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澄み切った青空の下、すっきり見通しのいい眺望の中に緑豊かな田畑や林の広がる、いかにも平穏長閑な小さな寒村だのに。思いがけない嵐が襲い来ることもあるのが、悲しいかな、この荒らぶる時代には仕方がないことなのだろうか。深まりゆく秋の気配の中、愛娘と共にお使いに出ていた無邪気な奥方。その延長で足を運んだ村外れの鎮守様だったのだが、
"銀杏拾いや落ち葉掃きをしてるって気配じゃないもんな。"
境内に沢山植えられた銀杏の、降りしきる落ち葉の掃除と熟した実の収穫をしている筈だと教えられたのだけれど。神主様とその家族、近在の方々も立ち働いている筈だと聞いていた気配は全くなく。その代わりに…何がか息をひそめているような、こちらへの警戒心を剥き出しにした、妙に張り詰めた雰囲気がする。この独特の緊迫感には昔々に覚えがあって。こんなものを今だに嗅ぎ取れるだなんて、引っ繰り返せば…いかに途轍もないレベルの物騒な修羅場に縁があった身なのかということでもあって。そういう感覚を持つことが…頼もしいような、無用なものとして錆びついてほしかったものなような。ちょびっとほど複雑な気もするルフィだが、今はそんな感傷に耽っている場合ではない。
"社務所に押し込められてる、みたいだな。"
この神社は小高い丘の中腹にあり、周囲や後背には丘を埋めている緑の森がある。特に整備された森ではなくて、この村いっぱいに桜を植えたという、例の伝説の領主様が治めていた時代からある、様々な種類の木々が茂った古い森だとか。そんな自然の要衝があることと、隣りの村との行き来などに通じた道とは接していないことも併せての油断が働いてか、少々守りが薄かったのは否めない。
"………ま。大した連中じゃあないみたいだがな。"
純朴で何の抵抗も出来ない村人が相手だからこそ、易々と怯えさせて意のままに出来る程度のチンピラ止まり。ルフィとしては"そんなところだろうな"と踏んでいる。ただ息を詰めて黙ることで気配を消しているつもりなのだろうが、こちらへと向けられた敵意が明らさますぎて無様なくらい。石段を上り詰め、丁寧に使われ続けて平らに保たれた石敷きの境内へと、最初の1歩を踏み込んだルフィを目がけて、
――― っ!
風を切って飛んで来たのは、寸の短い小柄こづか…投擲攻撃専用の細い細い短剣である。結構手慣れた手合いの投げたものらしく、素早かったし、投げる気配も薄くて読めず。方向を見極める暇もないままに どこぞに当たったなら、それだけで十分に相手を混乱させられるから、先制攻撃には持って来いな手筈だったろうけれど、
「………っ!」
標的が居なくなっては話が別。ひゅんっと。目にも止まらぬ素早さにて、真っ直ぐ真上に飛び上がったルフィであり、秋物のジャンパーを羽織っていた姿が消えた空間で"かつん・ちゃりん"と石畳の上へ当たって弾けて転がった小柄のその方向から、
「はは〜ん、そっちか。」
相手の潜んでいる方向があっさり読み取れて、どこか楽しげな声になる。飛び上がったルフィがぶら下がった枝からは、銀杏の黄色い葉っぱがはらはらと多めに降り落ちて雪のようであり、
「…くっ!」
不意打ちが失敗したことで隠れていてもしようがないと、その辺の切り替えは素早い賊たちが、社務所の建物からばらばらっと飛び出して来た。
「小僧っ! そっから降りて来なっ!」
「言う通りにしないと、この神主がどうなっても知らねぇぞっ!」
後ろ手に手首をくくられているらしき、白装束の初老の神主さんを楯代わりの人質にと引っ張り出した大男を筆頭に、相手の手勢は十人ほどというところか。埃色にくすんで擦り切れた服装、伸び放題のむさ苦しい髪に髭という、いかにも野卑な面構えの面々で、ただ、どの男も腕っ節には自信がありそうな良い体格をしてはいる。元は樵きこりや猟師、もしくは坑夫といった、力仕事に携わっていた者たちなのかもしれない。
"ま、そんなことは俺には関係ないんだけどな。"
日頃は屈託のない陽気な笑みの耐えない童顔に。今は目許をやや眇めて、口許には…どこか酷薄にさえ見える薄い笑み。罪のない人たちを身勝手な理由から蹂躙し、力のない人たちだからと笠に着て暴虐な振る舞いをする輩には、容赦する必要は一切ない。海賊だった頃からの、これはルフィの基本的な方針でありポリシーでもあって、
「よっ。」
すたんっと。言われるままに下へと降りたGパン姿の小柄な青年。何の武器の用意もない、無防備な彼であったけれど、取り囲んだ方の陣営が優勢に思えたのは…あいにくと賊ら本人たちだけで。
「よしよし、無駄な抵抗は止しな。」
「そうだよな。痛い思いはしたかないよな、坊主。」
身の軽い、だが、ただの子供だと思い込んでか、へらへらと笑いながら周りを取り囲んだ…妙に馴れ馴れしい流れ者たちだったけれど、
「…さあ、どうだろうな。」
ふふんと。よくよく見やれば…その小僧の側もまた。居丈高とも取れそうな、斜(ハス)に構えた態度でもって、鼻先で笑っていたものだから、
「おいこら、坊主。」
「お前、自分の立場が分かってんのか?」
怪訝そうな声を立て、もう一度しっかり言い聞かせようと、
「この神主が…。」
見えていないのかと言いかけた男が、だが、
「………あ"?」
自分の手元を、そして周囲をキョロキョロと見回す。ほんの一瞬前まで、確かにその腕を掴んで捕らえていた筈の神主の姿がない。ただ傍らにいたというのでなく、羽交い締め状態で縛られていた相手の、その縄に手をかけていたというのに?
「どうした?」
「あっ、何してんだ、お前っ!」
おやおや、この大男は頭目ではないらしい。ふ〜んと納得のお顔を見せつつ、手元へ引き寄せてた神主さんの手首を拘束していたロープをぶっちりと引き千切って、
「痛かったでしょ。」
「ああいや、このくらいは。」
大変だったねとルフィから訊かれて、ふうと安堵の吐息をつく神主さんの様子は、もうすっかりと安心し切っているそれで。
「………え?」
「い、いつの間に?」
さては"気の極み"を使える達人だったのかっ?!(おいおい)ざわつく賊の様子にも気を留めぬまま、
「ちょっと離れててもらうよ? 巻き添えを食ってはつまらないだろう?」
にこりと笑ったルフィの手元から、ふっと。神主さんの姿が瞬時にして消えて。
「え?」
不可思議な現象に目玉が飛び出すんじゃなかろうかというほどの顔になった賊たちの背後。先程彼らが飛び出した戸前へと…勢いよく飛び込んで来た神主さんを受け止めたご家族の方々が、そのままパタパタと内からの戸締まりをしてしまったから。
「これで人質はなくなったな。」
へへぇと。ルフィはいかにも子供っぽく笑って、横にした指で鼻の下を擦って見せる。
「くっ。」
一体何をどうしての結果なのかはよく分からないものの、はっきりしているのは…こうまで自分たちを翻弄しているのが、眼前に立つ小柄なこの小僧だということ。こんなガキに小馬鹿にされている。そんな事実が…賊たちの神経を逆撫でしたらしい。
「この野郎がっ。」
それぞれに武器を構え、薙ぎ倒そうと襲い掛かるも、
「おっと。」
恐れもせず、軽々と。ほんの小さな仕草でもって、危険な刃を頑丈な棍棒を、風になびく柳やススキのようにあっさり躱す不思議な存在。
「こっちだよ? よく狙いな。」
一見すると ひょろっとした少年体型をしていて、ともすれば頼りない印象さえ受けるようなルフィだが、
「この野郎っ!」
「おっととと♪」
まずは戦いへのセンスというものが違う。大男が大きく得物(武器)を振りかぶる様は、威嚇的に見えて、その実、無駄な動きが多いもの。そんな輩の攻撃をただ避けるだけで良いのなら。下手くそなワルツよろしく短い1歩1歩を引いたり逸らしたりしつつ、さかさかと肩先や上体を揺らすだけで十分に、紙一重という効率的な…加えて ちょいと厭味な避け方をし続けることが出来る彼であり、
「このガキっ!」
「ひょろひょろと訝おかしな逃げ方しやがってっ!」
敵陣営の頭数や配置も、一番最初にざっと見回した時にしっかり把握しているから、
「これならどうだっ!」
避けてく先へと先回りをし、待ち構えていたつもりの伏兵さえ きっちりと予測していて。不意打ちの逆を突き、頭上から振り下ろされた蛮刀をはっしと…二本の指先だけで摘まんで受け止めて、
「どれならどうだって?」
ばきゃっとばかり、手入れの悪い刃を掴み砕く物凄さ。
「なっ!」
支えを失ってたたらを踏んだように前へとのめってしまった賊が、丁度眼前へ倒れ込んで来たのまで見越していて、無防備な腹をどがっと膝頭で蹴上げて昏倒させる周到さであり、
「…な、なんなんだよ、このガキ。」
子供だからこの状況がピンと来ないのかね、無鉄砲な奴がたまにいるんだよなと。自分たちの優勢を疑わず、高をくくって嘲笑っていた面々が、徐々に徐々にその薄ら笑いを凍らせてゆく。
「なんなんだよ、こいつ。」
「まさか…化け物か?」
得体の知れない物と向かい合っている時に感じる、薄ら寒い何か。たった一人の、それも子供のような若造に翻弄されるだなんて、負けを知らない彼らの"これまで"には一度も経験のないことなのだろう。これはただの子供ではないぞ、何かしら物騒な力を…神通力を備えた存在だぞと、神憑りな何かを想定し始めたらしく、
"勝手なもんだよな。"
侭にならない者は人外なのかよと、短絡的な思考をこそりと笑い、
「ああ、そうさ。我はこの神社をお守りする龍の使いだよ。」
ふふふと笑ってジャンパーをばさりと脱ぎ捨てる。下には少し大きめのトレーナー。ご亭主が気に入って数年ほど着ていたものを、無理から"お下がり"と銘打って譲ってもらった代物だとかで、(笑)
「神聖なる神前を、汚して騒がすような奴らは許さないからな。…覚悟は良いか? お前たち。」
………調子に乗るとロクなことになりませんよ? 奥方。
◇
「お父さんっ!」
さてさて、こちらは…神社から離れるなり一目散にお家まで。一生懸命に走って走ってようやっと辿り着いたお屋敷の前では、
「お嬢ちゃまっ!」
出掛ける時はニコニコしていたものが、今はどこか堅いお顔をしていたツタさんが。血相変えて帰って来た みおちゃんを、飛び込んだそのまま、暖かい腕の中へと抱きかかえてくれた。
「ご無事だったんですね、よかった。」
「? ツタさん?」
確かに"一大事"ではあるけれど、その事実はまだ、こんな遠くのお家には届いていない筈。それとも、物凄く早くに 方カタがついて、お母さんが電伝虫で連絡して来たのかな? 小さな肩を上下させて息をしつつも、キョトンとしている みおちゃんを抱えたまま、
「旦那様っ! お嬢ちゃまがお帰りですっ。」
前庭を通り過ぎて、中庭の方へと足を運ぶ。このまま真っ直ぐ進めば、道場のある離れへ着くのだが、その手前の井戸端で。頼もしい門弟のお兄さんたちが、和やかに雑談している様子と出くわした。
「おお、みおちゃんか。」
「無事だったんだな。師範が心配してらしたぞ。」
こちらはこちらでやはり一悶着があったらしく、彼らが退治した別口の野盗どもを踏ん縛ったゾロが、だがどこかしら心配げな様子をしており、
「師範、みおちゃんが帰って来ましたよ?」
そんな声をかけられて、ようやっとホッとしたようなお顔になった。賊は二手に分かれての奇襲をかけて来たらしく、こっちはこっちで…選りにも選って道場の裏手の竹林から入り込んで来たもんだから。大馬鹿者だったというか、下調べが杜撰ずさんだったというか。(笑)
『庄屋の家だって言ってたじゃねぇか。』
『まさかこんな村に道場があろうとは。』
仲間同士で醜い言い争いをしている野盗たちは、駐在さんの詰めてる留置場へと門弟さんたちが連れて行って、さて。
「神社にも賊が?」
「うんっ。」
お母さんが捕まえるって ゆってたの、みおに"お家に帰って、お父さんに知らせな"って言ってたの、と。思い詰めたようなお顔で言いつのり、
「俺も行くっ!」
傍らで話を聞いていた竹刀片手の長男坊が勇んで見せたのは、大好きなお母さんの窮地だと思ってのこと。だが、
「お前は此処にいなさい。」
自分と同じ淡い緑の紙を坊主刈りにした坊やのその頭をぽふぽふと撫でてから、
「お母さんは、お父さんが助けに行くから。」
余裕のお言葉を下さる師範様。………だがだが、
「でもサ。お父さん、神社まで行けるの?」
「………う。」
おいおい、こっちも子供に言い負かされてるんかい。(笑) というのが、問題の神社は村の北側の端っこにある。この屋敷は西の端っこにあるので結構距離があり、見えてるところに行くのならともかく、ちょっとでも距離があるところへ一人で向かって無事に辿り着けるのかは、今でもまだ…少々危なっかしい師範殿であるらしい。それをまた、坊やに知られてるとはねぇ。
「お兄ちゃん、そんな言い方しちゃダメなのよ?」
「だってホントのことじゃんか。」
「ウソだもん。お家に帰って来るのは迷子にならなくなったって、
お母さんがゆってたもん。」
「そんでも、こっから どっかへ行くのは、まだ時々 時間掛かってるじゃんか。」
「お父さんは一人で"お使い"になんて行かないから良いのっ!」
どういう喧嘩になっているかな。(笑)
「分かったから辞めなさい。/////」←あっ
実に小っ恥ずかしいお題での"兄弟喧嘩"を引き分けて、
「師範代と行くから迷子にはならん。」
おいおい、師範。(苦笑) 苦肉の弁明をし、こっそりと肩を震わせて笑っている師範代を促すと、ツタさんに子供たちを任せ、神社へと向かった頼もしい師範であった。………面目躍如のためにも頑張ってね、お父さん。(笑)
◇
いくら迷子癖がある師範でも、案内役がいればあっさりと到着出来るというもので。(まだ言うか。) 大人の駆け足ではさして遠くはない神社へと、ほどなくして着いた師範と師範代であったものの、
「ルフィがいなくなった?」
境内の真ん中には、ルフィがゴムゴムの技で薙ぎ倒した賊らが、丈夫な荒縄で ひとまとめに括られて伸びていたが、肝心の奥方の姿がどこにもない。神主様も心配してか そわそわと落ち着かず、
「はい。この一人が泡を食って逃げ出したのを追って、奥まった雑木林へと入って行かれて。」
括られた一番外側の一人を指さして見せ、
「こやつは怯えもって戻って来たのを、私らが全員がかりで叩きのめしたのですが、奥方はまだ戻って来られないのですよ。」
神主様が示して見せたのは、ここいらの住人たちが薪を拾ったりするための雑木林で、そのまま入って行けば向背に続く深い森へと至るらしい。様々な種類の木々が育っているものの、さほど詰まった植えられ方をしてはおらず。こちらから見る分には木の重なった陰もあるが、林の中からなら開けたこちら側がよく見えようから、いくら師範に負けない方向音痴の奥方でも、帰って来られないような迷い方をするとは考えられない。
「う〜ん…。」
たとえ迷子になったとして、体力的にも腕力的にも全然問題なかろうけれど。例えば沢に はまるとか、例えば井戸に落っこちるだとか、そういったアクシデントに足元を掬われてはいないかと、そういうことを憂慮しだせばキリがないほど、真剣勝負の戦いが終わった途端に頼りなくなる伴侶を、緑髪の師範殿が案じていると、
「そういえば…。」
ふと、神主様が思い出してくれたのが、
「この林の奥のどこかに、涸れた古井戸があるんです。」
「古井戸?」
嫌なフレーズにあって、師範の眉がぐっと寄せられた。
「はい。水脈から外れたか、ずんと昔から水が涸れて久しい井戸だそうですが、昔、ここいらを治めていた領主様が、村に突然現れた奇妙なならず者をその井戸でこらしめたという逸話が残っていて。」
神主様が言うには、ある日突然、人ならぬ能力を持つ暴れ者がこの地に襲い掛かって、暴れ放題の乱行を働いた。腹に据えかねた領主様が直々に、ご自慢の剣でさんざん切り結んだが一向に効かない。そこで、あれは何かの変化へんげかも知れぬと、此処の前身である鎮守の社やしろの神主様に相談し、神様の力の宿るという古井戸へと誘い込んで突き落とした。するとどうしたことか、暴れ者はピタッと大人しくなり、堪忍してくれ、ここには俺の苦手があると、ぬかづいて詫びを入れる。しようがないなと引っ張り上げて助けてやると、二度と再び、この地には来ないからと約束をして、這う這うの体で逃げ出した…というもので。
「この鎮守には"龍神様"が祭られておりますが、そこいらの龍神様とはちょっと違う。何でも、海から来た龍神様だということですので…。」
海って…こんな山野辺の土地にですか? いやそれよりも、
「…っ、もしかしてその井戸は…。」
それってそれって、もしかして…?
「…腹減ったよ〜い。」
おおう。こんなとこにいらしたか、奥方。雑木林の外れ、枯れ野の真ん中にぽかりと口を開いていた井戸の奥底。丸ぁるく望める昼下がりの秋空を見上げて、ふみみ…と空腹を訴えていたりする。そう。野盗たちをあっさりと片付けたルフィ奥様は、皆様のご想像通り…鎮守の森の奥まったところに こそりと空いていた、涸れた古井戸へと落ちていた。水が溜まっていなかったのは幸いで、落ちた弾みにあちこち擦った小さな怪我こそしたけれど、さしたる支障はなく、
『なんだ、こんなくらい。』
さして深くもないからと、ゴムゴムの腕を縁へと向けて伸ばしかかったものの、
"…あれ?"
何故だか、力が入らない。みょんと伸びかかった腕もすぐに戻ってしまい、ルフィ自身も立っていられず、あっと言う間に力が抜けて、気がつけば…堅い石敷きの底床へと膝からがっくり崩れ落ちてしまうほど。
"あれ、これってもしかして。"
海楼石は"海"そのものとまで言われている特殊な鉱石で。空島スカイピアの大地だった"島雲"の核でさえあったほど、何かと神秘が詰まった石であり。いまだに詳細は不明なままながら、こちらも謎の多い"悪魔の実"には最低最悪の相性を示す厄介な代物だ。呪われた身を悪用するような輩を黙らせるのには持って来いなのかもしれないが、気の良い存在へは ただただ迷惑千万な忌まわしいアイテム。
"なんでこんなとこに、海楼石があったりするかな。"
床に倒れ込んでどのくらい経っただろうか。周辺の草むらが風に騒いで立てる音が、何だか懐かしい潮騒の囁きにも聞こえてしまって、
"…海に縁のある死に方が出来るんなら本望だけどもさ。"
こんなところに落っこちてるなんて、誰も気がつかないかもしんないな。呼ばれたっても返事する気力も もう残ってないし。お腹が空いて空いて、ああ、もう、保たないかもしんないよう…。どうしてだろうか。海にいた時はサ、こんなくらいでそんな諦めたようなこと、思いもしなかったのにね。もうダメかなと思いはしても、死んじゃうかもしんないとまでは思わなかったのにな。安穏とした暮らしは、覚悟のレベルまで変えてしまうのだろうか。いやいやそうじゃない。きっと………。
「………こんなトコに居やがったか。」
ぼんやりと見上げていた丸ぁるい空の縁から、見慣れたお顔がひょいと覗いた。片っぽの眉だけを器用にも引き吊らせているゾロであり、
「大方、足元をちゃんと見てなかったんだろうが。」
「うん。そうみたいだ。」
たはは…と小さく笑って見せたが、それがちゃんと届いたかどうか。もうもう意識も危ういくらいに、体にも気持ちにも力が入らない。ゾロの顔を見たから余計に、ホッとしちゃって力が抜けちゃったみたいで。此処まで何とか頑張っていた奥方も、一番下の底へと飛び降りて来たご亭主の顔を見る前に、ことりと意識を失ってしまった模様。
「…ルフィ?」
横たわったお顔の間際に寄せられていた小さな手。まだどこか子供のそれのような、いかにも不器用そうな手の、小さめの爪の全部に…びっしりと土が入り込んでいて、
"…頑張ったんだな。"
見回した壁は、一面が全部、床までもが問題の海楼石で埋まっている。こんな中に落ちて…ただで済む体ではないのだから、きっとすぐさま意識が途切れそうになったに違いなく。なのに、迎えに来てくれるまではと、小さな拳を掴みしめ、何とか頑張った奥方なのが何とも愛しい。腕に抱えた奥方の、小さな体のささやかな温みに頬擦りをしつつ、
"忌ま忌ましい井戸だよな。"
うんと遠去かった筈なのに、こんなところでまで"海"の破片かけらに出食わそうとは思いもよらずで。自分たちはよっぽど"海の人間"なのだろうかと、苦い笑みを頬に浮かべた師範殿。愛しい伴侶の体をきゅうと抱き、それから…おもむろに頭上を見上げると、
――― 哈っっ!
突然、地響きがして、師範殿と一緒に辺りを見回っていた師範代や神主様がぎょっとする。
「あれはっ!」
大地の一角から、突然立ちのぼった土の塔。いや…土色の竜巻であろうか。天に届くかというほどの、勢いある太い柱からは、やがて"ばらばらばら…っ"と細かい石の礫つぶてが降りそそぎ、その中心辺りから…凄まじい勢いで飛び出して来た人影が一つ。
「…師範?」
背中に小さな奥方を負って、両の手には二本の和刀。さっきまでは古井戸が口を開けていた空間も、今は降りそそぐ飛礫や土くれに埋まって…真新しい"地面"の一部に変わり果てている。どうやら自慢の剣技でもって井戸の底を打ち砕いた師範殿であるらしく、
「今時"地下牢"もなかろうからな。埋めさせてもらった。」
良いな?と あらためて問うと、白装束の神主様、小さく苦笑し、ええはい、仰せの通りですねと応じて下さる。
「当分は土が軟らかいでしょうから、危ないという立て札を立てておきますね。」
誰も寄らないようにと、忌まわしき土そのものへ封をする構え。そんなやり取りも知らないままに、くうくうと眠り続ける奥方の顔色も、少しずつ赤みが戻って来たようで。皆してホッとし、帰途につく。とんだ伏兵に足元を掬われたような結果になってしまったけれど、無事ならそれで良いじゃないかと。色々なところへ少しずつ目を瞑っての一件落着。今頃家ではツタさんが、遅くなったおやつを用意して待っている。その匂いを嗅げば、奥方の元気も加速をつけて蘇るに違いなく。長閑な山村を長閑なままに保ってしまえる、並外れた凄腕の方々には、これだけの騒動もせいぜい一時のスリルにすぎないらしくて。冬を迎える直前の、それは華やかな錦に衣を染めた山々が、そんな方々の背中を頼もしげに見送っていた。
〜Fine〜 03.11.24.〜11.30.
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岸本礼二様『追い詰められたルフィ(若しくはゾロ)』
*あんまり"追い詰められて"ないみたいなお話ですみませんです。
だってこの人たちってば、強すぎですもの。
いっそ、浮気疑惑とかつまみ食い疑惑とかいうネタで
追い詰めた方が良かったのかも…。(後悔 役立たず。)こらこら
折しも原作の方でも、
あの無茶苦茶に因縁深かった"空島編"にやっとの決着が着いたそうで。
今度こそ、ラフテルを目指す本来の冒険に戻って下さるのでしょうね。
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