ロロノア家の人々
     
温泉に行こう!U  “Tea time”より


        




 未整備の田舎道のこととて石でもまたぐのか、時折"がたん"と荷台が斜めになっては馬車が弾む。最初の内は遊具にでも乗っているかのように楽しげにきゃっきゃとはしゃいでいた子供たちも、朝が早かったのと昨夜は興奮してあまり眠れなかったことが由縁してか。陽が高くなるにつれ、馬車の揺れを丁度いい揺籠代わり、くうくうと舟を漕ぎ始めた様子。秋風が髪や頬をなぶって心地いい道行きに、こちらもうっとりと眸を細め、
「なあ、覚えてるか?」
 荷台に直に座って懐ろへと抱えた幼子たちの、やわらかな頬にかかってくすぐったげな細い髪を指先でどけてやりながら、身ごろの真ん中や袖の途中での色の切り替えがおしゃれな、デザイントレーナー姿の奥方が御者台に座る夫へと声をかける。
「んん?」
「ほら、以前
まえに二人だけで行った時はさ、てくてく歩いて歩き通して、だのに半日で着いたじゃんか。」
「そうだったな。」
「今だって、この子たちくらいならサ、おぶってって大丈夫なんだけどな。」
 まだ幼稚園前の小さな幼子たちを二人も連れて行くのだからと、気を遣ってわざわざ仕入れ用の荷馬車を出してくれた『えるど』の女将さんの心遣いは嬉しかったけれど。依然として人並み外れた体力が有り余っている奥方にしてみれば、自前の足で行った方が断然速いのにと、そう言いたいのらしい。
「このペースだと、向こうに着くの、夕方近くなるんじゃないのか?」
「ああ、そのくらいになるかな。」
 こちらはそうそうせっかちでもなく、のんびりとした返事を返すご亭主で。大した感慨も含まぬ簡単なお言葉へ、ついつい"うう"…"と不満げな声を漏らしてふかふかの頬を膨らます奥方だ。何だかだ言って、子供たちよりも奥方こそが、一番に早く着きたいと気が急いているのだろう。まるで今本人が腕に抱えている子供たちのような、そんな無邪気な胸の裡
うちをあっさり見透かして、
「まあ良いじゃないか、のんびり向かっても。」
 彼らの鍛え抜かれた速足よりは遅いとはいえ、軽快な足取りでたかたかと進む、お元気な馬の手綱を取りながら、旦那様は笑顔のままに執り成しの声をかけた。
「温泉もシマさんも、勿論、お山も、逃げはしないんだしな。」
「うう"…。」
 何かといえば"斬り込むぞ"というのが口を衝いて出るほど、奥方ととっつかっつな単細胞だったものが、こんな風に…逸
はやる伴侶を宥めるような言葉をかけるようになった。御者台の座席に据えたのは、あとの2本はしまっておいても日頃これだけは持ち歩く、白鞘の愛刀が入った細長い錦の袋。何かと"昔通り"ではなくなって久しいが、そんな中で久し振りに見る…シャツとブルゾンにGパンという若々しいいで立ちの旦那様。それが肩越しに振り返って来て、男臭いお顔をほころばせ、屈託なく"にかり"と笑ったものだから、
「………えと。」
 何だか、あのその。思い出すものがあって頬が熱くなる。一応は子供たちが傍にいるとはいえ熟睡中で。こんな風に二人っきりでいるというのも久し振りだし。そんな中で向かい合い、こんな風に屈託のない笑顔を向けてくれたのへ、心がふわりと浮き上がって一気にあの頃へと飛んでゆく。まだどこか…足が地について間がなかった頃の。まだ、つい昨日一昨日くらいまでは船に乗っていて、向かい来る嵐や海賊相手にしゃにむだった頃の。不器用で気は荒いがその分、嘘も他所見もなかった頃の。冒険の合間の貴重な刹那、本当に稀な"凪"の時間を、もどかしげに掻き集めては大切にしていた。拙いけれどだからこそ、その歯痒さが何とも愛惜しかった。そんな頃の"思い出"の中にいる、当時もう既に貫禄もあったがそれでも、今に比べたらずっと若々しくて天衣無縫だった"彼"が、そのまま戻って来たような気がして。
「? どした?」
「ん、ん〜ん。なんでもねぇっ。/////
 声をかけられ、赤い顔のまま慌ててわたわたとそっぽを向いて。ロロノアさんチの奥方は、これもまた懐かしい麦ワラ帽子の下から、その大きな眸を眩しげに細め、高い高い秋空を仰ぎ見たのであった。



            ◇


   それは一通の書簡から始まった。



 昼間の陽射しはまだ目映くて、体を動かせば小汗も滲むものだから、ついつい気づくのが遅れたが。そう。気がつけば空の"天底"はたいそう高くなり、朝晩に吹きゆく風が、さらされた肌にはひやりとするようになって来た。どこやらから香るは金木犀の甘くて華やかな匂い。あれほど力強かった色合いの木々の緑も、乾いた陽射しの中で少しずつ色合いを変えかけていて。このまま山間
やまあいの方から艶やかな赤や黄色に色づいて来るのだろうと思わせる、そういう季節の変化の到来にやっと気がついた、とある日のこと。
「…あ。ほら、みお、郵便屋さんだ。」
 前庭でツタさんを手伝って落ち葉掃きをしていた母上に、今日は早い目にお外から帰って来ていた姫がしきりとじゃれついていたのだが、そんな早めの夕方に"きこきこ"と独特な音を立てて自転車がやって来た。…いや勿論、漕いでる人込みで。
「こんにちは。」
「ご苦労様です。」
 門近くで手際よく箒を操っていたツタさんが愛想よく声をかけているところへ、長めのおかっぱにしたつややかな黒髪を揺らしながらパタパタと駆けてゆき、
「郵便屋さん、こんにちは。」
 みおちゃんまでもがご挨拶。大きな眸が"お母さん"によく似た、人懐っこくて愛らしい、評判のお嬢ちゃんということで、御用聞きのお兄さんから、郵便屋さんや駐在さんにまで可愛がられている姫御であり、
「はい、こんにちは。」
 愛らしいお声と笑顔に、自然とお相手の顔もほころぶ。いつもはお昼頃に来る郵便屋さんだが、
「速達がありましてね。」
 ツタさんが受け取りに印鑑を押して手渡されたのは、縦に長い白封筒だ。それではと会釈を残して帰ってゆくおじさんを見送って、
「おかあさん、はいっ。」
「んん、ありがとな。」
 封筒を運んで来たみおちゃんに再びまとわりつかれつつ、お手紙の裏を返したルフィは、だが、
「…あ。」
 思わず口を真ん丸に開いて、それから、箒を片付けにかかっていたツタさんの方を見やった。
「ツタさん、ツタさん。」
「はい?」
 割烹着が似合う、ちょっと恰幅のいい優しいお母さん。子供たちだけでなくルフィまでもがすっかり懐いていて、動き惜しみをせずに忙しいその後ろを付いて回っている、この家の家事全般を賄う頼りになる肝っ玉母さん。そんなツタさんへ駆け寄ると、
「ほら、これ。シマさんからだよ。」
 宛て名こそこの家の主人である"ロロノア=ゾロ様"となっているが、その差出人は、このツタさんのお姉さん、ここより も少し山間の小さな湯治場で民宿を切り盛りしている、シマさんという女性からとなっていて。それを見たツタさんは、
「あらあら。じゃあ、もうそろそろ良い時期になったんでしょうね。」
 そんな意味深な言いようをすると、
「???」
 小首を傾げているルフィへ"くすす"と笑って見せてから、
「どうぞお手紙をお読み下さいませな。」
 あとは教えてくれず。夕餉の支度がありますからと、パタパタとお勝手の方へ向かってしまった。
「お母さん、シマさんて誰ぁれ?」
 覚えのないお名前に、こちらも小首を傾げて娘御が訊くのへ、
「んん? ツタさんのお姉さんで、温泉で"みんしく"っていうのをやってる人だ。」
「"みんしく"?」
 ………奥方、奥方。
(笑)
「何だろな。」
 封筒を何度も表裏と返してはワクワク眺めていたルフィだったが、少ぉし傾いて来た初秋の陽射しの中、オレンジに染まったお嬢ちゃんのお顔をついと見やると、
「そろそろ練習も終わるよな。」
「うん。さっきお寺の鐘が聞こえたもの。」
 お母さんの腕にぶら下がるようにくっついてお嬢ちゃんが頷いて見せる。
「じゃあな、みお。母ちゃんと一緒に、これをゾロに渡しに行こう。」
「うんっ!」


 今日は大人のクラスの練習があった日で、道着から着替えた生徒さんたちが三々五々、道場奥の更衣室から出て来ては帰って行くのと、沢山々々ご挨拶しながらすれ違いつつ、
「ゾロゾロゾロゾロ。」
 旦那様の名前なのか、ぞろぞろ出て来た生徒さんたちのことなのか、どっちなんだか分からないような連呼をする奥方であり。
「…ルフィ、とりあえず みおを降ろしな。」
「おう。」
 彼が文字通り"小脇に抱えて来た"お嬢ちゃんに気がついて、そっちを促す旦那様なのもなかなか。ここまで来るとリアクション間違いもそれと気にならないものなのだろう。
おいおい 厳しいお行儀を型通りに守らせるような、いかにも堅苦しい流儀を掲げてはいないが、それでも神棚には一礼してから奥方と娘御が待つ戸口へ向かった師範殿は、惚れ惚れするような男臭い笑顔をまずは奥方へと向け、次に長身屈強な身体を屈めて、小さなお嬢ちゃんを濃紺の道着の腕に抱き上げる。
「どうしたんだ? まだ夕ごはんじゃなかろうに。」
 この時間帯に彼らがここへ来るのは珍しい。いつもだったら、ツタさんとお手伝いさんと、お当番の門弟さんたちとが忙しく立ち回る厨房で、最近はさほどお邪魔でもなくなったお手伝いをしているか、陽が落ちるぎりぎりまでお外で遊んでいる坊やを迎えに出掛けているかのどっちかなのに。………と、
「あのね、お父さん、はい。」
 抱き上げていた娘御がこちらの顔の真ん前へと差し出したのは一通の封書。背後の連子窓から差し込む夕陽に浮かぶ、少しばかり癖のある元気な書体で書かれた差出人に、ゾロもやはり"おお"と少しばかり驚いたような反応を見せる。それへと、
「ツタさんがな、何か気になること言うんだ。だから早く読んでくれよう。」
 それこそ"何だそりゃ"な言いようをして急っつく奥方であり、
「???」
 小首を傾げながらも旦那様が封を切った懐かしい人からのお手紙は、この一家に思わぬ秋の行楽を提供してくれたのだった。



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       SAMIサマ
          『ロロノア家〜子供たちがまだ小さい設定で“秋の行事”』