ロロノア家の人々
     
朧月夜  “Tea time”より


 まだ十代という若い身空で、偉大で器の大きな海賊王となった母を、結婚することで陸へつなぎ止めてしまった父だ…と、長男坊は『Family』の中で回想していたが、それを言うなら…。
『…俺、腹を斬らなくちゃいけないのかな。』
『んん? なんでだ?』
『だってさ。ゾロ、ずっとずっと海に居たら、もしかしてもっともっと強くなれたかもしんないじゃんか。』
 こちらもまた、その至高の座に就いたばかりの世界一の大剣豪を、自分に付き合わせたことで、小さな田舎の名もない道場の師範にしてしまったのではなかろうかと、そこはやっぱり…いくら能天気なルフィであれ気にもする。何しろそれはゾロの生涯を懸けた夢であり野望であり、いつ何時"敵"が斬りかかって来るやも知れぬ、気の休まらない修羅の道ではあるものの、なればこそ、精進すればしただけ極められ、いくらでも高みへと駆け上がれる無限の道でもあったのに。だが、
『ば〜か。』
 年若き大剣豪はくすんと笑うと、伸ばした指先で伴侶の丸い額をちょいと突々いた。
『これは自分で決めたことだ。お前に左右されたからっていう順番じゃねぇ。それに、直接刃を合わせる相手が始終いなきゃどうにもならんような情けない大望なんて、こっちから願い下げだっての。』
 気にすんなと笑ってくれた、豪胆でやさしい夫だったとか。


        ***

 小さな村の名もなき剣術道場…は、ほんの数年で、物理的な規模こそ変わらぬままながらも、気がつけば国中から、いやいや世界中からの挑戦者や修行志願者を集めるほどの、その筋での"大道場"となっていた。その筋といえば、大剣豪には様々な噂が流れてもいて、奥方にまつわるものもたんとある。一番有名な説が、グランドラインでの航海中に海王類から助けた絶世の美女を、国を賭けての大勝負の末に勝ち取って妻にした。彼女は実は名のある大国の姫君だそうな…というのがあるのだとか。
「…ふぅ〜ん。じゃあゾロはビビと結婚したことになってるんだ。」
「なんでそうなるんだよっ。」


 それにしても。田舎だと馬鹿にする訳ではないが、何故にまた"男同士の夫婦"を村人たちはさほど奇異の目で見ないのだろうか。世界政府さえ庇っている節がある彼らだと知っていて、海賊や暗殺者たちから身を隠すための小細工なんだろうと解釈してのことだろうか。それとも隣村の大師範がこれもまた根回しをして下さったのか?
「あら、知らなかったの? ここの神社に祠られているのが、それはそれは仲の良かった男の神様同士だったからよ。」
「へ…?」
 キョトンとするルフィへにっこりと笑ったのは、居酒屋"えるど"を切り盛りする若女将のサミさんだ。(またまたご登場願ってしまって、相すみませんです/汗)
「本当に神話の神様なんじゃなくって、そりゃあ随分と昔にここいらを拓
ひらいた、実在の人のことらしいんだけどね。一応"縁起"に記されてる通りに説明するなら、ここの神社に祠られているのは大太刀の使い手だった若い武神様で、腕っ節も強かったし、人望も厚く、人々からたいそう慕われてらした。そして、それはかわいらしい幼い男の子の神様をいつも傍らに連れてらして、それはそれは大切に愛惜しんでいらしたの。けれど、狩りの途中の不慮の事故で亡くしてしまわれて。深い悲しみが消えなかった武神様はそのまま生涯を独身で通したそうで、亡くなってからは二人揃ってここの神社に祠られたんですってよ。」
「ふぅ〜ん。」
 感心したような声を出したルフィが、
「ゾロは知らなかったのか?」
 キョトンとした顔で傍らの伴侶を見やったのは、彼がこの村出身だから。とはいえ、
「ご主人は、物心ついた途端くらいに隣村の道場に入り浸りになったそうだからねぇ。ほとんど一日中、剣を振るってばかりいたそうだし、しまいには住み込みの門弟さんになってしまったそうだし。」
 そんな小さな頃なら、成程、神社の由来だの縁起だの、知らないままでも無理はない。言われてみればもっともな話で、
「なぁ〜んだ。」
 ルフィも合点が行った様子。おだしに色よく馴染んで、味のよく染みていそうな煮物やおひたしの盛られてある、趣きある焼き物の大鉢が幾つも並んだ、よくよく使い込まれた分厚い一枚板のカウンター。その席へ並んで腰掛けている馴染みの若夫婦を前に、赤いたすきで手繰られた着物の袂
たもとを更に肘のところで軽く押さえながら腕を伸ばして、女将さんは五合以上は入っていそうな大きな桝ますの新しいのを"ほい♪"と上背のあるご亭主の前に出し、
「まあ、それだけが理由ではないと思うけど。」
 二人を見比べて"うふふ…vv"と微笑う。女将さんお手製のひろうすの煮付けにぱくついた奥方が、
「んん?」
 小首を傾げるのへ、にっこり笑って見せて、
「だって、悪い人じゃないんですもの。見ただけでも、それは分かるわよ。」
 すっかりと馴染んだ今現在は言うに及ばず、この当地へとやって来たばかりの若かりし5年前も。飾りっ気のない素直さと底無しの溌剌とした闊達さとできらきら輝いてさえ見えた無邪気な奥方と、その奥方のやることなすことへ、日頃の…研ぎ澄まされた刃のようにも見える厳格そうな雰囲気と無口さを補って余りある、それはそれは惚れ惚れとするほどの男ぶりでついつい苦笑いをなさるご亭主は、夫婦そろって只者ではなさそうな風情を持っていながらも根本的なところでたいそう人懐っこくて。骨惜しみをしない働き者で、子煩悩であるというだけで、もうもう村人たちには充分受け入れられていて。しかもその上…動乱の時代である余波が本当に時折こんな鄙びた山村にまで寄せて来ることがあって、どこやらから落ちのびて来た野盗やどこやらから権勢を延ばして来た胡散臭い無頼の集団などなどの襲来を幾度となくあっさり追っ払ってくれてもいた。まさかにその点だけを打算的に解釈・把握し、村の"用心棒"と見ている訳ではなかろうが、それでも頼もしい一家には違いない。そういった経緯もあって、村の住人たちもそうそう彼らを…遠巻きにしたり爪弾きにしたりという根の暗い扱いにしたりはせず、むしろ村に活気を吹き込んでくれたありがたい若夫婦だと認識しているのだと言いたいらしい。
「…あら、早いわね。新しい樽、開けなくちゃね。」
 くい〜っと見事な飲みっぷりで桝を空けたご亭主に気づいて、女将さんはくすくすと笑う。航海中はロンリコだのズブロッカだのといった度数の高いものや、中身とビンと、絶対別物だろうと疑って間違いのない、怪しい密造酒なぞにも馴染み深かった、無茶な飲み方をしていた剣豪も、腰が落ち着いたせいか、良い酒を味わって飲むようになった。だが、量的なものにはさして変化はなく、この居酒屋『えるど』さんでも"ボトルキープ"ならぬ"大樽キープ"をしている始末。
(笑) 調理場の奥から、大ぶりの行平鍋ほどありそうな片口に大吟醸を酌んで来た女将だったが、
「あ、ほらほら。口の傍。」
 手慣れた仕草でついっと伸ばされた白い指が、幼い奥方の口の傍についていた揚げのかけらをつまみ取る。途端ににぱーと微笑って、
「ありがとな。」
 子供のように屈託なくお礼を言う無邪気さが、
「か〜わい〜いvv」
 ここの女将さんには堪らないのだとかで。いやいや、並べれば限
きりがないほど、他のどんなところも可愛くって可愛くって仕方がないそうで、
『ご主人が一緒でなくてもいらしてよね?』
などと、それは本気で言うほどご執心ならしい。…いや、不倫をしようというのではなくて。(そうですよね?/笑)
「それにしても…。」
 女将さんに構われて"ゴロゴロ…vv"と懐いている幼さは、Gパンにツタさんに編んでもらったアーガイル柄のセーターという恰好もよく似合って、確かにかわいいと思うご亭主らしいが、いや、そうじゃなくってだな。
(笑)
「何遍教えても直らんな、そのバッテン握り。」
「んん? そーか?」
 本人は全く意に介していないらしいが、ご亭主が気にしているのは…奥方の箸の持ち方である。二本をXの形に交差させての持ち方で、これだと濡れたものや嵩のある重いものは摘まみにくい。もちろんのこと、作法上では"間違った持ち方"とされていて、もっと努力が必要です…というところか。
「あら、でもマシになったわよねぇ。最初は赤ちゃん握りの突き刺し箸だったんですもん。」
 ただでさえ少々不器用なのに加えて、ルフィの生まれ故郷では箸は使われてはいなかったようで、所謂、文化圏の違いだからしょうがない。幸い、子供たちは既にちゃんとした持ち方で使いこなせていて、箸の先からおかずを逃がしてばかりいる母御を見るにつけ、
『お母さん、お豆さんが食べたいの? 次はなぁに? 里芋さん?』
 しまいには…見かねた娘が小さな箸で器用に摘まんで、口まで運んでくれもするとか。
おいおい むぐむぐと口を動かすのに忙しい本人に代わって、
「口まで運べるんならどうだって良いのよ、そんなこと。」
「女将…。」
 教育上、その発言は困るんだがと言いたげなご亭主へ、何よ、文句ある?とばかり、ちろりんと向けられた女将の強気な目線は、剣豪にいつもいつも"とある誰かさん"を思い出させた。快活で勝ち気で、頭の回転も良ければ、口も良く回って、女だてらにそれはそれは度胸の据わった、みかん色の髮をしていた航海士。表面上はルフィにもどこか突っ慳貪な口利きをしていた、極めてドライな彼女だったが、彼の目が届かないような場面では、こっそり必ず、彼をこそ優先するような判断ばかりを取っていた。他のクルーたちへの気配りもさほど邪険なそれではなかったが、
『ルフィがあんたを好きなんだからしょうがないわ。でも、良い? 悲しませたなら許さないからね?』
と、何につけてもそういう順番でコトを運び、対処し、処理していた彼女だったのを思い出す。
"そういえば…。"
 この女将がナミに似ていると、初見の頃から言っていたルフィで、
『そうか? 顔立ちも、髮や目の色も全然違うぞ?』
『でも似てる。何となくだ。』
 本人はそんな言い方をしていたが、相変わらずに人の内面だとか何だとか、理屈や肌合いを飛び越えた、直感で易々と見抜けるところは鋭いままな彼であるらしい。そんなこんなという感慨の籠もった視線の先、
「美味しかった〜vv」
 ちょっとお夜食に、とは思えないほど…牛や鷄の串焼きと焼きおにぎりとひろうすをたらふく食べて満足したらしく、こちらを向いて幸せそうに微笑う奥方の様子に眸を細め、
「じゃあ、帰るか。」
 樽の形をした椅子から揃って立ち上がったその時だ。

  「………?」

 店の奥から、かちゃんと器の割れる音がした。しかも、
「…んだと、くぉらっ。」
 それへと続いたのが、妙に場慣れした、巻き舌での絡み付くような低い声音。どう聞いてもそれは、チンピラが因縁をつける時に使う物言いで、
「こっちは客だぞ、客。それを何だ、このアマ。」
 見やると、給仕の手伝いに来ているアルバイトの娘さんが、おどおどと肩を縮めて立ち尽くしており、どう見ても怪しい筋の男たちにからまれている様子だ。今夜は桜祭りの最終夜。数日続く花の祭りは結構有名で、毎年のように村外からの観光客もあり、この時期だけ民宿だの食べ物屋だのを構える家もある。純朴な村人たちの素朴なもてなしは、それなりに来客たちを満足させているのだが、ごくごくたまぁ〜に…酔った勢いで暴れる困ったちゃんだの、笠にかかって妙な因縁をつける勘違い野郎だのが出る。田舎のこととて客あしらいには不慣れなことだろうと踏んでの悪ふざけや嫌がらせか、それとも…。
「まあまあ、すみませんねぇ。」
 不穏なムードにはとっくに気づいていたらしく、カウンターから出ていた女将が執り成すようにそちらへ向かい、
「この子が何か致しましたか? なにぶん、こんな田舎の店ですから、町のお姐さん方のようにチャキチャキとは行き届きませんで、相すみませんねぇ。」
 出来ることなら荒立てぬままに収めようと、さばけた口調で割って入った。さりげなく娘さんを背後へ引き寄せて、そのままカウンターの方へと向かわせる。間の悪いことにこの店のご亭主は留守だ。ついさっきまでは居たのだが、先程、祭りの社務所の方へ打ち上げ用の酒を配達にと出向いていて。
"間の悪いことに、か。"
 というよりも、このタイミングを狙っていたような気配がしないでもない。もう随分と時刻は遅く、客はカウンターにいた道場主夫婦と彼らだけ。だからこそ、ご亭主も女将に店を任せて出掛けたのだが、今の今まで気配さえ薄いほど大人しかったものがいきなりのこの狼藉。怪しい匂いがぷんぷんする。
「田舎だろうが町屋だろうが関係ないな。客から金取ってんなら、それなりに愛想の一つも振り撒きゃあ良いのによ。ちょろっとケツに触っただけで、人を極悪人みたいに睨みつけやがる。」
 奥まった卓についていたのは5人ほどの男たちで、全員が見覚えのない、つまりは村の外から来た連中だ。女将へと直接話している男以外の面々も、確かに酒は飲んでもいようがさほど酔っている風には見えず、にやにやと薄ら笑いを浮かべているばかり。妙にけばけばしくて安っぽい、垢抜けない服装。柄の悪そうな、いかにもな面構えの連中で、こんな田舎の、祭り以外には見るものもない土地にわざわざ連れ立って来るような、風流そうな手合いとは到底思えず、
"………ふん。"
 何となく察しがついたゾロだった。そんな彼が、
「………。」
 じっと見据えている視線にようやっと気づいたらしい。
「お、何だ何だ? こんな遅くに、兄ちゃんたちも祭り見物か?」
 ガタンと立ち上がった別な一人が寄って来て、
「見せもんじゃねえんだ。ジロジロ見てんじゃねぇよ。」
 脅しのつもりか、それとも部外者を追い出したいその切っ掛けのつもりか、ドスの利いた下卑た声を出したが、

 「………う。」

 途中で不意に立ち止まり、そのまま動かなくなる。その背中を見て、
「???」
「どした?」
 他の面々ががたがたと席を立って来た。彼らもまた、どこか偉ぶって威嚇するような態度を牽制代わりに振り撒きながら、仲間の前へと回って見て、だが…何もされてはいないことへ、
「???」
 怪訝そうに首をひねる。
「んだよ、どしたんだ、ああ"?」
 確かに…相手は、若いのに場慣れしているのか、妙に落ち着いた風情の男で、鋭角的な面差しのせいか、眼光もなかなか鋭い。だが、一見したところ、ただそれだけの男であり、まるで蛇に睨まれた蛙のように脂汗を滲ませまでして立ち尽くす程ではなかろうに。自分たちと共に様々な善良な人々を"威嚇する側"だった仲間なだけに、こんな若い衆のたかだか睥睨ひとつで、こうまで萎縮してしまうとは到底信じられないのだろう。
「…ったく、尻腰
しっこしのねぇ。」
 呆れたようにわざとらしく大きなため息をつき、女将に直接喰ってかかっていた男…どうやらリーダー格らしい、ヒゲ剃り跡のやたらと濃い男が、やおらこちらへと向き直る。
「おいおい、兄さんよ。何か言いたい事でもあるんかな?」
 居丈高な声を掛けられてもさして動じず、着物の胸元の奥深く、懐ろ手をしたまま、ゾロは"くすん"と小さく笑った。
「何ね。ここは食い物の店だ。埃を立てるのは迷惑がかかるから、表へ出て話をつけようじゃないか。」
 さして凄みも含まない、至って平生の声だったが、日頃の彼の声をよくよく知っているルフィには"おやっ"と思わせる響きが少々。
"…ゾロの奴、ふざけて遊んでるや。"
 どこか芝居がかった言いようだと判って、その余裕にこちらもついつい小さく笑ってしまったルフィである。そこまで気づいたかどうなのか、
「ほほぉ、大きく出やがったな。」
 へらへらと笑っている辺り、向こうさんも余裕たっぷりというところか。
「良いだろう。表へ出てやろうじゃないか。」
 どうせ大したタマじゃなかろう、多少の覚えはあってもこの人数差だと、完全に高をくくっているらしく、
「おら、お前も来いっ。」
「…あ、ああ。」
 最初に近寄り掛けて立ち尽くしていた男も、仲間に促されて後に続いたが、彼だけはどこか気が重そうな気配のままだ。

"…どっかで見たことがあるんだがな、この二人。"

 内心でそんなような呟きを繰り返している様子。そんな彼らがのろくさてれてれと出て行くと、
「女将さん、御馳走様。」
 師範殿は何事もなかったように穏やかな声を女将に向けた。壁の掛け具に引っ掛けていたお気に入りのスタジャンを、ご亭主に取ってもらって肩に羽織り、
「サミさん、また明日な。」
 続いて声を掛けてきたルフィの屈託のない調子につられて、
「え? あ、ええ。また明日。」
 肘から手を上げ、思わず振って見せたが、彼らも出てゆき、ガラスのはまった格子の引き戸が閉じられると、
「…大丈夫、よね。」
 我に返ってぽつりと呟く。いやお勘定は月末に量り売りのお酒の代金と一緒にいただいているので、決して"食い逃げ"ではないのだが。
おいおい …そうではなくって。これまでにも彼らの武勇伝にはその現場に幾度か遭遇している女将で、いつだって危なげのない見事なまでの大殺陣をこなす彼らであると知ってもいたが。だとはいえ、間違いなく悶着と諍いの場になろうところへと知人を見送るのは、そうそう気持ちの良いものではない。あのかわいらしい奥様が怪我でもしたら? 庇ってもらったは良いが、その代わりに旦那様が深手を負ったら? いくら"強い彼らだ"と判ってはいても、そこはやはり心配は尽きない。………と、
「女将さん。」
「あ、なぁに?」
 最初にからまれていた娘さんが声をかけて来た。怖い想いをしたわねと、艶っぽく眉を顰
ひそめる女将さんへ、
「ロロノアさんが"菜箸を一膳、お借りして行きます"って。」
「菜箸?」
 言われて見やると、肉ジャガの大鉢に添えてあった長いめの塗りの菜箸がない。
「…どうするのかしら。」

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