蒼夏の螺旋 花守春睡
 

 

          



 新年度が始まって、それでも春は名のみと言わんばかりに、花散らしの雨が降ったりしては思い出したように肌寒くなったりしながら、随分と。いやいや かなり、陽が長くなった。まだ今のところは"試運転"という感じで、授業の方も早く上がるのか。制服も真新しい、どこか初々しい学生たちが早い時間から多く乗り合わせている夕刻のJRの各停車両。他愛ないことへ笑い転げるキャッキャと賑やかな女子高生たちの声も、不思議とこの車両ではボルテージが低いような気がするのだが。
"…気のせいかな?"
 そんなことへ関心を寄せるのもまた、ある意味で余裕が出て来た彼なのだろうか。だがだが、こんな話を持って帰れば、きっと奥方は丸ぁるい頬をぷんぷくぷーと膨らませて見せるのだろうな。
『どーせ俺は、ピッチピチに瑞々しい女子高生じゃねぇよ〜〜〜〜だ』
 そんな言いようをして、一応は拗ねて見せるに違いない。勿論、こちらがそんな方面へ良からぬ関心を寄せるような男ではないと、心の根元ではちゃんと判っているのだろうから、
『ルフィ〜〜〜』
 そりゃ誤解だ、考え過ぎだと。小さな肢体を慌てて懐ろへと抱き寄せて、掻き口説くように言いつのれば、すぐにもご機嫌を直してくれる彼なのだろうけれど。
"………う〜ん。"
 けど、それって何だか、相手の思うツボってやつじゃなかろうか。見方を変えれば、どうせ自分にぞっこんなゾロだから誰が現れようと大丈夫・大丈夫と判っている上で、拗ねる振りをして見せておたつかせ、わざと振り回してやろうという"茶目っ気"ってやつかも知れなくて。…いや、そう思っててくれて"大正解"には違いないのだが、だがだが。
"う〜〜〜ん。"
 それって果たして、先々のタメになることなのだろうかと。此処に至って初めて立ち止まって考えてみた、新婚生活もうすぐ四年目に突入しようかという、ロロノア=ゾロ氏。男臭くて凛々しき横顔を窓の外へと向けたまま、かっちりと厚みのあるその胸の裡にて想うは、勿論…愛しい奥方こと、ルフィくんのことであり。やること為すこと可愛くて、前向きでお元気だけれど時々不安そうなお顔もちらりと見せる。自分に気を取られてお仕事を蔑
ないがしろにしないでと、いつもいつも言って聞かなくて。それはそれは一途で、だからこそ愛しくて堪らない、自分の身よりも大切な奥方に、いまだにぞっこんで首っ丈なのには違いなく。だから、お家で和んでいる時くらいはそんな彼の意のままに操られてたって構いはしないと、鼻の下を延ばしまくった御託をのほほんと思ってたりするゾロなのだが。
"多少は、夫の威厳ってものも示しといた方が良いのかな。"
 夫。自分で言葉にしてみたのは、実は初めてで。

  "……………。////////"

 な、何を今更、そんな照れてらっしゃるのかな? さては、これまで一度もそういう肩書きを意識したことがなかったんですね、もしかして。掛け替えのない恋人さんという認識は勿論持っていたけれど、夫とか亭主とか奥さんとか、そういう呼称を自分やルフィに当てはめたことはなかったと。
"けど。夫…とかいうものなら、尚更に。"
 威厳は必要かも? けど…いやいや、冗談でも演技でも"あ〜〜〜、それって浮気?"とか何とか拗ねたり膨れたりする可愛げがあるのは、良いことだと言われたことがあるよな。無関心に"あらそう"で片付けられよりはずっとマシだと、確か係長さんが言っていたっけ。倦怠期ってやつは恐ろしいよ、そりゃあさ、こっちも仕事に余裕が出来るまではと躍起になってて、ついつい家庭を顧みなかったからね、非はある訳だからそうそう強くも出られないんだけれど。気がつけば、子供らは妻の味方で、こっちはね、何を話しかければ良いのやら。まるで"他所の人"扱いみたいで、何とも肩身が狭くてね、なんて。何ともお気の毒なことを話してらした。

  "まま、他所は他所で、ウチはウチなんだろうけれど。"

 普通のご夫婦と違い、彼らのところには、まず"子供"という存在は見込めない。だが、だからと言ってお互いへとばかり構けている訳でもなく。それぞれの仕事や目標なんかをちゃんと持ってもいて、昼間はそちらへとそれぞれに集中して過ごしてもいる。

  "子供か…。"

 全く全然欲しくないかというと、時々はちょっと…あのそのえっと。大きな瞳にふかふかな頬をした、ルフィの子供の頃にそっくりな面差しの。無邪気でお元気で、大人から見れば他愛のないくらいの腕白さを発揮してくれるような子供がいれば。休みの日とかに緑地公園にでも出掛けては、肩車したり、じゃれつき合ったりして、もっともっと楽しいかもな…とか思わないでもないけれど。

  "…ルフィ本人が子供みたいなもんだしな。"

 ガキだと軽んじているのではなく、屈託のない素直な愛らしさを指しての感慨。見かけが随分と子供なのは彼のせいではないのだし、それにあれで自分なんかよりずっと、懐ろの深い優しい子だ。傷つきやすい繊細さだって持ち合わせた、人の人としての辛さや悲しさの大半を、あんなにも小さな身に受けて、いっぱい体験して来た子。だから、会えないでいた、一緒にいてやれなかった歳月の分も、うんと可愛がってやりたいし、寂しかったこちらの心も満たして欲しい。だからだから、

  "やっぱ子供はまだ良いよな。"

 気持ちばかりが膨らんで、言葉や何やが足りないのがもどかしくて。むずがりたくなるほどお互いを"好き好き好きvv"と愛
で合っているので今は手一杯。そうさ、そうだよ、何を今更なこと思いあぐねていたんだろと。物思いの"最初"をすっかりきっちり忘れ去ってたりする旦那様だが………おいおい、まだ健忘症が始まるには早すぎるぞ、旦那。(笑) そして、

  「良いこと? あの方が"窓辺の君"よ。」
  「はいっ。」×@
  「こらこら、声が大きい。」
  「あ、すいませ〜ん。」
  「きゃっ、恥ずかしいvv
  「ステキな方でしょう?」
  「そうですね〜vv ////////
  「結構 肩とか逞しいのに、そうは見えませんものね。」
  「脚も長いし、渋みのあるお顔が何とも…vv
  「あの〜、3両目にも素敵な方が乗ってましたが。」
  「あの人も素敵かも知れない。でも大学生だからねぇ。」
  「そうそう。確かもう3回生だから、あと二年。」
  「それに、学部専攻に進むから毎日同じ電車に乗るかどうか。」
  「…お詳しいんですねぇ。」
  「ほーほっほほほvv
(おいおい、褒められてないって。)
  「ともかく。あの方はこの車両の皆のアイドルなんだから。」
  「そうそう、決して抜け駆けしてはいけないのよ?」
  「え〜〜。バレンタインもですか?」
  「クリスマスも? お盆休みも?」
(なんや、それ)
  「当たり前でしょ? ご迷惑をかけてはいけないの。」
  「そうよ? でないと、この車両から別の車両に移ってしまわれる。」
  「そうなったら、あなた、
   皆からの恨みを一身に集めることになってしまうのよ?」
  「あ、はいっ。気をつけますっ。」

 よく判らない物思いに耽ってしまい、実は内心で やに下がっている…とは到底見えない誰かさんの精悍な横顔を。悟られぬようにと うっとり窺いつつも、車両の中のあちこちにて…こそこそと。こちらさんも例年のこととして、新入生への大事な引き継ぎ、所謂"申し送り"として、注意事項のレクチャーをしている先輩さんたちの図というのが見受けられる、新学期ならではな風景なのであった。………変な路線だよな、実際。
(苦笑)





            ◇



 さて。ご本人はその呼称に物凄く照れてらしたものの、快速から普通電車への乗換駅からの"帰るコール"も相変わらずに欠かさない、絵に描いたような"新婚世帯のご亭主"の姿勢をいまだに守り続けているゾロさんなのだが、

  【 あ、ゾロ? あやや、もうそんな時間なんだ。】

 ビール冷やして待ってるからね♪ 今日のコールに出たルフィは、何だか…妙に弾んだ声だったような気が。
"…? 何かあったんだろか?"
 昼間は週に何日か、マンションの1回にあるカルチャースクールのPC教室の"子供の部"へ、臨時教員として参加している彼であり、その延長みたいなものとして、此処いらに住まう子供たちのサッカーチームのコーチも時々引き受け、練習や試合に付き合ってもいる結構忙しい身。とある事情があって、表向き"年齢不詳"なんてなことになっているが、どう見たって中学生という童顔に浮かぶ屈託のない笑顔や無邪気なところが、自分たちに近しい"お兄さん"という存在として人気を集めているらしく、PC教室であれ、サッカーチームでの集まりであれ、解散となってもなお、まだ遊ぼうよとそれは懐かれてもいる彼だ。
"まさか…。"
 そういったおチビさんたちが、延長戦とばかり家にまで押しかけているのだろうか。ルフィの側からもゾロとの"二人きりの時間"というものを大切にしたいのか、お昼間と宵とはきっちり切り替えており、今までそういう事態は一度もなかったものの、

  《 これまで起こらなかったから今後も起こらない。》

 こういう言い回しほど根拠のない保証もないと聞く。…って、あんた、奥さんを信用しとらんのかね。
"信用してはいるが、相手があってのことだしな。"
 慕ってくれる可愛らしいお友達を、そうそう無下にもあしらえなかろうから、そのうち、あの二人の愛の巣
おいおいにも小さなお客さんを迎え上げるような日が来るのかもしれない。それこそ、二人の間には望めない子供のように愛しいからと…。

  "…う〜〜〜、いかんいかん。"

 どういうものか、今日の自分はその話題へと頭がついつい向いてしまうようで、ちょうど今、夏休み向けのファミリーものの企画を練ってる最中だからかな。他人のことは言えない、自分の方こそ仕事をプライベートに食い込ませているんじゃないかと苦笑する。ぶるりとかぶりを振ったところで、辿り着いたるは彼らの"愛の巣
(やめれ)"があるマンション前。エントランスホールにあるインターフォンに向かい、部屋番号を押せば、
【は〜い。】
 ついさっき聞いた伸びやかな声。
「着いたぞ。」
【あ、開けるねvv】
 自分も持って出ている鍵で開ければ良いものなのだが、
『そんなのダメなんだからね。』
 ちゃんとお家に人がいるのにサ、そんなの何か変だ、と。その"待っている側"のルフィに言われて、ずっとこうしている次第。管理人室の傍らにある自動ドアがなめらかに開いて、そのまま直進したゾロは、スーツに包まれた肢体を階段ホールの方へと当たり前の足取りで運ぶ。軽快な足さばきで、だが、足音はかすかにも立てないところが、ルフィにはちょこっと理解し難いらしいのだが、剣道という武道を本格的に極めた男は、こういうものなのだそうである。………ホントかなぁ?
(笑) いよいよ辿り着いた我が家のドア前。此処でもチャイムを鳴らすと、奥まったところから"ぱたぱたぱたた…"と駆けて来る気配が聞こえて…来るよな気が。そこまで安普請ではないので、玄関傍の三和土たたきに踏み出すゴソゴソという音になってやっと気配が聞こえるのだが、
"………んん?"
 あれれと。ご亭主が小首を傾げる。サンダルだか踵を踏み潰したスニーカーだか、突っかけているらしき物音が…二重になっているような。
「あん。こら、ダメだよ。」
 こそこそとルフィの声もして。独り言を言う子ではないので、ますます"???"と怪訝そうなお顔になった。ゾロの鼻先、がちゃりと錠を解く音と同時に開いたドアから、
「ゾロ、お帰り〜〜〜vv
 約半日振りの再会となる愛らしい奥方が、お帰りのハグをと飛び出して来たのは分かるが、

  「あうん♪」

 はうはうと。いかにもご機嫌だという様相のまま、ふさふさのお尻尾を振り振り、前足を跳ね上げて。ゾロのスーツのおズボンへじゃれついている、ふかふかな毛並みのお子様は、あいにくとゾロの記憶にはなかった家族だ。

  「………どちらさんだ? このお子様は。」
  「あははは…vv

 多分、半分くらいは分かっていながら、そんな聞き方を敢えてするゾロへ、その懐ろへと頬を埋めていたルフィは誤魔化すように空笑いをして見せたのであった。







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  *春のうららの、ご夫婦お二人さんでございます。
   ワンちゃん、飼う気になったのでしょうかね?
   ほのぼのしたままにもうちょっとだけ続きますvv