月下星群 
〜孤高の昴・異聞

  天上の海・掌中の星 〜冬凪短日


 
          




 まだ5時前だというのに、辺りはもはや冬場の早い陽の暮れを迎えていて。既に太陽はビルの谷間に落ち、空も地上もそこにたたえる光の帳
とばりの色合いを徐々にグレーへと落としつつある。師走に入ってすぐに冷たい雨が通り過ぎたせいだろうか。外気は風の冷たい"寒さ"から移行して、今や凍るような"痛さ"という感触を帯び、そのまま一気に冬らしく、しんしんと底冷えのする季節へ突入してゆきそうな趣きだった。そんな中、
「………。」
 目映い白熱灯に照らし出されつつ、眉間に深いしわを寄せ、対象をじっと見据えて思案中。その真摯なまでの熟考ぶりには、ただならぬ勢いの集中が感じられて。最後の選択を余儀なくされた身の負う責任やら、ここまでにじり寄った末という、この決断に至るまでのその過程を蔑
ないがしろにしたくはない、気迫のような重々しいものは…感じられたら周囲の買い物客が"引く"から およしなさいっての。
「どうだね、ゾロさん。決まったかい?」
「………う〜ん。やっぱりこっちにするよ。」
「そうかい、毎度♪」
 こういうお客には慣れているのか、いや、むしろ…大の男がこうまで悩んでしまうほど、そのくらいいい品揃えをしてるからねぇと胸を張って、最後の2本を吟味していた大きな手が差し出した、すこぶる良い張りをした真っ白な大根(見事な葉付き)を八百屋の奥さんが丁寧に受け取った。
「じゃあ、さっきのニンジンとジャガ芋と足して、これがお釣りの350円ね。それと、こっちは福引券だ。」
 始終水気に触れているせいか、新聞紙にくるんだ大根と釣銭とを差し出した奥さんの手は冷たかったが、
「ルフィはこういうの好きだからね。いっぱい溜めて一気に引きに行く方が喜ぶよ?」
 そうと言って笑った笑顔はたいそう暖かだった。それへと小さく会釈をし、大根や野菜は肩から下げたデニム地のトートバッグへ、釣銭はジャケットのポケットへとそのまま滑り込ませたタイミング。
「ゾ〜ロっ♪」
 商店街の入り口の方から"たたた…っ"と元気に駆けて来た小さな人影。学校指定のコートと制服に、濃緑と紺のアーガイル模様のマフラーと玉子色の手袋。その上へ紺色のデイバッグを背負った男の子が、スニーカーを軽やかに蹴上げてあっと言う間に傍まで辿り着く。
「よぉ。早かったな、今日は。」
「うん、今週末から期末(考査)だからな。部活も休みなんだ。」
 自分もうっかり忘れていたよと、冷たい風にさらされて真っ赤になったふかふかの頬が、にこにことほころんだ。そんな坊やが、
「今日は何?」
 自分の目線からはちょっとばかり高いところから下がっているトートバッグの中身を"見せて見せて"とじゃれかかる。お買い物に出て来ているということは、夕食は彼が何か作ってくれる算段をしている証拠。秋のうちはまだ、帰って来たルフィと一緒に買い物に出て、コンビニでお弁当を見繕うということだってザラだったのだが、このところはこれが当たり前の運びになっていて。簡単なメニューながらも、あれやこれやと作って待っててくれたりするのが楽しみで、ルフィの"買い食い"もぴたりと止んだほど。
「大根ってことは? もしかしておでんか?」
「残念でした。」
 八百屋の奥さんに目礼してから歩き始めるゾロの腕へ、なあなあとしがみついたままな様子が、何とも幼く愛らしくて。通りすがりの買物客たち…主婦やら下校途中の女子高生たちなどが、微笑ましいと言いたげな視線をついつい向けてくるほどだ。背の高い"従兄弟"と並ぶように歩き出す小さな中学生に、
「よぉ、ルフィ。寄り道かい?」
「お兄ちゃんにおねだりか? ほどほどにしとかないとな。」
 顔見知りの店主のおじさんたちから、気さくそうな声が次々にかかり、
「違わいっ♪」
 それへとこちらも軽快に言い返せば、
「るうちゃん、コロッケ、味見してかないか? 揚げたてだよ。」
「最近お見限りじゃないか。タコ焼き、もう飽きたのかい?」
 こちらはいかにも美味しそうなあれやこれや、一口つまんでお行きよとおばさんたちからお誘いの声がかかるから、
「…う〜っと。」
 これにはそうそうすげないお返事も出来なくて。
(笑) 並んで歩き始めていた"保護者"さんのお顔を、ちろっと伺うように見上げてみる。
『やれやれ、しようがないなぁ』
 叱るでない そんな気配の苦笑が滲んでいるのを見て取ると、やたっと嬉しそうに跳びはねて、おいでおいでの手の鳴る方へと飛んでゆく。どのお店も以前は当たり前のように立ち寄ってた、素晴らしき買い食いの品々を取り揃えた
(笑) 名店揃い。
「ほら、気をつけな。焼きたてだからね。」
「うんっ。あちち…。(はふはふ) あれ? おばちゃん、マヨネーズ変えた?」
「変えてないよう。あ、そっちはマスタードがちょっとだけ入ってるんだ。」
「マスタード?」
「西洋カラシだよ。」
「え? でも、そんな辛くないよ?」
「ほんの香りづけ程度だからね。それとも、るうちゃん、大人の味が判るようになったのかな?」
「え〜? そっかなぁ?」
 愛想が良くって食いっぷりも良い。店先でこんな子がいかにも"美味しい〜vv"なんて言って、シヤワセそうにニコニコはしゃいでいたならば。人の目だって集まるし、ほんの追加の一品くらいと、軽い気分で手だって伸びる。………という訳で、
"…凄げぇな。"
 タコ焼きからコロッケからさつま揚げから、焼き鳥、フランクドッグにお好み焼き。それぞれの店先のスタンドに積まれてあった"作り置き"があっと言う間に売れている辺り、ルフィ坊やってばお見事な"サクラ"ぶり。
「御馳走さま〜vv」
 いかにもご満悦というお顔になって良いご挨拶をした坊やだと気づいて、
「えと、お勘定は…。」
 ポケットに手を突っ込んだゾロだったが、
「ああ、良いよ良いよ、お兄さん。」
「そうだよ。味見してもらったんだ。お金なんて取れないよ。」
 おばさん方、女将さん方、揃ってにっこり、笑って手を振ってくれるばかりだったりする。
"…こいつ。道を間違えたら、とんでもないコマシになるやも知れんぞ。"
 こらこら こらこら、破邪様ってば。言うに事欠いて"コマシ"ってなんですよ。
(苦笑)
「じゃあねvv」
 無邪気なお顔でバイバイと手を振った坊やは、再び背の高い従兄弟にしがみつく。
「あんだけ食ったんなら腹も落ち着いたろ。晩飯少し遅らせようか?」
 いつもは"お腹空いたよぅ〜"のお声に急かされるように用意をし、6時台には食べ始めている"早ご飯"なのだが、各種1つずつとはいえお腹保ちのいいお総菜を結構平らげたルフィだ。今日ばかりはすぐには食べられないのではなかろうかと思ったらしいゾロが、口許に貼りついた青のりを親指の腹で拭ってやりつつ訊いてみたが、
「平気だっ!」
 にぱっと笑いながら胸も腹も張っての、ルフィ大威張り。
(笑) 食べることにかけては、これでとんでもないほどの豪傑で、小学生に間違えられることもしばしばという小柄な体の一体どこに、それらが吸収されているのか、
"三次元の存在には不可能な収容量だもんな、実際。"
 もう一つ上の次界の人間に言われていてはどうかと。
(笑) 呆れ半分の何とも言えない苦笑を見せるゾロに、
「なあなあ、今晩は何作るんだ?」
 さっき話途中になったメニューをあらためて聞く。トートバッグからはみ出している丸々とした大根。それを見て"おでんか?"と聞いていたルフィだったが、
「おでんは明日だよ。今日はカレーだ。」
「え〜〜〜。俺、今日おでん食べたいよう。」
 途端に"ぷく〜"と頬を真ん丸く膨らます。温かいもの、沢山食べたばかりだが、これもやっぱり温かそうなメニューを、一旦思い浮かべてしまったがために、お口が求めてしまっているのだろう。だが、そんな坊やへ、
「何言ってる。今朝"今日は絶対絶対絶〜対、カレーな?"って、絶対を3つも付けてリクエストしてったのは誰だ。」
 ゾロは呆れて言い返した。そう。朝のワイドショー番組で"世界のカレー"なんていうレストラン紹介の特集があったのを、朝ご飯を食べながら"まじっ"と見ていてのお言葉だった。当のご本人もそれを思い出したらしくて、
「うう"…。」
 これは旗色が悪いと言い淀む素直さよ。時折吹きつける風に、猫っ毛の黒髪がふゎさわさと掻き乱される。それを眼下に見下ろしながら、
「大体、今から煮ても間に合わんぞ。」
 作れないではないけれど美味しくないぞと、ちょっと譲歩した言い方になったゾロへ、
「う…ん。」
 そんでも…ちょっぴりしょんぼりとしたお返事が一つ。落とされた肩がいつもより小さく見える。さっきまであれほど勢いがついてたものがあっと言う間に萎
(しぼ)んだのが、何だが可哀想になってしまい、
"やれやれ。"
 ゾロは再びの苦笑を洩らした。口数の減ったルフィに合わせてこちらも黙り込み、商店街のアーケードを出てから住宅地の方の通りに入って、幾刻か。
「…ふに?」
 不意に"ぱふっ"と、頭の上へ大きな手のひらが載って来て。ルフィが"うや?"と、その大振りの手の下から顔を上げると。

   「そうまでしょげるな。サンジを呼んでやるから、何とかしてもらおう。」

 街灯がゆっくり灯り始めた道端にて。そんな風に言って、折れてくれる、何とかしてくれる優しい従兄弟。しかもただ折れてくれただけじゃあない。
「サンジ? サンジっておでんも作れるのか?」
 ゾロの相棒で、お料理の腕前は…食いしん坊のルフィが大喜びなほどに素晴らしい、聖封担当のちょっと小粋な精霊様。きらりんと瞳を輝かせる坊やに、
「ああ。奴にかかりゃあ、おでんもビーフストロガノフも似たようなもんらしいからな。」
 まったくの他人事だからだろうが、お気楽な返事を寄越す破邪様だ。まあ任せとけよと我がことのような自信を乗せて言いたいのは判らんでもないけど………そんないい加減な。
(苦笑)



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