月夜見
  
 
碇星寒昴 @ “蒼夏の螺旋”より

        *このお話は当サイトのパラレルシリーズ『蒼夏の螺旋』の後日談です。
            設定の説明を多きにズボラしておりますので、
            今回お初にお読みとなられる方は
            ご面倒ではございましょうが、そちらから先にお読みください。
    


          



 もうすっかりと秋も深まった。実りの季節の風景に彩りを添えていた落葉樹の、赤や黄色に色づいていた葉も、今は樹下にさえその姿はなく、ただただ尖った梢をあらわにしているばかり。夕暮れが早くなり、肌寒いという感触から一気に、手先がかじかむほどの寒さへ移行していると気がついて、凍えた指先へ思わず息を吹きかける。なめらかな冷ややかさに満ちた朝の空気を頬に感じながら、何となく高度が低い気がする朝の太陽が斜めに放ってくる金色の光を眺めていた窓辺。
「? 奥様?」
 そんな彼女に気づいて、こちらもたいそう早起きな女性執事が声をかけて来た。
「どうかなさいましたか?」
「ううん。おはよう、ロビン。」
 マダム・ナミは細い肩越しに振り返り、もうすっかりと目の冴えた爽やかな顔を向けてくる。みかん色の髪をなお赤く染める、あんまり高度の無さそうな朝陽に照らされて。その顔つきや態度に漂う気色には、ほんのついさっき目が覚めたという雰囲気はない。だが、こんなに早く起きる必要はない日でもあって、
「朝の空気がお寒うございましたか?」
 それで我慢がならなくて目を覚まされた奥様なのなら、これは身の回りのお世話をする者の落ち度でもあろう。そうと思って尋ねたロビン嬢へ、
「ううん、違うのよ。」
 ナミは軽く髪を揺らしてかぶりを振った。家族たちの寝室より少し遠く、やはりプライベートなエリアながら、それでもちょっとした事務的なあれこれをこなす小さな書斎の窓辺。はんなりとやわらかなスポットライトのようだった晩秋の朝の陽射しが、少しずつ束になり一面の光となる、そんな間合いの明るさに満ちていて少し眩しい。
「昨日はサンジくんとベルにお付き合いしてお昼寝しちゃったものだから、何だか目が冴えてしまって。眠れはしたのだけれど、すぐに目が覚めてしまったの。」
 生後半年となるベルちゃんは、すくすくと成長中。この頃やっと、お若い父上に馴染んだようで、お顔を見ると父上譲りの水色の瞳を細めて嬉しそうにはしゃぐようになった可愛い盛りだ。相変わらずに忙しい父上は、忙しいにも関わらず愛娘と毎日何かしら遊ぶ時間を設けており、その甲斐あっての大進歩だと感激することしきり…だそうだが、何のことはない。赤ちゃんの方で学習して覚えただけの話。赤ん坊の順応性を舐めてはいけないのだ。………で、そのお父様、一昨日の晩に、ここいらとはかなりの時差のある国を相手に、どうしても目を離せない市場動向の監視というお仕事があったため、昨日は遊ぶ体力もないほどの状態となり。それじゃあと、親子3人でお昼寝と洒落込んだのだ。
「あの人の"子煩悩"さにも呆れるばかりよね。」
 くすくすと笑うマダムへ、美しき才女ミス・ロビンも、小さく微笑って見せるばかり。世界市場を思うままに牛耳ることだって可能かもしれないと恐れられている、新進気鋭の経営コンサルタント。一国の金融相や大統領からさえ頼り
あてにされるほどの凄腕エージェントが、実は…幼いもの相手だと形無しになるとは、誰も知らない可愛い秘密。今のところは愛娘にぞっこんメロメロなご主人だが、実はもう一人、骨抜きどころじゃあないくらいに崇拝し、命さえ投げ出しかねないほど愛してやまない対象がいるから困ったこと。日頃は遠い日本の空の下に住まう彼なれど、今の御時世、それが地球の裏側へであろうとその日のうちに到着出来んこともない方策が、無くもないから困ったもんで、
"こないだは危なかったわよねぇ。破局寸前だったもの。"
 そうですねぇ…って、でもあの時の騒動の原因を作ったのはナミさんじゃあなかったですかね?
"さあ、どうだったかしら?"
 おいおい。筆者とのMCという"お約束"はそのくらいにするとして。
(笑) そんな書斎に、
「………あら。」
 軽やかな電子音の子守歌が流れ出す。傍らの専用デスク上、PCから流れ出したもので、複数つながれたメール機能の着信音らしいのだが、
「これは…。」
 特定の相手からのものとしてセッティングした曲だ。ふと、周囲を見回したナミは、戸口のところに立つロビン嬢が…こちらの意を察して自分の背後の廊下の左右も見渡してくれたのを確認してから、デスク前へと座り、おもむろに回線を開いた。スクリーンセイバーは季節に併せて落ち葉の舞い散るアニメーション。それが発信先のデータを次々に映し出す画面へと切り替わり、それからパパッと切り替わったのが映像の画面。
【…あ、えと。おはよう、ナミ、さん。】
「あら、お珍しい。」
 目的のお相手ではなかったため、ほっと息をついてロビンの方を見やる。彼女もまた心得たもので、あの少年の方ではないと分かったらしく、小さく目礼を見せてそのまま立ち去った。画面に映し出された相手は、発信先こそ同じながらも…夫がお熱の愛らしい少年の方ではなくて。
「一体どうしたの? そちらは夕方の筈よね?」
 半日分も時差があるほど遠い国。大容量の高速通信はそうまで遠いところにいる彼の姿を、たいそう滑らかに精密に送って来ていて。会社から帰って来たばかりなのか、Yシャツ姿で襟元には緩めたネクタイ。そのネクタイの細かい織りまでくっきりと解る映像の中、それはタフネスな彼な筈が、ちょっとばかり…目につくほどに憔悴しているような気が。
"元気そうならベルを呼んで来て遊ばせちゃうんだけれど。"
 あ、そういえば。お気に入りでしたね、このお兄ちゃんのこと。
(笑) そんなこんなと他愛のないことを取り留めなく思っていたナミだったが、
【あの…。】
 相手が掛けて来た声が何だか歯切れが悪いのへ、ピンと来るものがある。
【昨夜から今日までの間に、】
 うんうん。
【ルフィから何か、メールとか連絡とか行ってないかな。】
 ははぁ〜ん、成程と大きく納得し。マダム・ナミとしては…彼からの用向きとその背景へ察しがいったことよりも、何でこうこの人は、不器用というか隙だらけなのかしらねと、そっちの方へと深く感じ入るものがあった様子。武道を長くたしなんでいたそのあおりで、体を使う時にしか集中出来ない体質なのだろうか。
おいおい だからして、
「ううん。何にも聞いてないしメールも貰ってないわよ?」
 真実をもって短く応じ、
【そか、じゃあ…。】
 それを聞いて今にも回線を切ろうとした男の様子へ、
「ちょっと待ったっ。」
 そーれは素早く、まるで…勿体ぶって見せ場にぎりぎり遅れて現れたヒーローのごとく
(笑)、鋭い声を掛けている。

   「話を"もっと詳しく"聞かせてちょうだいな。
    さもなくば、
    今の段階までだけの情報を、サンジくんに吹き込んじゃうわよ?」

 はっきりとした滑舌にて、一気に伝えたその内容のとんでもなさよ。途端に、
【…う"。】
 PC画面の中では、偉丈夫殿が表情を凍らせている。
(笑) そ〜れは効果的に相手へと"フリーズ"をかけた緊縛呪文。これに似たものに"だるまさんがころんだ"というのがあるって話は思い切り余談であるがこらこら、その効力へそれはそれは満足げに微笑みながら、マダム・ナミは更なる呪文で念を押す。
「重々分かってることよね。サンジくんがどれだけルフィくんに入れ込んでいるのか。昨夜からまる一日もの間、ルフィくんからあなたへの連絡がまるきり取れないらしいってことを、サンジくんに吹き込んだらどうなるのかしら。」
【そ…それは…。】
 たちまち見せたのが"はっきり言ってそれは困る"という困惑気味な顔。単なる告げ口、自分の評価が下がってケチがつくというだけならば、そんなことにはお構いなしだと無視を決め込むような、今時なかなか居ないだろうほど豪気な彼だが。マダムが告げ口したがっている人物は。そんなかわいいものでは収まらない行動力を持つ、とんでもない相手だと、彼も重々知っている。その人物が本気で腹を立てつつ、対処行動を取ったなら、
「そうよねぇ。最新式戦闘機でそっちへ向かって、マンション上空からあなたの部屋へ、トマホーク奇襲を掛けかねない人ですものねぇ。」
 そういう予測が簡単に立ち上がる、困った相手だから問題で。だが…ちょっと待て。トマホークってのは巡航ミサイルのことじゃあなかったか? どさくさに紛れて、大仰なことを言うとりゃせんか、ナミさんてば。

   "………自分の夫を何だと思っているのだろうか、この人は。"

 ホントだねぇ。
(笑) そんな風に思いつつも、それを口から出まかせの世迷い言と断じる訳にもいかないから、まったくもって困った切り札。
「話してくれるわよね?」
 にぃっこりと魔女の微笑みでもってあらためて言い置くナミへ、見るからにがっくりとその大きな肩を落として、
【判った。だが手短だ。いいな?】
 気が急いてもいるらしいロロノア=ゾロ氏の念押しに、ナミもしっかと頷いて見せた。





 




          2


 事の起こりは昨夜の夕刻。日本でもやはり秋は深まりつつあって、朝晩はスーツや合いもののブルゾンだけでは足りないかもしれないほど冷えるようになって来ていた、晩秋の宵の口。
「おっ帰りvv」
 元気溌剌、満点笑顔で玄関までパタパタとスリッパを鳴らしもってやって来て、背の高い旦那様をわざわざ"お出迎え"した可愛い若奥様は、ルフィといって。一見"中学生"か"童顔の高校生"に見えるほど、外見はどこか寸足らずな幼さをたたえている、相変わらずに愛らしい少年だが、実は実は、
「ただいま。」
 同僚の方々が見たらばぶっ飛ぶほどにこやかに笑い返してブリーフケースを手渡した、大きなのっぽの社会人ご亭主と、ほんの2つしか年齢差はない。ちょっとした事情があって、7年もの歳月、自分の時計が止まっていた彼であり、昨年の夏の初めに大好きだったこの従兄弟の彼と再会した折、一悶着があって。文字通りの大活劇を含む、はらはらするよな葛藤の末に、やっと帰って来ることが出来たという、それはそれはドラマティックな経緯を経て此処にいる彼だったりする。
「寒かったろ? お風呂、お湯張ってあるぞ?」
 ルフィが二人ほどは入れそうな大きなスーツの上着を受け取りながら、いかにも"奥様"というお声をかければ、
「そか。じゃあ先に入ろっかな。」
 部屋着のシャツとトレーナーに綿パンという、そ〜れはさっぱりした恰好に着替えた旦那様がすんなりと言うことを聞いてくれるから。それへと"うふふんvv"とご機嫌そうに微笑う。この辺りまではいつもと変わらぬシヤワセな二人だったのだが…。




 お風呂上がりの食卓には、日々少しずつ腕を上げてく奥方の、精一杯の手料理がそれぞれに温かく並んでいる。旬のハクサイと小エビ、イカ、野菜一杯の、白湯スープ仕上げの中華風あんかけ煮込み。お隣りの奥さんからいただいたお土産のさつま揚げを炙ったのと、ホウレン草のゴマ和えに、
「ハンバーグか。久し振りだな。」
 お焦げに生焼け、作り過ぎ。失敗の連続を経て、今ではめでたくルフィ奥様の"十八番"にまでなったメニューだったりするのだが、
「えへへ。ゾロはメンチカツの方が好きなんだよね。でも今日はこっちだよ。」
 何やら含みのありそうな。そんな言い回しをするルフィだと気がついた。


   「…? "今日は"?」

   「………覚えてない?」


 ここで一発、にこやかにお道化ながら、
『いやぁ〜、迂闊だったなぁ。毎日が楽しいもんだから、全部を思い出すには時間が掛かるんだよね』
というくらいのお追従でも出るような。ゾロがそんなキャラクターだったなら、ルフィの方だって、
『しょうがないなぁ。そんな調子のいいこと言って、どうせ忘れたんだろ?』
とばかり、あっさり笑って許してくれるのかも知れないが。
「…覚えてないんだ。」
 まだ椅子につく前の奥方は、流しの前で俯いて息を詰めるような気配を見せた後、弾かれたように顔を上げ、
「もういいっ!」
 テーブルの端に置かれてあった携帯電話を掴んでキッチンから飛び出したものだから。
「ルフィっ?!」
 中学生ばりの俊敏さと小回りが利く体つきという点ではルフィの方が上だが、こちらだって一端(いっぱし)のスポーツマン。剣道界での元・日本一という名声は、決して過去の栄光ではなく、日頃からも体を動かすことに余念はないロロノア氏。こちらも素早く立ち上がって後を追う。
「ルフィっ!」
 ガタンと重い音がしたのへ引き寄せられるように、キッチンの戸口を出てすぐ見通した先。丁度玄関ドアが閉まりかからんとしているタイミングだった。ほんの5、6歩で到着出来た玄関口。その傍の"ちょい掛け"に下げられてあった筈の、袖の赤いスタジャンがない。どうやらそれを羽織りながら飛び出したルフィらしいと、視野の隅にて確認したものの、
「…っ。」
 咄嗟に三和土
たたきまで踏み出して、そのまま続けて後を追おうかとも思ったが、自分は部屋着。寒さは今更厭わないが、それにしたって効率が悪すぎる。はあ…とため息をつきながら踵を返すと、クロゼットのある寝室へと向かった。上着と携帯電話を取りに、である。





 ルフィの行動範囲は、日頃のお喋りから判ってはいたものの、では、こんな時にどこへ転がり込むのか。行きつけの喫茶店やレストラン、眺めて歩く雑貨屋や本屋さん。駅からマンションまでのほんの身近なあちこちのどこにも彼の姿はない。引っ切りなしに掛けている携帯電話にも反応はなく、恐らく電源を切っているのだろう。
"………。"
 まったくもって迂闊だったなと、反省しきり。いつも元気で明るいルフィではあるが、ほんの時々、寂しかった過去からの余燼に誘われるように振り返ることがある。子供の姿、でも大人。大人の責任感や理解力を持ちながら、子供のような傷つきやすい繊細さを、痛みを誤魔化せぬ拙さを、その身に併せ持つ少年。周囲の全てから置き去りにされてしまう寒々しいばかりだった日々を、その細い肩を小さな手で抱いて過ごした歳月を、ほんの一年前に終えたばかりの身の上で。まだまだ脆くなりやすい心を引き摺っている、たいそう傷つきやすい少年なのに。そんな彼だと、他の誰よりも把握していた筈がいつもいつもこうなのだからと、自分へのため息が山ほど零れるゾロである。


   ――― ルフィ…。






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