月下星群 〜孤高の昴・異聞

  天上の海・掌中の星 〜青凪緑香



          




 夏が近いとあって陽も随分と長くなり。格子のところどころに、和紙ではなくガラスを張った、変わったデザインの飾り障子の合間から覗いていた海を眺めつつ、早いめのそれとなった夕餉の間は、空もまだ、しらじら明るいままであったものの。お食事が一段落してお片付けも済んだ頃にやっと、空と海とが茜と茄子紺に染まり始める黄昏時を迎えた。
『お腹いっぱいだよ〜いvv』
 真新しい藺草
いぐさの香りも青々と匂い立つ畳の上、ちょこっとお行儀悪くも両の足を投げ出して、食休めにとしばらく寝転んでいたルフィ坊やも、さやさや囁く潮騒の中、空の明るさがその照度を落とし、それがために海岸の情景が…岩々や島々、防砂林のシルエットを縁取りに、何とも言えない絶景に変化しだしたと見て取ったのだろう。ひょこりと起き出すと、
「ゾロ。お風呂っ、一緒に入ろうよう。」
 そんなことを言い立て出した。そういえば…このスィートルームには、リビング使いのお部屋から出られるテラスに、ジャグジー仕様の露天風呂が設置されている。満たされたお湯はちゃんと源泉から引いてある温泉で、角度に工夫がされているので外からは見えないが、お風呂の湯船からは水平線やら海岸の松並木やら、夜空に広がる天の川やら、自然天然の絶景パノラマが手に取るように楽しめる…とパンフレットにも書いてあった。温泉地ならではの超目玉お薦めオプションだ。
「俺は良いよ。」
 一人で入んなと、さらりと言い返したゾロだったが、
「やだっ。」
 こんなことにそんなに元気でなくともと思うくらいの思い切り、ぶんぶんと首を横に振って却下する。そういえば。これまでにだって一緒に入ったことはない。自宅の風呂場が狭い訳ではなく、
「…そういやゾロって、今まで風呂に入ってねぇだろ?」
 その事実も凄いもんがあるが、それよりも…今頃気がついたんか、あんたは。
(笑) どちらかと言えば…男臭くてワイルドで、何かと大雑把そうなゾロだが、それとは次元を違たがえて、坊やに何かと"きちんとしないか"と言い続けて来た身だ。その延長で身だしなみにも"清潔に保つ"という方向で気を配っている彼であり、それがまさか"風呂に入っていない"とは思わなかった坊やである。とはいえ、

  「必要ないからな。」

 ゾロの応じは けろりと簡単で、
「俺の身体の構成物はタンパク質じゃあないんだし、此処で体を維持させるためにって自分へかけてる封咒でコーティングされてるから、例えばちょっとした時空移動なんかをやれば、その時に表面の汚れはその場へ"脱いで"引き剥がせるんだよ。」
 だから、ここの世界の"風呂"に入る必要はないんだと言う、そんな破邪精霊さんの説明に、
「???」
 今度はルフィが小首を傾げたが、それも一瞬。
「そんでもっ。なあなあ、入ろうよう。」
 もう腹の方はこなれたのか、元気一杯。窓辺近くに胡座をかいていたゾロのすぐ傍らまでパタパタと寄って来ての、腕取り首取り抱きつき攻撃。そのまま抱え込んでも良し、懐ろにすべり込んでの背負い投げに持っていってもよしという
おいおい、なかなかの体さばきは、さすが柔道での中学県大会選抜選手で鮮やかなもの。こらこら しかも、
「あんな、良いか? ゾロ。」
 お膝に登っての向かい合わせで、こつんと。おでこ同士をくっつけ合って、
「旅行っていうのはサ、ただ、観光に便利だからってだけの理由から、いつもと違う場所で寝起きするってんじゃないんだぞ?」
 そんな風にお説教の真似っこを始める始末。
「ホテルや旅館も、遠出をした先の"観光目的地"の一つなんだぞ? ご飯を出してもらうだけじゃなくって、設備も"たんのー"しないと、せっかく泊まってる意味が半減しちまうだろ?」
「………。」
 列車移動における蘊蓄といい、一体どこで誰から吹き込まれたことやら、結構"ごもっとも"なご意見を並べて下さる坊やであり、
「…なあ、ルフィ。」
「んん?」
 懐ろから"ねえねえ"とおねだり光線を放射し続けている仔猫さんへ、きゅうと柔らかくながらも抱っこの腕の輪を縮めつつ、
「それって誰から訊いたんだ?」
 一応の確認を取ってみる。

  "…どうせ、素敵マユゲか大穴でウソップってトコなんだろけどな。"

 あはは…vv いつものことですもんねぇ♪ 筆者までもが笑っていたらば、ルフィ坊やがけろりんと一言。

  「父ちゃん。シャンクスから、だぞ?」
  「………おや。」

 これは意外な名前が出て来た。
「シャンクスも旅行は大好きでさ。船乗りになったのだって、ただどころか給料もらって色んなトコまで行けるからだって言ってたもん。」
 そんなお方の教えなら、覚えてて当然、守って当然。これはまた、何とも…反駁の出来ない状況に追い込まれたらしくって、
「なあなあ、入ろうよう。」
「あ〜、分かった。」
 ゆさゆさと肩を揺すぶられ、仕方がないかと降伏の白旗を上げたゾロであった。………あのね、破邪様。幸福の黄色いハンカチって知ってる? 降伏じゃなくって"幸福"の。
"ああ"?
(怒)"
 こ、怖いから怒んないでよう。
(汗)






 そこは慣れたもので、内湯の脱衣場でぽぽいっと服を脱ぎ、バスローブを肩に羽織ってさっさとテラスへ向かったルフィであり。リビングからも見えない作りになっているが、開けっ放しの大窓からは、ばしゃばしゃと湯を掻き分けているらしき坊やのやんちゃぶりがよく聞こえた。そして、
「ぞ〜ろ〜。」
 早く入って来いという意味だろう、お声がかかる。
"う〜ん。"
 新婚旅行の新妻じゃあるまいに、別に恥じらっている訳ではないのだが
(笑)、自分には必要のないものなのになと、それがルフィに通じていないのが何となく引っ掛かっていて、
"ま、それを言ったら、飯とか布団とかもそうなんだがな。"
 もうそろそろ1年目を迎えようかという彼とのお付き合いの中、食事は別に要らないのだとか、休む時だって…周囲への警戒を考えると姿を消して異次元階層にすべり込むのが一番安全なのだから布団も必要はないのだとか、何度言っても聞かないまま、自分たちと同んなじでいろよで通している坊やであって。
"しゃあねぇか。"
 やはり脱衣場に入ると、指をパチンと鳴らして…タオル一枚の入浴スタイル。確かルフィはガウンのようなものを羽織っていたなと、作りつけのクロゼットを開けてバスローブを取り出し、すたすたとテラスに向かう。夕暮れ時の、ほのかに涼しい潮風が吹き込むテラスには、低い竹矢来が柵のようになって仕切られた一角があって、その中に趣きある石組みの露天風呂とやらが…庭先の大きめの簡易プールのような格好で設えられてあった。
「へぇ〜。」
 こんなものがあったとは、室内からは全く覗けず、
「ガウンはそこの柵んトコに引っ掛けとけば良いよ。」
 小さな肩まで湯に沈め、湯船の中でにこにこっとルフィが笑っている。
「そか。」
 そういやあ。泳いだことは何度もあるが、沐浴というのは…その存続地域や民族を随分と限定された習慣なものだから。何から何まで知らないことだらけの"入浴"である。これも一種の見様見真似。傍らの洗面器が濡れているのに気がついて、まずはとしゃがみ込むと、洗面器にて掬ったお湯で肩口に簡単に掛かり湯というのをし。そぉっと足から、やがては脚、腰と、順番に湯船に身を沈め、ついつい"ほうっ"と溜息一つ。周囲をぐるりと囲んでいるように見えていた柵だったが、足元膝下、すこんと抜いてあり、そこから海が…そしてそこへと沈みゆく夕陽がよく見える。そんな工夫へ"ほほぉ"と感心しつつ、

  「? どした?」

 あれほど"一緒に入ろう"とはしゃいでいたものが、見やれば…海の方を向いてばかりいるルフィであって。先に入って最初にはしゃいで、露天のお風呂という風情も海の絶景も既に納得しきった彼な筈で。凄い凄いと感嘆しやすい子ではあれど、こんなに静かに風流に耽る坊やでもあるまいに、
「…のぼせたのか?」
 そちらの方を心配して傍らへと寄れば、
「う〜〜〜、何でもないっ。/////
 少しばかり赤くなって、細い肩が翻るように、やっとこっちを向いてくれる。
「たださ、何かさ…。」
 ちょろりと。上目使いになってゾロの顔を見、それから…その視線がちょこっと下がって。何故だかますます"う〜〜〜 /////"と赤くなるルフィだったものだから。
「???」
 ますます訳が分からない精霊さんだが、そんな顔を見て、
「鈍感ゾロっ!」
 怒ったように"ぱちゃっ"とお湯の表を叩いて飛沫を跳ね上げてから、その手を伸ばして来て、
「何か…凄げぇんだもんよ。」
 坊やがぺたりと触ったのが、相手の頼もしい胸板だった。赤銅色によく灼けた、丈夫そうな肌の下、骨とも違う頑丈さでしっかり引き締まって堅い、鍛え上げられた肉の束とその躍動が手のひら越しに感じられる、それはそれは雄々しくも逞しい胸板。
「俺、ゾロが裸んなったとこ見たの初めてだったからさ。」
 男同士だし、着替えなら時々見てもいる。大人だからな、背も高いしさ。胸板や二の腕、背中が、筋肉の陰影も深々と浮かぶほど逞しいの、そのせいだよななんて思っていたけれど。
「何でこんな違うんだろな。」
 ぺたぺたと、小さな手がゾロの広い胸板をさまよって、
「俺だって一杯練習して鍛えてんのにさ。」
 同じ男という性だから。柔道への精進も真剣なそれだろから。日頃無邪気な坊やであっても、羨ましいとか思うことだってあるらしい。湯から上げた腕を肘のところで折って立ち上げて、ぐっと力を込めると…それなりの力こぶが出来はするが、もともとの腕自体がかなり細い。
「う〜〜〜。」
 悔しいなあと唸ってしまう坊やに、
「しょうがなかろう。」
 ゾロは"くふん"と小さく笑う。
「お前が身につけてるのは瞬発力用の筋肉だからな。撓やかに発達するばかりで、どうしても嵩はつかん。」
「? そうなんだ?」
 大方、顧問の先生やコーチの言うままのトレーニングを、その効果も知らないで素直に続けていた彼なのだろう。ゾロは"ああ"と頷いてやり、
「俺のは、刀を振り回したり、馬鹿デカい邪妖を押さえ込んだり、力が必要な仕事上、馬力もつけてるから見栄えもデカいんだよ。」
 大きな手で掬い上げた沢山の湯。それでごしごしとお顔をこすった精霊さんに、
「ふ〜ん。」
 こちらは小さなお膝を立てた上、やっぱり小さな肘を突き、ほわほわの頬を両手で包んで…大好きな精霊さんの見事な肩や胸をじじぃ〜っと見つめる。そんなにも羨ましいんだねぇと。暢気なことを苦笑混じりに感じた作者を尻目に、

  「あのな。ルフィ。」

 ふと。その精霊さんが静かなお声を掛けてくる。

  「お前が俺みたく、若しくは…そうさな、お前の兄ちゃんみたく。
   がっちり逞しくなっちまったら、
   今みたいに"ほいっ"て抱っこしてやれねぇぞ。」

  「……………っ☆」

 そうと言われて、

  「う〜〜〜ん。」

 それは困るとばかり。尚のこと、唸ってしまった坊やであったりするのである。
おいおい







            ◇



 それから一通り体を洗って、も一度ほど浸かって温まり、備えつけだったパジャマに着替えて。どちらにもベッドは二つで簡単なソファーセットもついている、何故だか2つもあるベッドルームの、海がいっぱい見える方のベランダつきのお部屋の方を寝るのに選んで。しばらくは今日回ったあちこちのお話にきゃっきゃとはしゃいでいたルフィだったが。時計の針が10時を回ると、もう遅いぞとゾロから追い立てられて。言われなくとも今日一日の興奮から既に目元がとろんとしていた坊や。甘えるように身を擦り寄せて"しょうがないなぁ"と抱っこしてもらって。夢見心地にて…ふかふかの羽布団へと運んでもらったルフィだったが、

  「…なあ、ゾロ。」

 襟元を直してくれてる精霊さんへ、舌っ足らずなお声を掛ける。

  「なんだ?」
  「今日さ、楽しかったか?」

 ふと。彼にしては妙なことを訊くと、違和感を覚えた。無論のこと、人のことなどどうでもいいと構えるような、思いやりがない子ではなく。だが、そんなことをわざわざ訊くような子でもない。天真爛漫、お日様みたいに明るくてお元気で。一緒に過ごした相手の"楽しい嬉しい"くらい、ちゃんと感じ取れる子だから、
「…何だよ。」
 感受性の豊かな子。そんな子が何を気にしたのだろうかと、こっちまでもが気になって、ちょいと声音のボルテージを下げれば、
「だってさ、ゾロってさ。」
 睡魔と戦いつつなのか、眠たそうな甘えるような、ほやほやと柔らかで頼りない声のまま、坊やは何とか言葉を紡ぎ出す。

  「ゾロってば、何かさ、俺んコトばっか見てたじゃんか。」
  「………っ☆」

 あらまあ。
(笑) ルフィの側からもしっかり感知されとりましたか、さすがに。眠くてしようがないらしき、温かな頬にこぼれた髪の端を、指先でそぉっとどけてやりながら、
「そうだったか?」
 気がつかなかったがと惚けるような言いようを返せば、
「そうだった。」
 おうむ返しに投げ出すようなお返事。
「あんな、俺、ホントは旅行になんて来なくても楽しいんだ。ゾロが待ってるお家に帰るの、凄い嬉しいし、一緒に買い物に行くだけでも凄い楽しいもん。でもな、ゾロってもっと、どこに行かなくても何かこれってコトしなくても良いって、そんな感じでいるだろう?」
 訥々と語られるお言葉に、
「………。」
 ゾロとしては…咄嗟に返す言葉もないらしく。
「俺んコトしか見てなくてサ。でもでも、俺、ゾロに何かしら"楽しい"って想い、してほしかったからさ。」
 ネジが終わりかかりのオルゴールみたいに、言葉の調子がゆっくりになり、
「俺も一緒の旅行だったら、一緒に色んなことをしてくれるだろから…それが"楽しい"に…ならないかなって思って…サ。」
 最後の方は、とうとう寝息に飲まれてしまった、甘い甘い睦言さん。それを紡いでくれてた幼(いとけ)ない寝顔を見やりつつ、
「………。」
 何だかなと。呆れたくとも言葉が出ないまま、それだけ…感じ入っている自分に気がつく。

  "…馬鹿もんが。"

 いつもいつもいつも、言ってあるのに。自分は人間じゃあないのだからと、怪我をしてもすぐに治るし、ご飯だって必要ない。毎日眠らなくても平気だし、それにそれに。精霊である自分よりも寿命の短い、限られた"生"しか持たない坊やこそ、その時間を是非とも無駄にしないで、ルフィ自身のためにだけ過ごしてほしいのに。怪我をするな、無理をするな、美味しいから一緒に食べよう、もっと一緒に遊びたい…etc.etc. 

  "………。"

 ああでも、よくよく考えたら、自分が彼に望むことと同じだと気がついたよ。彼が幸せなのが至福な自分と、自分なんかの笑顔が嬉しいらしい坊やと。

  "二人ともが幸せでいりゃあ良いってことか。"

 何だ存外簡単なことじゃないかと、それこそ豪気なことを思いながら。愛しい坊やの寝顔にそっと。気づかれないようにキスを一つ。いつもの町ではなく、単調な潮騒の囁きが何とも心地良い…夏も間近い海辺の町の一角にて。ほやほやと温かそうな幼い寝顔を、いつまでもいつまでも、幸せそうに見つめ続ける精霊さんであったとさ。






  〜Fine〜  03.5.19.〜5.22.


  *カウンター83,000hit リクエスト
    Chihiro様『"天上の海〜"設定で二人でお泊まり旅行 甘甘 Ver.』


  *何ででしょうか、ちーと手古摺ってしまいましたが、
   お待たせ致しました、書き上がりましたvv
   この二人もまた、某『蒼夏の螺旋』よろしく、
   いつまでも甘甘で過ごすことと思われます。
   これから暑くなるってのに、ああもうっ。
(笑)


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