月夜見
  
 
朝露虹梁 C-b “蒼夏の螺旋”より

 

            



   …いえ、段落分けに意味はないのですが。
こらこら


【彼は、昨日のお昼休みにでも見たんだと思うの。あたしが送ったお礼のメール。】
 さして悪びれるでもなく、マダム・ナミはそんな風にごくごく自然な口調で…一番に納得させて安心させたいとするルフィへと向かって語り始めた。
「お礼?」
【ええ。ベルをあやしたり宥めたりするDVDを作るのに使いたいからって、素材を送ってもらったのよ。】
 DVD。発音を誤ると某メーカーの男性下着になるのでご用心。
こらこら 個人的に作るとなると、CD−Rというところか。愛するお嬢ちゃんの話題だからか、殊更にぃっこりと微笑うナミであり、逆にゾロは…というと、何とも言えない憂鬱そうな、どこか複雑な顔つきになっている。そんな旦那様のお顔を懐ろの中から見上げながら、
「素材って?」
 ピンと来ないルフィが訊き返したのへ、
【ほら、これよ。】
 ナミはそれはそれは素早く。ハンディサイズのモバイルタイプ再生機をひょいっと手の中へと取り出して、そこから抜き取ったたいそう小さなROMチップを、画面の脇へと…恐らくそこに向こうのPCの挿入用のスリットがあるのだろう…押し込んだらしく。それから改めてキーボードを操作して見せると、こちらの画面の中の左上辺りにに新しい"窓"が開いて。そこに映し出されたのは、

   《えっと…。ベルちゃん、早く寝ような?》

 ぽりぽりと、照れ隠しに頬やらこめかみやらを指先で掻く仕草の入った、いかにも照れ臭そうな趣きで話しかけてくるゾロの顔である。……………って、はい? 何なの、これ。いつからナミさんは、ロロノア=ゾロ"ファンクラブ"を結成したの?
おいおい
「………これは?」
 素直なもので視線はモニターのゾロへと釘付けになっていながら、だが、やはり…何のことやら、意味合いを掴みかねているらしいルフィが訊くと、ナミ・ママはお茶目に肩をすくめて見せて、
【見ての通りよ。彼にベルへ呼びかけてもらったの。勿論、そこにいる"つもり"で。】
 …そういえば。あの可愛らしいお嬢ちゃまは、お父上のみならず男の人は例外なく苦手だったにもかかわらず、この荒武者タイプのゾロ氏にだけは、初対面の時からえらいこと懐いていたような。(『
初夏白夜』参照/笑)
【ベルが愚図った時なんかに見せる、お気に入りなものの映像を集めたDVDを作りたくてね。そこに収録するために、彼のお顔や声をね、デジカメのチップに収録して送ってもらったのよ。】
「…ふ〜ん。」
 今の今までルフィは知らなかったこと。つまりは彼に内緒にしていたらしいということで、一人でこそこそとハンディビデオかデジカメに向かって撮ったんでしょうな。どんな顔して撮ったんだろか。あ、こんな顔か。
(笑) それにしても、ベルちゃんのお気に入りって…。ご近所で飼われてるゴールデン・レトリーバーとか、仔猫のミーちゃんとか、マンボウのモビール、木馬のメリー、貝殻の風鈴とママの笑顔などと一緒に、このお顔も収録されてる訳なんでしょうか。ものすごいミスマッチな気がするんですが。(笑)
【さっそく見せてみたんだけど、とっても気に入ってるみたいよ?】
 ははぁ、それはまた。それはそれはさっぱりきっぱり、テレビショッピングのMC役のお姉さんもかくやという笑顔を見せるお母様で、
【………ナミさん?】
 どうやらサンジも知らなかったらしく、唖然としていたその間合い。

  《どうしたのかな? 泣いちゃいけないぞ。》

 じゃなくって。
(笑)


   「これ、俺もほしいっ!」


 おいおい、若奥さん。
(笑) モニターを指差しながら、勢いもお元気にいきなり上がったルフィの鶴の一声であり、(ちょっと違うぞ)
「…何でお前が要るんだよ。」
 この映像の本人と一緒に暮らしているんだからお前には必要なかろうがと、いかにも怪訝そうに眉をしかめたゾロへ、その懐ろの中からぐりんと顔を上げて来て、
「だってゾロ、お昼間は居ないじゃん。」
 別段おかしなことは言ってないよと、強気なお声が言い返す。
「だとしたって…。他に、旅行先とかで撮ったのがあるだろが。」
「そういうのは、ゾロ、顔の前で手ぇ振ったりしてまともに写ってないんだもの。写真でもビデオでも、結局は俺の顔とかばっか撮っててさ。」
 いかにも不満げにぷっくり膨
むくれる少年だったが、
"…そりゃあまあ、俺だって自分の姿よりルフィを撮りたいって思うわな"
と、その点へはモニターの向こうでサンジ氏も同感だという顔を見せていて。…こうまで意見が合うとは、さすがは"二人保育士"だねぇ。あ、これはシリーズが違うか。
(笑)
「デジカメで撮ったんだろ? だったら携帯の待ち受けに使えるしvv」
「そんな待ち受け画面ってあるか?」
 一部の方には大ウケかと。
(笑) それはともかく。さっきまでそれは哀しげにじくじくと泣いていたのはどこのどなたやら。すっかりと、いつもと変わらないくらいのお元気さ加減が戻ったルフィが、胸元へ回された彼の腕を今度は自分の方からも抱き込んで、なあなあ良いだろ? なあ…といつも通りの"おねだり顔"になっている。そんな微笑ましい構図のお二人へ、
【………もう、説明は要らないのかしら?】
 マダム・ナミからの仄かな笑みを含んだ声が掛けられた。
「あ、と。」
 そうでした。そういうのの依頼と、ゾロがいきなり冷たい態度になってしまったのとは、どう考えたってまだ繋がってはいない。ナミからの呼びかけに、改めてお話を聞きましょうとばかり、居住まいを正して…というのも何だが、PCモニターへと向き直る彼らである。先程までの…どこか不整合な境界線を挟んでいたような二人が、あっと言う間に"いつもの"甘え・甘えさせという相性に戻っていて。あれほど痛々しい泣き顔を見せていた少年が、何とも幸せそうな愉しげな表情になって椅子の背凭れごと抱っこされている図は、見ているこちらまで優しい気持ちにさせるものだから、
【これを受け取りましたっていうお礼のメールをね、昨日出したの。】
 ナミ・ママは穏やかなままの声でそうと続けて、
【こちらにも文章が残っているわ。お礼の他にちょっとだけお喋りを付け足していて、相変わらず大好きなルフィを甘やかしては、良いように振り回されているんじゃないのって訊いてから、亭主関白っていうのはあなた方には無理なのかしらって、そう付け足したのよ。】
 相変わらず、日本人以上に日本の言葉をよく知っている人である。一方で、
「………"亭主関白"って何? ゾロ。」
 おいおい、坊ちゃん。
(笑) しょうがないなぁ。


  【亭主関白;teisyu-kwanpaku】

 夫婦間での力関係の典型例の一つで、夫が非常に威張っている型を指す。関白というのは将軍よりも上。天下無敵にしてご意見無用な立場のこと。よって、家庭における一番の"威張りんぼさん"を指している。これの逆が"かかあ天下"。ちなみに、夫婦といえば妻をよく"奥様"とか"奥方"と呼ぶが、これも武家社会の習わしから来ている。大名の住まう屋敷は"城"で、そのまま"官邸"でもあり、執務もそこでこなした訳だが、それとは別な"プライベート"な居住区のことを"奥向き"と呼んだ。正妻はその奥向きを束ねている、若しくはそこでの最上位の夫人だから、外来者がお名前を呼ぶのは畏れ多いからと"奥様"と呼んだ。そこから、やがてはお武家の妻女はおおむね皆そう呼ばれるようになった訳だ。可笑しいのは武家社会が定着した江戸の頃に"奥様あって殿様無し"という言い回しがあって。禄の低い、大名ではない武家は"殿様"ではないが、それでも妻は"奥様"と呼ばれる…ということを皮肉ったもの。…以上、余談でございました。



「…だそうだ。」
 こらこら、ずぼらな。
(笑) この解説に"う〜ん?"と小首を傾げていたルフィは、
「じゃあ、その"てーしゅかんぱく"ってのはゾロが威張ることなのか?」
 言外に"それをやってみようとしたゾロなのか?"と言いたげに、懐ろから見上げてくる幼いお顔。顎を思いっきりのけ反らせたルフィへ…あらたまって問いただされるとそこはさすがに照れるのか、
「というのか、まあ、毅然としてるって方向へ持って行きたかったんだけどもな。」
 ちょろっと。視線を明後日の方へと飛ばしたゾロだった。いや、照れるとか何とか言うその前に。あんたたち自身が既に、自分たちを"夫婦もの"だと認識している訳やね。そっちの方が意外だぞ、筆者としては。………と。
「………。」
「ルフィ?」
 まるで腕組みの中へ椅子ごと取り込まれるかのように。背後から胸の前へと回されたゾロのがっちりとした両の腕。それへとこちらからもしがみつくように、下から回したやはり両腕で抱き込みながら。だが、どこか…しょぼんと気落ちしたような様子になったルフィであって。項垂れた小さな頭の下から、

   「………俺、ゾロんコト、振り回してる?」

 俯いたまま小さな声で訊くものだから。ゾロはやわらかく微笑って、

   「全然。」

 あっさりと答えた。

「俺のこと、甘えてばっかで鬱陶しいとか思ったんじゃない?」
「誰が思うもんかよ。」
「でも…。」
 だったらどうして? ナミからの助言を、もっともだと感じたからこそ、それを即実行した彼なのではないのか? 俯いたままだが、だからこそ"合点がいかない"という顔でいることがあっさりと知れて。そんなルフィへ…その柔らかな髪を梳いてやりながら、
「ほら、昨日の朝に。お前、言ってたろ? 資格取って頑張るって。」
「あ、うん。」
 昨夜はそれを"大人扱いしてほしいなら…云々"ということへの引き合いに出されてちょっと痛かった。だが、今度は…昨夜のように厳しい顔はせず、ゾロは"くすん"と小さく笑って見せて、
「ナミさんからの"甘やかしてるんじゃないか"ってメールを読んだ時にさ、それを思い出してな。それで、俺自身がしゃんとしていないと、傍目から見てルフィが恥かいてるのかもしれないって思ったんだ。」
 おやおや。似たようなことを誰かさんが言ってなかったですかしら?
「いつだってルフィのこと、子供扱いしてるし。そのくせ、ナミさんに言われるまでもなく、鼻の下を思い切り伸ばしてることだろうし。こりゃあ、独り立ちされたら煙たがられるかもなってさ、そう思ったんだよ。」
 だから、昨夜いきなり『子供じみた物の言い方は止しなさい』なんて言い出したんだな、あんた。大人同士のお付き合いという"形から"入るために。相変わらずの不器用さんがしでかした、言葉の足らない仕儀だった訳で。ややもすれば照れたように、後ろ頭をほりほりと掻きながらそんなことを独白するゾロへ、
「そんなことないっ。ゾロはいつもピシッてしてるもん。カッコいいもんっ!」
 ルフィはバッと顔を上げると、椅子の上で横向きになるほどの大急ぎで振り返ろうとする。背凭れ越しなのも焦れったいと言わんばかりの懸命なお顔になって、背後のゾロと向かい合おうとする少年であり、
「…ありがとな、ルフィ。」
 それこそ子供が言い出しそうな、あまりに端的なお褒めの言葉へのお礼…ではなくて。不安で不安で涙を堪えながら夜を過ごしておきながら、だのにこうまで慕ってくれている彼であるのが身に沁
みたから。その柔らかな黒髪をやや不器用に指で梳いてやりながら、ゾロは眩しげに笑って見せた。そんな彼らである一方で。そんな二人であるのを、特注のADSLにてわざわざ見せつけられた格好になって、
"そんなもんじゃねぇだからな。"
 嫌われたのかも知れない、どうしよう。つれなくされたけれど、でもでもやっぱりゾロのことが好きだから、どうしても傍らに居たいのに。涙を滲ませてそんな風に訴えていた、何とも健気なルフィであったこと。つらくても此処に居たいからと、迎えに行くと告げたこちらに煮え切らないままであった彼だったこと。どれほど苦しげで切なげな彼であったかということ、そしてそんなにもゾロを慕っているルフィであるということ。こちらの胸が灼かれるほどに痛々しい様子を見せられて、だが、それを伝えるのは今以上に婿殿を喜ばせるばかりだから。そんなの絶対に癪だとばかり、口許をへの字に曲げたそのまま黙っていようと構えたサンジである。………大人げないぞ、お兄様。
(笑) そんな彼の方へと…PCへと向き直った小さなルフィは、
「あのね、ナミさん。俺、それ…。」
 おずおずと何かをおねだりして来た模様。勿論、すぐさまピンと来て、
【判ってるわよ。ゾロが映ってるところだけダビングして送ってあげる。】
 ナミは細い肩を小さく震わせるようにして"くすくす"と笑った。
「それと、サンジやナミさんやベルちゃんも映ってるトコもほしい。」
【あらあら、ありがとvv】
 気を遣ってくれた訳ではないと、彼のお顔を見るまでもなく判る。欲しいものは欲しいと、こんな風に衒
てらいなくちゃんと言える子なのに、本当に欲しいものへは…気持ちも一緒でなきゃ嫌だったからだろう、ああまで苦しげだった可愛い子。それを思うと、この何とも幸せそうな笑顔も、切ないほどに愛惜しくて。
【いいか? ルフィ。今回は誤解だったようだからこのまま引き下がるがな。これからもし、こんな風な辛いことがあったら、またちゃんと連絡するんだぞ? 分かったな?】
 いかにも喧嘩腰なサンジの言いようへクスクス笑った少年の傍らから、
「もう二度とねぇよ。心配させてすまなかったな。じゃあな。」
【あ、こらっ、おいっ! 待た………。】
 ぶっきらぼうな言いようをしつつ、途中でプツンと接続を切った旦那様だったりするから。これにはさすがにルフィもビックリしたらしい。
「ゾロ、それってお行儀悪いんだぞ?」
「そうだな。今度は気をつけるさ。」
 …あるのか? 今度が。
(笑)



 PCの接続を切った途端、ふにゃんと力の萎えたルフィであり、誤解がめでたく解けたからという"脱力"だけではない様子。ぐったり凭れ込んだ椅子の上から、軽々と腕の中へと抱え上げてやると、
「…もしかして、昨夜は寝てないな?」
「うん。」
 こちらに身を預けたまま、こくりと頷く小さな温もり。その"昨夜"は、お説教もどきな、常にはない妙なことを敢
えて口にしたのだと、こちらでもさすがに自覚してはいたゾロでもあって。ルフィからのリアクションというものがありはしないかと、彼なりに結構意識していたつもりだったのだが。それにしちゃああっさり寝付いた自分と違い、ルフィは辛いまま、まんじりとも出来ずにいたらしい。随分強くなったと、昔の彼の無邪気な屈託のなさがやっと戻ったようだと、先走ってそう感じて、大きに油断していたのかも知れない。本当はまだこんなにも…自分の言動ひとつで眠れなくなるほど臆病な彼だのに。またも愚かなことをして、愛惜しい人を傷つけてしまった情けなさに、深い溜息がついつい零れる。

  「ごめんな。怖くて泣きたいの、我慢したんだもんな。寝られねぇよな。」

 髪へと口許を寄せて来て、そんな風に謝るゾロなのが、
「えと…。/////」
 何だかやっぱり、嬉しいけど恥ずかしくって。くすぐったい"むずむず"を首条や頬へと運んで来る、そんなこんなにますます体がぽあぽあとして来たルフィは、ゆっくりとかぶりを振って見せた。
「だってさ、ゾロが言うことっていつも正しいもん。」
 生真面目で誠実で、自分にもそれは厳しくて、曲がったことの嫌いな…ある意味で立派な不器用者。そういうところもまた好きなんだけれど、と、うっとりしたまま頼もしい胸元へ凭れていると、
「それは違うぞ?」
「?」
「いくら理屈が正しくたってな、場合とか何とか、状況には最善じゃないってことはよくある。」
「う…ん。」
 ゾロの言う"理屈"はやはりよ〜く判るらしいのだが、
「でも、俺、ゾロのこと好きだし。えと、やっぱり正しいと思うもん。」
「………。」
 こんなにも"盲従"されると責任重大である。もしかするとルフィの方がよほど"最善"というものや融通を心得ているのだろうに、大好きな人の言うことだからと、そっちを捨ててこちらの…融通の利かない頑迷さにことごとく付き合いだしでもしたら…。

  "ま・いっか。"

 おいおい。
(笑) それはまあ冗談だが、あれやこれやをややこしく考えるには、まだちょっと"睡眠"が足りてないという自覚がある。見下ろせば、ルフィもまた"くあう…"と愛らしい欠伸を洩らしたところ。
「今日は休みだしな、二度寝するか。」
「いいの? お腹空いてない?」
 こしこし、いつもの可愛い仕草でおでこをこちらの胸元へと擦りつけてくるルフィへ、
「そんな気がするなと思う前に寝ちまった方がいい。」
 お気楽な言いようで応じるから…何だそりゃ。ルフィへもその一言は可笑しいものとして届いたらしく。胸元に伏せられたお顔から"くつくつ"という小さな笑い声が聞こえてくる。
「じゃあ、起きたらビデオとデジカメで撮ろうね?」
「…何をだよ。」
 正直、何を言い出したのだか判らなかった旦那様へ、
「俺、凄っごく怖かったんだからな。だからこれは罰。ゾロ、顔隠したりするのナシ。」
「あ…、や、それはだな。」
「ダメったらダメっ。絶対に撮るからなっ。」
 小さな奥方はにんまりと笑って、勝鬨
かちどきでも上げるかのように片方の腕を突き上げたのだった。





   ――― お日様は分厚い雲の陰にあっても笑っているもの。
       どうか笑顔を、どうか消さないで。
       皆が君に、いつも君に、温められて来たのだから。
       笑っていてよ、幸せでいてよ。
       ねぇ、お願いだから………。







岸本様から頂いたお素敵イラストはこちらvv →


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 *えとえっと、おまけがあります。