月夜見
 puppy's tail 〜その20
 

  お母さんは どこ?




          



 ふわふかで指通りのいい、つややかな黒髪をぱさんと乗っけた小さな頭が、たかたかとリビングの低い位置を移動中。推進力を担う腕と脚の連動ぶりは、まだまだどこか ぎこちなく。そんなして動く"這い這い"の態勢は、時にのんびりしたイメージのある"カメさん"を連想させるのだが、
「あ〜う・うーvv
「ああ、こらこら。どこへ行くのかな?」
 何か関心のあるものを見つけたその途端、一気にペースが上がる"ぱたぱた加速"は大したもので。かつて一世を風靡した"チョロQ"とかいう、手のひらサイズのおもちゃの小さな自動車を彷彿とさせるほど。それをこっちは、上背があるからと腰を曲げて追う立場。よって、ある程度以上は限界があるとばかり、慌ててひょいと捕まえてお膝に抱き上げ、お散歩の中断を強制することとなる。大きな手のひらで掬い上げるようにして、両手で軽々と抱えた小さな温み。せっかく楽しかったのにぃと、不満そうにふやふやの頬を膨らまし、口許を尖らせて"ぶ〜う〜"と唸りながら、短い手足をうりうりと振り回す様子がまた…可愛くて可愛くて。
「う〜んんvv
 お父さん、お父さん。頬擦りするお顔が際限なく緩んでおりますことよ?
(笑) 一階で一番広くて過ごしやすいリビングは、徹底したチェックの下に、今や 海カイくんの"常設運動場"と化しており。大人とは目線が違うがゆえの"油断も隙もない"系統の悪戯には、るうになって同じ目線を体験出来るお母さんのルフィがきっちりとチェックを入れてある。低い位置にあるコンセントには、使ってはないが差し込んでおくタイプの事故予防具というのがあるのでそれで蓋がされているし、低い位置の扉や引き出しの取っ手も、摘まみにくくて力の必要なのと交換してある。煙草を吸う人がいない家なので、ライターだの灰皿だのといった小物や汚れ物が置きっ放しという恐れはないけれど、食いしん坊な奥方が小さめのキャンディーなどをそこらに置きっ放しにしないようにという注意をしているし。フローリングの床は勿論、ソファーの下やらローテーブルの脚までも、奥方も一緒にお手伝いをして、そりゃあ丁寧に根気よく、暇さえあればというノリでよくよく拭って清潔を保つようにしてもいる。そういった危険物接触や誤飲への回避策はともかく、
「大人が見逃してて、階段から転げ落ちただの、何か落ちて来ただの、暑いところに閉じ込められただのってのは、冗談抜きにいただけないよな。」
 いつの間にやらお風呂場に向かっていて、縁や蓋に掴まり立ちをしていて浴槽へ頭から突っ込んだだの、ベランダにごちゃごちゃと置いてあったものをよじよじと登ってしまい、そのまま階下に落ちただの、ほんの刹那の見落としや不注意から取り返しがつかないことへ発展することもあるから、這い這いが始まったら冗談抜きに"体力勝負"の子育てだそうですが。体力ばかりでは及ばないあれこれだって勿論ある。熱が出ただのミルクを吐いただの、初めての子育てだと些細なことへでもドキドキしてしまいがち。そうかと言って、そのくらいなら些細なことだと、何でもかんでも無責任に断じても危険だし。そんな初心者ママとパパの戸惑いに応じてくれるのは、何と言っても"豊かな経験とそれによる自信"ではなかろうかと。

  「まあ、ウチはツタさんが居てくれるからなぁ。」

 姑さんや実家のお母さんはいないが、それはそれは知識も経験も豊富な"頼もしいお母さん"が居て下さるから大丈夫。赤ちゃんへの注意はもとより、甘えん坊なルフィへのお母さん役まで、きっちりこなして下さる"肝っ玉"お母さんのツタさんが居ればこそ、ちょいと特殊なお家だというのに、これまで不安なく過ごせて来たのだし、

  「そだね。
   ツタさんがいたから、カイくんだって無事にお誕生日迎えられたんだしね。」

 間違いなく わんこ系の筈なのに"にゃんにゃんvv"と、大好きな"お母さん"に甘えかかる奥方であり。そしてそして、この話題になると、
「そんな大層なことでは ございませんよう。」
 いつもいつもご謙遜なさるツタさんだが、もはやこの一家には無くてはならない存在であるには違いない。
「ささ、お昼にしましょうね。」
 今日は あんかけ焼きそばと かき玉汁で、デザートはミカンのゼリーですよと。よくもまあ重ならないままにバリエーションが続くと感心する、レパートリー豊かなメニューを告げられて、
「うわいvv
 無邪気な奥方がパチパチと手を叩き、それを見て…恐らくは理解せぬまま、カイくんも小さなお手々で拍手の真似をしてみたりしたのだった。






            ◇



 …と、まあ。ちょいと風変わりな"色々"を、人に知られぬようにと用心しもって抱えていながらも、相変わらずに明るく幸せで安穏とした雰囲気のままなご一家であったのだが、

  「…あらあら、どうしましょう。」

 朝のお仕事のラスト、中庭の外れへ突き出した中2階のバルコニーにある物干しへ、お洗濯を干し出す作業が終わって。さあちょっと一休みしましょうかという間合いに、ツタさんのエプロンのポケットで携帯電話がオルゴールのような音を立てた。そのまま電話に出たツタさんだったが、普通の応対から一転して…何だか困ったぞというようなお声を立てたので。風にひらひらと泳ぐシーツの裾を捕まえようとして、お空に向けて"あうあう"と手を伸ばすカイくんをその腕の中へと抱っこしていたルフィが"あらら"と気づいて小首を傾げる。
「どしたの? ツタさん。」
 先にもさんざん述べたが、このお母さんはこれまでめったに困った様子を見せたことがない。自分が困ったではなくて、それではお困りでしょうという…相手を慮
おもんばかる優しい同情のお顔しか知らないので、てっきりと、誰かが困ったその知らせが来ただけなのかなと思ったルフィである。

   ――― ところが。

 確かに“困った”状況にあるのはツタさん本人ではなくて、先のお話にちらっと出て来た甥御さん。ツタさんの妹さんに当たる方が、ひょんなことから利き腕をひどく捻挫なさってしまい、家事が満足にこなせなくなったそうで。間の悪いことには、その息子さんがちょうど今、インターハイに向けての猛練習にと毎日学校に通っている。お母さんに代わってお家のお仕事をこなす人がいないその上に、この暑い中を運動部の猛練習にと出掛ける高校生男子の…食事や洗濯といったお世話をする人がいない。昨日は何とか頑張ってみたものの、やはりかなり難しいとのことで、
「明日になれば、東京から長女が…夏休みを前倒しにして駆けつけてくれるそうなんですけれどもね。」
 今日一日だけ、どうしてもお世話をしに赴いてはいけないだろうかと、旦那様や奥方にご相談したツタさんで。
「それは大変ですね。」
 怪我をなさった妹さんも無理をすれば治りが悪くなるというもの。良いですよ、思い切りお世話してあげて下さいなと、幸いにして今日は“仕事場に出向かなくていい日”のゾロの方は、一も二もなく了解したのだが………。





            ◇



 恐縮半分、心配半分。思い切り後ろ髪を引かれながら、妹さんのお家へと向かわれたツタさんを見送ってから…たった数時間しかまだ経ってはいないのに、

  「…ふみみ、ツタさ〜ん。」

 早々と音を上げている誰かさんがいる模様。台所の方からの“SOS”のお声に気づいて、
「どした?」
 短いフリフリの縁取りがついた、真っ白な前掛けも愛らしい。大きな眸の小さなカイくんを、長い腕の中へと余裕で抱っこしたまま、奥方の様子を見に来た旦那様。調理台の上にぶちまけられた、カトラリーの数々の銀色の煌めきに思わずぎょっとした。食事に使うナイフからフォークからスプーンから、大中小と色々ある そのほどんどを、それはきれいに広げており、
「…何をしとるんだ、お前は。」
 たった3人家族。それも今はツタさんも不在だから、都合2人しかこういうものは使わない状態だってのに、何をこんなにも広げとるかと怪訝そうな顔になって。ピカピカと綺麗な情景だからとキャッキャと喜ぶカイくんを調理台へ近づけまいと、やや高いめに抱き上げ直しながらゾロが訊けば、
「だから〜、カイくんのスプーンがないの。」
 そろそろ“お昼”で、ツタさんが手際よく作り置いてってくれた“おイモとカボチャのニョッキ”を湯煎で温め、薄味のスープに合わせたまでは良かったが、カイくん用の食器がなかなか揃わない。やっとのことトレイやお鉢、両手で抱え込める取っ手がお耳のようについた赤ちゃん用のマグまでは見つけたが、持ち手が輪になったスプーンがどうしても見つからない。
「今朝も使った…っていうか、持たせたんだろ? いつも使いのところに伏せてはないのか?」
 それとも、殺菌消毒用の浸けおき洗い桶の中だとか。これでも家にいる時間が多いので、台所にも明るい旦那様が心当たりを訊いたのだが、ルフィは坊やと同じ黒髪をゆるゆると振って、
「見たけどないの。」
 それで、流し台や食器棚のカトラリー用の引き出しを全部、引っ繰り返してみた彼なのだろう。そんな改まった場所にこそないと思うのだが、普段使いの場所になければ、後はそこしか残ってはいないとルフィが思ったろう“理屈”も判らないではなくて。
「別になくても良いんじゃないか?」
 まだまだ“あ〜ん”で食べさせている段階なのだし、例の“自分で様”もこのところは大人しい。愚図ったらそん時だと、捨て身の覚悟でいるらしいお父さんへ、
「でもぉ〜。」
 出て来ないなんて何だか気持ちが落ち着かないと、そこは…失せもの探しに於けるワンコ系統のプライドが許さないのか
(???)、納得出来ないらしいルフィであり。スプーンだからそんなに特長のある匂いもしないし、困ったようと眉を下げてしょげているママを見ていた小さな坊や。

  「あ〜う。なんなん。」

 お父さんの腕の中で、不意に小さな身をよじり始めた。
「んん? どした? カイ。」
「ちゃんちゃ、りるのぉ。」
 最近、結構“お喋り”をするようになったものの、まだまだ全然“日本語”ではなく(勿論のこと、英語やフランス語でもなく)、のでので、意志の疎通が果たせるまでにはもちょっと時間が必要かも。そんなカイくんがますますのこと、う〜う〜と唸りつつジタバタともがき始める。両親が揃って困っている、この場の空気が不快だったのかな? それとも、キラキラに触らせてくれないからって拗ねたのかな?
「カイ?」
 どうしたの? ルフィもキョトンと見守る中、リビングの方へとお顔を向けているのに気づいて。顔を見合わせたご夫婦、試しにそちらへ戻ってみると、ゆさゆさと体を揺さぶって、どうも“降ろせ”と言ってるらしく。
「…何なんだろ。」
「おむつ…じゃないよな。」
「さっき替えたところだもん。違うと思う。」
 そおと、這い這いの格好になるようにと、手足を下に床へ降ろしてやると。そのまま、たかたかと結構な早さで這ってゆき、部屋の隅、ぬいぐるみやビニールの膨らませる人形などが入れられた収納ケースに“よいしょ”と掴まり立ち。上にかぶさってた蓋を“や〜や〜”と小さな手で叩くので、
「???」
 怪訝に思いつつも開けてやる。何だか唐突だが、遊びたくなったのかなと、依然として理解が追いつかないままに見守っていたらば………。

  「……………あ。」

 ちゃちゃ〜〜〜ん♪ という、ファンファーレが聞こえて来そうな見事さで。ぴょいっと取り出したものを頭上へ掲げたカイくんであり。その丸ぁるい銀の輪っかはもしかして…。

  「ルフィ〜〜〜。ツタさんから食器で遊ばすなって言われてたろうが。」
  「え? 俺は知らないよう。」

 大体、知ってたら台所であんなに騒がないもん。そりゃそうか、すまんすまん。ぷ〜んっだ。ごめんて、る〜ふぃ〜vv 知らないっvv ん・や〜だ、そんなトコ触ったらvv

  「ぷぷ?」

 ……………あんたら、カイくんのごはんは?
(笑)







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      ひゃっくり様『puppy's tail設定で、ツタさんがお留守の日』

  *すいませ〜ん。続きます。

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