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ゾロとルフィが住まう"愛の巣(もういいってば)"のあるマンションは、随分と早い時期から"ペットを飼っても良い"という規約になっている。但し、常識の範囲内でのことであり、管理の難しい、扱いがややこしかったり危険だったりするよな生き物は特別な許可を取らないと厳禁だし、夜鳴きや無駄吠え、トイレの躾けや匂いに十分配慮すること。あと、アトピーや喘息といったアレルギー症候群の病歴を持つ家庭の周囲での飼育はご遠慮くださいとか、細かい規約もしっかとついている。彼らの住まうフラットはそれらの条件は一応クリアしているものの、昼間は家を空けてしまうことの多い家庭なので、動物は好きなんだけど飼うのは無理だねとちゃんと割り切って諦めていたルフィだったのだが、
「風間くんトコの"チョビ"くんだよ?」
リビングの窓辺に置かれた、半畳強くらいはある大きなフカフカのクッションの上。お行儀よくちょこんと座っているのは、鼻面の長いコリーを二回りほど小さくしたような、長いめの毛並みと顔立ち、体型をした中型犬。所謂"シェットランド・シープドッグ"というワンちゃんであり、
「あのね、今夜は風間くんのピアノの発表会があるんだって。」
夜遅くなるとか連れて行ってはやれない旅行に出掛けるとか、そういった時には…いつもなら車ですぐのところに住んでいらっしゃる祖父のお家で預かっててもらうそうなのだが、そのお爺ちゃまがタイミング悪くも昨日ぎっくり腰になってしまい、救急車にて病院へと運ばれたのだそうで。
「ちょこっと甘えたな子なんで、夜に独りぼっちになるとわうわうって鳴いちゃうらしくてね。」
それで、お迎えが来るまでウチで預かることとなったらしい。
「…ごめんね。ゾロに訊かないで勝手に決めちゃって。」
すんなりとした脛はぎを見せている、気の早い七分パンツ姿にて。フローリングの上へ直に座り込み、キツネ型のお鼻の尖ったお顔を撫でてやりつつ、そんな風に謝る奥方へ、
「いや、そんなくらいは良いんだが。」
寝室にて普段着のシャツと木綿のワークパンツという恰好に着替えて来たご亭主が、良いよ良いよと執り成すような声をかける。ゾロもまた、日頃の…自宅や会社の近辺という限られた生活範囲の中では馴染みが薄いだけの話で、もともと犬や猫が苦手な方ではないのだし。いかにもやんちゃそうな、黒々と潤んだつぶらな瞳をじぃっとこちらに向けてくる愛らしきワンコには、さしもの"朴念仁"で通っているゾロでさえ、毅然としたお顔を保っているのへ…ぐらぐらと気持ちが揺らぎそうになるというもので。
「…可愛いもんだよな。」
「でしょ? でしょ? でしょ〜〜〜vv ////////」
焼き餅を焼くかと思いきや、ルフィは弾かれたように顔を上げて、意を得たりと喜んで見せ、
「毛並みなんかフカフカなんだよ。ほら触ってあげてよ。」
預かり物なのに我が子のような自慢振り。腰掛けかかっていたソファーから腰を上げ、傍らまで寄って手を伸ばせば、チョビくんの方も初対面だというのによほど人懐っこいのだろう、警戒も見せず、それどころかふさふさの尻尾をもっとハタハタと振って見せ、
「この子、お父さん子なんだって。」
風間くんのお家でも、お父さんに一番に懐いているのだそうで、ゾロが差し出した大きな手のひらに自分から頭を寄せて来たほど。
「ゾロのこと好きなんだよ、きっと。ほら、撫でてもらって嬉しそうvv」
よほどに手入れが良いのだろう、ふかふかな毛並みは絹糸か真綿のような軽やかなつややかさ。それに包まれた小さな温みは、肌にじんわりと柔らかく。
"…成程なぁ。"
心のケアの助けにと、養護施設や老人ホームなどへ良〜く躾けた犬や猫を連れてゆく療法があるのが良く判る。理論や理屈は様々にあるのだろうが、そういったことを軽々と飛び越える"肌身"にて、小さな命の持つ色々なことが真っ直ぐに染みて来て温かい。
「それにしても…どっかで見た顔だよな。」
キリがないと手を放すと、名残り惜しげに"きゅうう〜ん"と甘えた鼻声を出す小さなシェルティくんへ。和んだ視線は据えたままだったゾロが、んんと頷いて、
「ほら、箱根に行った時に知り合いになった。」
思い当たった心当たりを口にする。ルフィ名義の別荘が箱根の奥まったところにあるのだが、その閑静な住宅地で知り合ったお家の、やはりまだ小さかったシェルティを思い出したゾロだったらしい。だが、
「ああ、るうくん? ちょっと違うよう。」
犬種は同じだけれど、あんまり似てないようと、奥方、唇を尖らせる。
「そうか? こないだのドラマに出て来たのへは"るうくんに そっくりだ"なんて大騒ぎしてたろうが。」
「あれはホントに そっくりだったんだもん。」
でもこの子は、ほら、色味のバランスが違うでしょ?と。なかなかに微妙なことを言い立ててくださる奥方であり、この辺りのネタは…よろしかったなら『puppy's tail』をどうぞ。(こらこら/笑)ひとしきりお喋りに沸いてから、さて。
「すぐご飯にするね。」
お肉焼いて、付け合わせと煮物を温めたらすぐだから、それまでチョビくんと仲良く遊んでてねと、何だか…どっちが遊んでもらう側なのだかというような言い方をしてキッチンへと向かった奥方であり。
「…うん。」
ソファーから立ち上がり、クッションの傍らへ寄ってやれば、さっきからずっと視線を外さないままだったそのまま、待ってましたとばかりにお尻尾を振って見せる、判りやすい可愛い子。鼻の奥をきゅんきゅんと鳴らして、早く撫でて構って構ってと、小さな体がピクピク跳ねているところなぞ、
"時々ルフィがして見せる"おねだり"そっくりだよな。"
早く早くと地団駄踏んでるみたいに、立ち上がりかけたり、小さな前足で"たんたん"とクッションの端を叩いたり。あまりの可愛さに"よしよしvv"と、こっちも間違いなく表情が緩んでしまっている旦那様。奥方がわざわざ呼びに来るまでを、大きな手でわしわし撫でてやって過ごした"甘やかし上手"さんでございました。
◇
人間たちには金山寺味噌仕立ての辛口和風ソースをからめた焼き肉と、ぱりぱりの揚げ春巻きにタケノコとワカメの若竹煮。ブロッコリーとレタスのサラダに、キヌサヤと春キャベツの炒めもの玉子仕上げ。そうめんをお澄まし仕立てにした"にゅうめん"というお献立を並べた、そんなテーブルの脇にて。チョビくんにはジャーキーとドライフードを配合したご飯を用意して。普段より一人多い顔触れでの晩餐を済ますと、後片付けも早々にルフィも急いでリビングへとやって来た。いつもは二人きりのところに加わった"もう一人"。人間ではないのだけれど、物言わぬ"わんこ"なのだけれど。そんな対象でも"存在"が増えると、
"空気が違うよな。"
円つぶらな瞳を人懐っこく潤ませた、まるで小さくて無邪気な子供みたいな仔犬。このフラットに他所の客人を迎えたことは、勿論これまでにだって何度もあるのだけれど。愛らしくていじらしくって何をおいても放っておけない、こちらから散々構ってやりたくなるような、そんな存在がおいでになったのは初めてのこと。そして、そんな存在へ向けて、詰まらない照れもなく、おっかなびっくりな苦手意識もなく、素直に手を伸ばせる笑いかけることが出来るようになれたのは、
「あ、や〜だvv こらぁ〜〜〜vv」
懐ろへ抱えたままで床へ転がったところを、抱えたそのチョビくんに てんと前足にて胸板を床へと縫いつけるように抑えられてしまったルフィの、それは無邪気で屈託のない笑顔のおかげだろう。
『俺、もう限界かも知んない。
このままゾロの傍にいたら、心がズタズタになっちゃうかも知れないよう。』
天真爛漫な子供だった彼を襲った、とある哀しい出来事は、そこから救い出されても尚、ちくりちくりと目に見えない"不安"という後遺症を彼へと残して。特異な身の上である自分だから、このまま大好きなゾロの傍らに居ても良いものかと、そんな繊細なこと、人知れず葛藤していた彼だと知らされた時は、そりゃあもう…自分の不明さに歯軋りをし、臍を噛んだゾロだったことは言うまでもなくて。
"言ってくれなきゃ判らない、じゃなくて。
こっちから、真っ向から踏み込まなきゃいけなかったのにな。"
良くも破綻しなかったと。今だからホッとしての苦笑も洩れること。こうまで素直で伸び伸びとした、元の溌剌としていた屈託のない彼へと戻るまで、不安の中で泣いたり笑ったり、色々な葛藤の山や谷が結構たくさん訪れた。いつだって、他の何へでも誰へでもない、この自分へと、嫌われたくないと不安だったり、負担になりたくはないと思い詰めていたルフィだったのだと思い知らされ、彼の幼さや愛らしさを年長者として放っておけなかっただけじゃあない、彼を彼だからこそ愛惜しいと思っていたのだという認識がゾロの胸中でもどんどん深まり、そして…。いつしか、今度は微妙な齟齬や何やが発端の喧嘩や諍いもあったが、そっちは別物。むしろ、ルフィが自信を持ち始めたからこそ、可愛らしくも"あっかんべえ"と出来るようになってのものであり、
"………。"
やっとのこと、本来の彼らしさがもどって、さて。この小さな体に一体どれほどの奥行きの深さを抱えているやら。判っているのは、
"そういえば、ルフィが此処へと来る前のことって…。"
あんまり覚えてないよなぁと、しみじみ実感するゾロだ。あまり1つの物事に執着したり関心を持ったりしない性分だったせいもあるけれど、それでも無難な範疇の中にて人並みの出来事やらイベントやらを通過して来ていた筈なのにな。それらがすっかりと記憶の中から吹っ飛んでいるほどの、それほどまでの鮮やかさで、自分の身辺、自分そのものさえも塗り替えてしまった大きな存在感。
「ひゃっ☆ やだってば、擽ったいようvv ねえねえゾロ、助けてよ。」
「何言ってる、十分に楽しそうじゃないか。」
無邪気なシェルティくんからペロペロとお顔をなめ回されて、笑い声ながらの悲鳴を上げて見せるルフィ。そんな彼の無邪気なお顔に眩しそうに目許を細めたゾロは、くすすと笑い返してやっただけ。
"本当に…。"
彼が戻って来てくれて、どれほどに楽しくも生気あふれる日々が送れていることだろうか。誰にも譲れない大切な宝物が出来たこと。そんな存在を守るために、そして何よりも喜んでもらうため、笑っててもらうために。目一杯頑張ろうという意欲が、どこからともなくむくむくと沸いて来る不思議。決して…無茶をしようというまでの勢い込んだ気負いはないものの、それでもね。それまではある程度卒なく、ほどほどに無難であれば良かったのにね。そして、それまでは誰の眸にも留まらなかった、それどころか、ちょいと恐持てのするお兄さんなだけだったろう彼が、見ず知らずの女子高生たちから"憧れの君"としての注目を集めているのだって、心身ともに充実し、毎日何かとワクワクがついて回る、そんな日々が送れているからに相違なく。………まあ、こっちはね。ゾロさんご本人も気づいてないことなのだろうけれど。(笑)
「う〜〜〜、チョビ、今度はゾロを急襲するぞっ!」
「あうんっ!」
「あ、こらこら。待たないか…どわっ!」
もう結構いいお時間なのだから、お静かにね。くすすvv
小さな子供たちがじゃれ合っていた光景は、10時頃まで続いたろうか。ピアノの発表会では優秀賞をいただいたという風間くんが、駅前のパティスリィの"マンゴーとミルクプリンのアラモード"をお土産に、お母様と連れだってチョビのお迎えにといらっしゃって。ちょっぴりうとうとしかかってたチョビとは、此処でお別れ。
『また遊びにおいでよね。』
心から名残り惜しげに"バイバイvv"と手を振った奥方の、しょんぼり落とされた小さな肩を抱いてやり、
「明日にでも遊びに行けるだろうが。」
慰めるようにそうと言えば、
「それはそうなんだけどもね。」
風間くんチで逢うチョビは、もう"風間くんチのチョビ"だから。さっきまでみたいに"ウチの子"扱い出来ないもんと。微妙なことを言い出すルフィであり。
「…そうさな。ちょっと違うよな。」
もう既に離れがたくなっているこの伴侶の身が、もしも…どこぞのお兄さんのところに攫われてしまったならば。たとえ逢うことは叶っても、それだけではいやだと取り返そうとする自分だろうと判るから。今夜の旦那様は、いつになく、ルフィの心情に細やかにもついて来てくれるよう。
「も少し落ち着いたら、飼うか? 犬でも猫でもハムスターでも。」
「う〜ん。それはちょっとねぇ。」
頼もしき腕の輪っかの中、くるりと回って向かい合い、
「うん。やっぱり要らない。」
きっぱり言い切ったルフィさん。ぱふんと、温かな感触のするシャツへやわらかな頬を埋めて、
「だって、ゾロんこと独り占め出来なくなるもん。」
いけしゃあしゃあ、そんなことを言って。ふわふわな頬をグリグリとご亭主の胸板へと擦りつけての"マーキング"をして見せる。今はね、ゾロが一番好きだから。ゾロが誰かに構うのも、誰かがゾロにじゃれるのも、つまんないことだもの。そんなじゃ、どんなに可愛い子が来たって結局構ってやれないから可哀想でしょ? お顔を上げた奥方は、そのまま"にゃおんvv"と一声鳴いて、ねえねえねえと甘えたお声で身を擦り寄せて…。あとはプライベートなので内緒のお話。さあさあ、良い子は早く寝た寝たvv
〜Fine〜 04.4.15.〜4.19.
*ちょっと間が空いたかな?の"蒼夏の螺旋"でございますが、
何かもう、この方々はすっかりと出来上がって来つつあるような。
このまま養子さんでも預かったならば、
所謂"ロロノア家の人々"現代版というところに落ち着くのでしょうか。
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