ジレンマと地団太 @

        〜ロロノア家の人々・外伝“月と太陽”より
 


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 周囲に広がる広い海の何に頼るでないぽつんとした有り様は、見様によっては"絶海の孤島"と言えないこともない。取り柄がなければ…地図の上のみならず、実際に目にしていてさえ通り過ぎてしまうかも知れないような、小さな小さな島である。昔はというと、観光資源も何にもない、補給基地と呼ぶほどに港や何やも全く整ってはいなかった、牧畜や農業中心の自給自足態勢の村が1つの、やはり小さな小さな島だったという。今でもその"小さな小さな"という大きさには変化はないが、随分と拓けてにぎわいが増した。丘の上の優美な屋敷は改築されて診療所となり、遠方からそこへと通う人々を乗せた船が、一番近くの都会島から定期船として就航するようになってもう何年になるのか。それ以外の遠方からも、救いを求める人々を乗せた船は続々とやって来る。長期療養が必要な人のための宿泊施設も何棟か建てられて、だが、さほど大きな様変わりはない。この、穏やかでのんびりとした環境が壊れては意味がないからだ。よって、大々的な宣伝もしてはいないし、患者たちは口コミだけでやって来る者たちばかりな筈なのだが、それでも…彼らが滞在する間の食費や宿泊費、手間賃などとして落とす財源で、村は一頃の数倍は豊かに潤っている。

  ―――どんな難病でも癒してしまう奇跡の療養所。

 その筋ではそうと呼ばれている、無名だが有名な、小さな小さな診療所。その存在が、この小さな小さな島をこっそりと変えたのだ。



 こりこりと。小さな蹄を合わせるようにして取っ手に乗せた円盤型の摺器を前後させると、瀬戸物の薬研
やげんの中で乾かした薬草が少しずつ摺り潰されてゆく。木の実、木の根、貝殻、鉱物、動物のエキス。ちょっとだけ化学薬品。色々な原料を、煎ったり漬けたり炙ったり溶かしたり混ぜたり遠心分解したり。その上で配合されて作られる治療薬は、急な症状を有無をも言わさず抑えるものから、人が本来持つ治癒力にやさしく働きかけるものまでと多種多様で、どれもよく効くと評判だ。村が拓けたお陰で、遠くからやって来る人や船に頼めるようになり、原材料には困らなくなった。それは大いに助かるのだが、ちょっとだけ忙しくなったのが大変かもなというところ。村の若い人々の中には看護士を志す人も随分と増えて、このままでは牧歌的な村のカラー自体が少ぉし変わりかねないのが少々痛し痒しだなと、昨日のお茶の時間にやって来た村長さんが、どこか苦笑混じりに話していたっけ。
"………。"
 気のやさしい、穏やかで明るい村人たちは、最初こそびっくりして遠巻きにしていたが、子供たちがすんなり懐いたのを皮切りに、この風変わりなトナカイドクターにも"お友達"としての友好を結んでくれた。デフォルメされた縫いぐるみを思わせるような、愛らしいムクムクの姿は、だが、それが意志を持つ生身の生き物だとなると奇異でしかない。人の言葉を理解し、それどころか人より優れて聡明で博識。しかも、トナカイそのままな姿や大男にも"化けられる"とあって、これを何の抵抗もなく受け容れられるような頭の柔軟さはそうそう誰にでも求められるものではない。とはいえ、媚びるでない、卑屈になるでない、自然に顔を上げて過ごすやさしくて自負に満ちた立派なドクターだとの理解は、割と…そんなに時間も掛かることなく村人たちにも浸透し、今では優秀なお医者様として、また、いざという時の立派な"男手"として頼りにされている。
"………んん?"
 あれから十年以上も経って、もうすっかり大人になったのに、小型トナカイ形態の時は相も変わらぬ縫いぐるみのような愛らしい姿。その彼の青い鼻先が、ふと、ひくひくと動いた。薬の匂いと潮の香りと。調合室の窓は作業中なこともあって締め切られていて、他の匂いは一切しない筈なのだが。
"何だ? 何の匂いだろ。"
 具体的な匂いではないような気もした。確かめようとすると、何の感触もない。
"何だろ、何だろ。"
 気になって、気になって。頭の中にあった調合表もどこかへ吹っ飛んでしまったくらいだ。
"気になるな、このざわざわ。"
 最近、これと同じような"ざわざわ"を体験したぞ。そう思って目を瞑る。何だったけ。新しい薬草の匂い、いや違う。先週届いた古い図版の匂い、いや違う。陽溜まりで笑うルーイの匂い、いや違う。…違うけど、ルーイ…、
「あ…。」
 頭の中に浮かんだのは、味も素っ気もない一通の茶封筒。それだっ、と、閃いたそのまま、立ち上がった彼の周りで、試験官や摺皿、乳鉢などが派手な音を立てて引っ繰り返ったのだった。


「ウソップっ!」
 ばたばたと階段を降り、明るい中庭へと飛び出す。シーツや晒し布などのリネン類を干し出して、その大判の旗々をはためかせている広い庭の一角。
「あん? どした、チョッパー? 静かにしろよな。ルーイが起きちまうだろうが。」
 若い緑を鮮やかに浮き上がらせている芝生の陽溜まりに、お手製の天蓋つき揺り籠を出し、そこに眠る愛娘を起こさぬようそっとそっと揺らしていたのは、かつての大冒険やその折々の勇姿を語らせれば右に出る者はない元狙撃手だ。入院中の、そして村に住む子供達から、いつも夢一杯のお話をしてくれるおじさんとして、途轍もない人気を博してもいる。
「ウソップっ。」
 パタパタとかけて来た小さなドクターはじたばたと手足を振り回す。何とももどかしげで、だが、妙に愛らしくてついつい苦笑していると、
「来たんだ、来た!」
「何が? 重症患者でも来たのか? カヤなら往診に出てるから、お前が診てやれよ。」
 今更彼が白衣を着て現れても、驚く患者はそうはいない。島外からの来訪者であれ、彼こそが"名医"であると判っていてやって来るのだから、驚いてどうするという順番だろう。だが、そうではないらしく、チョッパーはもどかしげに"たんたん…っ"と足元を踏み付けた。
「そうじゃなくってっ! あの子だよ、来たんだよっ! ゾロからの手紙、ほらっ!」
「………え? もう、か?」
 やっと話が通じて、だが、辺りをキョロキョロと見回したウソップだ。
「どこに。」
 静かな中庭には彼らの他に誰の姿もないし、今は昼の休診時間で、看護士たちも入院患者の世話の方に追われている。
「表から来たのを待たせてでもいるのか?」
「ち〜が〜う〜。」
 ウソップの暢気な反応へ、どこか焦れったげにブンブンと両腕を振り回し、
「港だよ、港。あの子が乗った船が港に着いたんだ。」
 ちなみに…此処は見晴らしのいい丘の上にある診療所で、島の中央の、港から一番遠い場所にある。
「港は遠いのに…判るのか?」
「ああ。匂いがするからな。」
 さして難しいことではないと言葉を返すチョッパーであり、
「相変わらず乳臭せぇのか?」
「ん〜ん、そうじゃない。でも、懐かしい匂いで、すぐ判ったぞ。」
 真ん丸な瞳をパチパチと瞬かせて、小さなトナカイドクターはそれは嬉しそうにそうと告げたのだった。


        ***


「おんや? どした、チョッパー? お前、次は朝の当番だろうが。」
 赤ん坊は胃が小さいから3時間置きの授乳。もうだいぶ育っている子たちだから、そこまで間隔は短くないが、それでも大人並みの"一日3食"では到底間に合わないため、ミルクとおむつ替えとのため交替で傍らについている。最初の数日は"母親宣言"を勇ましく?やってのけたルフィが24時間態勢でついていたのだが、あのタフな船長でさえ寝不足でダウンしかかり、よっしゃ任せとけとばかり、他の面子も加わっての交替制となった。その母御とついさっき交替したばかりなシェフ殿が、温めた哺乳瓶を2本、器用に片手で持ってやって来たのは、以前は"医務室"として使われていたところの"育児室"だ。ウソップ謹製のベビーベッドにそれぞれが寝かしつけられている幼子を、一生懸命の背伸びで覗き込んでいる小さなトナカイくんの姿に苦笑して、
「とっとと寝とかねぇと、もたねぇぞ? んん?」
 ちなみに、この当番は二人一組だ。何しろ相手は双子で、ミルクもおむつもほぼ同時。育児なぞ不慣れな彼らが一度にかかるには、どうしても二人分の手が要るという訳で。この時間帯はサンジとウソップが当たることになっている。チョッパーは夜が明けてからゾロと組んでの当番な筈で。

 *ここまで書いてて気がついたんだが、
  ニコ=ロビン女史が加わってたら"ハナハナ"の能力で
  結構手伝ってもらえたかもしんない。(おいおい)
  いくら才女でも育児は専門外だろから、無理かな? やっぱり。
(笑)

「うん。それは判っているんだけれどもな。」
 小さな命。やって来た方法は少々奇抜だったが、それでも愛らしく無垢な魂には違いなく、この、ふわふわでか弱くて可愛らしい存在たちは、小さなトナカイドクターの視線を奪ってどうしても離さない。


 自分は生まれ落ちたその時に親から見放された存在だった。冷たいと、非情だと思うかもしれないが、それは厳しい自然界で生き抜くための当たり前な定めだ。どこか奇異なものは疎まれる。飛び抜けて目を引いてしまう特徴は、外敵からの好奇心をも引き寄せ、狙われて危険だから、これも弾かれる立派な理由。群れを生き延びさせるため、種を保存するための、一種のホメオスタシス。だが、もしも…どんな困難にも重圧や苦難にも耐えられたなら、今度は逆に、その"奇異な存在"が旧種を駆逐、若しくは塗り替える側の存在になる。それこそが、彼
のダーウィンが説いた『進化論』の"自然淘汰"。新しい世代にふさわしい存在として生まれ落ちた、強くて優秀な種だ。
さて。では、人間はどうだろう。猿人、原人に始まった昔々に比べれば、姿や機能は随分と進化したのかもしれない。脳の部位と容量が増え、姿勢や体格が変わり、文明を得て生態もどんどん変わり、あらゆる環境への適応性と、発情期を限定しない無節操な繁殖力
おいおいによって、人間はこの地球という惑星をすさまじい勢いで覆い尽くした。文明の利器による画期的な便利グッズの浸透の恩恵もあったが、それだけでなく、人間という種族がいつからか"自然な生き方"から大きく離脱していたせいもある。哺乳動物の寿命は、大体、その心臓が15億回鼓動を刻んだ頃だというのをご存知だろうか。小さな生き物は鼓動周期が短く、大きな生き物はその周期が長い。ハムスターなどは数年が寿命で、鯨や象は何十年と生きる。では、我々人類…人間はというと、1分間に70回の鼓動だとして、41年で15億回を越えてしまう。だが。今現在の平均寿命はその倍に近く、顎の骨格が固まってから生えてくる"親知らず"も、今では親のいる間に十分間に合うようお目見えしている。(昔は、生えた時にはもう親がいなかったから、こういう名前になったそうな。)姿の変化も、原人から旧人、新人類に進化した時と違い、どんどんか弱い姿へ、言わば"退化"しているという。なぜこんなことが起こったのか。"社会"という巨大な連帯により、個々人の能力をはるかに超えた生命力を持ってしまったからだ。自然界においては、弱い者は捨て置かれるのが、非情だが常識だ。老いた生き物はただそれだけで生きてゆけなくなる。肉食獣なら獲物を取れなくなり、草食獣なら天敵から逃げ果せることが出来なくなるからだ。基本的に、自分の命を自分で守れないものは淘汰されるのが自然界の当たり前の掟。あまりに幼い、生まれたての時期は別だが、それが群れで生きる性質のものであれ、他の個体が庇ったり補ったりする例はむしろ珍しい。(類人猿のボノボや犬科のリカオンなど、全く例がない訳でもない。)ところが、ヒトは弱い者を強い者が擁護する。具体的な体力・腕力の話に留まらず、例えば、年老いた者を若い者が支える"社会制度"が存在したりする。厳しい自然環境下で、人は知恵を積み重ね、経験を蓄積して、生き延び、繁栄した。それは…体力馬鹿ばかりでは成し得ることが出来なかったこと。(おいおい/笑)科学技術から権謀術数まで、ヒトは知恵という道具で繁栄したのであり、それを伸ばしたのは、体力には自信のない読書好きだったり、人生の先達者だったりした訳で。勿論、精神世界の崇高さもあっての助け合いであると判ってはいるのだが、敢えて形而下学的な言い方をすれば、ヒトは『弱肉強食』という"自然な"生き方から逸脱したことでこうまで繁栄したのである。

  ………何か、話がえらく逸れましたね。
おいおい

 不自然な生き物として生まれ落ち、親からも見放されたが、それでもこうして雄々しく生き延びている自分。だから、という訳ではないが、生まれるということはなんて素晴らしいことなんだろうと思う。卑屈さも皮肉もない、純粋な気持ちからそう思うチョッパーだ。生まれることでこの世に現れた存在。新しい命。それだけで物凄い奇跡だと思う。この、小さな2つの命も、どこからやって来たのかは判然としないままだけれど、今ここに居るのは間違いのないこと。
"良かったな、お前たち。お前たちのお母さんは、凄っごく頼もしい素敵なヒトだぞ? お父さんも、やさしくて強くて頼りがいのあるヒトだぞ?"
 ふわふわと小さな二つの命。チョッパーには愛しくて堪らないのだ。他のことでなら一線級の者たちから、不慣れで不器用ながらも懸命な祝福をそそがれている愛らしいこの子たちが、泣き出したくなるくらいに可憐で切ない存在が、心の底から愛惜しい。
「ほら。早く寝ろって。」
「うん。でも、もうちょっとだけ。」
 小さな者同士のやさしいひととき。サンジは小さく微笑うと、なかなか現れないウソップを見て来るからと言い置いて再びキッチンの方へと席を立つ。もう一人分、蜂蜜を垂らしたホットミルクを作るために…。


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