3
【で、何が特別なのかは判ったの?】
「ああ。」
PCの前、小さく頷くゾロであり、その点に抜かりがないところはさすが学習したのねと評価するとして、
【それで…会社には行ったのね。】
唐突な憤慨から勢い余って飛び出した、普段着姿の少年の行方にそうそうあらたまった場所はなかろうから、きちんとネクタイまで締めて探し回りはしなかろう。一日締めていたと思われる緩められたネクタイを見て、そう思っての推量をしはしたものの、ナミにはちょっと不審な感触のしたことでもあった。自分の夫にも当然負けないほどの深い愛にて、あの小さな少年を大切にし、何に対してでも優先するだろうこの彼が、そのルフィの行方が知れないこの状況下で会社の方を選んだとはとだ。
"サンジくんなら会社どころじゃないわよね、きっと。"
そですね。それどころか、伝手やらコネやらを総動員、下手すりゃ在日中のCIA職員辺りの情報網まで無理から利用して、草の根を分けてでもと大捜索の網を張ったことだろう。勿論、総指揮を執るご本人も日本へ直行して、だ。(怖い怖い)そんなこんなと思っていたところへ、
「前の冬にな、ルフィが風邪をひいてさ。俺が休んでまで傍にいたら、そんなされたら気が引けるから、ちゃんと会社には行ってくれって叱られたんだ。」
悪びれもせず、そんな言いようをするゾロには、
【……………。】
何とまあ生真面目な男だろうかと、マダムも呆れた。こんな恐慌状態の時に何を思い出しているのかなと。妙な方向に冷静なのが意外な気がしたものの、だが、
"冷静な判断なのかしら。実はこれも動揺の現れで、判断力がよじれた結果だとか。"
あ、そうかも知れませんね。
「今の俺に分かってる状況は以上だよ。」
その、生真面目そうなゾロはそう言って、
「これからにでも何か連絡があったら、俺の携帯にメールで知らせてくれないか?」
あらためての"お願い"を告げる。一体何があの少年を怒らせたのか、それも訊いてみたかったナミさんだったが、
【…判ったわ。気をつけてるから安心して。】
会社から戻って来がてら、まずはご近所を一回りしたのだろう彼が、これからまた出掛けるつもりらしいことを察して、そろそろ解放してやろうと小さく微笑った。見かけ通りの幼子でなし、都心寄りの大きな乗り換え駅にまで出れば素泊まり出来るビジネスホテルがあるということくらいは知ってるルフィだろうとか、何ならファミレスやコンビニ、喫茶店のハシゴをして夜明かしすることだって出来るのだとか、そんな助言も恐らくは無駄だろう。無事な本人の姿を見るまでは、どんな言葉も"多分"を乗っけた単なる"可能性"に過ぎないのだから。
【それじゃあ…。】
一旦お別れというご挨拶を伝えようとしかかったそのタイミング。
「………っ!」
ゾロの表情が弾かれて、
「ルフィっ?!」
いきなり立ち上がった。
【えっ? 帰って来たの? ちょっと、ねえ、あ】
こらこら、ゾロさん。
そんな風にいきなり接続や電源を切ってたら、
そのうちPC壊れますぜ?(…こらこら、それだけかい/笑)
チャイムの音も勿論ノックもなく。何の前触れもなく開かれた玄関ドアから上がって来て、すたすたと居間まで直進してゆく小さな彼。
「………。」
まだ怒っているのか、むうっと膨れている。黙ってソファーに腰を下ろして。抱えてた大きなクラフト紙の袋から、こちらは小さめの紙袋、口だけ開けて中から真っ白な蒸し饅頭を掴み出すと、ものも言わずにぱくっと食べ始める。どう接して良いやらと、少々手をこまねいてでもいたのか、刳り貫きの戸口にしばし立ちん坊で居たゾロだったが、
「…昨夜はどうしたんだ? ルフィ。」
「サミさんのトコに泊めてもらった。」
階下のコンビニを営む奥さんの名前。それを聞いてゾロはやっとのこと、ほうっと大きな溜息をついた。店自体を覗きはしたが、まさかにお家の方へお邪魔していようとは思いもよらずで、まさに"灯台下暗し"だった訳ですな。
「心配したんか?」
「したさ。」
「財布も携帯電話も持って出たんだぞ。ホテルんだって泊まれるのにか?」
「ホテルは子供だけでは泊めてくれないだろうが。」
あまりに幼い子供の飛び込み宿泊は、予約でない場合、親元に連絡し、許可なり承諾なりを得た上でない限り、丁重に断られるケースが多い。
「俺は大人だもん。」
いやそれは、俺は判っていることだが…と、言いかけてやめたゾロだ。これ以上失言を重ねても、また怒らせるだけだ。
「………。」
帰って来はしたが、何せ会話はなかった訳だから、気持ちの不整合は昨夜からのそのままだ。とはいえ、
「…良かった。」
ゾロは安堵の吐息をついて、歩み寄ったソファーの前の床へ座り込む。
「………俺が帰って来たからか?」
「当たり前だろう。怪我とかはないか? 思いっきり飛び出してったろ? 靴だって突っかけただけでさ。」
「…そんなのないもん。」
こちらから顔を見下ろすというのは珍しい高さ関係だからか、ルフィはどこか居心地が悪そうに視線をさまよわせる。こちらは"後ろ暗いところなんかない"とばかり、真っ直ぐに見つめて来るゾロからの視線に…何となく気が引けているらしく、
「…此処。」
ぽんぽんと。自分のすぐ隣り、ソファーの座面を小さな手で叩く。此処に座れと言うのだろう。ゾロも素直にそれへと従ったが、そこへと座るとルフィの横顔へ話しかける格好になる。こちらを向かず、前を…そっぽを向いたままの小さな横顔。
「ルフィ。」
肉まんにぱくついていた口が止まっていて、だが、その代わり。外が寒かったからか、それとも、まだ怒っているのかそれとも…悲しいのか。お鼻を小さくくすんと鳴らす彼だから。
「ごめんな。…昨日はルフィには大切な日だったんだよな。」
そういえば。ナミさんへも"思い出した"と言ってましたね。
「初めてPC教室に行って、それと、やっぱり初めて、一人でコンビニに行って、サミさんとお友達になって。ハンバーグ、初めて焦がさないで焼けたんだったよな。」
……………はい?
ゾロが並べた一連の"初めて"たちへ、
「………うん。」
ルフィは、まだこちらは向かないままながらも、こくりとしっかり頷いて見せた。一番近いお店だけれど、日々の飲み物やおやつ程度を買うようなお買い物でしか使ってはなかったコンビニ。時々野菜や果物も並んでる手作り風のお店の売り場に、日替わりで置かれてあったレシピカードに気がついて。変わりハンバーグのをじっと眺めてたら、向こうから声を掛けてくれたのが優しい若奥さんで。いつも焦がすんだって困り顔したら、にこにことコツを教えてくれたサミさんだった。フライパンで焼き色がついたら、あとは十分温めたオーブンでゆっくりと仕上げてごらんって。焦げないで中までちゃんと火が通るから、柔らかく仕上がるからって。
「こんなに"初めて"が一杯の日だもんな。そりゃあ忘れたくないよな。」
「…うん。」
頷いてやっと、こちらを向く。
「思い出した?」
「ああ。」
テーブルのメニューを見ていて"あっ"と思い出した。それまでにはなかったくらい興奮気味に、一杯一杯嬉しかったと話してくれた楽しい食卓だったこと。もっと一杯作ってみたいと言い出して、けれどまだ、火や油を使うのはなぁとゾロが心配したそんな会話までもをだ。
「ごめんな? だから、昨夜はハンバーグ作ったんだのにな。」
こくんと頷いて。懐ろへと抱えていた紙袋をごそごそとまさぐり、新たに掴み出した大きな肉まんを1つ、ゾロの前へと差し出した。
「はい。」
「? 食って良いのか?」
「ん。美味しいよ。」
答えながら、ぽそんと。ゾロの胸元、いつもの暖かい居場所へ、やっと戻って来た仔犬である。
――― おかえりなさい
4
去年の今頃といえば。ゾロとの二人暮らしにも慣れて来て、毎日とっても幸せだったけど。…でも、ホントはね。ちょっとだけ不安だった。やっと会えたんだって、これからはずっと一緒にいられるんだって、七年も我慢してたことが…現実にはつながらない夢だから諦めなきゃって思ってたことが叶って、凄い嬉しかったのが落ち着いて。そしたら今度は、何だか中途半端な、どっちつかずな自分とゾロとの間柄が何だか段々 気になって来て。動かし難い何かに辿り着いたら怖くなるから、見ないでいようって知らん顔してたそれが、でも…意識しちゃったもんだから、ムクムク大きくなり始めてた頃でもあって。それは結局、クリスマスにサンジが様子見に来てくれるまで消えることはなかった棘になった。(『千紫万紅』)そんな微妙な秋だったから尚のこと、嬉しかったことばかりが詰まった日は忘れ難くて、それでつい、記念日扱いしてしまってて。でも。思えば、そんな日だってことをゾロにちゃんと言ってなかったなと、後から思い出して。それで、こっそりと帰って来てみたルフィだったのだ。
"…思い出してくれたんだ。"
急に飛び出したりしてさぞかし面食らっただろうに。昨夜と今日一日と、凄っごい心配してくれたんだろうに。真相に気がついても、そのくらいのことでって怒ったりしない優しい人。ちょっぴり不器用だけど、取り繕うのが出来ない人だけれど、そんな彼だからこそ一生懸命、うんうんと考えてくれたのだろうと思うと何だか嬉しい。
「…ちゃんと会社は行った?」
「ああ。どうしようかなって考えたけどな。」
大きな手の中、白い饅頭を持ったまま、ゾロは口許を笑う形にして見せた。
「ルフィ、公私混同とかそういうの嫌いだろ? だから。」
それへと真面目な顔で"こくっ"と頷いたルフィだ。ホントのホントは捜し回っても欲しかったけど、やっぱりそんなのはヤダったし。それに、その代わり…スタジャンのポケットに入ってる携帯には、30分置きくらいにゾロからのメールが届いてる。今どこにいるんだ? から始まって、謝るから電話をくれとか、昨夜は寝たか?ご飯はちゃんと食べたのか?とか、心配してるってこと、一杯。ところどころ打ち間違えてるのは、昨夜寝なくて会社の暖房にウトウトしかかったせいかもって。そんな風に感じてつい、液晶画面へ"くくっ"て笑ったら、
『もういい加減に許してあげなよ。』
傍にいたサミさんからそう言われたのだ。
『優しいお兄さんじゃないの。きっと心配してるんだよ?』
『………うん。』
ホントは俺も帰りたくなってた。優しいゾロ。こんな理由で会社休んだら、後々で俺が気にするだろうって、そっちを選んでくれたゾロ。落ち着いてて、物事をこつこつと進める堅実な人で。でも時々度が過ぎてさ。もっと要領よくても良いのにって思うくらい、今時珍しいくらい不器用で。
『………。』
会いたかったけど、でも、自分の方から飛び出したのにって思って。だから、サミさんがお土産だよって ほかほかのお饅頭たくさん持たせてくれて、冷めたら美味しくないよって急かしてくれたの、凄く嬉しかった。
そのお饅頭を、最初の1つずつ、ぱくぱくと食べ終えて。もうすっかり、いつもと何ら変わりなく。お膝抱っこの懐ろ仔猫体勢になっているルフィへと、
「俺にとってはさ、ルフィがこうやって傍にいてくれるってのが、これ以上はないレベルの"幸せ"だからさ。だから、つい。他のこと、どんなに嬉しかったことでも、霞んじまうんだよな。」
太陽が輝く昼の間は、夜と同じ位置にあるはずの星々が明るさ負けして見えないように。他の思い出たちを"どうでも良い"なんて思いはしないけど、それでもやっぱり比ではないから、つい失念してしまうのだと。今時"幸せ"だなんて、素面しらふで口に出来る人はそうは居なかろう陳腐でキザな言いようなのに、包み隠さずそんな風に言うゾロだから、
「…居るだけで良いの? 何にも無いのに?」
ゾロの広い広い懐ろの奥深く。横抱き姿勢で抱きすくめられたままながら、ルフィはぽつりと呟いた。日頃と変わらない、特に何ということもなくてもか?と。すると途端に、
「何にも無くなんかないだろ。ルフィがいるだろが。」
少しだけ強い口調が返って来て、
「…けど、そうだな。楽しそうに笑ってて、幸せでいてくれたら、もっと文句はない、かな。」
やさしい声がそんな風に付け足した。嬉しかったけど、でもでも何だか、ゾロの男っぽい性格とか風貌とかには似合わないような気がして。どんな顔して言ってるんだろうかと、頭上のおとがい、顎先を見上げながら…つい言い返す。
「ゾロらしくない、そんな言うの。」
「あ、ひでーな。」
「だってさ。」
「俺だってな、最近は企画練るばっかじゃなく、
代表としてプレゼンテーションに立つこともあるんだぜ?」
「そいでキザなことも言うんだ。」
「キザとはなんだ。
分かりやすく、こちらの熱意を酌んでもらうための言い回しってもんだろうが。」
「何とかも方便?」
「なんだとぅ?」
いつの間にやら…冗談口の言い合いになっていて、そうだと気づいて顔を見合わせ、どちらからともなく"うくく…"と笑い合う。それからそれから、
「………ごめんなさい。」
小さな声で、でもちゃんとはっきりと、ルフィはゾロへと謝った。心配させた。それも自分の我儘が原因で。取るに足りないようなことでも、こんな真剣に、ちゃんと考えてくれる思いやってくれる奥深い人なのに。表面的なちょろっとした不機嫌で振り回したりした。
「こっちこそ、ごめんな。覚えてなくて、思い出せなくて。大事なことだったのにな。」
「ううん。俺が悪かったんだ。今ちゃんと幸せなのに、それをこそ当たり前だって思ってたから。」
見えないことだからって気がつかないでいた。このところは何にもないけど、去年の今頃はこんなことあったななんて、そんな風に思い出して感傷にひたってた。
「今が辛い訳でもないのに…贅沢だよね、そんなの。」
やっぱり自分は子供なんだよなと、ちょっぴり自己嫌悪してしまう。ゾロはいつだって自分のこと、自分と一緒に居られること、幸せだなぁと思ってくれているのに。昨日のことよりも明日のこと。これからをどんな風に楽しく過ごそうかって、そればかりを考えてくれているのに。
"日本の秋って曲者くせものだ。"
そだね。あんなにお元気なあなたさえ、感傷的にさせてしまうのだもの。でもね、寂しい季節になお寂しい何かを思うのはいけないこと。少なからず暖かいところにいるのだからってこと、時々は思い出そうよね。
「お饅頭だけじゃあ足りないよね。何か作ろうか?」
「そうだな。中華で統一しようか。」
「?? 何それ?」
「ラーメンなんてどうだ?」
「え〜、インスタントの?」
「結構美味いんだぞ?
…って、実は昨日、新しい輸入めん類の味見をしたからだけどな。
比較にって日本のインスタントのも食べたんだけど、
久々だったから美味かった。」
「そういや、家で手作りは難しいよね。
結局、どこかのお店の味付けっていうスープとの詰め合わせものになるもん。」
「どうするね。」
「うーっとねぇ…。」
もうすっかりと、元の鞘に収まっているご様子な二人だ。これ以上はいつものいちゃいちゃ、覗いて見てても詮無いことなので(空しいし/笑)、ここいらでお暇いたしましょう。
――― ではでは、かしこvv
おまけ 
「どしました? ナミさん。
食が進んでないみたいですけど…何か難しい考え事ですか?」
「えっ? あ、ううん、何でもないの。」
「そうですか? 何だか眉間に物憂げな気配がありますが。」
「何でもないのよ。」
"寝る前じゃあサンジくんに気づかれちゃうわね。
でもこっちの昼間は向こうの真夜中だし。
まあ単なるメールならいつ送っても良いのだけれど…。"
マダム・ナミ、顛末をどうしても知りたい模様です。
"ホントにもう、人騒がせなんだからったら。"
日本のロロノアさん、ちゃんと事後報告をしとかないと。
このままだとマダムってば、
腹いせに?サンジさんを焚きつけかねないぞ〜。(笑)
〜Fine〜 02.10.24.〜11.2.
*カウンター50000hit リクエスト
玲様『"蒼夏の螺旋"設定で、些細なことで喧嘩して家出してしまうルフィ』
*お待たせしまして申し訳ないです。
ネタは結構早くに浮かんだのですが、
平行して ちこっとドタバタしとったものですから、
書き上げるのに異様なほど時間がかかってしまいました。
不器用さん同士の微笑ましい喧嘩…に収まってくれて良かったです。
こんなお話でいかがでしょうか?
*………で、えとえっとぉ。
実は"おまけ篇"があるのですが、例によってとある場所に隠しました。
今回はR−15です。さあ、探してみようvv
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