模索の章
辿り着いたのは所謂"文化住宅"というやつで、鉄パイプ製の門扉とブロック塀に囲まれた短めの前庭が一応はある、小ぎれいな一軒家だ。
「ただいま〜。」
ガラス格子の引き戸をガラガラと開けて、後方へ蹴飛ばすように靴を脱ぐ。そんなに狭くはない三和土たたきは、だが、一体何人家族なのだか、スニーカーや革靴、サンダル等々で雑然と埋まっていて、足の踏み場がほとんど無い。
「早かったな、今日は。」
ドタドタと廊下を上がってゆく少年へと掛けられた声があって、つやのある木製の玉すだれの向こう、台所らしきところから顔を出したのは、ぼさぼさの髪を撫でつける前らしい、起きぬけの中年男である。どうやら少年の父親であるらしく、
「…あれ? ルフィ、そいつ…。」
少年の後方、当然顔で上がって来た青年に気がついて、どこか怪訝そうな顔をする。そりゃあそうだろう。初対面の相手だというのに、おいでになったのはこんなにも早朝。かてて加えて、闇色のサングラスに長袖の黒づくめという怪しい恰好で、息子の友人にしては年嵩だし…背負っているムードがちょっと。おいおい そんな彼をどうにか紹介しようとでも思ってか、背後を振り仰ぎかけた少年は、だが、
「………。」
男が無表情なまま、父をじっと見やっているのに気がついた。いつの間にかサングラスを外していて、現れたのは深い翠という色合いに染まった切れ長の瞳。なかなか端正な面差しだなぁと息を飲んだのも一瞬。
「………。」
父の方までが口を噤んで彼を見つめ返しているのに気づいて、
"???"
少年は怪訝そうに首を傾げるばかり。こんなややこしい所で、ややこしい組み合わせで、恋に落ちんでほしいのだが。こらこら ややあって。
「………ああ、なんだ。ゾロじゃねぇか。こっち来てたんか。」
合点がいったような声を出す父だったから、
「父さん?」
今度は少年の方がぎょっとする。そんな彼へ、
「覚えてねぇか、ルフィ。秋田のタカシんとこのゾロだ。大きくなったな、もう社会人だってな。」
だっはっはっは…と豪快に笑う父に肩をバンバンとばかりどやされて、少し困ったような苦笑い方を見せるゾロであり、
「何にもないトコだがな、寝に帰る場所くらいにはなるだろさ。ゆっくりして行けや。」
「はい。お世話になります。」
いかにもなやり取りをして、ルフィと呼ばれていた少年を目線で促し、家の奥へと歩みを進める。廊下の途中、二ツ折れの階段を二階へと上がりながら、
「兄ちゃん、ゾロっていうんだ。」
少年がそうと訊いて来た。そういえば、まだ名乗ってはいなかったので、ああと短く応じると、二階に上がり切ったところでくるりと振り返り、
「父さんに何かしたろ。」
段差のせいで同じ高さになったこちらの眸を、じっと見つめながら重ねてそうと訊いて来る。
「分かるか?」
「だって秋田のタカシ叔父さんのとこには、くいなお姉ちゃんとたしぎお姉ちゃんしかいねぇもん。」
おおう、そんなところの親戚になったんかい、ゾロさん。(笑)
「簡単な暗示だ。俺を警戒も説明も要らない相手だと思い込ませた。他の記憶には支障は出ないから心配は要らないぜ。」
むうと唇を噤む少年だったが、彼にも同じ術をさんざん構えたのに全く効かないことの方が、ゾロには大いに不思議だった。催眠療法などで人が人に施す暗示とは次元が違う。強い思念を送り込んで"思い込ませる"という、所謂"力技"を繰り出しているのに、まったく影響を見せない少年であり、
"…一体、何なんだ、こいつ。"
同僚に置き去られ、ただ一人、初対面の少年に強引なご招待を受けたゾロは、冷静に見えつつも実際は…内心で頭を抱えていたのである。
◇
「…やばっ!」
「あ、こらっ!」
少年からの"人間外"追及にあって、いち早く姿を消したサンジにすっかり出遅れてしまいつつ。自分もまた逃げを打とうとしかかったその背中へ、
「ああ、逃げなくても良いのに。」
そんな声が差し向けられた。捕まえたかった訳じゃあない、ただ見てただけのトンボが、でも逃げちゃった…という雰囲気で、ちょっと残念そうな声を出した少年の、その"逃げる"というフレーズに引っ掛かりを覚えたところが…大人げないぞ、負けず嫌い。(笑)
「兄ちゃんは逃げないんだね。」
「まあな。」
そうと聞くと、途端に"にかーっ"と笑って、
「ウチにおいでよ。どうせ行くとこ無いんだろ?」
どうとも取れそうな言い回し。人間じゃあなかろうと訊かれたこと、これへの答えようで肯定させるつもりだろうか。こちらも断定させたくなくて曖昧に、頷くでない、だが、否定もしないでいると、
「ほーらー。陽が出てても大丈夫なんならよっぽど丈夫なんだろう? 良いからおいでって。」
じゃれつくように腕を取られ、やや強引にぐいぐいと引いてくる。にこにこと笑っている屈託の無い顔。あんまりにも無邪気で、天真爛漫なそれだったものだから、
"…物怪もののけ全部にそんな顔してやってんのか?"
ついつい、そんな風にちらっと感じてしまって。他の奴らと同じならちょっと悔しいというような、何だか複雑な"何か"が胸の片隅で沸き立ったゾロでもあった。
◇
少年は、窓が大きくて明るいが、いかにも男の子のという散らかりようをした8畳ほどの部屋にゾロを招きいれ、
「こっちはまだ名乗ってなかったな。俺、ルフィっていうんだ。」
いつもそうしているのか、開け放たれた腰高な窓の桟へと椅子代わりに腰掛けて、それは元気そうに屈託なく、にっぱーっと笑って見せた。
「中学2年で、これでも柔道部のエースなんだぜ?」
「柔道? そのタッパでか?」
第一印象で小学生かもと思ったくらいに小さい彼で。それが武道をたしなんでいると言われて、ゾロは正直に驚いて見せた。
「あ、言ったな。もともと柔道ってのは、小せぇもんが大きい奴を投げ飛ばすところが良いんじゃんか。」
フローリングがわずかに覗ける床の一面に広げられた、マンガ雑誌やらゲームボーイやら、携帯電話用の充電器やMDウォークマンのステレオイヤフォン、むき身のMD数枚に、あと少しほど残ったスナック菓子のアルミの袋、500mlのペットボトル、CDアルバムに靴下の片方や痒み止めの薬に、脱ぎ散らかしたTシャツやらトレパンやら、その他いろいろ、etc.…。室内の引き出し全部を引っこ抜いてぶちまけたような散らかりようだが、今時の子供の部屋というのは"物"が溢れているからねぇ。彼らの"自治区"にした途端、こうなるのは当たり前というところか。
「あ、悪い悪い。」
ただでさえ大柄なその身の置きどころに困っているらしいゾロだと気づいて、ルフィは適当な隙間へ手を突っ込むと、その下にあったらしいラグマットの端を引っ掴む。そのまま持ち上げ、床に広がってた雑貨を全部、のり巻きでも巻くかのようにマットの間に巻き込んでベッドの間際へ寄せるから…やることが大胆だ。
「さ、座ってくれ。」
時たまというより、しょっちゅう"これ"をやっているらしくて、ラグの下だったらしきチャコールの艶が出ている板敷きの床にはさほど埃もない様子。こちらもそこまで神経質ではないから、何とか空いたスペースに雄々しい体躯を据えて座り込む。
「…で。何でまた、俺たちにあんな声を掛けた。」
別に行き場がなさそな風情で居た自分たちではない。だから…というのも妙なものだが、放って置いても良い筈だ。それとも、同じ人間であってもあんな風に声を掛けて回る子なのか? 愛らしくて健全そのものという"お日様"のような見かけによらず、実は夜遊び帰りの遊び人のお兄さんフェチな坊やなのか?おいおい
「だってさ、兄ちゃんたち…。」
「ゾロでいいよ。」
訂正されて、こくんと頷くと、
「ゾロもさっきの兄ちゃんも、人間じゃあないんだろ?」
少年は再び、ともすればトンチンカンに聞こえかねないことをけろりと口にした。
「そういう人や物ってのはさ、構ってほしいとか、何か用事があるから出て来るもんなんだ。でも、見えてくれる人は少ないからさ、何かと手間ぁかかるんだろ? 俺で良ければ何か手伝いくらいするぜ?」
成程、ボランティアのような気持ちが沸いて声を掛けてくれたのらしい。
「俺、小さい頃からそういうのが見えるんだ。で、みんなには見えないってのが判らなくってさ。変な子だって言われてた時期もあったんだけど、そしたら兄ちゃん…エースっていうんだけどな、兄ちゃんが言ったんだ。"それはお前にだけ"特別"に見えてるんだ"って。」
『それはお前にだけ"特別"に見えてるんだ。だから、他の人に言ったって判らない。皆には残念ながら見えないんだからな。でもな、何か意味がある筈だ。何たって"特別"だからな。怖かったり悪さされたりするようなら、いつでも兄ちゃんに言いな。偉い先生を探して来て退治してやるからさ。』
「でも、今のとこは怖いのってのはあんまり出て来たことないからさ。そいで、他の人にはあんまり言わないでいようって。」
一応は分別のある子ならしく、だということは…かなり確信があってゾロに声を掛けたということにもなろう。そんな得体の知れない存在を相手に、こうまで懐っこく振る舞えるとはまったく大した少年であるが、
「…苛められたりしたのか?」
ゾロとしてはそういう辺りがつい気になった。これもまた良くあることだ。訳の分からないもの、見えないものをわざわざ認可する人間は少ない。巫女や神の子だと珍しがられるなんて、今時にはよほどの信仰厚い土地や環境下でのみの話。大概は気味の悪い奴だと阻害されるケースの方が断然多い。ルフィは、だが"にひゃっ"と笑って、
「あはは、そういう時期もなくはなかったな。」
あっけらかんと笑い飛ばした。
「けど、エースが庇ってくれたしさ。自分でも…何てのかな。目の前で大声で内緒話されるのって嫌じゃん。聞こえよがしなのに自分は口出し出来ない、ケータイでのお喋りみたいなさ。そういうのと同じなんだぞって、ウソップに言われて…あ、ウソップっていうのは幼稚園前からのダチなんだけど、そゆ風に説明してくれたんで、あんまり外では言わないよにしてんだ。」
あっさり言うが、今まだこの年頃の子供がそんなまで割り切ったことをすらすらと言うとは、よほどきっちりと心に叩き込まれていればこそだろうから、
「………。」
それ以上を穿ほじくるのは何だか忍びなくて、訊くのは辞めにしたゾロだ。そんな彼へ、
「で、兄ちゃんはどういう悪霊なんだ。自爆霊ってことはないよな。ついて来ちまったくらいだから。」
「おいっ!(怒っ)」
ルフィくん、それも言うなら"地縛霊"。選りにも選って、自分が浄化して回っている対象の"悪霊"だと言われたのはさすがにカチンと来たものの、だからと言ってわざわざ自分の役目を話してやっても仕方がない。怒って見せたことで、
「あ、ごめん。そういうんじゃなかったか。」
本人からして誤解は解いてくれたようなので、それ以上の弁明は控えて、
「大体。何でこんな早い時間にあんなとこにいたんだ、お前。」
こちらからも訊いてみる。犬でも連れていればともかく、中学生がたった一人で朝っぱらから散歩とは思えない。ルフィは"ああ"と笑って見せて、
「ラジオ体操の指導。」
短く答える。成程、言われてみれば短パンにTシャツという、寝間着もどきなまでに軽い恰好だ。伸びやかな脚を片方、座っている桟へと引き上げると、そのまま抱え込むように胸元へと引き寄せて、
「でも昨日で俺の当番は終わりだったんだ。それを忘れてて、寝直しにって帰るとこだったのさ。おもしろい巡り合わせだよな、これ。」
やはりあっけらかんとしたもんだったが、ゾロの方は…そうまでお気楽になれる筈もなく、
"…俺は運が悪い。"
あああ、そこまで言う。(笑) そんなこんなと話しているところへ、
「おーい、ルフィ。時間は良いのか?」
先程階下で顔を合わせた男性の声がした。途端にルフィは、ぴょこんと跳び撥ねるようにして立ち上がる。
「あ、いけね。あのな、あのな、俺、これからガッコ行かなきゃなんないからさ。此処には好きなだけ居なよな。」
ベッドの上へ放り出してあった紺色のデイバッグに手を伸ばす。ラジオ体操なんてものが始まっているくらいだから、夏休みの最中な筈なのだろうに。さては…もしかしなくても"補習授業"だな?(笑) 机の上から携帯電話を、床のラグ巻きの端っこからMDウォークマンを引っ張り出して、ファスナーの開いていたバッグの中に突っ込んで、
「あ、でもさ。」
何か言いかける彼に。んん?と注意を留めるように見つめ返すと、
「えと…。」
ちょっとばかり…照れたような笑い方をして、
「良かったら、ずっといてほしいけどな。」
そうと付け足した少年だった。
それから脱兎の如く…は逃げ出す時に言う言葉か。えとえっと。大慌てな様子で壁に掛けられてあった制服らしき一式をハンガーごと引っ掴んで部屋から飛び出して行った彼は、台所で先程の父上と何やらお元気な声を交わし、かちゃかちゃと食器が触れる音が食事にしてはちょっとだけ聞こえたかと思ったら、そのすぐ後にはもう、廊下を駆けてく足音がして、ガラス格子の引き戸を開ける音と共に、
「行って来ま〜すっ。」
と、出掛けた模様。それからほどなく、父上も出掛けるらしく、一応の…という雰囲気の濃い、慣れぬ背広姿で家中の戸締まりを見て回り、小ぶりなボストンバッグを片手に玄関から出て行った。その間、ゾロとは鉢合わせもしたが、暗示結界を張っていたお陰様で誰もいないと思ってくれたようである。
……………。
無人になった子供部屋。ふうと息をついてから立ち上がり、少年が腰掛けていた窓辺に寄る。父上が閉めて行ったサッシの向こう、夏の朝の風景が空にも地上にも広がっている。早くも汗ばむ陽気の中、大人たちはややうんざりと、そしてお元気な子供たちは溌剌と行き交い、それぞれがこれから始まる昼の長い一日へと向かって歩いて行くかのよう。部屋の壁際、起きた時のままならしい、くしゃくしゃなパイルシーツとタオルケットの折り重なったベッドの端に腰掛けて、
「…来てんだろ? 出て来いよ。」
声を掛けると、宙空から滲み出した人影がある。
「どうしたよ。あんなガキに付き合って。」
「よく言うよな。とっとと逃げを打ちやがっといてよ。」
そう。そこから滲み出すように現れたのは、先程公園で自分を置いてさっさと姿を消した同僚のサンジである。責めるような言いようをされても、そこは動じない。
「お前だって、いつもなら"放っときゃ良い"ってシカトこいてんじゃねぇかよ。」
こらこらサンジさん、柄が悪い。一応は"天使"なんだから。(笑)
「それとも、触られたショックで身体が動かんかったんか?」
天聖界にもあるのだろうかの、紙巻き煙草を口に咥えて、慣れた手つきで火を点ける。からかうような言いようをするそんな彼を、相変わらずに忌ま忌ましげに見やってから、ゾロは大きくため息をつくと、
「戻れねぇんだよ。」
そう呟いた。
「…ああ"?」
「だからさ。天聖の門が見えねぇんだよ、何でだか。」
ともすれば苛立たしげに繰り返すゾロの言いように、サンジの口許から煙草がポロリと落ちて、床に落ちる手前で掻き消える。いや、そんなもんはどうでも良いんだが、ゾロがその翡翠の眸でそんな現象を追ったものだからつい。そんな彼の肩を、サンジがいきなりがっしと掴んで、
「…お前。それってどういう事なんだよっ。」
たいそう驚いたような声を立てたが、
「知らねぇよっ。」
聞きたいのはこっちだとばかり、鬱陶しげな声を返して、相手の手をやや強引に振り払う。
「ともかく、天聖の門が見えねぇから、天世界へ帰りようがねぇんだよ、俺は。」
眉間に深い皺を刻んだまま、ゾロは自分の身の上に起こったことへと深い深い嘆きのため息を再びついて見せたのだった。
〜 to be continued 〜 02.7.19.up
*思いっきり趣味に走っております。
このまま突っ走ってもそれは筆者の趣味であって、
リクを下さったかずとサマのご注文ではないので怒らないでね?
あ、怒られるとしたらかずとサマご自身からまず怒られるか。(笑)
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