月下星群 〜孤高の昴・異聞

  天上の海・掌中の星 〜破邪翠眼

 
   邂逅の章



 夜中から未明にかけての無人の公園。誰もいないのに、風もないのに、ブランコがゆ〜らゆらと揺れていることがある。あれは…近所のネコたちが"集会"に集まっていて、そこから退散する拍子、1匹ずつが"とんっ"と座面を蹴って去って行くのが重なって、最後の1匹が蹴ったその時には、まるで人がさっきまで座って揺らしていたようなほどの振れ方になっているのだとかで。でも、だけど。人の眸には見えない"何か"が、もしかしたら………ホントにいるのかも知れないよ?



 風もそよとも吹かぬまま、むっとする湿気ばかりの多い、生暖かな温気
うんきの立ち込めた真夏の朝だ。暦の上ででも秋になってくれば、もう少しほどは涼しい風も立つのだろうが、まだまだ盛夏。今日一日もまた凄まじい猛暑の予感がする、べたべたと蒸し暑い朝である。これが少しでも郊外であったなら、降りそそぐような蝉の合唱だの郭公の声だのがして、まだ愛嬌もあるのだが、土の地面さえ滅多に見られない街中では無理な話。牛乳配達の車だろうか、時折通る軽トラックの走行音だけが、乾いたドップラー効果を引きずって、どこか抜けた間合いで聞こえては去って行くくらいのもの。そんな住宅街の通りを、
「………。」
 顔色の悪い女が、よほど疲れているのか足を引きずるようにして歩いてくる。こんな早朝、ふらふらと歩いているとは一体どういう勤めなのか。
"だよな。水商売でももっと夜中にとっくに帰ってるってもんだ。"
 辺りの空気に満ちていた黎明の青は、すっかりと朝の気配の白に呑まれていて、そろそろ太陽の光が健やかにまばゆい朝日の矢を射込んでくる頃合い。
「待ちな。」
 行く手を遮るように立ちはだかった人物があって、
「?」
 女はのろのろと顔を上げ、怪訝そうな目を向けた。こちらもまた、この時間帯、そしてこの時期にはある意味で異様な風体である。サングラスに長袖のシャツからボトムから靴からと、何から何まで深い闇をそのまま切り取って来たかのような黒づくめの、上背のある若い男。肩幅のある、胸板のしっかりした屈強そうな体躯は、だが撓やかに引き締まり、シャープな印象にきりりと冴えていて。髪は短く刈っていて、どこかの深夜クラブにでも勤めているのか、鮮やかな緑色に染めている。
「………。」
 見覚えのない相手…だと思い出すのにまず時間が掛かっているような、そんな鈍重さでこちらを見やる女に、口許だけでにやっと笑って見せてから、
「あんたには俺が見えてる。そうだな?」
 男は逃れようのない語調でそうと断言した。本来なら見えはしない存在。それが見えるということは、気配を感じるということは…。
「まあ大した輩じゃあねぇんだろけどな。人ひとりの生気を食い潰すほどの存在ってのは捨て置けねぇ。この子から離れてもらうぜ、覚悟しな。」
 言葉尻に重なって、しゃりんと涼しげな金属音。さっきまでは見当たらなかったのに、いつの間にか装備されていた一振りの日本刀。鞘から抜き放たれた刃は、氷のような冴えと冷たさを辺りに撒き散らし、それに対して、
「…っ。」
 その銀の光を青白い頬に浴びた女は、パーマっ気のとれかけた縮れた髪を震わせながら"ぎくり"と肩を竦ませる。そんな彼女を見据えたそのまま、鋭角的で彫りの深い顔のその目許から、ゆっくりと外されたサングラス。その下から現れたのは、深い色合いの碧の眸。

  《…キサマ、翡翠眼トイウコトハ"破邪"ノ者っ!?》

 呆然としたままな女の口から漏れ出したのは、どこか…特殊な処理をされたような、尋常ではない響きの声であり、
「そういうことだ。」
 それこそ"待ってましたっ"という反応だったのだろう。男はますます愉快そうににやりと口の端を吊り上げるようにして笑って見せ、そのまま、正眼に構えた刀をちゃりっと鳴らして強く握り直す。
「いくぜっ。」
 堅い靴底とアスファルトに挟まれて、砂利が軋むような音を立てる。相手へと踏み出すその直前の刹那。彼の耳朶に下がった三連の、細い棒状の金色のピアスがしゃらんと揺れた。





 先程の街路の傍らの児童公園。初夏には鮮紫や緋色の小さなラッパ型の花が咲き競っていたツツジの茂みが、濃翠の小山のように幾つかこんもりと。金網のフェンスのすぐ内側に連なっていて、丁度"目隠し"のようになっている。このままでは風紀上問題があるとのことで、近々刈り揃えられるそうだが、
"葉っぱには罪はないのにな。"
 入り口に近いところに並んでいた雨ざらしのベンチに、背凭れへ両腕を引っ掛けるようにして腰掛けて。晴れ続きで水気が足りないのか、ややかさついたマットな色合いになった緑の葉群を眺めやりつつ、そんなこんなをぼんやりと思っていると、
「…よう、片ァついたか?」
 ふわりと。正に"空中から"滲み出すように現れて、彼の間近に降り立った男が約一名。つややかなハニーブロンドの直毛を、後方は襟足すっきり、だがだが額髪は顔にかかるほど長く伸ばしていて。金の髪は透けて見えるのか、顔の左側、眸や頬をすっかり覆っているのに鬱陶しそうでもない。こちらの彼もまた、印象としては黒づくめに近い服装で、しかもきっちりしたスーツ姿。均整の取れた長身痩躯な体格や、端正な顔にどこかシニカルな表情を浮かべた、独特な雰囲気には似合っているものの、精力あふれる夏の一日が始まろうという早朝には、あまり相応しくはないいで立ちかも。現れ方も、そして雰囲気も、何だか場違いなその男は、ベンチに座を占めていた緑髪の青年のお仲間であるらしく、待っていた方の彼は"おう"と面倒そうな会釈を向ける。そして、
「体力的に危なかったみたいだぜ。」
 言いながら自分の腰掛けているすぐ傍ら、隣りのベンチを目線で示した。そこには先程対峙した女性が瞼を伏せて横たえられており、相変わらず窶
やつれた顔色をしてはいるが、表情はかなり穏やかだ。金髪の男はすぐさま傍らへと寄ると屈み込み、白い手のひらでそっと頬に触れてみて、
「そのようだな。むしろ、間に合ったのが奇跡だったかもしれない。」
 安堵とも失意とも、どうとも取れそうな溜息をこぼした。
「"陰
いん"の時間帯に人気の多いところに紛れていられちゃあ探すのも骨だったが、その分、彼女からだけじゃあなく、他の人間からも生気を吸ってたんだろうさ。」
 金色の髪をちょいっと指先で掻き上げる同僚の言葉に、
「成程な。」
 それで、こんなに消耗しつつも何とか生き延びていられたのかと、いやに物騒な納得を胸中で転がしている、翡翠の眸をした男は"ゾロ"といい、
「ま、これでこの件は落着だ。ご苦労さん。」
 アイスブルーの光を深色に凝縮させたかのような眸を上げて、小さく笑った金髪の青年の方は"サンジ"という。もう何となくお気づきだろう。この二人、人ならぬ存在で、宗教によっては…もしかすると似合わないと笑われる方も少なくはないかも知れないが、ここだけの話、実は"天使"なのである。(………あ、今"ぶふう"って吹き出しましたね、そこのあなた。)
「実際の話、お前みたいのが枕元に立ったりしたら、死神が迎えに来たんだろうかって誤解されること請け合いだろな。」
「他人のことが言えるのか、お前はよ。」
 こらこら、目糞鼻糞な言い争いは辞めたまい。

  「「何だと? ああん?」」

   ご、ごめんなさいっっ!
(笑)


            ◇


 お約束な冗談はともかく。"天使"などという無垢で清らかで神聖なる存在と、この…格闘おたくとホスト崩れのような、いかにも胡散臭い
(笑)男二人というのは、なかなか"イコール"でつないで認識しにくい極端な対象だろう。簡便な呼び方というか、ご納得いただきやすかろうと思って言ってみただけのこと。別に"神憑りな"とか"聖なる"といったような存在ではない。人々の居る物質世界とは異なる次元に住まい、厄介な悪霊、負の力が大きすぎる魂なぞ、世界のバランスを崩す存在が現れないよう、パトロール&管理をしている"破邪"。人世界・地上を管轄にしている天使長・ナミの配下にて、日々"お仕事"に明け暮れている、二人一組の所謂"始末屋"という奴で、ぶっちゃけた話、天世界の労働者たち(最高特殊技能保持認定クラス/笑)なのである。
「最近多くねぇか? 付け込まれる奴。」
 見た目こそ人間となんら変わらない彼らは、だが、その存在の構成が違い、象徴様クラスともなれば永遠の存在。…何が言いたいかって言うと、人の寿命なぞ一瞬の刹那であると思えるほどに寿命のスパンが長い。単純に考えても、光だの、風だの、闇だの、炎だの、水だの etc.…といった、象徴物の在り様がそうそう代わられては困りますでましょ? で、そんな彼らが最近感じるのが、この女性のように"付け込まれる"ケースが近年頓
とみに増えている感触で。
「ん、それはナミさんも憂えてた。物質的に恵まれてる分、精神は脆くなるから取り憑かれやすい。その上、我慢が利かんで沢山の巻き添え連れて逝くよな奴も増えてて、そういう我儘な奴に限って執拗な悪霊になりやすい。その最悪な状況が見事に噛み合っちまってるんだとよ。」
「…迷惑なこったよな。」
 付け込まれる者が増えるということは、彼らのお仕事も増えたということだ。鬱陶しいとばかり、うんざり顔になるゾロだったが、
「ああ"? それはこっちの台詞だってんだよ。」
 それへとすかさず、サンジが噛みついている。
「お前、いくら翡翠眼の者だからったって、少しは防御の修養も積んだらどうなんだ? そんだけの破壊力がある"破邪"なのに、結界も感知の眸も基本値しか持ってねぇってのはどうよ。俺はこれでも結界精霊ん中では"聖封"クラスなんだぜ? それが何で野郎のお守りをせにゃならん。」
「喜びな。最上級だからこそ、俺のアシストにって選ばれたんだぜ? ナミに聞いてねぇのかよ。」
「それも気に入らねぇんだよ。何でナミさんを呼び捨てに出来んだ、お前。」
「さてな。遠い親戚らしいって聞いたことあっけどな。」
「ふざけてんじゃねぇよっ!」
 こらこら、朝っぱらから喧嘩はしない。このやり取りからもお判りだろうが、彼らの役割分担はというと、サンジが対象を感知し、結界を張り、ゾロが"精霊刀"で始末をつける。破格の能力を持つ者は、別などこかで何かが大きく欠落している場合が多い。ゾロの方は、破壊力こそ天聖界で一番と言っても過言ではないほどにずば抜けているが、精霊としての存在を隠すのに用いる"結界"を張ったり"邪"の気を孕んだ相手を捜し出したりする能力のレベルはさほどには高くない。そういった感覚の全てもまた、剣を握った時の…直接対峙する相手の"気"を読む能力の方へと振り向けられてしまっていて、彼独特の偏ったゲージパターンになってしまっているからだろう。逆にサンジの方は、結界を専門に扱う一族の出なせいか、封印や呪縛の能力だけなら数ランク上の"象徴様"たちにも引けを取らないほどであり、探知の能力も並外れているが、いかんせん、破邪の主要な任務である"浄化霧散"の技は使えない。こういう偏りを補いあった上での"最強コンビ"な彼らであり、それでバランスが取られているということだろうか。ま、そんな訳で、口喧嘩も彼らにはある種のコミュニケーションであるらしく、
「じゃあな。俺はこのお嬢さんを家まで送ってくる。結界は張ったままにしとくから、待ってる間、休んでな。」
「おう。」
 あっさりと普通の会話に戻っている人達だから世話はない。意識を失ったままな女性を、細身なのに軽々と腕の中へと抱え上げ、サンジが再び宙へと掻き消える。これで一件落着だなと、ゾロも何とはなく安堵の滲んだ吐息をついて、

   「…?」

 ふと。何かの気配を感じた。先程、サンジと罵り合った時にあげつらわれたこと。日頃の探知や感知の感応力が、一般の精霊並みに低いというのは、実は重々自覚していることではあるが、だからと言ってまるで腑抜けな訳ではない。その存在を隠さねばならない時というものへの察知や反射は一応は身についている。そうでなければこうやって地上での実務を許されはしないという順番になっているほどな事だから…なのだが。

   「………。」

 車両の侵入を防ぐための、逆U字のごっつい鉄パイプだろう杭が2本ほど並べられた、この公園の出入口辺り。そこにぽつんと一人の少年が立っているのが見える。この国の民族たちの基本特徴、黒き髪と黒い瞳の、たいそう…印象的な少年で。小学生の高学年くらい。いや、小柄な中学生くらいだろうか? じ〜っと。そう、向こうも彫像のように動かぬまま、じ〜っとこちらを見つめ続けている。………これってもしかして。眸が合ってしまった、という事態ではなかろうか。
「どうしたよ。」
 もう戻って来たらしいサンジの声に、そんなにも"お見合い"を続けていたのかと我に返って。
「あれ。」
 ゾロが指さした先を見やって、
「………お。」
 サンジもまた少年に気がついた。この彼からして、ゾロから示されねば気がつかなかったほどに、気配の薄い子。いや…存在感はある。ただ、周囲に満ちた漠寂とした朝の気配の中へ自然に溶け込んでいたような。
「あの子がどうした。」
「さっきからずっとこっち見てるんだ。」
 会話している間も視線は外さず。そして、向こうからも視線は動かない。
「たまたまじゃねぇのか? こんな朝早いんだ。寝とぼけてんだよ、きっと。」
 そんな二人のいる方へと、とことこと衒
てらいなく歩みを運んでくる彼であり、その様についついゾロが、
「…もしかして見えてんじゃねぇか?」
 そんなことを言う。それが事実であるのならかなりがところ大変なことだのに、態度も語調も平生と対して変わらないから判らない人で。………あ、今回は"人"じゃあないのか。
おいおい そんなゾロとは違い、こちらはそうはいかないとばかり、
「んな筈ねぇよ。そこらの低級霊じゃあんめぇし、俺たちの姿が人間なんぞに見える筈はねぇ。しかも、だ。俺が張った結界は万全…って、おいっ!」
 焦ったようにがなるサンジの声にもお構いなしに、すいっと伸ばされて来た小さな手。それが"ぺたっ"と。ゾロの頬に届いた。
"………え?"
 温かな、少し乾いた小さな手。そんな感触が、だが、いつもなら次元違いで"通り抜ける"筈が、いつまでも頬の上にある。

   「………え?」

 何とも妙な構図である。ベンチに腰掛けて、傍らに立っていた連れと話をしていた、少々恐持てのする男。それへと"とことこ"近づいて、いきなり男の顔を触った少年。新聞配達のものだろうか、どこやらからスクーターの走行音がしたのが、何とも静かな夏の朝ぼらけの空気を強調している。………と。

  「やっぱりだ。兄ちゃんたち、人間じゃあないんだろ。」

 その少年が開口一番にそんな風に言い立てた。そんな予感があったから、こんなような不躾けをやらかした彼なのだろう。…そうでもなきゃ、何だかおかしな行為だもんな、実際の話。そして、そんな尋ね方をされた方はといえば…。

   「………え?」×2

     …こらこら。

  〜 to be continued 〜  02.7.7.〜


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      かずと様『人間外のゾロ』

  *リクの字面を見て"人非人の鬼畜ゾロ"かと勘違いした
   お馬鹿な筆者だったことは内緒です。
(笑)
   単発パラレルは『さ〜くら咲いたら…』に続いて2作目ですね。
   こういうネタ、実は別ジャンルのパロで書いてましたので、
   さほど苦ではなかったのですが、
   理屈に突っ走ってしまいそうになるのを制御するのが大変でした。
(笑)
     (そのせいで分厚い本を出してた、傍迷惑な奴でしたの。)

  *同時進行の某企画からの逃避というのもあってか、
こらこら
   えらいことノリが良くって、
   気がつけばかなりのメモリを使ってまして。
   あまりお待たせするのもなんだし、と、
   そこでこのような連載形式を取らせていただくことになりました。
   またややこしいことをと却って閉口されそうですが、
   まま、夏休みですし。どか、のんびりとお付き合いくださいませって。


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