月夜見
  
 
朝露虹梁 D “蒼夏の螺旋”より

 

     
◆◇ おまけ ◆◇◆



 唐突に接続を切られたとあって、
「まったく人騒がせな。」
 忌ま忌ましげにそうと呟いた夫へ、
「あら。」
 どこか意外そうな声を出す奥方であり。そんな気色が籠もっているというのは、これまたサンジにもすぐさま察知出来た。相変わらず奥の深い夫婦である。
「? 何です?」
「だって。もしかして、サンジくん。内心のどこかでは、この展開に"やった"って思ってなかった?」
「はい?」
「だってだって。ルフィくんが辛そうなのは確かに可哀想だけれど、でも、これで問題なく彼を引き取れたかもしれない。」
「………。」
 黙りこくってしまったところを見ると、少なからず、遠からず、痛いところを突いたらしい。とはいえ、そこはやはり途轍もない"大人"である彼のこと、
「まあ、今回は誤解だったようだからこのまま諦めますよ。」
 小さく"くくっ"と笑って見せて、一体どこまで本気なのやら、先程、本人たちに言ったそのままを繰り返すサンジである。そこへ、
「奥様、あの…。」
 メイドさんが戸口に立って、一礼してから声を掛けたのへ、
「なぁに?」
 ナミが席を立ったのを見送りつつ、今度は"ほうっ"と溜息を一つ。目の前には、待機中のモブである、帆船の動画画像に戻ったモニター画面と、キーバードやマウスの乗ったデスク。人が立って無人になった椅子のその空間が、今までいたそこに夫人ではなく、あの少年がいなくなったその空間の虚
うろにも通じているように感じられて、
"………。"
 椅子の背に乗せていた腕を突っぱねるようにして身を起こし、先程、やはりメイドのお嬢さんが明かりを灯した大窓へと、ローファーの踵をこつこつと鳴らしながらゆっくりと足を運ぶ。凪を挟んで今度は陸からの風が少しずつ強くなってゆく頃合い。時折届くのは、その風に弄
いらわれた庭先の茂みたちの立てる、潮騒の音にも似たざわめきの声。それらを見渡そうとしてか、開け放たれたままの窓の枠に横合いから凭れかかると、
"…ったく。"
 サンジはポケットから銀のシガーケースを取り出して、紙巻きを咥わえ、慣れた様子でその先を手で覆いながら火を点ける。俯いた顔を、相変わらずに長く伸ばした金の前髪が、今は少しばかり沈んだ色合いになったままで覆っていて。その陰から最初の紫煙が立ちのぼり、風に素早く攫われてするすると宙にほどけていった。
"………。"
 なんて簡単に元のさやに戻ってしまうのか。どんなに言葉を尽くしても、心からの深い想いを乗せて訴えても、頑迷なまでに…その場からはじりとも動かないつもりだったらしいルフィの、不安に凍りついていた心。そんな頑なな心があっけなく解けて、あっと言う間にいつもの温かな笑顔を取り戻してしまったものだから、これはもう諸手を挙げて"お手上げ"降参するしかない。
"紛うことなき…これは嫉妬なんだろうな。"
 じりじりと胸に苦く沸き立った昏い想い。幸せでいて欲しいのも本心。だが、

『だって。もしかして、サンジくん。内心のどこかでは、この展開に"やった"って思ってなかった?』
『だってだって。ルフィくんが辛そうなのは確かに可哀想だけれど、でも、これで問題なく彼を引き取れたかもしれない。』

 揶揄と呼ぶにはあまりにも、痛いほど直截だったナミからの指摘。まだこんなにも強烈に、こうも簡単に立ち上がる未練が自分の中に燻っていたとは。しかも、ナミの言いようで気づかされたのは、それは決して"良い感情"では無さそうだということだ。好きなもの、愛しいものを、この腕の届くところへ掻き寄せて、風にも当てずに慈しみ守るのの、一体どこがいけないのかと、強硬(ムキ)になりかかっていた自分。だが、成程、傍から見れば。それは随分とまたエゴイスティックな独裁者の言い分なようにも聞こえて。
"…反省、反省ってか。"
 激しかけていた心をゆっくりとクールダウンさせる。あの愛しい子がすぐに頼ってくれるほど、それは優しく見せかけて…実は醜くも昏いこの本心と、誤解や齟齬が生じやすい不器用者の、されど解
ほぐせばどこにも陰りのない、ゾロが少年へと構えている真っ直ぐな心と。どっちがマシな代物かは自分でも重々判るから。
"………。"
 時に端迷惑な誤解や衝突を重ねながら、だが、がっちりと結ばれてゆく不器用同士の絆の逞しさに、器用でスタイリッシュだが実は気弱な策士としては、ただただぽかんと口を開いて見惚れるしかないらしい。
"…ちっ。"
 不意に変わった風向きに煽られて、髪の先が煙草に当たってじりっと焦げた。指先でよじって焦げた部分を払いのけ、繊細そうな自分の白い指に気づいて、思わずの舌打ちを一つ。


   "まま、大人には大人の忍耐やトラップもあるってね。"


 ……………こらこら。どこか不穏当な呟きを胸中に落としてから、短くなった煙草を傍らのスタンド型の灰皿へとねじ込むと、Mr.サンジェストはその視線を庭から離し、部屋の中へと踵を返す。その颯爽とした背中には、凛然とした張りと大人の余裕。先程までの鬱屈や屈託は、灰皿から立ちのぼる細い細い煙と共に、刻を数える間もなく掻き消えたのだった。



   〜Fine〜  02.8.26.〜8.31.



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      岸本礼二サマ『怒っているゾロにやきもきするルフィ』

岸本様から頂いたオマケまんがはこちらvv →



   *いや、↑ではちょっとはしょり過ぎてる説明なんですが。
    拙作『回帰線』ぽく、何にだか怒っている(ふりの)ゾロに、
    取り付く島を見つけようとしているルフィというか。
    そうとリクされて、こういう話を書く辺り、Morlin.の"的外し"も絶好調な様相です。
こらこら

   *それにしても。
    愛する人限定とはいえ"気を遣うルフィ"を書いているだなんて、
    そのついでに"堅実で生真面目なゾロ"なんてものを書いてもいるなんて、
    もしかするとMorlin.は、ワンピ・パロ史上初のキャラを書いているのではなかろうか。
    …冗談はともかく。
    永遠の命を授かったがために、泣く泣く一度諦めたものなだけに、
    ついつい臆病になってしまうルフィであるのは致し方ないのでは。
    先日、メールでそう仰有って下さった岸本様、
    こんな出来ですが、いかがでしょうか。(こらこら、反省は?)