月下星群 〜孤高の昴・異聞

  天上の海・掌中の星 〜青凪緑香

 

          




『拝啓
 新緑の候、皆様方におかれましては、益々ご清祥のことと
 お喜び申し上げます。
 日頃より、弊社製品をご愛顧いただき、
 厚く御礼申し上げます。

 さて、この度は"○○○キャンペーン"にご応募いただきまして、
 ありがとうございました。
 多数のご応募の中より、厳正なる抽選の結果、
 貴方様はご当選となられましたので、
 ご通知申し上げますとともに、
 下記の賞品をお贈りさせていただきます。
 今後とも、当社製品をご愛顧いただきますよう、
 心よりお願い申し上げます。

    Aコース ご当選
     ○○○の旅、一泊二日、2名様ご招待
      周遊券、宿泊クーポン、オプションチケットセット… 』


 梅雨入り前の夕暮れ時。まだまだ空も明るい中を、ついさっき学校から帰って来たばかりの少年が、やや興奮気味に二階からドタバタと降りて来て、
「じゃじゃんっ!」
 口でのファンファーレもどきを奏でながら、破邪精霊さんの眼前へと広げてくれたのがこのご案内状。帰って来がてら郵便受けからさらって来た封筒の一つに、この通知が入っていたらしい。
「なんだ? この○○○キャンペーンってのは。」
 夕ごはんの総仕上げ。レンコンやナスビにサツマイモ。タラの芽、マイタケ、タケノコにフキノトウなどの野菜から順番に揚げて、今はイカとエビに着手している"天ぷら調理中"の破邪さんが、よく分からないらしい箇所に菜箸を向けると、
「肉まんについてたクーポン券を集めて申し込む懸賞だよ。」
 冬場から春休みまでやってたんだと、坊やは"にこにこvv"と笑って見せ、
「毎日一個は食べてたから5枚くらい応募したんだぜ?」
 頑張っただろーという自慢げなお顔になったものの、
「そーか。お前また"買い食い"を始めとったのか。」
 精霊さんから ぼそりと言われて、
「…あやや。」
 ああ、しまったっ…とお口を押さえるがもう遅い。背の高い破邪精霊さんは、耳元の棒ピアスを揺らしながらこちらに背を向けるようにして、黙ったまんま、くるりとコンロの方を向いてしまうから、
「ごめんなさいだよう。」
 慌てて謝る。お腹を空かせて帰って来るだろうからと、ご飯の支度をして待っててくれるのに。親でも兄でもないし、本人は食べなくてもいい体の彼なのに、坊やのためだけに手間暇かけてくれるのに…と、すぐさま反省するところが、
"可愛いよなぁ。"
 育ち盛りなんだから腹が減るんだ、仕方ないだろうと、開き直って逆ギレする子も少なくないこの御時勢に、何とまあ可愛いことよと、精霊さんはくつくつと笑い、
「………怒ってねぇよ。」
 背中を向けたままで ぽそりと一言。
「ホントか?」
「ああ。」
「ホントに怒ってない?」
「怒ってない。」
 すると、小さな重みが…それでも加減して背中の真ん中辺りにぽそんと凭れて来る。おでこをくっつけるようにして凭れかかる、いつもの甘え方になっていて、
「…良かったぁ。」
 何とも愛らしいことを言う子供。それだけ、自分のこと、大事にしてくれているのだなと。ゾロの側でも擽(くすぐ)ったくて面映ゆい気分を胸の奥底に転がしながら、
「さ、ほら。もうすぐ出来るぞ。取り皿とか茶碗とか、用意しな。」
「おう。」
 何でもないやりとりだったかのように、さらりと流してしまう大きな背中。でもそれって、冷たい素っ気なさには感じられなくって。
"…何かさ。"
 ホントの家族みたいだなって、こちらもまた胸の奥で擽ったい何かが"ほわん"と灯ったような気がした坊やであった。



            ◇



 毎度お馴染み、この春から中学3年生になったルフィ坊やと、そんな彼の傍らに"守護天使"として居着いている破邪精霊のロロノア=ゾロというお二人さん。大きな瞳に柔らかそうな小鼻と頬と、お元気で表情豊かなお口。小さな顎に指先を引っ掛けて、ひょいっと軽く掬い上げると、甘えるように"くふん♪"と微笑ってみせる、15歳とは到底思えないほど幼い外見や仕草を見せる坊やの方は、だが。この春先に名のある大妖に狙われたその時に、そやつの再生を阻むため、自ら、熔岩がとろけるほど灼熱の、地獄の坩堝
るつぼにその身を躍らせたこともあるほどの度胸の持ち主だ。(『黒の鳳凰』参照)
 片やの精霊さんは、一見したところは…すっきりと刈られた緑の髪に光の加減で翡翠にも見える眸をした、今時の若々しい青年風で。鋭く切れ上がった精悍な目許や意志の強そうなところが見るからに現れている口許も凛々しくて。しかもしかも、遠くからでもそれと分かるほどの"見るからに大男"という訳ではないのだが、惚れ惚れと素晴らしいまでの屈強な体躯をしていて逞しい。広い背中に深い懐ろ。陽に灼けた赤銅色の肌に包まれた胸板の筋肉の束は、決してこれ見よがしなコブの塊りではなくて。だのに、いざという時には隆と張って頼もしく、使い手の勝手に沿うように撓
しなやかに絞られている機能優先の素晴らしさ。やはり鍛え上げられた雄々しい腕は"和道一文字"という精霊刀を自在に操ることが出来、なのに…大きな手は坊やを守って温かい。実はここだけの話、人間たちの生活する地上界より次元の高い"天聖世界"の住人さんである彼で。その高次の世界に於いても指折りの、邪妖成敗のエキスパートにして、自分の意志からこの坊やの傍らにいることを選んだ破邪の精霊。とある戦いを経たことで、最上級の"神格"の素養が目覚めたばかりであり、だがだが、日頃は平穏の中。相も変わらず、平凡だが温かい二人暮らしを恙つつがなく送っている彼らである。



 まだまだ窓の外は明るい中で、さあさ食べようかいとダイニングの食卓についた二人だが、
「○○○っていったら、ほんの近所じゃないか。」
 坊やが持って来たのは同封されていたパンフレット。そこには、とある半島の周遊の旅へのご案内が写真つきにて紹介されていたが、
「このくらいの距離だったら、一瞬で連れてってやれるぞ?」
 覚束ない箸使いなせいで大盛り皿から大きなエビを取り損ねたルフィの取り皿へ、一番大きいのをひょいと取ってやりつつ、翠眼の破邪様はそんなお言葉を下さった。身がプリプリの芝エビは、商店街の"魚進"さんの今日のお薦め。タケノコとマイタケは、お隣りの奥さんが実家から送ってもらったというのをおすそ分け下さった"旬のもの"だから、なかなか贅沢な天プラで、さくっと齧った端からほわほわと湯気が立ちのぼるほどに揚げたての御馳走に、ついついお口の働きを奪われながらも、
「馬鹿だなぁ、ゾロは。」
 何とか箸を休めさせた坊やは、顔の前に立てた人差し指を"ちっちっちっ"と、ワイパーのように宙で振って見せた。
「旅行っていうのはサ、此処に行くぞって出掛けた目的地で遊ぶのが確かに最終目標だけれどサ。そこに着くまでの"かてー"も大事なんだぞ?」
「かてー?」
 発音が妙だったので咄嗟には意味が分からなかったゾロだったが、どうやら"過程"と言いたいルフィであるらしい。そーだと胸を張って見せ、
「ゾロには一瞬で飛んでける距離かも知んないけどさ、そこを電車でがたごと行くのが楽しいんじゃないか。」
 精霊さんのゾロには、人間には出来ないことが一杯出来る。人の生気や命へちょっかいを出す"悪い邪妖"への滅殺封印という対処以外にも、空を飛んだり、一瞬にして遠くへ行ったり、此処からは見えないところのものを"ひょいっ"と宙から手掴みに引き寄せられたり。確かに便利なことではあるけど、けれどでも。時間や手間暇かけて、ああこんな遠くに来たんだなって、そう思うのも旅の"だいごみ"だと。…肝心な"醍醐味"というフレーズがまたまた平仮名なところをみると、どうやら誰かからの受け売りらしいが、それでも一丁前な言いようをし、
「なあなあ、せっかくだから行こうよぅ。」
 座った椅子の上で、体を撥ねさせるように肩を揺さぶってのおねだり態勢。それへは、
「こらこら、テーブルが揺れる。」
 高野豆腐の玉子とじと、タケノコとワカメのお吸いものの椀がそれぞれに、ゆらゆら波打つのへちょいとお叱りをくれてやりつつ、空いた取り皿へチクワやらササミやらを補充してやる精霊さんで。
「いつなんだ? 日程は。」
「んと、6月末まで。」
 パンフレットの小さい字を辿ったルフィに、
「はあ?」
 ゾロは箸を止めると片方の眉を上げ、何だそりゃ…と言いたげな顔つきになった。夏休み中までじゃないのかと確かめると、それはあっさり こくりと頷き、
「こういう景品ものはさ、何かしらの不自由が付きものなのさ。」
 まるで自分がそうと取り計らった主催者であるかのように、聞いたような言いようをする坊やだったりする。まま、よくあることですよね。レストランや遊園地のご優待券に"ただし、土曜日曜祭日は使えません"なんて書いてあったり、ショッピングモールの商品券に"ただし、千円以上のお買い物にしか使えません"なんて小さな小さな字で書いてあったり。うぬぬと難しそうな顔になり、ますます眉を寄せたゾロだったが、
「一泊二日だし、これは土日またぎで使えるみたいだからさ。大丈夫だって。」
 坊やの側は"心配ないってvv"と余裕の表情。これはこれは…もしかしなくとも。何が何でも行くんだと、彼の頭の中では既に"決定"に向けて固まりつつあるプランであるらしいと窺えて、
"こいつはよぉ〜〜〜。"
 坊やからの圧しには断然弱いゾロだと、選りにも選って当のご本人からまでしっかり把握されているのがちょっと癪かも。負けてなるかという気持ちが多少は沸いて来たのだろうか、
「行くのはいいが、お前、自分が受験生だっていう自覚はあんのか?」
 そうでした。前回のお話でも触れたことだが、この坊や、これでも一応中学三年生で、次の春には高校生になるのを目指している受験生でもある。連休明けにあった三者面談の席にて、

  『そうですね、V高校は公立の学校ではありますが、
   都内でも有名なスポーツ奨励校ですからね。
   奨学生の制度は設けていないようですが、
   それでも、ルフィくんの柔道の方での実績を買われれば
  "推薦"での入学も十分に可能かと。』

 やや線の細い印象のある担任の先生は、ルフィの いたって天真爛漫で前向きな性格の説明と柔道部での成績とを内申書に添えれば、何とかなるでしょうと言って下さったのだが、それでもそれなりの試験はやっぱりあるのだし、
「どうしても行きたいって言ったからには、それなりの努力もしないといかんのだろうが。どうせ内申だけで受かるさなんていう"いい加減"さは、俺としては感心出来ないんだがな。」
 おおお、さすがは正義の精霊さんだ。しかも今の彼はこの坊やの"保護者"でもある。そうそう細かいことを ちくちくと言うつもりはないものの、奔放に振る舞いたければまずは最低限のことをやってからじゃないのかと、そういう順番ごとには結構こだわるタイプであるらしく、こんな風にクギを刺す。………此処にあの聖封精霊様がいたならば、

  『それが坊主の先々に関わる話でないならば、
   まま何とかなるさって、坊主以上に大雑把に構えるんだろうによ。』

 そうと言って苦笑したかもしれないが。
(笑) そんなゾロの言いようはちゃんとルフィにも通じていて、
「うんっ、頑張って勉強もする。席次だってほら、こないだの中間(考査)で30も上がったろ? だからさ、良いだろ? これ行こうよぅ。」
「…うん、まあ、そうだったよな。」
 これがまた、信じがたいというか、それまでをどんだけサボっていたんだろうかというのだろうか。三年生になって初めての定期考査にて、いきなり学年全体での席次を30も上げた彼であり、今時の生徒数の少ない学校での"30位UP"というのはかなりのトピックス。一体彼にどんな"やる気"が起きたのかと、ゾロの方が逆に先生から訊かれたほどだった。
"しゃあないか。"
 まるで仔犬が大好きなご主人へとお散歩をねだるような。期待をたたえてキラキラと眩しいくらいの眼差しになって、こちらをじっと見やる坊やには、ただでさえ甘甘な精霊さんだもの、無理から振り切る格好で反対を唱えたりなんか出来る筈がない。(おいおい決めつけるか、それを/笑)腕を伸ばして坊やの口の傍、つけ汁がたれかかっていたのを指先で拭ってやりながら、

  「判ったよ。行こう。」

 苦笑混じりにそうと答えれば、ルフィは"やたっ"と小さくガッツポーズを見せる。
「じゃあ今週末に行こうな?」
「そんな早くにか?」
「善は急げって言うじゃん。それに、急がないと梅雨に食い込んじまうしさ。」
 決まり決まり…♪と、それはそれは嬉しそうにはしゃぐ坊やに尚の苦笑をして見せて、ほらさっさと食べないかと、冷めないうちに箸を進めさせながら、

  "…旅行ねぇ。"

 そういえば、この坊やとどこかへ遠出だなんてのは初めての体験だよなと。そうと思うと何となく、こちらの心持ちまでがちょいと弾んで来そうな破邪様でもあったりするのである。当日はいいお天気だと良いですね♪














          




 前の日どころか数日前から、毎日のように寝る前に"なむなむ…"とお祈りし続けていた坊やの願いが実ってか、当日は雲ひとつないほどの晴天に恵まれた。一泊旅行だからとそんなに手荷物もないままに、さあさ お出掛け。一旦都心部まで出て浜松町からJRの特急に乗り換えたら、そこからは案外と早くて数時間もないほど。潮風の匂いが何だか夏っぽいそこは、海岸線に沿って少々切り立った道が入り組んだ、いわゆるリアス式海岸という輪郭に縁取られた半島の先にある、年中温暖、超有名な観光地。夏場は海水浴客で賑わうが、それ以外のシーズンも満遍なく観光客の姿が絶えず。というのが、由緒ある温泉地としても古くから有名な土地だったから。
「そんでもゴールデンウィークを避けた分は人も少ない方なんだって。」
 その人懐っこさから話しかけ、さっそく気安く口を利いてくれるようになった客室係のお姉さんに聞いたと言って、少年はにこやかに笑いながら連れの先を後ろ向きに歩いたり、並んでみたりと、相変わらずの屈託のなさを披露している。海岸までをなだらかな傾斜になった石畳の道沿いには、古いの新しいの、様々なお土産屋さんがずらずらと軒を連ねていて、ハイミセス辺りの奥様方やら、老人会の旅行だろうかそれとも湯治か、お年を召した観光客の姿が三々五々に店先へと佇んでいる。時々、数人のグループになって軽やかな足取りのままに駆けてゆくのは修学旅行生だろうか。きゃわきゃわと賑やかな笑い声にその瞬間だけは華やぐが、
「………。」
 どうしてだか、すれ違いざまにこちらに気づくとピタッと静まり返るから。それが何度も続くとさすがに、
「???」
 ルフィもゾロもキョトンとするばかり。

  "顔に何かついてるのかな?"

 いちいち相手の心の色を覗き込んでも詮無いからと、そんな風に無難なことを思うのが意外とゾロの方で、

  "う〜〜〜っ。"

 ゾロんこと見てんだな、ダメなんだからな、ゾロは俺んだからな…と。見ず知らずの女子高生たちに敵愾心を燃やしてしまうのがルフィの方なのが、何だか笑える愛らしさなのだが………実のところは、

  「なあなあ、あれて。」
  「うん。モデルさんやろかvv」
  「見たことないけどな。」
  「せやし、東京の方でだけ やっとぉテレビとかもあるやんか。」
  「カッコええなぁ♪」
  「え〜、小さい方の子ぉがモデルやって。」
  「せやせや、お兄さんの方はマネージャーちゃうん。」
  「そんなこと あらへんて。」
  「両方とも、ちゃうのん。」

 こんな案配、二人ともが注目されていたりするのだ。
(笑) まま、それはさておいて。
「ほら、ゾロ。あそこだよ、船着き場。」
 招待券のオプションについていた"遊覧船観光クルーズ"へと向かっていた二人であり、他人の目に悔しがるのは面倒だからと思ってか、ルフィは大きなお兄さんの手を殊更ぐいぐいと引っ張った。ここに到着するための特急料金込みの交通費から、当地ではかなり高級なホテルでの一泊二日2食つきの宿泊代まで、しかも様々なオプションもつきまくりの、何とも豪勢な御優待。ただの賞品であったなら、先にも述べたようにどこかでぼこぉっと抜けたものが少なくない。現地集合だの、宿泊費のみだのと、却って高くつくようなセッティングになっている場合が珍しくないのに、この懸賞のセットとやらは。特急にはグリーン車指定席券までついていたし、乗り込むと同時に係の人から渡されたのが、昼食にという高級料亭の豪華なお弁当。宿泊先の高級ホテルでも、用意されていたお部屋はいわゆる"スィートルーム"という代物で、寝室が2つもあるそのフロアには、なんとテラスにジャグジー風の露天風呂までついている豪華さだったし。そしてそして、この現地での様々な施設への利用券も一杯いっぱい付きまくり。
「明日は水族館と海上レストランに行って、ケーブルカーに乗って灯台公園にも行こうな?」
 それらもまたオプションで全部セットになってるというから、なんと太っ腹な懸賞だろうか。よほどのこと、観光協会などに働きかけて設けた賞品だったみたいである。
『ちなみに特賞コースだと北海道か沖縄への旅行だったけど、そっちは航空券とホテルの宿泊券だけってことで、何かサービス悪そうだったんだよな。』
 成程ねぇ。
「すぐにも出ますからね。」
 船着き場の案内所にて、ブックレットになったチケットを見せると、係のお兄さんがわざわざ船まで案内してくれて。彼らが乗り込んだのは、長椅子が幾つも並んだ幌つきデッキがいかにも"遊覧船"という感じの可愛らしい船。彼らが乗ってすぐくらいの間合いにて、じりりんと古めかしいベルの音がして、船着き場から渡されていたステップが外され、小さな遊覧船は沿岸クルーズへと出港する。遠目にはまるで濃色の色ガラスのようにも見えたコバルトブルーの海が、ゆったり たぱんと躍動的に波打つ海原。強い潮風になぶられた髪が頬や額に張りつくのを物ともせず、ルフィは船端の柵に張りついたままでいて、
「わあ〜〜〜vv」
 商業港や漁業用の船が着くエリアとは離れて別の、自然の景観を残した岩々の傍らを巡る遊覧コースに入った船が向かう先々、幼い腕を精一杯伸ばして指さしては、

  「あれあれ。ほら、ゾロ、何かヒョウタンみたいな岩だぞ。」
  「あ、あんなとこに洞穴があんぞ。何か隠れてるのかな。」

 テープなのか案内のアナウンスが流れ出すより先に、あれ見ろ、あれと、わくわくとした声を張っての、それは賑やかなはしゃぎよう。その無邪気な様子に、たまたま同乗した他の観光客の方々までもが、クスクスと微笑んだり、どれそんなに変わった景色が見えるのかと腰を上げて下さったり、
「ボク、あっちの岩も面白いぞ。」
 そんなお声を掛けてもらったり。見知らぬ人たちしか乗り合わせていないにも関わらず、見事なまでに ほんわかとしたムード一色の船内になってしまったほど。
"まったく…。"
 どんな場所でも、どんな初対面の人たちが相手でも、それはあっさり陥落させてしまえる不思議な坊や。屈託なく笑って話しかける軽やかな声には、何かしら特別な魔法でも潜んでいるのだろうか。甲板に居合わせたほとんどの人たちと仲よくなってしまった小さな坊やは、船が港に戻るまでに、何人もの人たちから携帯やデジカメで写真を撮ってもらいの、小分けのキャンディやお菓子をもらいのと、あっと言う間にお友達を沢山作ってしまった様子であり、
「あやや。どうしよ。」
 手ぶらに近かったので持ち切れないようというお顔をする彼へ、
「…ほれ。」
 自分が着ていたジャケットのポケットをそっと広げて、進呈してやる破邪様であったりする。…保護者さんも大変だぁ。
(笑)






            ◇



 名勝・名刹や水族館には明日の朝から足を運ぶからと、温泉観光地ならではな、どこか鄙びた空気やそのくせ懐っこい色彩に満ちた町中を、特に当てもないままのんびりと冷やかしながら歩いて回って、さてと。
「ふや〜〜〜っvv」
 初めての土地にそれなりに興奮してか、はしゃいではしゃいで。それでなのかどうなのか、まだ明るいうちから"お腹が空いた"と騒ぎ出した坊やであり。出先からルフィの携帯でその旨を伝えると、戻ったお部屋には…チェックインした時に選んだ"和食舟盛りコース"が、床の間つきの広い和室にすっかりしっかり準備されてあった。ちなみに、フランス料理のコースもあって、そちらを選ぶと海の見えるラウンジにての晩餐となったらしい。
「凄い凄いっ。」
 大きな角膳の真ん中には、赤ん坊が寝られるほどの大きな千石船の器。糸のような千切り大根やキュウリといったお野菜のツマの上へ新鮮・鮮やかに飾られたラインナップはというと…まずはオーソドックスに、鯛にマグロに、ハマチにヒラメ。オレンジがかった緋色もきれいなサーモンに、光りものは平アジか。アワビにミル貝、ホタテに甘えび、玉子の青が宝石みたいなボタンエビ。竹を輪切りにした器にはイクラが山盛りで、その周りには新鮮なウニのお花畑。透き通って歯ごたえもコリコリの、スルメイカの糸造りに、ぷりぷりの伊勢エビ…etc. これって二人分ですか? 間違えてないですかと、ゾロがついついお給仕のお姉さんに聞いてしまったほどの盛り。しかもそれはあくまでも"オプション"。食前酒のあてに最高な
こらこら焼きガキのレモン風味という八寸に、焼き物は大きなタラバガニの脚が丸ごととサザエの壷焼き。鉢物や蒸し物も贅を尽くした土地の味で、それぞれが1つや2つじゃない品揃えの、
"…大食いコンテストじゃないってばよ。"
 破邪精霊さんが内心にてちょいと呆れたほどのサービスぶりだ。とはいうものの…実際に驚いたのはお給仕係のお姉さんの方だったから、これいかに。
おいおい こざっぱりとしたアースカラーの着物に襷掛け。和風のカフェエプロンこと、大きな"前掛け"という恰好にて、ご飯をよそったり、二人それぞれにと仕立てられた小さな鍋物やら陶板焼きやらの簡易燃料の火を見たりと、そういうお世話を受け持って下さっていたお姉さんだったが、
「…あらあらあら。」
 決してお行儀悪くガツガツとしている訳ではないのだが極めてスピーディに、お箸の使い方もどちらかと言えば不器用な方なのにそれはそれは効率よく。惚れ惚れするほどの食べっぷりにて、大人でも悲鳴を上げそうなメニューを片っ端から片付けてゆくルフィには、ベテランらしき仲居さんもただただ唖然呆然、驚くばかり。
「あの、大丈夫なんですか?」
 あまりの勢いにお腹の方を心配してしまったらしいお姉さんへ、保護者はあくまでも余裕の表情でいて、
「ああ、心配は要らないです。」
 熱燗のとっくりを手酌で傾けながら、くすんと笑って見せるばかりだ。何たってこの坊や、一体どこでそんなに消費するのか、プロのスポーツマン並みの食事をペロリと平らげても平然としている豪傑である。このくらいの量なら、時間も早いことだし…。
"寝る時間まで保
てば御の字ってとこかな。"
 そう。これらと同じくらいだけ食べていても、どうかすると…数時間後の就寝前に"何か お腹空いたよぉ"とキッチンへ降りて来るという、恐ろしいほどの強者
つわものなのだ。
「凄い美味しいっ。新鮮なお刺身ってこんな張りがあるんだな。」
 コンニャクと外郎
ういろうくらい違うぞと、分かりやすいような分かりにくいような例えを出す坊やであり、
「だろう。こういうの食べちまうと、しばらくは近所のお刺身は食えなくなるぞ。」
「うう、それは困ったな。」
 微笑ましい会話を交わしつつ、至福だようと蕩けそうなほどに嬉しそうなお顔をする坊やの様子をこそ格別の御馳走に、破邪精霊さんも珍しくも地酒を堪能したりして、美味しくて幸せな夕餉の一時を過ごしたのであった。








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