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「あんた、確か弓を使えるんだったな。」
はたと気づいて肩越しに振り返り、ルフィの兄上へと声を掛けている。唐突なこととて、事実には違いなく、
「? ああ。」
頷いたのを確かめて、ゾロは頭上に再びその手をかざした。
「来やっ、雪走っ!」
すると、やはり先程のように光が凝縮し始めて、やがて一振りの日本刀が現れる。今度は黒漆鞘のそれであり、しかも、
「………。」
しっかと掴んだ鞘の半ば。そこへ何かしら更なる念を込めたらしくて、
「…あ。」
日本刀が見る見る内にも長い長い丈の和弓へと変化した。黒々とした漆の闇に濡れた逸品で、
「塗りごめ籐弓…。」
すんなりと撓しなやかなフォルムだが、そうなるようにと引き絞られている弦つるの強さはかなりのものだとエースには判る。堅い弦と堅い弓。優美な姿に反して堅こわそうな印象をたたえた代物。握りの金具が鈍い光に煌きらめいて、お前に自分を御せるのか? と挑発しているようにさえ見える。それを、
「使えるな? 矢はつがえる構えをすれば無尽蔵に出て来る。」
エースへと手渡したゾロは、そうとだけ告げると自分の得物、和道一文字を再び構え直した。専門家に素人がこれ以上の説明もないだろうと、そう判断したらしい。青く濡れた銀の刃で、怪物を間に挟んだ向こう側を指し示し、
「この公園は、あそこであんたの弟を守ってるあいつが張った、強い結界に囲まれてる。だから、どんな大騒ぎをしても外には漏れないし、誰も中へと入っては来れない。勿論、あの邪妖も外へまでは逃げ出せない。…そうそう、射損ねた矢も外へは飛んでかないし"邪"にしか効果は発揮しないから、安心して使いな。」
ややもすると乱暴だが、彼にしては細やかな説明をしてくれて、さて。
「………。」
エースは渡された弓を、隅々まで丹念に、じっくりと眺め回した。弓道は洋弓…アーチェリーとは何かと色々、微妙に沢山、違うところが多い。弓で矢を射って的に当てるという基本形態のみが同じで、後はまるきり違うと考えた方が良いほどだ。アーチェリーには、ターゲット、フィールド、クラウト、フライという4つの競技があって、だがまあ簡単に述べるなら、単に的を目がけて矢を射てその精密さを競う"野外スポーツ"である。(あ、フライ競技は飛距離競争なので例外だが。)よって、例えば道具だってどんどんと使い勝手の良い素材やデザインのものが開発されてもいようが、弓道ではそうはいかない。道具もルールも古式ゆかしいそのままにあまり変化はなく、また、ただ矢を射れば良いという訳ではない。射法八節といって、
『足踏み、胴造り、弓構え、打起こし、引分け、会、離れ、残心』
この八つの段階順序を守った所作を見せて、いかに機能的に美しく射的操作がこなせるかも重要なポイントで。ただ命中率が高ければ良いというものではなく、儀礼・形式までもが重んじられる辺りが、名前についた"道"を極める競技ならではというところだろうか。
"だがまあ、今はそんなことへこだわっちゃあいられないか。"
…当たり前だっつーの。ドリフやバカ殿のコントじゃないんだからね。(怒) そういった"作法"が実戦に於いては無駄とか何とか言いたいのではない。確かに、心を研ぎすますために落ち着いてかかりなさいよという"心頭滅却"は大切だし、生活へも波及させる精神修養としての"道"だからこそ組み込まれているもの。日頃の鍛練では重用して良いとして、この一触即発な場面では"置いといて"扱いをした方が良いだろう。
「よし。」
ピンと張った背条と平行に、やはり真っ直ぐ立てられて、体の横手へぐいと伸べられた頑丈そうな腕の先へと構えられた漆黒の弓。弦を軽く引いてみると、先程、緑髪の精霊に言われた通り、握りと手元に差し渡しという格好で、鏃先の鋭い鏑矢が宙空から勝手に現れる。それをあらためて構えてみて、
「………くっ。」
思った通りなかなか堅い弓で、だが、制御出来れば抜群の安定性を発揮するだろうと伺える手ごたえがエースには判る。何度か慣らすように軽く引いてみてから、
「…っ!」
おもむろに力強く"むんっ"と引き絞られた弓は、弦との半円同士が合わさって、見事な真円を描いている。これも"性分"と呼ぶのだろうか。弓の性格のようなものをあっさり把握してねじ伏せられた彼であるらしく、それへと、
「あいつの核は、頭の天辺、泥粘土が次々に沸き出してる位置の真下だ。」
狙いである邪妖のどこを射貫けば良いのか、アドバイスをくれる破邪の精霊であるのだが、
「…深さは。」
訊くと、
「………判らん。」
おいおい、おいおい。
「俺は探知の力は持ってない。それに。」
見やった先、ルフィを抱えたサンジもかぶりを振って見せる。そういうののエキスパートな筈の彼にでさえ、探知出来ないらしいということか。
「どうやら核も流動的に移動したおしてるらしくてな。」
「………えっと。」
専門家が探知出来んもんを、普通の人間にどうしろと。
「?? どうしたの?」
文字通り自分の頭上で交わされている大人たちのやりとりに、こちらでもルフィがキョトンとして顔を上げる。兄のエースが得意の弓を颯爽と構え、ああいよいよ現状打破に入るのだなとワクワクしていたのに、何だか様子が訝おかしくて。
「ん? いや、何ね。」
やさしい顔容かんばせを柔らかな笑みにほころばせ、心配は要らないよと言う顔を見せるサンジだが、
「核が見つからないんだ。」
「"核"?」
選りにも選って自分が担当すべきポイントなのにと、それもあって苛立たしいのだろう。先程まで、それはやさしく、時にはお道化どけてくれてまで親切だった聖封精霊のアイスブルーの眸が、心なしか尖って見える。その視線が睨み据えている先を、自分でも目線を投げて見やったルフィは、
「核って、あの赤いのじゃないの?」
「赤い?」
じっと見据えるルフィの髪が、さら…っと揺れて。
――― ………ぱたぱたぱた…。
シャツの、髪の、裾がはためく。彼自身の内から放たれる何かの奔流に吹き散らされてのことだと判ったのは、その勢いが徐々に徐々に増して来たから。
「おいっ、お前っっ!」
一体何が起こっているのか、何をしようとしている彼であるのか。状況が判らずに、すぐ間際からサンジが掛ける声にも反応を見せず、凝視を続けるルフィであり、
――― …っ!
泥粘土の邪妖がひくりと動きを止めた。どっちが前やら、とんと分かりにくい相手だが、斜め向こうへ、ゾロとエースが立つ方向へと向かいかけていたものが、今度はこちらへ、しかも方向も真っ直ぐに進んで来るから、
「…しまった。向こうに気づかれた。」
それと気づいたゾロが舌打ちをする。サンジ本人が放つ最も強い念波でコーティングされている筈が、何をどうしてだか少年の気配が突き抜けて、それを拾われてしまったのだろう。攻撃としては無駄でも注意をこっちへ向けさせるため、もう一度斬ってかかろうと、ゾロが腕や足にバネを溜めたその刹那。
「見えたっ」
エースの鋭い声が、そうと言ったが早いか。黒漆の満月が空気を叩くように撓い、一陣の疾風が空間のど真ん中へと抉るように放たれた。宙に一旦溶け込んだ半白の矢羽が再び現れたその時には、
――― ぐぃぎああぁぁ………っっっ!!!
何とも凄まじい、辺り一帯を揺るがすような振動と絶叫が轟いて。エースの手から放たれた矢が、寸分の狂いもなく…泥の奥深くで鈍い光に赤く煌めいていた"核"のど真ん中へと突き立っていたから。
「よっし!」
粘着質だった体がぴきぴきと、核を始まりに固まりつつある。泥山が岩山へと変わるその最中、矢で固定された核へと躍りかかって、
「退魔封殺、外道浄滅っ!」
裂帛の気合いも高らかに、霊力を満タンに込めた"和道一文字"の、思いっきりの一撃を振り下ろした"破邪"殿で。逞しい肉置きが隆々と撓う頼もしい胸が背中が、鋭い膂力に引き絞られた雄々しい腕が、渾身の力を放つべく躍動を見せ、
――― 哈っっ!!
次の瞬間には、切りつけた反動に体を乗せて、向こう側へと飛び降りている。辺り一帯の空気ごと、一刀両断、すっぱり切ったと思えたくらい、速さも勢いもあったその一太刀の、ヴンッという風斬りの音の余燼が消えかかったところへとかぶさって、
―――(ぴしっ!)
ぴきぴきパリバリ、固まりかかっていた岩がひび割れて、次の瞬間、ぱんっと弾けたその勢いのまま"明暗反転"するかのように。粉塵一掴みさえ残さずに、邪妖の巨体は宙へと消えたのである。
どこかから蝉の鳴く声が聞こえて来た。真夏の蝉ではなく、ヒグラシという晩夏の蝉の、どこか物悲しげな夕暮れ向きの声音である。ゆっくりと、霞が晴れるようにほどかれた結界。スクーターの走行音や、誰が蹴ったやら空缶が転がるような音。バタバタバタッと、元気そうな運動靴の駆ける音。生活の中に当たり前に散らばっている様々な、生き生きした気配や音が、暑さに辟易してのこともあろうが、閑散とした間合いにて、少し遠巻きのあちこちから聞こえて来る。雨に恵まれぬ盛夏のあおりでくすんだ緑がそれでも満ちた、町中の小さな公園内にはやはり、他には人の姿もなくて。何事もなかったかのような静けさの中、
「…ったくよ。危ない時は俺を呼べって言ってあるのに。」
力の使い過ぎと、緊張が解けたせいだろう。雨ざらしになって元の色も判らないほどペンキの剥げたベンチの上に、くうくうと気持ち良さそうに寝入っているルフィが横たえられていて。それを見下ろし、若しくは傍らに屈んで見守っているのが、それぞれに屈強そうな3人の青年たちだ。
"何のために真まことの名前を教えたと思ってる。"
そうだったねぇ。どんなに遠く離れたところに居ても、必ずゾロに届き、彼を呼び寄せる"真の名前"。まさかにサンジさんが"呼べ"とは言えなかったのは分からないでもないが、
"これじゃあ意味ないのかもな。"
迷子札の方が有効かも知れませんね。いや、ホントに。やれやれと肩をすくめた緑髪の偉丈夫の隣り。こちらもまた…見様によっては"黒衣の天使"と呼んで構わないだろう黒づくめの金髪青年が、ジャケットの内ポケットから摘まみ出した煙草に火を点けつつ、
「あいつの"核"が見えたのは…この子が念じたからだ。」
ぽつりと呟く。それへは、
「…だろうな。」
ゾロも是と応じ、エースも頷く。何とかせねばという窮状にあったからといって、追い詰められた誰にでも出来るということではないし、現に専門家であるゾロやサンジでさえ"お手上げ"状態にあったのに。
「………。」
ルフィの持つ力。大きなものであるらしいとだけ、何となく把握されてはいたものの、それがどういったものなのかは、はっきりと解析出来てはいない。本人としては、陰の存在を感知することが出来るから、それを頼って何か言いたい者が寄って来るのだろうと解釈していたようだが、
「…感知出来るってだけの力なんだろうか。」
選りにも選って、そういう分析が得意なサンジがそんなことを言い出す。
「おいおい。何だよ、そりゃ。」
その答えを見出せる者が何を言ってるんだかと、その本末転倒な言いようへ突っ込みを入れたゾロだったが、
「どんな能力を持っているのかってのも、ある意味で一種のプライバシーだからな。勝手な分析は出来ねぇんだよ。」
「そんな建前言ってる場合かい。」
「建前じゃあない。決まりごとだ。臨機応変ってのは逼迫してる時に使う緊急避難で、日頃の生活で使っちゃあいけないんだよ。いいかげん覚えろよな、この破壊精霊。」
「んだと、こら。」
こらこら、喧嘩しない。今にも喰ってかかりそうな、そして"来るなら来んかい"とこちらもなかなかに揮発性の高そうな態度の二人を、弟の傍ら、屈んだままで見上げて、
「この人は?」
「あ。…ああ、俺の相方でサンジっていうんだがな。」
返す視線でサンジの側にも紹介しようとしたところ、
「判ってる。この子の兄貴だろう? 波長で判るさ。」
そんな返事をするものだから、
「それならこの子の能力傾向だって判ろうが。」
歯軋りもので言い返すゾロであり、そんな彼らのやりとりへ、
"…ふ〜ん。"
エースは、思わずのことだろう、小さく笑っている。他者に教える必要のない余計な情報、いやむしろ漏らしては不味いものかもしれないのに、自分たちの能力をそれはさらさらと、あっけらかんとこんな開けた場所で口にする。そういったものを包み隠さず披露したり易々と口にする彼らは、抜けているのか(おいおい/笑)それとも…そんなことが漏れても全く支障のない自信に満ちあふれている者たちなのか。ともあれ、
"少なくともルフィに害を為すものではないらしい。"
そんな認識を得たればこそ、何とも…見た目の年齢相応な、人間臭い応酬を見せる彼らなのが、今度は何とも愉快になったらしい。眸を細めてくつくつと笑い出し、
「???」×2
そんな彼の様子に、二人の精霊さんたちが思わず顔を見合わせていた。
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*ぜいぜい。やっと本編が片付きました。
あと少しだけ、後始末というのかエピローグというのか、
オマケの“終章”がありますので、もちょっとだけ、お付き合いくださいませですvv |