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山野辺の小さな小さな片田舎。農業や林業にて生計を賄っている人々が住まう、のどかな村。少年はそこですくすくと育った。生まれたのは海の上、どこぞの島だったらしいが、そんな頃の記憶は当然なく。物心ついた頃からのずっとずっと、山野の隅々を駆け回り、どんな樹木にだって大概するすると登りきり、渓流では飛沫を蹴散らしながら川魚を追って、伸び伸びと遊んで過ごした身。喉が渇けば冷たい岩清水を飲み、小腹が空けば里の実りで作ってもらったおやつを食べて、空気さえ青々と染まるほどの緑の中に午睡して育った少年だったから。日々の生活の中で見えもしなければ気配さえない"海"なんて、自分には全く縁のない世界だと、時たま母が話してくれる冒険話の舞台くらいにしか把握してはいなかった。
…とはいえ。
人はそうそういつまでも小さな子供のままではいられない。背が伸びれば遠くを望めるようにもなる。体力がつき、物事への理解力が深まり、関心が涌く事象はどんどんと増え。知識や技術、力を得ること。様々な形での成長への内的快感や爽快感を体感したなら、もっともっとと欲求はつのる。それでなくとも時代は激動の流転の中にあって、こんな田舎にも様々な英雄たちの活躍や動向が伝えられ。特に海に接する世界では、流通が盛んなせいもあってか華々しいニュースがやたらと多い。はっきり言って景気がいい。一獲千金などという曖昧奇抜なドリームを求めている訳ではない者にでさえ、スマートな暮らしぶりだの、先進の文化だの、憧れを擽ってやまない世界がそこには広がっていて、若者たちは猫も杓子もこぞって新天地へ繰り出したがる。少年が育った村やその近隣でもそういう傾向は強まりつつあって。
『…え? 衣音が?』
そこから最も近い都会が"大町"という町で、小綺麗な石作りの町並みは近代的だし、人や馬車の交通量も多い通りが縦横に走っており、人の行き来も物流も盛ん。流行の取り沙汰もなかなかにぎやかな、今風ではあるがそれと同時に何とも足早な町でもある。その大町へは隣町からの列車が出ていて、それを使えば結構近い。乗り合いのトラックで行けば半日。馬が引く荷馬車なら、まま"一日仕事"になるかな?というところか。物見遊山の旅行や巡礼という格好で、いまだに徒歩で向かう人も少なくはないが、それだと途中で陽が暮れる。そんな人たちが今でも重宝している小さな宿場が中間地点にあるほどだとか。そんなほど、ちょっとばかし遠い町へ、家族の次に長いこと、ずっとずっと一緒にいた親友が進学のためにと一人で旅立ってしまったのが先の春のこと。都会の上級学校への進学は専門分野への先進の知識を求めての就学を意味し、そのまま…都会での就職や世界政府機関への仕官を目指す者が選ぶこと。まだほんの十代、中等部の段階からの進学が珍しいとは言わないが、そういう場合は大概、親の肝入りにて強引に選ばされるものが大半であって。だというのに、彼かの親友くんは。自分の意志で学校を選び、学資の足しに出来るよう奉公込みで受け入れてくれる下宿も探し、それらへの手続きから何からの全部を自分の手で進めたというから、いっそ恐ろしいまでの周到さ。
『いつだって先のことを考えている子だから。』
誰にも何の相談もないままという突然のことであり、聞いた話では家族にも詳しい話はしておらず。ただ。父親の職をそのまま継いだという、職人の世界しか知らない父上や、聡明な彼をもっと小さい頃から頼もしく思っていた、口数の少ない母上は、彼自身の先々なのだし、彼がきちんと考えて選んだことなのだからと、学資や寮生活に必要な仕送りは任せておきなさいと、それ以上の詮索はしなかったそうだ。………そして、当然というか何というのか。親友とは言っても子供同士。せいぜい遊び友達に過ぎない、剣術道場の幼なじみにも何ひとつ語ることなく、黒髪の少年はいつの間にかひっそりと、遠い町の人になってしまったのだった。
◇
最初のうちは週末とか連休とか、実家に時々戻って来てもいたらしいけれど。勉強や課題が難しいのか、それともいちいち小まめに戻るのが手間になって来たか。春の桜が青葉に変わる頃にはもう、余程の用でもない限り帰れないって言って来た衣音くんだったそうで。こちらも新しい学校環境、隣町の中学へと進学した身。友達は多い彼だったから、慣れない制服、腕白にも汚して帰って来るほどのやんちゃぶりも相変わらず。たった一人のお友達の姿が見えなくなったくらいのこと、そういつまでも気にしてはいないのか、さすがは男の子だね、さばけたもんだと、周囲もあまり気を遣わなくなって来て。そうこうするうち、山野辺の村は雨季を迎え、田植えが始まり、手伝いに駆り出される忙しい日々が続いて。人がどんなに変わってもこればっかりはそうそう変わらない、巡り来る季節の流れの中、それぞれの生活というものが新しい轍を刻んでしっかと確立されて来た、夏の初めの頃のこと。
「お兄ちゃん、衣音くん、明日帰って来るんだってよ?」
「あ?」
夏の白いセーラー服がまたよく似合うと評判の小町娘が、行儀悪くも畳にごろごろ寝そべって雑誌を眺めていた双子の兄にそんなニュースを伝えたのが、夏休みに入ったばかりの平日の昼下がり。初めての成績表をもらって帰った昨日が終業式だったのだが、クラブ活動があって学校に出掛けていた みおちゃんが、
「帰りに ちよちゃんに会ってね、明日の汽車でお兄ちゃんが帰って来るって言ってたのよ。」
にこにこと笑って報告する妹御に、だが、兄上は特に表情も動かさない。
「…何よ。」
「何が。」
「せっかく早く教えてあげなきゃって思って、走って帰って来たのに。」
「ああ、そうかい。」
何とも気のない返事と共に、向こう側へと寝返りを打つ彼なのへ、小町娘が口許を尖らせる。
「もうっ! 知らないんだからっ。」
せっかくせっかく、仲良しさんだったお友達の帰りをいち早く教えて上げたのに。甲斐がないったらありゃしない。母上に似てますます可愛らしくなってきたお顔を"ふぬぬん"と…実は怒った顔までお母さんにそっくりなお嬢ちゃんが膨れながら立ち去った子供部屋。
「………。」
そっぽを向くみたいに庭の方へと寝返りを打って、見るともなく見やった庭先の、竹の矢来の柵に絡んだ朝顔の蔓。子供たちが小さかった頃からの毎年、ルフィが種を蒔いて育てているもので、毎朝幾つも開く大輪の花々を、みおがまずは先に数えられるようになり、その次には衣音が、そして坊やが最後に数えるようになったんだっけ。
『まったく、ウチの子たちは負けず嫌いだからな。』
とりわけ坊やは、衣音くんと何かと張り合って。それで覚えたことや出来るようになったことの何と多かったことか。
「…ちぇっ。」
どうでも良いことな訳がない。何か思いついたその度に、視線を投げれば必ず眸が合った、一番の友達。必ずしも同じものが好きだった訳じゃないし、同じことへ怒ったり笑ったり、それぞれに別々の反応してたこともよくあったし。でも、相手がそうするんじゃないかとか、そう思うんじゃないかとかいうのは、どういうものだか真っ先に解った。こっちからの理解と同じくらい、相手にも解ってもらえているのが心地よくって、間違いなく自分の中の"一番"だった友達だのに、
"衣音の方からの一番は、俺じゃなかったんだろな。"
何で、どうして。大町の学校に行ったのか。今の今まで何にも話してくれてない。親御さんにも話してないことなのだからって、理屈では納得いってたつもりだったけどさ。
"話してくれなかったことじゃなくって…。"
何を思っているのだか、衣音の胸中が初めて解らなかったのが口惜しい。
"…チッ。"
ガキみたいでダセェな…と。その胸中にて舌打ちしながら身を起こした少年だったが、
「…え?」
庭先に立った影と向かい合い、正直言って一瞬息を引いた。3カ月とちょっと。その前の8年間に比べたらほんのそれだけの別離。なのに何でだか…、
「こんちわ。」
短い声を掛けられて、どういう訳だか…身が凍ったみたいになって動けない。と、そこへ、
「あれ? 衣音くん?」
とたとたと廊下の板張りを鳴らしてやって来たルフィが彼へと声を掛けていて。こちらもまるきり風情の変わらない若々しい声で"久し振りだねぇ"と屈託なく笑ってから、ルフィもみおちゃんに聞いていたのか、
「帰って来るの、明日じゃなかったっけ?」
そんな風に訊く。
「そのつもりだったんですけどね。丁度こっちに戻るっていう"えるど"さんの女将さんに向こうで会ったんですよ。」
この村には3台しかない車の内の1台を持ってる、居酒屋の女将さん。掘り出し物の仕入れにと大町に来ていたらしいのへ便乗させてもらえたので、予定より早く帰って来れたのだそうで、
「師範に挨拶しに来ました。」
「そか。」
じゃあ、今は道場にいるからさと、以前のように気安く縁側から上がってもらって、そこから道場の方へ、ルフィが手際よく先導してゆく。長男坊が胡座をかいてたすぐ傍ら、さかさかと横切っていった懐かしい友達は、しばらく見ないうちにどこか大人びていて、
"ちぇ…っ。"
俺の友達なのになと。姿が見えなくなってからようやっと、不平やら何やらが胸にざわざわ沸き起こる。ずっとずっと、気にしないでいた。見回したいつもの視野の中、唐突にポカリと空いた空隙を、けれど見ないようにと努めていた。ともすれば最初からいなかったのだと思い込もうとまでしたが、
そんな複雑なことが出来るような自分ではなく、
そんな簡単なことで何とかなるよな蓄積でもなく。
それでも、いつかはやって来ることだったのだと。何とか…落ち着かない気持ちをあとちょっとでねじ伏せられかかっていたというのに。
"勝手に出てって、勝手に帰ってくんだもんな。"
糊のきいた、しわ一つなさそうだった純白のシャツ。汗のひとしずくも浮かべてはいなかった涼しげな顔に、相変わらず櫛通りの良さそうな髪をしていて、深色の瞳は穏やかに瞬き、柔らかそうな笑みを唇に浮かべて、いかにも都会の秀才という聡明そうな雰囲気をまとっていた幼なじみ。
"………。"
しばらくぼんやりと過ごしてから、さっきまで見やってた柵の向こう、自分の腕くらいの若い木の幹に蝉がとまってたことに今頃気がついた。しゃんしゃんと鳴いていたのがそんなにも至近でだったとは気がつかず、じじ…っと飛び立ったのをやはりぼんやりと見送ったところへ、
「よお。」
さっき奥へと向かった衣音が、背後の廊下から不意に戻って来たものだから。
「な…っ。」
胡座をかいたまま、肩を跳ね上げてちょこっとどぎまぎ。こちらは全くの普段着、よれたTシャツに七分パンツという恰好をしていることまでもが、何だか居心地悪くなりかかったが、
「どうした?」
何の頓着もなく自分も畳へと胡座をかいて腰を下ろした衣音であり、
「あ、これ、借りるぞ。」
擦り切れた団扇を机から手に取り、シャツの懐ろをくつろげてぱたぱたと風を送り始める。
「こっちの方がずっと涼しいんだのにな。やっぱりこんなカッコだと暑いや。」
くすすと笑う顔は、ほんの数カ月前の彼とまるきり同じ。ほっとして、そんな拍子に…実は緊張していたらしい汗がすうっと引いて、長男坊は自分の後ろ頭を掻いて見せた。
「………。」
久し振りに会う友達。全然変わってないみたいって分かったのに、それでも何だか、話しかけにくくって。柄じゃあないよなと、はふっとため息をつくと、
「どした。」
やっぱり気さくに声をかけてくれるものだから。そこへ甘えて、
「なんかさ、話題がないってのはさ。そんだけ、やっぱ…相手が分からなくなってるからかなって思ってさ。」
照れ臭げに頭を掻いて見せると、
「そうかな。」
「?」
幼なじみくんはさらさらと髪を揺らしながら小首を傾げて、
「お前はそうなんだとしても、俺の方は違うけどな。」
「何だよ、それ。」
「帰って来たなってことと、お前、お相変わらずだよなってことへ安心してるんだけどもな。」
ツンとお澄まししてた訳ではない。ただ眺めてるだけでも安心出来て、それで少年の沈黙につき合ってた彼であったらしい。
"だったら…。"
今こそ聞こうと思った。何で大町なんて遠いとこへ、それも突然、誰にも相談しないで出てった彼なのか。だのに、
「………。」
「何だよ、なに拗ねてんだ?」
「知らねぇよ。」
「ふ〜ん。」
どうしてだろう、訊くことが出来ない。自分でも分からない。もしかしたらこれもまた、負けず嫌いから来る意地なのか、こっちから訊くのは癪なような気がして、
「………。」
それで訊けなくて黙り込む他なくて。そんなこっちの気も知らず、
「向こうにはお前みたいな面白い奴はいなくてな。勉強ははかどるが退屈でいけない。」
軽快な口調で話しかけてくる。
「………。」
「あ、そうそう。後で手合わせしてくれよ。放課後の活動クラブにも入るのが決まりだからっていうんで、剣道部っていうのに入ったんだけど、これがもう、めちゃ弱。」
「? ガリ勉学校だからか?」
「んなことない筈なんだけどな。教練ってのか、武道とか体力作りも結構厳しいって聞いてたんだけど、なんかさ、ここの道場でやってたことに比べたら、お遊戯みたいで歯ごたえが全然ないったら。」
くくく…と喉を震わせて、柔らかく目許を細めて笑う、大好きだったいつもの顔。そこに居るだけでホッと出来る、もしかしたら………自分の半身。
「………。」
認めるのが癪で、やっぱり黙りこくっていると、
「心配すんな。夏休み中は、ずっといるからさ。」
「っ! 誰が心配なんかしてるかよっ。」
咬みつくように声を荒げてしまったものの。でもね、やっぱり、胸のどこかでほこほこと沸き立つものがあって。春からこっち、何だか浮ついたままだった気持ちが、やっとこ落ち着いたって気がした少年だった。
「師範が明日の朝から鍛練始めようかってさ。」
「げっ☆」
「お前、サボりまくってんだって? やっぱ、俺がいないとダメだな。」
「うるせぇよっ。」
◇
「…あ、こんなトコにいた。」
万策尽きたら大人しく、天命に任せる他はないとばかり。小道の脇の下生えの上、ごろりと横になってた少年船長さんや、むむうと膨れつつもむやみやたらと動かないという"迷子の心得"に従って、やはりその傍ら、倒木の幹に腰掛けていたベルちゃんとを見つけてくれたのは、黒髪も笑顔もそれは涼しい、仲間内で一番頼りになる航海士くんだ。
「休憩かい?」
「違うわよっ!」
落ち着きがある分、時たまテンポのズレた言いようをしないでもない彼の一言へ、キィ〜ッとキレんばかりの素早い反射にて言い返して来たベルだったが、
「だって、あと少しで船だってのにさ。こんなトコで何してんの。」
「………え?」
衣音が自分の肩越し、立てた親指で示した背後。茂みの向こうの小道の先には、
「あ…。」
茂みと梢という緑に縁取られたその視界の中、確かに自分たちの船を停泊させた入り江への入り口、岩場に連なる見覚えのある道が続いているではないか。
「何よ何よっ、これっ!」
再び憤慨するベルの傍ら、
「あれぇ〜、ホントだ。」
上体を持ち上げ、首を伸ばしながら呑気な声を上げる船長さんへ、
「…あんた、馬鹿っ?!」
直訳すると、人をおちょくるのもいい加減にしてよねっ!…というところか。きっちりと、これも再びの拳骨をお見舞いしてくれつつ、
「んもうっ。こんな薮っ蚊の多いトコに長居はごめんだわ。」
なかなか勇ましい"お宝鑑定家"のお嬢さんは、さっさと森を見限って、船までの小道へそのまま出て行くご様子。こんだけ逞しいのなら今後"護衛役"は要らないかもしれないねという、本人に聞かせたら…やっぱり水平線の彼方まで蹴り飛ばされそうな感慨と共に、足早に去ってゆくお元気な後ろ姿を見送ってから、
「なんだ、また方向が分からなくなってたのか?」
訊くと、
「まあな。」
ぽかりと叩かれた頭を擦りつつ、芝の上に胡座をかいたまま、少々不機嫌そうな顔を見せていた船長さんだが、
「…それだけってんでもないけどな。」
ぽつりと。そんな一言を呟いて。
「え?」
短すぎる一言の、意味が把握出来ない相棒くんに向かって立ち上がり、二の腕辺りを掴んで肩口を傍らの木の幹に押しつける。
「…つっ☆」
ガツンとぶつけはしたが、それが痛くての声ではないし、苦痛のお顔でもなかろう。濃色のシャツだから分かりにくいが、緑髪の船長さんがゆっくりと離しながら開いたその手のひらに移っていたのは…擦ったような赤い跡。
「海賊か?」
「………。」
訊くとそっぽを向く彼の、肘までのシャツをまくり上げ。簡単に巻かれた木綿の晒布の、新しく滲んだ紅の上に、自分の二の腕から解いた朱色のバンダナを重ねて巻いてやる。手当てにというよりも、目立たないように。
"…ったくよ。"
海軍や海上警察関係の臨検はそうそう恐れることはない。まだ海賊旗は上げてはいないその上に、子供しか乗ってはない船なのだし、何とでも言い逃れは出来る。だが、
「海賊たちには噂も広まってる俺たちだかんな。」
だから、目立たない場所へと船を係留していたくらいで、
「今朝から…いいや昨夜あたりから、そういう輩を見かけてたんだな。だから、先に一人で支度にかかるだなんて言い出した。」
それは気の回る相棒くんは、だが、時にやり過ぎることがある。相手の規模や事態の大きさによっては、船長さんに知らせるまでもないことと、勝手に断じて一人で片付けようとする。彼もまた、船長と同じ道場で、あのロロノア=ゾロからの手ほどきを受けた身だという自負があってのことだろうが。それが瑣末なことならともかく、小者でも海賊は海賊、人の命なんて何とも思ってはいないような外道が大半だってのに、
「お前の腕っ節は良く良く判ってるけどな。それこそ…いつもはお前が言ってることだろう? どんな相手でも何が起こるかは判らない。舐めてかかるなって。」
体術も得意で大太刀も見事に使えるが、一発必中、手裏剣のように投げつけて音もなく仕留める"小柄こづか打ち"の天才で、こうしてお迎えに来たくらいだから、きっちりと平らげて片付けはした彼なのだろうが、怪我を負うという誤算はあった訳で。
「俺んこと、馬鹿にしてんのか? お前。」
「そういうんじゃないよ。」
自分一人であっさり片付くと、そう思ったまでのこと。ほんの少し視線を外して、そうと言いかかった航海士くんの肩口を再び掴んだ船長さんは、
「………。」
今度は押しはせず、逆に"ぐいっ"と顔の間近まで引き寄せたものだから、
「あ…。」
予感を覚えて…。これはもう反射になってることながら、眸を伏せると。ぶつけるような勢いで、重なって来た唇が、だが、
「ん…。」
途中から…切なげに、相手の感触を確かめるみたいに。柔らかくなぞっては這う、を繰り返す。掴まれたままな肩が熱い。怒っているのか、それとも何をか確かめているのか。やや乱暴な口づけからは、ほんの数秒もなく解き放たれたが、
「俺もな、あんま、我慢強くはねぇんだよ。」
少しばかり。冴えた眼差しを眇めるように薄く細めつつ、間近になった相手の漆黒の瞳を覗き込む。黙ってられることと そうでないことと。ちゃんと気づいてるけど黙ってることだってあるんだぞと。お気楽な馬鹿だと思ってんなら用心しなと言いたげに、ちょいと挑発的な顔をして見せて、
「………。」
それから…まるで突き放すみたいに勢いよく、自分の側から身を離し、大股にその場から立ち去った船長さんであり。
「………。」
颯爽と歩み去る伸びやかな背中を見送りながら、
"駄々を捏ねたいけどそれが出来なくって、結局むずがってるガキみたいだよな。"
負けず嫌いな気性は一緒に鍛えた間柄。庇われたのが癪なのか、それとも知らぬところで怪我をさせたのが悔しいのか。本人もどっちなのかは判っていまい。翡翠石のように透き通った眸が、むず痒い何かに苛々と震えていて、それが透明な炎みたいにも見えて。ちょっとだけ懐かしい顔を見たなと、こちらも再び"くすり"と苦笑した衣音である。森の木立の緑の中から、青い空と海へとその背景が変わった途端、長いめに削いで刈られた彼の髪の緑色が、それは鮮やかに浮かび上がって眩しい。その頭が振り返り、
「何してる、早く来いよっ!」
迷子になってたくせにまあと、ぽかんとしてから苦笑し、そのまま軽快に駆け出して後を追う。意気軒高で結構。そうでなけりゃあフォローのし甲斐がないと、まだまだやわらかな造作の少年のお顔の口許を少しだけ。大人びた形に歪ませて笑った衣音くんだった。
〜Fine〜 03.7.28.〜7.31.
*カウンター93,000hit リクエスト
SAMI様『ロロノア家〜 中学生初めての夏休み』
*衣音くんが いない夏?…と言われておきながら、
しっかり帰郷してる彼ですみません。(汗)
いつものように駆け回るそのお隣りが
なんだか寂しいままに過ごした一学期だったんだろうなとか、
思考がそっちに行ってしまったみたいです。
*この衣音くん。
外見の勝手なイメージとして、
筆者は『ヒカ碁』の塔矢くんをイメージしておりますが、
いかがなもんでしょうか?(いや、聞かれても。/笑)
あと、実は"そういう"間柄だという設定の方は、
随分と前から立ち上がってました♪(ねぇ? SAMI様vv 久世様vv)
問題はどっちが"攻め"か、だよな。(おいおい)
*ところで、今回のお話を書くにあたって、
ちょいと過去のお話を読み返してみましたところが、
坊やが自分の出生についてを邪推してちょいとグレてしまうのが、
『サクラ、サク』では中学1年生にてとなっているのに、
先日書きました『お久し振りに…』では、中学2年生の頃となっている。
………どっちなんだ、自分。(笑)
あうう、やってしまってますねぇ〜。
坊やが海へと出奔する時期が曖昧なせいもあって、
きっちり決めてなかったんですねぇ。
今回は新しい方に合わせて"2年生"にしちゃいました。
(そ、そういうものだろうか?/ A^^;)
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