月夜見
   the escort of guardian-knights
               〜Moonlight scenery 後日談
 

 
          



 乾いた陽光に照らされて、くっきりした陰を落として等間隔に続く円柱と、それに支えられた瀟洒な庇。明るい中庭
パティオの中、四阿あずまやと住居である宮舎とをつなぐ渡り回廊の先を、すたすたと機敏に歩む男の後ろ姿をやっと見つけた。回廊の間際にまで撓しなやかな枝先を伸ばしてくる、若くて可憐な木々の梢から落ちる木洩れ陽が、男のかっちりした肩口や背にまだらな陰をこぼしては振り切られていて。長い脚を俊敏に捌く様もどこか勇ましい、その切れの良い速さがそのまま、彼の機敏さやどこか"効率優先"ぽいお堅い気質をも示していることになるのだが。しわ一つないシャツに包まれた広い背中がぴしっと伸びた、隙のないその後ろ姿を見るのも久々で、
"ああほどの堅物が戻って来たのに、こうまで和むのは何でだろうな。"
 質のいい金の髪の下から透かし見るように眺めつつ、ついつい微笑が浮かんでしまう自分へと感慨深げに唸ってしまうのは、こちらもまだまだ年若き隋臣長である。ある意味で"此処に居ない筈"の彼だが、一般の目はまず入らない王宮の奥向きだから。何の杞憂もなく、以前と同じように振る舞って良いのだと言ってある。それに、下手に後ろめたさから萎縮するような人物でなし。そもそもそのような小心な人物であったなら、あんな大それた事件も起こさなかっただろうし、もっとそもそもの話が、こんな王宮への護衛官としてのスカウトを受けるという"始まり"すら起こり得なかったかも。
「おい、護衛官。」
 少しばかり足を速めて、追いつきながら声をかける。名字で呼び合うほどよそよそしい仲ではないが、かと言って名前の方で呼ぶのは、何だか…友達とか子供っぽい親しみだとかを滲ませてるようで照れ臭い。そこまで"仲良しこよし"ではないんだよと一応言ってみたいような、そんな気がしてつい、役職で呼んでみたりするのが彼らの間なりの親しさの現れで。
「?」
 口数の少ない彼は、今も、言葉や声など使わず。振り向いたそのまま、目顔で"何だ?"と訊いてくる。そんなに表情が豊かでもないのにそういうことをするのは、ある意味でずぼらだよなと思うこともある。しかも、こちらがそういうのを酌み取れる性分
たちだと判っていてのずぼらだから、結構狡い奴でもある。とはいえ…こういうコンビネーションや呼吸のようなものが、3年もの間のブランクを経ているにも関わらず、全く支障なく通じるのが何となくくすぐったい。
「ルフィがな、起きて来ないんだ。今日は午前中の授業がない曜日だからで、まあいつもの事ではあるんだが。そんでも、朝餉の支度や身だしなみの手伝いを担当する者には、他の曜日と変わらないからな。」
 ここまで言えば、相手にも通じるというもの。
「判った。」
 それと判る者は少なかろうほど薄く、その口許に苦笑を浮かべて。緑の短髪をこちらに戻ってから刈り直して整えた、厳
いかつく雄々しい護衛官殿は、金の髪にいかにも"王宮の人間でございます"と見える優美な容姿と身ごなしの隋臣長がやって来た方向へと、踵を返して立ち去った。




 つややかに磨き上げられた大理石の廊下から入ってすぐは、控えの間の刳り貫きを片側に置いた通廊。そこへと踏み込むと、顔見知りの女官がこちらを見やってホッとしたような会釈をする。それへこちらも小さく目礼だけの会釈を返しつつ、メインの部屋の方へときびきびとした歩みを運ぶ。天井の高い、ゆったりとした室内には、長い歴史を刻みながら代々の王室の人々に丁寧に使われ継いだ、品の良い調度と…ここに住まうお元気な住人のお気に入りのおもちゃやまんがなどが、何とかバランスを崩さぬよう工夫されつつ収められてある。そんなフロアの奥向き。繻子のカーテンを垂らし、縁取りに瀟洒な手彫りの装飾のなされた戸口をくぐると、窓辺に衝立
ついたてを重ねて光量を加減した部屋に辿り着く。
「…ルフィ?」
 この部屋の主役は天蓋のついた豪奢な寝台。それへと真っ直ぐに歩み寄り、声をかけながら覗いてみれば。広い広いシーツの海の上、大小様々なクッションがばらばらと撒き散らかされた只中で、健やか、且つ、大胆な寝相にて。真っ当な上下左右も何のその、蹴散らすほどの勢いで斜めになって、天下泰平に眠り続ける少年の姿が埋まっている。申し訳程度にお腹に掛けられた軽い布団をついつい直してやりながら、
「………。」
 わずかほど眸を細めつつ、その男臭い口許へ何とも言えない苦笑を浮かべた護衛官殿である。久々に会った王子様は少しだけ背が伸びてはいたが、表情や仕草、口調まで変わらないままでいたのが驚きで。自分の中でずっと変わらないままな姿だった少年がそのまま現実の世界に飛び出して来たのではないか、幻なのではなかろうかと、柄にないことまで感じたほど。この屈託のない寝相もまた、ゾロにはなかなかに懐かしい代物であったらしい。
「起きな、ルフィ。朝だぞ?」
 まずはと、窓辺の衝立を幾つか脇へ寄せ、室内深くまで朝の光を導き入れながら声をかけたが、
「………。」
 そのくらいでは反応さえない。再び歩み寄ったベッドの端へ腰掛けて、
「起きな、ルフィ。」
 小さな肩に手をかけ、軽く揺すってみると、
「ん〜、今日は休みだもん。まだ、寝てる〜。」
 平板な声が返って来た。慣れた口調。さては毎度のことだなと、声を出さずに笑う。
「お前は休みでも、他の人はそうじゃない。とっとと起きて身支度せんか。」
「やぁ〜。」
 むにょむにょと、もぐもぐと。口の中で何やら言い返してくる様子も昔と変わってはいない王子様であり、
「そうか。じゃあずっと寝てな。その代わり朝飯は下げてもらうからな。昼まで我慢しなきゃならんぞ。」
 そんな言いようをすると、その途端、
「…っ!」
 ひくりと動いた細身の体がガバッと起き上がった。ご飯がからむと跳ね起きるところまで変わってないのかと、失笑したゾロのその顔を、
「………。」
 寝起きにしては大きく見開いた眸がじっと見つめて来て。
「…………………………。」
「…どした?」
 あんまりにも長く見つめ続けるものだから。怪訝そうにこちらから声をかけると、


   「ゾロだ。」

   「…ああ。」


 何かしらの感慨に固まっていたらしいと、ゾロの方でも気がついた。バネの利いた仕掛けでもついていたかのように勢いよく跳ね起きたのも、ご飯のせいではなく、もしかしたら…自分の声だということへの反応なのかも。そういえば、こちらへ戻って来てからの数日、国王や皇太子殿下を初めとする関係各所のあちこちに"お騒がせ致しました、ご迷惑をおかけしました"とご挨拶に足を運んで回っていた。それがため、帰国してからはまだ、彼とゆっくり向かい合ってはいない。
「起きな。」
「…うん。」
 短いやり取り。だが、交わした言葉と裏腹に、二人ともが互いへの視線を外せず、かすかにも動けないでいる。
「………。」
 ふと。寝癖がついて跳ね上がった髪に気づいてだろう。ゾロの大きな手が頭の横手へと伸びて来る。それへと…ひやっと首をすくめるでも逃げるでもなく、されるままに温かな感触を受け止めて、
「サンジが言ってた通りになった。」
 ルフィがぽつりと呟いた。
「んん?」
 短く訊き返すと、頭に触れている手のひらへ、こちらからもすりすりと…仔猫を思わせるような仕草でもって、おでこや頬まで押しつけるようにしながら、
「あんな、サンジがな、ゾロを迎えに行った飛行機ん中でな、もうすぐだからなって。一緒に帰ってさ、前みたいにゾロが起こしに来てくれるようになるぞって言ってた。」
 その言葉の通りになったからと、それはそれは嬉しそうに、満面の笑顔になってそう言ってから、だが…急に恥ずかしそうに少ぉし俯く。
「夢じゃないよな、これ。」
「………。」
 よくある言いようだなと思ったが、何故だろう、胸の奥にまで抵抗なく貫き通って、甘い疼きを滲ませる。それを紡いだのがこの少年の声だから。そして、
「お帰りな? ゾロ。」
 こそっと上げられたお顔に、恥ずかしそうな、だが、やはり嬉しくて嬉しくて堪らないという表情が惜しみなく乗っていたからだ。こんなに嬉しいこと、夢じゃないのかな、だったら嫌だなと、そんな風に思うほど慕われているその甘さが、不甲斐ないことながら…こちらの心の芯のようなものをぐらぐらと揺さぶる。この人生を棒に振っても惜しくないと、そんな悲壮な決意の下に決別したのに、3年もかけて追って来てくれた愛しい王子様。こんなにも幸せで良いのだろうかと、それこそ柄にないことを思い、
「…ゾロ?」
「いや、何でもないよ。」
 そんな自分へついつい、泣きたくなるよな苦笑がこぼれた護衛官殿だった。


 さあとっとと服を着替えな、違うもん、着替えるのは顔を洗ってからだよ、などというはしゃぎ声が聞こえて来て。ああ起きて下さったと女官たちが笑顔を見合わせる。朝餉を確かめ、冷めてしまったものは湯煎のプレートに乗せて温め直し、逆にぬるくなったサラダやジュースは取り替えて…と、パタパタ静かに立ち回る中、
「あの方は?」
 洗面のご用意を抱えて出て行った第一陣を見送りつつ、そんな風に訊いてきた一番若い近侍へ、
「ああ、あなたには初めてお目文字する方でしたね。ルフィ王子からの信頼も一番厚い、護衛官であらっしゃる、ロロノア=ゾロ様ですよ。」
「護衛官? ですけど…。」
 自分は昨日今日王宮へ上がったばかりというほど新入りではない。なのに、今まで一度として姿を見たことがなかった殿方だと、近侍の少女が小首を傾げるのへ、
「ご事情があって数年ほど此処を離れてらしたのですよ。」
 年配の方の女官が、それはほのぼの、我がことのように幸せそうな笑顔になって見せた。彼女だけではない。小さな王子様のお傍に仕える者たちは皆、必要以上にはあまり口を開かず、少々取っつきにくいが頼もしい、緑髪の若き護衛隊長の帰還に、一様に胸を撫で下ろしていたのである。











          



 地中海に面した小さな半島と幾つかの島々から成る、小さな小さな王国があった。中途半端な世界地図には小さすぎて載ってないほどささやかな領土の大きさは、その発祥の時代からさして変化なく。気候も温暖で土地も地味豊かで、住まう人々は総じて暢気で穏やかな国。太古の昔から現在に至るまで、様々な国家が栄枯盛衰の歴史を紡ぎ、大きな国家間戦争も幾度となく押し寄せた激動の欧州の一角にあるにしては、侵略も受けず、災害にも窮しないまま。平穏なままに今に辿り着いたというその国家王室を、奇異なものを表す意味合いから"地中海の奇跡"などと呼ばれてもいるこの国は、実を言えば…結構強かな内緒のお顔も持っている。代々の国王が商才に長けた人物揃いで、こっそり蓄えた富の莫大なこと、東洋のとある国なぞ足元にも及ばぬほど。表舞台では名前さえ出ぬ小国なままに、世界規模の様々なプロジェクトや複数国家による事業には必ず頼りにされる"金蔵"であり、それと同時に"ご意見番"でもあるお国。



「…何だか、3年っていう歳月はどこに行っちゃったのかしらって気がするわよね。」
 テラスから見下ろした中庭の四阿
あずまやは、白亜とでも呼ぶのだろうか、真っ白な石の円柱に支えられた、ちょいとローマ調の、もしくはヴィクトリア調のかっちりとしたデザインの離宮風。風通しの良い位置に据えられてあり、瑞々しい緑と爽やかな泉水とを眸への涼とし、風に揺れる可憐な花々や突き抜けるような青空とのコントラストにその意識を奪われながら、のんびりと時を過ごせる静かな場所だ。このいい気候の空の下、やっと再会出来た、そしてこうして戻って来たことに喜びを隠し切れず、相手の頼もしい胸元へぴっとりくっついて甘えている王子と、まんざらでも無さそうな…あの人物には珍しくそれと判るほどの笑みを浮かべている護衛の彼とを見やりつつ、
「朝っぱらからあれだもの。」
 苦笑混じりに"やれやれ"と呟いたのは、3年経ったことで深みのある大人びた表情を見せるようになった佑筆嬢。
「まるっきり変わりない様子なんだから。」
 岡焼きするのさえ馬鹿馬鹿しいと、むしろ微笑ましいと言いたげに小さく苦笑したナミだったが、
「………。」
 そのお向かいの席に着座し、わざわざそちらを見下ろしもせぬまま、澄まし顔で紅茶を味わう隋臣長に気づいて…尚の苦笑を口許に滲ませた。
「ねえ、サンジくん。」
「はい?」
 美しい女性からのお声には洩れなく反応する彼だったが、

   「少しは悔しいのでしょう?」

   「………。」

 唐突に鋭いところを突かれたせいか、切り返しの鋭い機転が売りものな筈の彼が…少々返答に困るという間合いを示した。この佑筆殿、聡明なだけでなく、伊達に付き合いは長くない相手でもある。互いをよくよく知っていればこそ、何を言っても無意味な言い訳や空回りになりそうだなと、それこそ素早く断じたらしく、
「どうですかね。ま、久々に添い寝なんてのもさせられて、大変だったのがやっと終わったのにはホッとしてますよ。」
 素直とは到底言い難いお言いようながら、それでもかなり率直な本音を洩らしたサンジであり、
「…そうね。やっぱりルフィには笑っててほしいものね。」
 ナミもまた、肩の荷が降りたことへ素直な感慨を洩らしたのであった。



            ◇



 自分たちは随分と幼い頃に相次ぐように、今よりもっと幼かった王子の周囲に集められた"お傍衆"だった。丁度王子の母君が突然病の床へと臥せられた時期で、その病状の厳しさに典医や大人たちが緊迫している只中、まだたいそう幼くて甘え盛りの幼い王子が、母上様に近づけないことで不安にならぬようにと集められた遊び相手のようなもの。それぞれがそれなりの格のある家の子たちだったせいで、どこかおませで大人びてもいたので、社交辞令や行儀作法などとはまた別に、様々な場面の"こういう時にどういう気遣いをすればいいのか"といった機転において、大人たち並みにきっちり卒なく把握していて。愛らしい王子は王子で、持ち前の人懐っこさから新しいお友達のお兄さん・お姉さんたちにもすぐに馴染んだ。王宮のその奥向きの、世間からすっかり隔絶された空間にて、お行儀や何やのお勉強を始めつつも、まだ幼い子供らしく絵本を読んだり駆けっこをしたり。優しく構ってくれるお友達に囲まれて、日々を屈託なくお過ごしになった王子様ではあったものの…。とはいえ、どんなに仲良くなった間柄でもお母様への愛情とは比べるまでもなく。
『ねぇ、かあちゃまは?』
 どうして遊んでくれないの? ネンネなさってゆのにお忙しいの? と、舌っ足らずの愛らしいお声で訊かれては、ナミやウソップらと"どうしたもんかと"顔を見合わせたものである。




   ――― そして、国王や王子たちの愛情も、国民たちの祈りも空しく、
       美しく慈悲深く、それはお優しい方でいらした王妃様は、
       病に倒れられてから半年足らずという急な悪化に太刀打ち出来ぬまま、
       まだまだお若くして薨
みまかられてしまったのであった。


 ルフィ王子は本当に小さかったので、人の死というものがまだよく判らなかったらしくて、それと判るような悲しみの様子は見せずにいたが。世界中から数多の弔問客が来訪しての国葬の最中にも、何も知らずに無邪気に振る舞うその様子がまたいっそ痛々しくて、人々の心に新たな悲哀を誘ったものである。

   ――― そして。

 王室の作法・習慣に則っての葬儀行事は滞りなく運び、代々の祖先たちが眠る葬礼殿への埋葬も儀式も終えて…幾月か。季節も巡り、人々の気持ちも随分と落ち着いて来た矢先に、その騒動は起こった。






「…サンジっ、サンジっ! ねぇ、サンジっ!」
 夜中も夜中、まだ子供であったお傍衆たちもそれぞれの部屋に引いて、皆して寝入っていた時間帯に。部屋のドアをバンバンと叩く物音に文字通り叩き起こされて、寝ぼけ眼で開いた戸の前、小さな王子様が立っている夜がよく続いた。
「おーじ?」
 いくら何でも、こちらもまだ十代に上がったばかりな子供だったし。何が起こっているのやら、ピンと来なくて目線の高さも合わせずに不遜なながらも見下ろしていると、
「サンジ、かあちゃまは? まだ、お帰りないの?」
 舌っ足らずな声がそう聞いて来て、ハッとさせられた。一気に目が覚め、あたりを見やると、廊下の向こうからやっと王子を追って来た女官の姿が見えて来たところ。
「王子…。」
 美しく装いを改められて、様々な贈り物に囲まれるように柩に収められ、多くの大人たちとともに横になったままで"出掛けて"しまったお母様を、病院にでも向かわれたのだろうと思い、待ち続けていた王子だったのだろう。
「まだお帰りないの? るひ、いい子してるのに。」
 愛らしいお顔で見上げて聞いてくるのが、何とも…痛々しい。
「あ、えと…。」
 いくら大人びていると言っても、まだ子供だ。自分にだって"死"というもの、実はきちんと把握出来てはいなかった。ただ。どんなに愛していた人でも、どんなに好きだった人であっても、そして、どんなに頑張って良い子でいても…もう二度と会うことはかなわないのだという、とても悲しいことだというのは分かっていて。
「なあ、サンジ。知らないの?」
 そんな悲しい残酷なことを、この無邪気な王子様に伝えて良いものか。躊躇し、大きに狼狽し、そうして…自分が任されたお役目の本当の意味を、今更に思い知ったサンジだった。この愛らしくも屈託のない、国民たちからも"太陽の和子"と親しまれ可愛がられている王子様を、決して傷つけてはならないということ。愛想をつないで笑わせていれば良いとか、体にお怪我をさせないというだけでなく、あらゆる悲しみからもお心を守り通さなくてはならないということ。ただの話相手なんかじゃない、とても責任のあるお務めなのだということを、重々肝に命じた彼でもあった。



            ◇



 そんな風に夜中に王宮内を駆け回る王子の奇行が何日か続いて、そして。そんな様子なのをさすがに放っても置けず、父王様が直々にやさしく事実を説いてお聞かせになったらしくって。どういう理解をなさったか、見てはいられぬほど打ち沈み、思い出したようにおいおいと泣く日が何日か。ああ、悟られたのだなと判って、周囲の人々も新たに涙したものである。

   ――― それから、ルフィはサンジに殊更にまとわりつくようになった。

 政務に連なるお勉強でお忙しい兄上よりも近しい、その上、とってもやさしいお兄さんだったから。何でも知っているし、こそりと泣いてしまうと匿うように隠してくれる。寂しい時は"寂しい"と言い出す前に察してくれて、お洋服の裾をきゅうって握るとそのまま一緒のお布団で寝てくれる。まだ小さいのに大人ばりに献身的な、そんなお兄さんに王子の方でもすっかりと懐き、事ある毎にパタパタと駆けて来ては、その小さなお手々で手を引いたりしがみついたり。ルフィの側から片時も離れようとしないその上に、サンジがいないというだけで駄々を捏ねるようになり、どんな行事も彼がいなければ何も始まらないほどとなって。そんなお陰様で王子のお写真には、それが公的なものでも私的なものでも、必ず…まるで陰のように金の髪をしたお傍衆が一緒に写っているのが当たり前となったほどだった。

   ――― だって、サンジんこと、大好きだもの♪

 そんな一方で、ルフィを守らねばという自覚は、サンジをますます大人びた少年へと成長させた。何事からも一旦眸を引いて全体を見たりするような慎重な気質と、王子様の周囲へ目を配り、何にでも答えてあげられるような幅広い知識と理解を身につけた。ただ守ろうとばかり盲目的に思い詰めてもいけないと、多少は冷たい風にも当てて強いお子にせねばならないということにも早くに気づいて。それからはあまり過保護には構えず、お傍衆には出過ぎたほどな口利きをしてみせては、軽い喧嘩相手にもなったりして。そのくせ、やっぱり最優先で守り愛しんで来た大切な王子様。慎重になりはしたが視野は逆に狭まったかもしれない。ルフィが幸せなら良い、ルフィが笑っててくれれば良いと、それ以外をすべて打ち捨てて善しとして来た。献身とか奉仕なんていう簡単な言葉では済まないくらい、もうもう彼の存在こそが全てという身になっている自覚がある。………なればこそ。

   『少しは悔しいのでしょう?』

 ナミに揶揄された、どこか嫉妬に程近い"悔しさ"がないではないことに、ついつい苦笑も浮かぶというもので。



   "…まさか、あれをもう一度体験させられようとはね。"







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