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日頃から家族の間に会話がなかったような、お互いへギスギスと冷たかったり、厳格にもお堅い家庭というのではなかったけれど。そういえば…このところは少しだけぎくしゃくしていたからね。それで話しそびれていたことを色々と持ち出して、他愛のない話題へひとしきり盛り上がり。焚き火を囲み、にぎやかなままに時は過ぎて。
「ふにゃ〜〜。」
お腹も膨れたし、さんざん笑って気持ちもはしゃいだ。屋外だから宵の暗幕の気配も間近になっており、そんなせいでか…相変わらずに“朝型人間”の奥方が一番乗りでこしこしと目許を擦り始める。
「お母さん、眠たいの?」
「ん〜、んなことないぞ〜。」
酩酊状態にありながら“まだ酔ってない”と強情を張る酔っ払いみたいな、利かん気な言いようをする童顔の母君に、やれやれと苦笑して立ち上がったのが父上で。椅子代わりの丸太にお嬢ちゃんと並んで腰掛けていた奥方を、ひょいと軽々、頼もしい腕の中へと抱え上げ、今夜そこに寝るつもりで昼のうちに拵こしらえた、丸太組みのデッキフロアの方へと運んでゆく。どっちが子供なんだかという稚いとけなさに、みおちゃんが思わず“くすすvv”と小さく微笑みながら、お父さんの大きな背中をうっとりと見送って。焚き火の中では薪が炎にはぜる音。傍らにさらさらと流れるせせらぎの声。そんな音が変わらずに響いているのに、ふっと。急に静かになった夜陰の刹那に。
「お兄ちゃん。覚えてる?」
「ん?」
「ほら。初めてシマさんのトコに行った時のこと。」
「…ん〜、まあ一応。」
ロロノアさんチの家事の切り盛り全般を取り仕切る、頼もしいお手伝いさんのツタさんのお姉さんであるシマさんが、子供らを連れて栗拾いや梨もぎに遊びにおいでってご家族を誘って下さり、子供たちには初めての旅行になった時のこと。まだ幼稚舎に通い出してもなかった頃だった筈で、10年? そのくらいに随分と昔の話だから。何となくの感触を思い出しかかっていると、
「あの時にサ、お兄ちゃん、シマさんに訊いたじゃない。」
「???」
「イチョウも栗も、お月様も。アケボノとは大きさが違うって。」
「…ああ。」
そうだった、思い出した。あの湯治の村にはそれは大きなイチョウの樹があって、まだまだ何kmも先からでもそれと判るほどくっきり見える、いい目印となっていた。村全体の屋根庇となるほどの見事な枝振りには、緑から黄金までの鮮やかなグラディエーションの下に、あの独特の形をした葉がたわわに茂っていて。雲ひとつなかった青い空の奥向き、遥か彼方の地平線の縁に見えた、そうまでの大きなイチョウに驚嘆した二人は、翌日の栗拾いで見た大粒の栗にもまたまたびっくり。大町のお土産の甘栗や自分たちの村で採れる小さめの栗しか知らなかったから、赤ちゃんの拳ほどもあった大きな栗に仰天し。そしてそして、その晩に、イチョウの木の枝の間から覗いていたお月様が、これまたあんまり大きく見えたので、
『この村では何でも大きいの? どうして?』
そんな風にシマさんに訊いて、おやおや可愛いねぇと笑われてしまったっけ。イチョウが大きかったのはそれだけの歳月が育んだもの、栗は品種の違い、そして月は、同じ視野の中に比較になるイチョウの枝があったから、中空にぽつんと浮かんでいるのより大きく見えただけだと。今なら、理屈は全部判ることだけれど。その頃はまだまだ小さかったから。見えたもの・見えたままなだけが“世界”の全てだった自分たちでもあって。
「…そうだな。」
どうしてそんな時のことを持ち出した みおだったのか。それに気づいて擽ったげに苦笑する。シマさんは小さな子供相手にちゃんと説明してくれた。
『あんたたちのお父さんやお母さん。優しくて楽しい人達だけれど、例えば道場の生徒さんから見ればちょっとは怖い師範なんだろ? お母さんだって、いざって時は頼もしいんだろ?』
同じ月が、同じ人物が、なのに違って見えるのは、見る人の側に理由や原因があるから。優しいお母さん、大好きなお父さん。魔海で闊歩する凶悪海賊たちに恐れられてたほど、それは強かった海賊王。家族を害するものは誰であれ許さんと、鬼にだってなる大剣豪。みおには“物静かで懐ろ深い”人が、自分には“何を考えているのだか判らない”超越者でしかなくて。自分が卑屈になればなるほど、捩じ曲がり 歪む心が否定を始めて。曲がっていたのは自分の方なのにね。父がいけないのだと思い込むようになってた狭小な心が、今となっては恥ずかしいばかりで。
『俺一人を前にじたばたしているようでは、小さいぞ、お前。』
先の一件が何とか落ち着いてから。久し振りに道場での手合わせをしてくれた父は、そんな風にぼそりと言った。
『俺が“大剣豪”とやらの座を得た年に生まれたお前が、もうそんな年齢トシなのだ。この俺自身が屈するような相手がそうそういるとは思わんが、それでもな。世にはどんな輩がいるやら判ったものではない。決死で噛みついて来て何とか並ぶことが出来るような奴ならば、案外とザラに居るのかも知れんぞ?』
海という荒らぶる世界から離れ、鷹揚に落ち着いた人性になっても尚、案外と自信家なままな、雄々しきところをちらりと覗かせるような言いようをしながら。視野狭窄になっていた長男坊の焦りを、淡々とした言い回しで窘めた父。
“………世界、か。”
父というたった一人と相対し、強固な“壁”のように感じて、じたばたと独り勝手に足掻いてた自分。あてどなく広大な海原に出て、未知なる世界と向かい合い、冒険三昧な日々を過ごしていた父と母と。境遇や時代や立場が違うというのはともかくも、もっと大きな差にやっと気がついた。彼らと自分では“器”というものが根本的に違うのだなと改めて思い、そして…何事かを腹の底、転がし始めた少年でもあった。
――― さわさわと谷を渡る風の音。さあさあと流れるせせらぎの声。
林の方からはフクロウだろうか、低い囁き。
間近い茂みからは、涼しげな虫の声。
濃藍の夜空に蒼い月、真珠色の月光。
故郷である山野辺のこの風景を。
忘れないと、漠然と思った。
◇
じっとりと蒸すような暑さに、とうとう我慢ならなくなったか。潮騒の中、ポカリと目が覚めて“う〜…ん”と唸る。うとうとしていた段階で、衣音が何か言ってたな。こんなトコで寝てるんじゃないと。火傷しちまうとか何とか。
“何が火傷だよ、ちゃんと日蔭になってんじゃんか。”
自分を覆う黒々とした日陰を、頬をくっつけていた その横手、ぬるい甲板に見やってから。
“………日陰?”
ちょっと待てと思考が立ち止まる。自分は上甲板の上に居た筈で、マストの陰がこうまで長く伸びて来たことは一度もない。グランドラインは位置的に赤道直下に間近い緯度を走る航路だからで、よほどの明け方か、逆に夕暮れでもない限り、いくら高さを自慢にするよなマストであっても、ここまでの陰は伸びない筈で。
“じゃあ、この陰って…?”
まだどこか、上瞼を下瞼に執拗なまでに引き留めようとする睡魔の力が強かったのだけれども。頑張って視線を床とは逆方向へと引っ張り上げてみれば。
“……………。”
大きなビーチパラソルを開き、その柄を甲板に押し付けるようにして支えるべく、背もたれのない簡素な椅子を持ち出して肘を乗せて凭れかかって。衣音がすぐ隣りに腰を下ろしてる。スタンドで立てては高すぎて、それと…出来る陰も小さくて。甲板で転がってる船長さんの体を覆い切れないものだからと、こんなややこしい姿勢を取って頑張ってくれてたらしくって。
「おはよ。」
「……ん。」
すっきりと整った面差しが、ツンと見下ろして来る。秀才肌の、一見“清楚な美少年”風だが、自分と馬が合う奴だけに、中身と言えば…。
「…っとに言っても聞かない奴なんだからな。
赤剥けにならないで済んだんだ。ありがたく思えよ?」
「へ〜い。」
細かい気配りをしてくれた上で、容赦しないでつけつけと言いつのる。母親とかお姉さん向きな こういうとこも、なんか みおに似てるよな、こいつ。本人に聞かせたなら やっぱり殴られそうな、そんなことを思いつつ。起き上がりながら…顔の上半分に目一杯しわを寄せ、下半分を延ばせるだけ延ばしての大あくびを“くぁ〜〜〜っ”と一発。
「舵はどうなってんだ?」
のんびり訊くと、椅子の下に…これも重し代わりに持ち出したらしきバケツの水につけてた、飲料水のビンを少年へと差し出しながら、
「ログ連動器でうまく運んでるみたい。」
異常があったら呼んでとベルに言い置いてあると、背後を肩越しに振り返る。背後には中央キャビンの戸口が、斜めになったパラソルの縁からギリギリ見えており、そこには陽射しを嫌ったベルがいる。キャビンの中にある舵には、特別製の自動航行装置が仕込まれてあり、細かい仕組みは…少年はよく知らないが(おいおい)羅針盤状のそれをくっつけられた特製ログポースの指針に従って、自動的に舵の安定が保たれるようになっている。もしも指針から大きく外れればそれなりの警告音が出る仕組みもついており、この船を造ったウソップさんは、一人二人なんていう まずはあり得ないほどの最少人数でも航行が可能なようにという仕掛けを、他にも色々とくっつけてくれていて。でもでも、それらを知り尽くしているのは衣音の方だし、航海士としての知識は勿論のこと、料理の腕も裁縫の腕も、少年よりも遥かに上。それでも少年の方が船長であり、彼の根拠のない決断に、時折は胡散臭げに目許を眇めつつも…衣音が強く逆らったことはない。
「…………。」
「…んだよ。」
まだ少しほど とろんとした眼差しで、間近になった黒耀石の瞳を見やる。いつも傍らにいてくれる大切な相棒だけれど、結構ぞんざいに扱ってるよなと、何でか…夢見のせいでか、あらためて思ってしまった少年で。あまりに間近にあると気づかない価値というのは結構あるもの。あの両親がどれほどの猛者たちであったのかは、海に出てからあちこちで聞いた。噂に伝説、実際に接した人たちからの歓待と思い出話に、元仲間だった…やはり物凄い人たちの懐かしげな語り口。あまりに若かりし頃に、途轍もない冒険をやり遂げた英雄たちは、すぐ傍らにいた時に感じていたよりも、想像を遥かに越えるほど大きく偉大で。そんな二人を果たして越えられるもんだろかと、自分でも怪しくなったりもして。
“何せ、決死の覚悟で噛みついて来たって、
俺にさえ勝てないよな奴にしか出会ってねぇし。”
物の定規が“大剣豪”だという彼らも…結構あんまりな判断をしているようではあるが、それでもね。それを越えようというのだから仕方がない。まだ海賊旗を掲げていない“無印”なのが却って功を奏してか、海賊どもの強襲には事欠かず。最近ではその“無印”なのが…不用心そうに見せといて、逆襲に転じては物品を巻き上げる“悪魔っ子たちの船”だという(おおう)逆看板になってるんじゃなかろうかというほど、小者たちからは牽制されつつある航海だったりするもんだから。せめて今の段階の自分が“こいつを越えたい”と思うほどの危機感に触れなければ話にならんと、胸の底にてじりじりすることもなくはないけど、その代わり。毎日何かしらの騒ぎが必ず起こるし、衣音やベルとの喧嘩もたまにして。うん。結構 叩かれて、少しずつながら練られてはいるみたいかな? 一足飛びには強くなんてなれない。でも、独りでじたばたしたってしようがない。
“鈍りそうになったら…こいつが居るしな。”
甲板の上、腰の辺りへ後ろ手に突いてた、衣音の綺麗な手を何とはなしに見下ろして。
「なあ。」
「ん?」
「次の島で宿取ったらさ。」
「うん。」
「久々に しよっか? あ、上か下かは、また“勝負”で決めようぜvv」
「…こんの馬鹿ヤロが。///////」
唐突に何を言い出すかと殴られたが、これもまた いつものことで。平和安泰なんだか、今に途轍もないことが迫り来る前の静けさなんだか。とりあえず、少年たちの航海は今のところ順風満帆なご様子である。ちょんっ
〜Fine〜 04.8.12.〜8.19.
*カウンター 147,000hit リクエスト
にゃんこ様『ロロノア家Ver.で、家族旅行のお話』
*坊やの例の反抗期後に、家族そろってどこかへ行かれたお話ということで、
ああ、そういえば“ロロノアさんチ”のお話も久し振りでしたね。
子供たちが大きくなったり小さくなったり、目まぐるしいシリーズですが、
皆さん、ちゃんと把握してらっしゃるんだなあ。
ありがたいやら、擽ったいやらで、
オリキャラの子供たちまで可愛がっていただいてて、本当に嬉しいです。
(その割に…何だか説教臭い話になってすんませんです…。う〜ん)
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