ジレンマと地団太 A

        〜ロロノア家の人々・外伝“月と太陽”より
 


          



 道場に居合わせはしても、立ち合いは滅多にやらない。だから、ひょいと気まぐれのように剣を交える機会があったりすると、別の時間帯の級へ通う者や、家事に勤しんでいた門弟の衆までもが、声を掛け合ってバタバタと道場まで集まってくる。決して大仰なことではない。そうまでして観るに値する立ち合いだからだ。それらの注視の只中、
「………。」
 常の無言で道場の板張りの床を音もなく歩み、中ほどまで進み出て、蹲居の姿勢。まるで静謐の中へと溶けたように気配を消して、だが、
「…始めっ!」
 すっくと立ち上がると、たちまち立ちのぼる威圧と重圧。鋭くて、だのに肉厚な、その存在感。日頃の寡黙さを一気に解き放つような重厚さと迫力にあって、
「………。」
 相手が一瞬、射竦められるのが判る。その隙を、だが、見逃してやり、正眼の構えのままにしばし間合いを"タメ"てから、
「………。」
 すすっと木刀の先を誘うように引き上げると、つい、引きつけられて踏み込んで来る対手。それをそのまま…切っ先同士が見えない糸か何かでつながってでもいるかのように釣り込んで、
「…っ!」
 後は一瞬。傍目にはほんの僅かにちょいと振られただけな木刀の動きに、誘い込まれるように進み出た青年が、はっと我に返った時はもう、相手の間合いの中で"どこからでも打ちすえて下さい"という無防備な立ち位置にある自分に気がつく。そして、
「…っ!!」
 カシ…ッ!と堅い音が響いた。握りの近くを打ちすえられ、その衝撃に取り落とされた木刀が板張りの床へと転がり落ちて耳障りな音を立てる。くるりと返された木刀の切っ先は、既にあっさり、相手の喉元へと添えられている。
「…それまでっ!」
 全てに要した時間は30秒もなかっただろう。剣の閃きに至ってはほんの一瞬。だが、対手にも、そして見ている側にも、それは"刹那"という一刻の中での"無限の刻"として感じられた。刹那の出来事だのに一つ一つの呼吸も展開もきれいに克明に辿れた。だのに、気がつけば行きも戻れも出来ぬ間合いの中へ畳み込まれている不思議。そして、
「………。」
 軽く頭を下げる会釈をした途端、あれほどの存在感が、ふいっと掻き消える。感情を乗せぬ闘気なればこその自在な制御。だが、この師範ならば、例え…命をやり取りするような真剣勝負の最中であっても、このくらいの気の制御は容易いのだろう。



「…凄いよなぁ。」
 高みに繰られた連子窓に取りついて、やはり覗いていた二人の少年がいる。中庭との境に連なる生け垣の間際で、下手をするとそのまま錦木の垣根を踏みつけてしまうため、まず滅多にこの場所に取りつくギャラリーは他にはいない。だが、片やは当家の長男坊であり、もっと小さい頃からいつもいつも遠慮なくここから覗いていて、言わば彼らにとっての"指定席"だったりする場所だ。
「強いよなー、おじさん。」
 感に堪えたようにそんな声を洩らしては、やたらと感心している幼なじみへ、
「………。」
 何とも答えず、ぴょいと先に飛び降りた。
「…? どした?」
「別に。」
 不貞腐れた声だと判って、衣音は少しばかり肩を竦めた。何に拗ねているのだか、滅多にあることではないが"不愉快です"という感情を乗せた様子の彼で、
「それよか、お前、大町の学校はどうなんだ?」
 急に話題を変えて来る。
「どうって、別にどうもしないさ。」
 続いて飛び降りた衣音はにっこりと笑った。
「専門学科の多い学校だからな。皆、自分のやりたいことに集中してる奴ばっか。そんなせいでかサバサバしたもんだ。」
 この春からめでたく中学生になった彼らだが、小さい頃からずっと一緒だった衣音が不意に町の学校への進学を決めた。初めて離れて過ごした一カ月を経て、春の連休にと帰郷した幼なじみは、何はともあれと遊びに来てくれたが、
「…友達、いんのか?」
「まあ少しは。」
「なんだ。友達いなくて、休みの度に帰って来てんのかって思ってたぞ?」
「馬鹿にすんなよな。」
 からからと笑って、だが、
「でもな、お前みたいに面白い奴はいないかな。」
「…何だよ、それ。」
「だからさ。俺が休みの度に帰ってくる理由ってやつ。手紙一本寄越さんからさ、帰って来てんだぜ? わざわざ。」
 それでもこれまでの週末に会えないままだったのは、少年の方が何かと忙しいらしくで捕まらなかったからのこと。そんな言いようを、だが、ふんっと鼻先であしらうように取り合わず、
「嘘ばっか言ってんなよな。洗濯物、ごっそり抱えて帰って来るって、おばさん笑ってたぞ?」
 元気で腕白、無邪気な暴れん坊。外見は物静かな父に瓜二つなほどそっくりだのに、中身は快活な母御に似た少年だと誰もが言うが、そのどちらとも似つかずに…ホントは甘えただと知っている。芯が強くて大胆で向こう見ずだが、結構責任感はあって、人の面倒見もよく、妹や下級生たちにも慕われている。こうと並べると何とも頼もしい彼だが、伊達に長いこと朝から晩までを一緒に過ごして来た訳じゃあない。
"…でも、そんなことが理由じゃなさそだな。"
 一番の仲良しが遠くへ行ったからと拗ねるほど、そこまでウジウジした奴じゃないし、自惚れるつもりもない。楽しいことを探すのが得意で、幼い頃の様々な"ごっこ遊び"に始まって、厳しい剣術の練習も、退屈な勉強でさえも、彼にかかれば何かしら面白いものとなった。
『じゃあ、明日までにこれ覚えんの競争な?』
『ああ。読み方間違えてもつっかえても減点だかんな?』
 負けず嫌いなところが何事にもついつい顔を出す彼で。そんなお陰で文武両道、図らずも成り立たせていられた彼らではあったが。
"電話一本くれないもんな。"
 最初は面倒だからだろうと思っていたが、相談さえしなかったから怒っているのかなとも思った。そんな心配がふと浮かぶのは、自分の方こそ会いたいと思ってるからだろうと、週末毎週戻っていたにも関わらず会えなかったものだから、連休に入った途端の帰省は彼に会うのがメインのものとなった。相変わらず、友達は山のようにいるらしく、何か校外学習の集まりかと思ったほど、神社前で集まってた十数人もの学生服の中、
『じゃあな。』
 彼が手を振って場から離れると、その黒山はあっけないほどさわさわと四散したのが見事だった。剣術のクラスの、そして学校の同級生たちの全てが、相変わらず、彼とは屈託なく仲のいい奴らばかりなのだろう。人を惹きつけてやまない何かを自然なものとして身につけている、天真爛漫な少年。
"…血筋なのかな。"
 屈託のない無邪気な母御も、寡黙だが存在感のある父御も、人の眸や関心をついつい寄せるようなところのある、魅力にあふれた人物で。そんな双親どちらの直系なのか…恐らくは父御の方の血を引き、あの母上に育てられた少年もまた、自然と人を集める気性を得ている。彼を中心に集まっていた顔触れの中には、自分の全く知らない者も少なからずいて、頼もしいと思う反面、多少は寂しいものを覚えないでもなかった。ともあれ、
"…俺が理由じゃないらしい、か。"
 父親似のかっちりと鋭角的な面差しは、憮然とした表情を浮かべるとどこか恐持てさえして。だが、そこに"拗ねているような"という気色を読み取れる自分であるのが少々くすぐったい。お守り役はしばらくお休み。そうと決めての進学だったのだが、離れてもなお、こうまで気になるとは。これも人徳ならば大したものだと、自分の進路をこの早い時期に決めさせた"将来の船長
キャプテン"に、こっそりとした苦笑が絶えない衣音でもあった。


←BACKTOPNEXT→***