を剥く奴がいるなんて、
    不慮の出来事
(イレギュラー)もいいトコだ。
    こんな代物で、ますます何かしら胸に抱え込ますのは可哀想だしな。」

 手痛い真実とやさしい嘘。本当ならば、正道を言うなら、前者に屈しない強い心である方が良いのだが。そしてそうなるためにも、小さな物から少しずつ、痛い想いというものをしっかと拾っては身に染ませておく方が良いのだが。この少年はもう既に沢山の傷を負っている。人知れず、苦衷苦難を山ほど背負って、だのに明るく笑える強い子ではある。だから…そう、

   「こういう言い方はきっと狡いんだろうが、
    これだけの頭数が居ても、直接的には守ることが出来ても、
    結局は手の届かないところへ傷を残しただなんて
    …俺たちの立場が無いからな。」

 エースがにんまりと笑い、二人の精霊たちも頷いて見せたのだ。そして、

   「こうまで逼迫した事態になっているとは思わなかった。
    もしかすると、この子があんたたちに出会えたのは、
    たいそう幸福な巡り合わせなんだろうと思うよ。
    今更じゃあ虫が良すぎるかもしれないが、あらためて、
    この子のこと、よろしく頼む。お願いだ。」

 希代の弓引き名人は、二人の精霊へ深々と頭を下げて見せたのであった。



            ◇


【暮れには帰るよ。クリスマスのお土産を楽しみにしてな。】
 手のひらの上、小さく軽い携帯電話から届く兄の声は軽快そのものだが、こちらはそうはいかない。
「そんなっ。なんで、昨夜のうちに言っといてくれなかったんだよっ!」
 彼自身も言ってるように、そうそう簡単に会える兄ではない。カナダという遠い外国へ行ってしまうのだ。暮れまでは帰って来ないのだ。
【言ったってしようがなかろうが。そこんチから空港までどんくらいかかるか。空港近くのホテルから出発するほうが効率的ってもんだろが。】
「そんなだけの問題じゃねぇよっ。」
 激高すると頭も口も結構回るタイプであるらしい。じゃなくって。
【何かあったら電話して来な。】
 ふと…兄の声のトーンが落ちて。気遣うような、そのまま声で頭をそっと撫でてくれるかのような、やさしい声音になった。何でもなくてもしょっちゅう掛けていた国際電話。パソコンでのチャットメールが主ではあったが、時々はもっと生に近い声が聞きたくなって。料金が馬鹿にならないと判っていながらも、時差も考えずに掛けていた。大好きなやさしい兄は、忙しいだろうに、眠かったろうに、弟の紡ぐ他愛ない話に嬉しそうな茶々を入れて、相手をしてくれたものだった。
【いつだってすっ飛んで帰るからさ。】
「………そんなじゃなくてさぁ。」
 寂しい訳ではない。ちらっと視線を流せば、しょうがないなぁと諦めてベッドの端に腰を下ろした、カッコよくって頼もしい、大好きな精霊がいる。寝癖がついて跳ねている髪を、大きな手で撫でながら梳いてくれている。だから、ホントを言うと前ほどには寂しくはない。ただ…強いて言うならそんな自分がちょっと辛い。さんざん甘えて困らせもして、だのにそんな兄に何の相談もなく"平気だ"なんて顔でいて。こういう時はどう言えばいいのだろうか。ごめんなさいでもないし、今までありがとう…なんていうのもお嫁に行くみたいで何か変だし。
【いい子で居なよ? ゾロって言ったかな、あんまり手ぇ焼かさすんじゃねぇぞ?】
「あ、あ、エースっ!」
 切ってしまいそうな運びに気づいて慌てた声を掛けると、


   【どこにいても大好きだ。】

   「………あ。」


 いつもの一言なのに。カナダに出発した2年前の最初の日からのずっと、メールやチャットや電話や帰省の別れ際に、いつも言ってくれてることなのに。今日のは何だか…何だか胸がきゅんってなった。いつもと違って声が、低くて静かで少ぉし掠れてたから。何だか、沢山の何かが詰まってるような言い方だって思えて、
「あ…えと。俺も、大好き。」
 不意を突かれた感があり、ただ繰り返したみたいな返事になって。だのに、
【じゃあな。】
 短く言ってあっさり切ったエースだったから、
「あーもうっ。」
 うんともすんとも言わなくなった携帯を、ベッドの足元へと放り投げるルフィである。それへと眉を顰めて、
「こらこら」
 拾い上げようと身を伸べた精霊さんのすぐ脇で、
「も一度寝る。」
 ホラガイの形の菓子パン"チョココルネ"みたいになった夏掛けの中、もそごそと首を縮めてもぐり込んでくルフィであり、今朝はいつにも増して駄々を捏ねる彼である様子。
"…なんでだろう。"
 エースだけじゃあない。電話だぞと軽く揺さぶって起こしてくれたゾロも、何だか様子が変な気がする。髪を梳いてくれた手がやさしくて。でも、それもやっぱりいつものことなのに。どうして今朝は、こんなしみじみ"気持ちいいなぁ"って感じがしたのかが判らなくて。
"……………。"
 何がどう、とまでははっきりしなくて、その齟齬のような何かが気になって落ち着けない。頭の中や胸の裡
うちのどこかに"鍵"が落ちてやしないかと、漫然と考え込みつつ…とろとろと二度寝をしかかっていると、
「起きな。そろそろ体の時計だって修復始めないと、新学期キツイぞ。」
 布団の上から大きな手がまた揺さぶって来た。
「@ー…うるさいなぁ。ゾロって母ちゃんみたいだ。」
「おい。」
 言うに事欠いて"母ちゃん"とは聞き捨てならんぞと、ちょっとばかり低い声になるゾロで、
「だって、シャ…じゃないや、父ちゃん居るし、兄ちゃん居るし。だから、ゾロは母ちゃんだ。」
 ほほお、お友達からお母さんへ"昇格"ですか。(ちょっと違うぞ。/笑)
「どっちでも良いから起きな。」
「…………。」
「…そーか。起きねぇか。じゃあ居たってしゃあないし、帰るかな。」
「…………。」
「こら、手ぇ離しな。」
「帰っちゃやだ。」
 薄い夏掛けをぐるぐると小さな体に巻きつけたイモムシが、触手みたいに伸ばした腕の先、小さな手でしっかと精霊殿のシャツを掴んで離さない。
「判ったから。ほら、とにかく顔を出しな。」
 ベッドの端に座り直したのだろう、ぎしっという揺れが伝わって来て、
「…うん。」
 やっと夏掛けの端から顔を出した少年を軽々と抱えて、
「あやや。」
 あっと言う間にイモムシごと、膝へと抱え上げているゾロだったりする。明るい朝の光の満ちた子供部屋。まだ早い時間だからか、それともこれも精霊殿が招いてか。さわやかな緑風が窓からそよぎ込んで気持ちがいい。いい匂いのする広い懐ろと、そこから見上げ慣れたおとがいや顎の先。耳朶に下がった三連の棒ピアスが、時々かすかに揺れてキラキラするのをじっと見ていたが、
「…なあ。」
「んん?」
 顎を引いて見下ろしてくるゾロの翠の眸へ、まだどこかぼややんとした視線を向けて、
「ごめんな。エースがいっぱい失礼なこと言った。」
「何でお前が謝るんだ?」
「だってさ…。」
 本人同士は仲直りをしていたようだが、それでも。一度でも言葉という形になって投げられたものは、もう消せないと知っている。言葉によって受ける傷は、体に受ける傷よりもなかなか消えないし、思い出すたび鮮明に蘇る。こんなに大好きなゾロに、やっぱり大好きな兄が投げた言葉の鋭さは、傍で聞いていた自分にもたいそう手痛くて。
「………。」
 広い広い胸元へ、すりすりと頬を擦りつけると、大きな手が頭を撫でてくれる。
「俺は誰に言われた訳でもなく、自分の意志で此処にいるんだ。」
 気に入らなきゃ勝手に出て行くさ…ではなくて。だから気にするなと、そう言いたいゾロなんだろうなと判る自分がいて、
「…うん。」
 そのくすぐったさが何だか嬉しいルフィである。その一方で、
"………。"
 ちょろっと拗ねかけていた少年のご機嫌が何とか均されたと、お返事の声の調子で判る。そんな自分であることを、果たしてすんなりと飲んでも良いのだろうかと、珍しくも"対人関係"というジャンルの項目にて引っ掛かりを覚えている精霊さんだったりする。
"………。"
 壁の掛具に帯で下がった柔道着。この小さな体で武道とはと怪訝に思っていたゾロだったが、どうやらエースが薦めて始めたらしくて。
『霊的なものと接すると、気力を相当に削られるって聞いたからな。そんな消耗に耐えられるようにって薦めたんだよ。』
 そんな風に言っていた。
「…なあ。」
「なに?」
「お前、気ぃついてたんだな。」
 いきなり主語を省略して訊いたのは、彼とのツーカーに頼ってのズボラだとかいうことではなくて。意味が分からなければ"この話は無し"と曖昧に誤魔化すつもりだったから。そうそう認めたくはないことの駄目押しになるから、いつもの調子で放っておきたくて。けれど、でも。確認を取っておかねばならないポイントがあると、この胸板をどかどかと内側から叩いてせっつく、妙に律義で煩
うるさい"自分"がいる。という訳で、内心の68%ほどは"何のことだか判らない"と応じて欲しかったのだが、

  「えと…うん。」

 ルフィは実にあっけらかんと頷いて、
「最初の内はね、ゾロがいるからその気配を怖がって寄って来なくなったのかなって思ってた。でも、時々夜中に目が覚めることがあって。そいで…。」
 先の夜中(『夜陰静謐』)のようなケースが、あの晩の他にもあったらしいということか。そして、それに気づいていなかった自分だということでもある。
「………。」
 こーれはある意味で"力不足なんでないかい?"という事実を突きつけられたようなもの。いくら攻勢専任の破邪だからったって、彼専任のガーディアンになるんだと立候補したからには、心のケアとでも言うのでしょうか、そういう方向でも行き届いていないとねぇ。…まあ、外野が何を言ったっても聞こえてはいないのだろうけど。
(嘆) 翠眼の精霊殿はお膝の上の小さな重みへと訊いてみた。
「…いやか?」
 それまでは、どんなに怖くても容
れてやっていたものを、問答無用で封じ滅ぼし浄化している現状。心優しい彼としては、そんなゾロへと何かしら言いたいこともあるのかも。だが、
「ううん。」
 ルフィは小さくかぶりを振った。
「だって、中途半端に同情しても却って可哀想なんだろう?」
 最初の破邪封滅を成したあの晩に、ゾロが説教した言いようを覚えているらしくて、
「ゾロが間違ったことをする筈がないもん。」
 ………どっかで聞いたぞ、そんな言いよう。(さて、ここで問題です。
こらこら)にひゃっと笑って見せるあどけないお顔に、ついつられて口許だけで笑い返して。
「ホントは気づかせるつもりなんざなかったんだがな。」
 戦闘中の"消気"ならともかく、サンジと違って気配を断つ能力は低い自分だ。いくら殺気を押さえても、伝わるものは伝わるのだろう。だが、ルフィは顔を上げるとやはり首を横に振る。
「そういうのナシ。」
「んん?」
「ゾロが大変だっていうの、俺は知らないままでいるなんて、それこそイヤだもの。」
 こっちは仕事だってばよと、いつもなら即妙に飛び出していただろう憎まれ口が、だが、口に出来なかったのは。いたいけないこの子の気持ちを、不器用ながらもそぉっと守ってやりたかったから。そして…誰よりも自分に対しての手痛い言いようだったからかもしれない。頼りない腕を伸ばして来てぎゅうとしがみつく、この小さな存在を、自分の持てる限りの力を尽くして守りたい。これまでまるきり見向きもしなかった"執着"という想いが、関わらなかったその分をも取り返そうとするかのように、力強く沸き立ってくるのが判る。
"…柄じゃあねぇんだけどな。"
 誰に言うともなく、そんな言い訳が胸中でこぼれる、まだちょっとばかし不慣れな精霊さんであったりした。




  「そいで…あのね?」
  「んん?」
  「サンジさんて。」
  「"さん"は要らねぇよ。」
  「サンジって、何か大事にしてるの?」
  「? なんでだ?」
  「えと…あれ? 何でだろ。」
  「おいおい。」
  「何か"大事なもの"のお話をしてたような気がしたんだけど。…あれ?」



  さて、ここで問題です。
(笑)




  〜Fine〜  02.9.18.(書き始め) 〜 9.30.  終わったよ〜んvv


  *カウンター45678hit リクエスト
    かずとサマ『"天上の海〜"設定で、兄エースとゾロとのルフィ争奪戦』


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  *今回は少々ズルっこをしたことを此処に申告致します。
   話の中身、舞台となってる季節からもお察しいただけますように、
   実はこのネタ、プロットは8月中からちょびちょびと固めておりました。
   でも、幕間篇の『夜陰静謐』をUPしたばかりだったし、
   そうも立て続けに発表するものなと、またまた考え込んでおったのですよ。
   そんな最中に、どういう奇遇か、かずとサマからのこのリクエストvv
   はい、しっかり便乗させていただきました。

  *それにしても長かった〜。
   こんな長い話になろうとは思いませんでしたって、いやホントに。
   いくらパラレルでも、あまりに偏った種類のジャンルなので、
   もしかしたら突っ走り過ぎてないか、
   この辺は説明しないと判らないのではないかと、
   そういう要素の多い話だったせいでしょうね。
   今時の方々は、私なんぞの拙い説明なんて要らないくらい
   色々とお詳しいとも思ったんですが、つい。

  *微妙に"ルフィ争奪戦"にはならなかったかも知れませんが、
   弟に激甘なお兄様には違いなく、
   某シリーズの"お母様"といい勝負で、
   これからも時々姿を見せては、
   ゾロをチクチク苛めてくれるかも知れません。
おいおい
   機会がありましたなら続くということで、
   ではではかしこvv