月夜見
 puppy's tail 〜その14
 

  ドっキドキの…vv





          



 いよいよの春を前に、木立ちの足元に ふきのとうが顔を覗かせていたり、気づかぬうちにちらほらと、梅の枝に蕾が膨らんでいたり。本山さんのお宅の茂みの沈丁花の濃緋色の蕾が、甘い香りのコサージュみたいにお目見えしてたりするのへ、何だか訳もなく心が浮き立ってしまって。

  "♪♪♪"

 るんたったvvと足取りも軽く、長い毛並みをなびかせながら、木洩れ日の中を突っ切って。街の中心部を真っ直ぐに通っている"メインストリート"まで、たかたかと軽快に出て来かかったその拍子、

  "…あれれ?"

 何だろうか、人だかりの気配がして。油断しまくっていたその脚を ひたりと停める。暦の上では"春"だと言っても、まだまだ吐息は白いほどの寒い時期。もうちょっと手前の都心に近い辺りとかか、逆に温泉地として拓
ひらけてる方へ下った街ならともかくも。何にもないに等しいこの辺りに、しかもこんな時期、親類知人を訪ねてという以外のお客人はなかなか珍しい。なのに、

  "何か、沢山来てるのな。"

 歓声を上げてるとか、そうまで喧しくは騒いでおらず。また、音楽を鳴らしているとか、やたらと掛け声を上げているとか、お祭りか何かのような賑やかさでもないけれど、それでもね。どちらかというと年嵩な住人の多い土地だから、若い闊達な人たちが大勢で集まってて、立ったり座ったりと機敏に忙しく動き回っている様子なんてのは そうそう見られないことで。

  "何だろ。"

 実を言えば"興味津々"ではあるけれど、放し飼い状態の身であまり人の前に出るのはよろしくない。野良犬扱いされて通報されたり、可愛いなぁって ひょいって抱えられて勝手に連れ去られたりしかねないからで。

  "う"う…。"

 持ち前の好奇心がムクムクと盛り上がりを見せつつあるのを何とか押さえつつ、ふさふさのお尻尾とふわふわのお耳を興奮からピンと立てたまま、旦那様や坊ややツタさんが待っているお家への道を選んで たかたかと帰ることにした、ただ今 シェルティの"るう"くん Ver.の姿でいるルフィ奥様だったのである。






 お家に帰ると、ツタさんが見守るリビングを のしのし・ばたばた、我が物顔で這い這いしていた海
カイくんと まずは"ただいま"のご挨拶。同じような四つ這い姿勢だが、こちらはさすがにバネが違って。お耳を掴もうと伸ばされて来る小さな手から、立ち位置はそのままに少しだけ身体だけを後ろに引いて躱して逃げ、続く突進を真横へと跳ぶ格好にて掻いくぐって避けると、ととん・と撥ねるようにして戸口の間仕切り用の1m弱ほどのフェンスを飛び越え、そのまま二階へ上がる階段へ。お二階の寝室でベッドに上がって"ふわ…っ"と人型の姿へと戻って、肌触りが気持ちのいいコットンのセーターとチノパンに、お気に入りのシュガーベージュのカシミアのカーディガンという恰好へと着替えてから、一階へ逆戻り。
「カイくん、お待たせ〜vv
 るうの姿のママも好きだけど、抱っこしてくれる甘い匂いの小さなママはもっと好きなカイくん。いかにもご機嫌そうに"きゃうvv"と笑って這い寄って来る。姿勢を低くし、可愛い坊やをよいしょと抱き上げ、
「ねえねえ、ツタさん。」
 自分の優しい"お母さん"へ、ルフィはさっき見かけた人だかりのお話を持ち出した。沢山たくさん、知らない人がいたの。ボックスカーが何台か停まっててね、何かよく分からない機材をごちゃごちゃ並べてて。ああ、そうだ。銀色の…鏡にしてはべこべこって歪んでたから、あれってプラスチックかビニールだったのかな。そんな板を頭の上とかに持ち上げてる人もいたよ? あれって、何の騒ぎなの? 見て来たそのままを説明すると、

  「こらこら。言っといた筈だぞ?」

 お膝にまたがって いい子でいるカイくんを撫でてやりつつ話していた、奥方の声が途中から聞こえたのだろう。玄関の方から居間へと入って来たゾロが、そんな言いようでお話に割り込んで来た。…あれれ? 今日は遅くなるって言ってなかった? そんなお顔をしたルフィへ、
「予約していたお客さんが急用とかでキャンセルしたんだよ。」
 週に何日か、隣り町のスポーツクラブで筋肉トレーニングの指導員、所謂"インストラクター"をしている旦那様。いつもより随分とお早い"お昼帰り"なのへの説明をしつつ、玄関で脱いだコートと資料や何やが入ったブリーフケースとを、立ち上がったツタさんにやわらかな会釈つきで手渡す。いつもと変わらない団欒の風景であり、弱いめの床暖房の効いたフローリングの上へ直に座り込んでいた小さな奥方の傍らへと同じように腰を下ろすと、小さな坊やへと大きな手を伸ばす。だが、たった今抱っこしてもらったばかりのママのお手々の方が良いのか、ふいっとそっぽを向くカイくんであり、おやおやとちょっとばかり鼻白らみ…身が凍ってしまったお父さんだったのはさておいて。
(笑)
「言っといたって、何が?」
「だから、その人だかりだよ。」
 カイくんたらママの方が良いのねと、しょんぼり眉を下げた大きなお父さん。奥方が訊いて来たのへ注意を戻すと、

  「回覧板が回って来てたろうが。テレビ局の撮影隊が来るって。」

 何処の何ていう局なのかとか細かいところは覚えてないけれど、全国ネットで放送する、春の二時間もの単発ドラマで、劇中の一部分だけ、静かな住宅街のシーンをまとめて撮影に来たのらしい。ここいらの環境が良いのと、見物の人だかりが出来なさそうだからということで選ばれたらしく、それと、
「何でも主人公が連れてるって設定のペットに屋外でちょっとした演技をさせるんで、見物人が立ってたり交通量の多い場所だと、集中させにくくて困るんだと。」
 町会長さんが言うには、以前にも来たことのある制作会社の人たちで、礼儀も良いし騒いだり散らかしたりもしない、ちゃんとわきまえてる人たちだからねというお話で。それでも一応は町内の皆様の了解を取っての許可を受けてから、来ている彼ららしいとのことで。
「ふ〜ん。」
 ああ、そういえば…聞いた、ような気もする・か・な?と、小首を傾げる幼い奥様。珍しいものには持ち前の好奇心が ついついうずうずと立ち上がるルフィだが、ゾロからお話を聞いた時は具体的なイメージが沸かなかったのだろう。あんまり関心も起きなくて、それでまるきり覚えていなかったというところか。
"…まあ、あまりドラマやバラエティ番組なんかは観ないからな。"
 一家団欒、皆で向かい合って わいわい騒いでいると、あっと言う間に時間は過ぎるから。よほど"これを観るぞ"という意識をしていない限り、あまりテレビは観ないご家庭であり。ましてや今は、カイくんが そりゃあもうもうお元気で、小さな体で"這い這い、這い這い"と、どんな電池だとこんなにも保つのか、リビング中を一日中でも這い回っており。どこで何を口に入れるやら、どんな隅っこにもぐり込むやら。見落とすと危ないし、見ていて飽きないという意味からも
おいおい 一瞬だって目が離せない状態なため。面白そうだからと録画した映画や何や、ビデオはそのまま取ってあるが観ないままに溜まっている状態が、ずっとずっと続いているほど。とはいえ、

  「…なんか面白そうかなvv

 実際に人が集まって何やらごちゃごちゃしていた雰囲気からは、状況が分からないながらも何だか楽しそうな躍動が満ちて見えた。撮影に入った緊張感と、それがふっと緩んで場が和む空気。さあ次だと、準備にきびきび走る若い人たち。見て来た"現場"を思い出し、ルフィが"ふふvv"と小さく笑えば、
「そうかぁ?」
 今度はゾロが怪訝そうに小首を傾げて見せる。ああいう業界は外から見るほど楽しそうじゃないって聞くけどな。人が何人も寄ってやることだから、何か1つでも上手く運ばないといつまでも全員が拘束されてなきゃならないし、放送されるのは ほんの30分とか15分なんていう番組でも収録には何日もかかるし、画面に出てるタレントの何倍もの数の裏方さんたちが、それこそ身を粉にするほど必死になって奔走してるそうだし…と。元は都会にいた人なだけに、何となく聞いた話というのを聞かせる旦那様へ、
「そんな必死な感じはしなかったけどな。」
 よほど順調に運んでて楽しい撮影なのか、それともチームワークが良いのかな? 何となく"楽しげ"な空気を感じたんだけどと、直接見て思ったことを話しつつ、あ〜う・む〜vvと お喋りしながら自分の腕から降りようとするカイくんの、はだけてしまったシャツのお腹を直してやるルフィだ。片手間にというつもりはないけれど、躍起になって見てなきゃと一生懸命なばかりではなくなって、もう随分になる。やっとの余裕。でもこれから…そう、立って歩くようになったら、とにもかくにも体力勝負だとも聞いている。
"そうなっても、それこそ全然余裕だけれどもねvv"
 ………でしょうねぇ。
(笑) お母さんのお膝から降りたカイくんは、今度こそはお父さんのお膝によじ登ったは良かったが、ぐらりと前のめりに重心を崩し、そのまま…筋肉のがっちりついた頑丈そうなお腹にど〜んと頭突きを食らわしかけて。すんでのところで"おっとと…"と大きな手が両脇を掴まえて、何とか引き留められた模様。
「ん〜? 怖かったか?」
 抱っこし直し、体勢を立て直してやってお顔を覗き込むと、お母さん譲りの大きな瞳を細めてキャッキャと笑う。どうやらカイくんには"滑り台ごっこ"みたいなもんだったのかな?
「そか、面白かったか♪」
 背が高いから、脚も長いから。お膝も広いし懐ろも深く、手も玩具になるくらいに大きい大きいお父さん。時々掴まり立ちをしかかるようになったため、その行動範囲に"縦"という高さが加わったカイくんにとっては、手頃に大きくて登りやすく、手とか腕とか掴まるところを向こうから差し出してくれて温かで。転げそうになっても はっしと素早く掴まえてくれる"安全装置つき"の、それは安心なジャングルジム扱いなのかもしれない。
こらこら まだ届かない高い高いお耳には、きらきらした"ぴあす"っていう飾りが見えてて、実はそれにも関心大ありのカイくんで。ゾロパパ、用心しておかないと、そのうちルフィママみたいに、お耳を思い切り引っ張られるようになりますぜ?







            ◇



 ルフィはその愛らしい容姿に負けないほど気性もどこか幼いものの、さほどには"ミーハー"な子でもない。好奇心はそれなりに旺盛ながらも、あまりあちこちに首を突っ込んだり嗅ぎ回ったりはしない方。というのが、彼は自身が"精霊の末裔"という少々珍しい存在であり、その秘密をこそ、不用意に明かしたり暴露されたりしては困る身の上だからで。それで、人懐っこくはあるけれど、そんな自分の立場もちゃんと心得た行動を取る賢い子でもある。それに、ここいら旧別荘地には、建築物として歴史的に名のある建物こそ幾つかあるのかも知れないが、娯楽関係の施設や見ものは全くない、ただの住宅街のようなもの。よって、あまり外部の人間は出入りしないから、これまで胡乱(うろん)な人物というのにも接近されないで済んではいる。だがだが、今回のこの撮影隊の方々には、何となく…その好奇心をかなりのレベルにて擽られた彼であるらしく、

  『るうの姿にならないで、なら、観に行っても良いでしょ?』

 それならただの物見高い坊やで済むしと、ご主人を説得し、ほんの30分くらいのちょっとだけ、見物にと繰り出した奥方だったりする。
"…ふ〜ん。"
 さっきは遠目に眺めただけだったのでよくは見えなかったけれど、空き家になってるお屋敷の広いお庭に、撮影用にと小さなオープンカフェのセットが組まれており、そこと屋敷前の通りとを、今は主な撮影場所としている様子。
"あれれぇ?"
 不思議なことに、幾つかの席についてる人たち、声を出さないで何かしら"お喋りしている真似"を続けている。音の出てないテレビみたいだなって、声は別の人が担当するのかなって思ったんだけど、後で聞いた話だと、こうやって撮れば主人公たちの会話だけがきちんと聞き取れるって出来になるんだって。人や犬や、生き物の耳は"必要な音、不必要な音"を自然に選り分けてしまえるけれど、録音マイクは全部を均等に拾ってしまうからね。それに、エキストラの人たちだってわざわざそこまでの台詞はもらってないから、じゃあ何を話しゃあ良いのってことにもなる。それで、お店の中とかのシーンではこうやって撮ることが多いんだって。
「よ〜し。カメリハ、オッケー。」
 そんな声がして、そしたら皆さん、がやがやって声を出し始めたから何だか不思議vv うくくって笑いつつ、ルフィは他のところも見て回る。あんまり傍へ寄ってはお邪魔になるから離れての見学で、撮影用の機材を乗せたボックスカーや、小道具やメイク用品を乗せてるよな匂いの、衣装なんかをたくさん吊るした、クリーニング屋さんのバンみたいな車もあった。皆して何だかわくわくと楽しそうな気持ちで一杯で、やっぱりね、よっぽど気の合う人たちなんだろなって、こっちまで楽しくなっちゃうvv そんなルフィと同じようにして、遠巻きにして撮影を眺めている、年の若そうな女の子たちも何人かいて。

    「〜くんは何処なのかなvv
    「まだ出て来てないよ?」
    「次のシーンくらいじゃないの?」

 どうやら出演する俳優さんのファンまで来ているらしく、こんな鄙びた…喫茶店も何もないところへ わざわざついて来るなんて、余程のことではなかろうか。
"そんな有名な人が出てるの?"
 最近の芸能人て全然知らないもんな、まあゾロほどカッコいいタレントさんなんて、まずは居ないから仕方ないけど〜♪ 妙なところで優越感を感じて、鼻高々になったルフィ奥様。もうちょっと別なところを見てから帰ろっとと、少し奥まった路地の方にも停まっていた車に気づいて、だが、

  "…あれ?"

 おややとその眉をちょこっと寄せた。
「ほら、プリンちゃん。良い子だから降りて来て。」
 誰かを宥め賺すような女の人の声がしていて、だが返事は一向に聞こえない。
「ねえ、どうしたの? 出掛け前はあんな張り切ってたでしょう?」
 困ったなあという声音は、だが、まだ優しい響きのそれであり、相手を思いやってのものだと分かる。
"…でも。"
 どうしたものかと少しばかり考えあぐねたルフィだったが、
「プリンちゃん、駄々こねだったらお姉さん怒るよ?」
 そんなお言いようを耳にしては、何だか黙っておれなくなった。急ぎ足になって車の脇へと向かえば、
"あ、やっぱり。"
 ステップワゴンの背面ドアが大きく上へと開いており、そこへと向き合っている女の人が居る。ジャンパーとポロシャツにジーンズというラフな恰好の人で、そんな彼女が見やっていた先には…1頭のワンちゃんがいて、きっとドラマに出る"タレント犬"なのだろう。ここに来るのにこの車に乗せられて来たらしく、だが、何だかぐったりしていて床に伏せたまま、顔さえ上げずにいるものだから、聞き分けのないことをと このお姉さんが叱っていたらしいのだが、
「待って下さい。」
 何だか見ていられなくて、ルフィはついつい割って入っていた。だってね、
「…ちょっと、あなた。」
 勝手に近づいて来たルフィにその女の人はビックリしたらしかったが、構ってはいられない。車の傍らまで近づいてから中腰になって屈み込み、中にいたワンちゃんと目線を合わせ、じ〜っと じ〜〜〜っと見つめると。その子は"くぅ〜んきゅ〜ん"と細く鳴いて、少しばかり顔を上げ、ルフィの差し出す手のひらへチョコンと顎の先を乗せて見せる。

  「この子、車に酔ってますよ?」
  「え…?」

 上目遣いになったまま、力なくこちらを見やって"きゅ〜んきゅ〜ん"と鳴き続ける。
「で、でも。この子、車には慣れているのよ?」
 毎日こうやって現場まで出掛けているんだしと続けたお姉さんに、
「うん。それはそうみたいだけれど。」
 ルフィも逆らいはせず、
「ただ、今日は体調が悪かったみたい。昨夜遅くなったのでしょう? タイミングのリハーサルかな? 何かそういう練習をやってて。それに此処に来る途中、悪い道を通っても来た。」
 疲れてたところへガタガタ揺られては、先をちゃんと把握していて気持ちの準備がある人間だって堪
たまったものではない。そして、
「…っ。」
 此処までの道が悪かったのは、例えば地元の人間なら知っていることだろうが。自分たちがレッスンで遅くまで頑張ってたことまで、何でこの子に分かるのだろうかと、トレーナーのお姉さんは呆気に取られたような顔をする。そんな場へ、
「どうしたんだ? プリンは準備良いのか?」
 別な男の人の声が割り込んで来た。思いがけなくも、見知らぬ人物がタレントであるワンちゃんに気安く触っているのへ少々眉を顰めて見せたものの、
「…? 車に酔ってる?」
 お姉さんからの耳打ちで説明を聞き、ギョッとして。まだどこか胡散臭げな顔のまま、こちらへやって来るとルフィを鬱陶しそうな目で見やりつつ、車のハッチの奥にうずくまっている仔犬へと声をかけた。
「おいっ、プリン。どうしたんだ? あんなに張り切ってたろうが。降りな。」
 叱っている訳ではない声だとルフィにも判る。そうそう厳しいばかりの人たちでは無さそうで、だが、
「…プリン?」
 仔犬はやはり伏せたまま、立ち上がろうともしない。前脚の上へ顔を乗せ、てれんと耳を垂らして伏せ、見るからに申し訳なさそうなお顔になっていて、

  《 お父さん、お姉さん、ごめんなさい。 》

 不甲斐なくてごめんねと、物凄く反省しているワンちゃんの声をこの二人へ通訳してあげたいなあと、ルフィは何だかむずむずしちゃってしようがない。
"余程可愛がられてて、信頼もされているんだろうな。"
 きっちりとした躾けや訓練をされ、良い子だ良い子だと褒められて育った、それは幸せな子だと判るだけに、その想いが聞こえるだけに、歯痒くて仕方がない。だってほら、
「どうしましょう。」
「どうもこうも…こりゃ確かに車酔いだ。」
 休ませなきゃ可哀想だろうがと男の人の方が言い、監督さんには俺が話して来るから、お前はプリンを見ててやれと、そんな風に話が付きそうな気配。首根っこ掴んででもという無理はさせられないって考えて下さってる、それは優しい人たちだ。でも…、

  "確か主人公の犬、なんだよね、この子。"

 何か演技が必要な、つまりはお話の鍵になってる子だってことじゃないのかな。道具箱の上、置きっ放しの台本にもドラマのタイトルの下に『キューピッドは仔犬?』なんて副題がついてるし。東京だか何処だかのスタジオで、演技のいるシーンをこの子でもう既に幾つか撮っているに違いない。

  「そんな、困るじゃないか、沖原さん。」

 二人に増えた男の人たちの話し声が再び車まで近づいて来て、ハッと我に返ったルフィの前で、
「どうにか なんないかな。彼、忙しくてそうそう拘束出来ない人なんだよ。」
「ああ、判ってますよ。」
 さっきの人、動物タレント事務所の人が監督さんと連れ立って戻って来たらしく、やっぱり…部外者のルフィを怪訝そうな顔で見やってから、ぐったりしている仔犬の前まで来て相手をじっと見やる。ポンポンと軽く頭を撫でてやるその監督さんへ、

  "この子に何か無理を言おうもんなら、
   町会長さん連れて来て、全員を追い出しちゃるんだからなっ。"

 …って。この時点で、何でだかそこまで肩入れしていたルフィだったのだが、

  「…ふむ。これは困ったな。」

 あれれ? 何だかあっさりと納得なさったみたい? 恰幅のいい監督さんは、
「ウチのピヨトルもね。あ、アフガンなんだが、車に弱くてね。」
 体は大きい犬なのに気は小さくて、年に何回か別荘に行くたんび、まる1日は酔い冷ましに当てないと全然動けないくらいでね。苦笑混じりにそう仰有って、
「さて、どうしようか。」
 さすがタレント犬で、スタジオ撮りはもう殆ど済んでるからね、今更別の子に変える訳にも行かない。とはいえ、こんな土地で早急に代わりの子をと言っても、同じ犬種の子を用立てるのは難しかろうしねぇと、事務所の方と監督さんとで"う〜ん"と唸ってしまわれたものだから、

  「…あの。」

 何というのか、放ってはおけなくなっちゃって。ルフィは、ついつい。そんな方々へ、声をかけていたのだった。だって、このプリンちゃんって……………。




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