ロロノア家の人々 
Tea timeより
     
天瓜粉(てんかふん)


          



 たいそう長閑な山野辺の、小さな小さな村の外れに、どこか厳
いかめしい門構えの剣術道場がある。夜明けの早い夏の日は、まだ陽の射さない黎明の頃合い、蝉の大合唱に叩き起こされた門弟さんたちが、道場回りのお掃除や、週末は草むしり、それ以外の日は小学生たちのラジオ体操の指導やら何やらと、村内の朝のお仕事のお手伝いへと出掛ける気配と、お勝手の方で朝餉の支度に取り掛かるツタさんたちの気配。それからそれから、道着に着替えた師範殿がしゃんと背条を伸ばした凛々しいお姿で道場へ向かう気配で幕が上がる。その同じ時分、まだ幼稚園前の幼い子らは、体操にと出掛ける訳でもないせいか、まだまだぐっすり夢の中。布団の上を泳ぎ回っているかのような思い思いの元気な寝相で、屈託のない健やかさにて寝こけていて。してまた…奥方の方もまた、彼らに負けないくらいの大胆ポーズですやすやと寝入っていたりして。(笑) よって、こちらの夜明けはもう少し遅かったりする。
「………う。」
 すっかりと陽が昇っておみおつけや玉子焼きのいい香りがしてくると、
「…あにゃ?」
 やっと奥方が眸を覚ます。自然に目覚めるまで放っておいてくれる旦那様が、日によっては…片肘での頬杖をついた格好で、添い寝がてら寝顔を堪能してらしたのと眸が合ったりして。
「あやや…/////。えと、おはよう。」
 当初の和風の夜着から、とっくにパジャマ派に切り替えているルフィである。だもんだから…というのではないが、威勢よく蹴飛ばしてたらしい夏掛けを、焦ったように慌てて掻き寄せるところが、何とも幼くて可愛い仕草なものだから、
「ああ、おはよう。」
 相変わらず新婚さんのように恥じらう若妻に、くすくすと微笑いながら抱え起こしてやって。それから身支度をし、二人して子供たちのお部屋へと足を運ぶ。
「あ〜あ〜、お腹出して。」
 坊やは緑色の、お嬢ちゃんは赤の、ツタさんが編んでくれたお揃いの腹巻きを一応は巻いて寝ているのだが、何しろお元気な寝相である。二人ともなかなか…お布団の上での泳ぎも達者ならしくて。よって、寝る前はパジャマの上に重ねた筈の腹巻きが、わざわざ着直してでもいるかのように"お腹に直接"という案配になっている毎朝なのだ。
「ほら、起っきだよ。」
「ん〜。」
 まどろみ半分なところを、声をかけられながらお母さんに抱っこされるのが気持ちいいらしい。くたりと萎えたまま、坊やはなかなか眸を開けない。それに比べて、
「みお。」
「あ、お父さんvv」
 大好きなお父さんからの声一つでぱっちり目覚める娘御は、それでもやっぱり抱っこをせがみ、縁側に出て庭の朝顔が幾つ咲いたか数えるのが日課。門弟さんたちが水を撒いたのだろう、芝生は生き生きとした濃い緑に水滴を光らせていて。瑞々しい空気の中、庭下駄を履いて降り立てば、縁側そばの戸袋に蔓を巻かせた竹を凭れさせている数個ほどの朝顔の鉢が眸に入る。お手伝いさんから教わったルフィが、毎年春に種を植えておくようにしてもう何年目になるのやら。今朝もまた、鮮赤、青、紫、水色と、沢山の花を咲かせて、それは華やかな一角となっている。それを見ながら、
「一つ、二つ、…っと、今日は九つvv」
 大人なら一目で分かる数だのに、幼い指を折ってはゆっくり数えて。懐ろから嬉しそうに報告してくるお嬢ちゃんの笑顔が、何とも言えず可愛いらしくって。
「そっか、九つか。」
「昨日は、んと、十個だったから、一つ少ないのね。」
 こんなに小さいのにもう数を数えられるなんて、しかも教えてもないのに引き算が出来るなんて。この子はずんと賢いのではなかろうかと、師範殿の内心は人知れず沸き立っているらしく。…相変わらずに"親ばかモード"は健在であるらしい。
(笑)



 朝ご飯を食べると、父上は再び道場へ。夏休みの間は、午前中にも通いのクラスがやって来る曜日が増える。中学生以上のお兄さんたちのクラスで、彼らには夏休みを利用しての他流試合も例年通りのものとして予定に組まれているので、学校は休みでも結構忙しい。そうでない日は、門弟さんたちの立ち合いを指導する。指導と言っても、特に"手取り足取り"見本を示したりするでなし。師範代や指導役の指示の下、素振りや基礎訓練をこなしたり、乱取り稽古を繰り広げる様子をじっと見据えつつ、ただ上座に座っているだけなのだが、それでもその存在感が傍らにあるのとないのとでは気合いの入り方が違うらしくて。今日も今日とて、元気のいい、ぴしっと締まった掛け声や足さばきの音、剣撃の響きが聞こえ出す。
「ツタさん、これ何だ?」
 打って変わって庫裏の方では。洗濯物を済ませた女性陣たちが、お昼の支度とおやつの下ごしらえに入る。子供たちと一緒に近くの広場まで出向いたルフィも、時々は帰って来ていて手伝って…というより"つまみ食い"に勤しんだりするのだが。ツタさんの手作り和菓子のレパートリーはなかなかに多くて、
「今日は水羊羹にしますからね。あ、熱いから気をつけて下さいね。」
 昔の人たちは、水に中
あたるのが怖かったのも勿論のことながら、暑さに負けぬよう、夏こそ殊更に熱いものを口にしたそうで。桃の葉や枇杷の葉を煎じたお茶や熱いあめ湯にしょうが湯も夏の飲み物だったし、麦茶も昔は"麦湯"といって、夜の屋台で熱いのを出して飲ませたという。これもまた生活の知恵ですね。そこからの名残りか、夏の涼しいメニューは、今でも作る時にとっても暑い思いをするものが少なくない。食べる時に冷たくする分、尚のこと、お腹を壊さないようにと、しっかり火を通して茹でておくものが多いからで、そうめんや冷麦、冷やし中華もそうだし、枝豆やとうもろこしに、玉子豆腐。つるんと涼やかな水羊羹や"葛"のお餅、寒天、心太も、まずは材料をくつくつと煮詰めるところから始めるし、葛餅はものによっては蒸す工程もあったりで。食べる時は"つるつるちゅるん"で終しまいだが、作る側は汗だくものなのだ。ルフィが小首を傾げたのは、調理台の上、四角いバットに並べられた、大人の親指が嵌まるくらいだろうか…細くて短かめの沢山の竹の筒。こんなもの、一体どうするのかなと、お昼ご飯用のカマボコを分けてもらいつつ(笑)見ていると、
「こうするんですよ♪」
 お手伝いさんが、寒天と砂糖とあんことを煮ていた赤銅の片手ナベをそろーっと傾ける。小さめの漏斗をもう片方の手に持っていて、それを竹筒に差しては注ぎ、差しては注ぎと繰り返して…。
「うわぁ〜〜〜。」
 見る見る内に、竹筒を容器にした沢山のミニ水羊羹がずらりとお目見え。
「あ、そうか。こうやって冷やして固めるんだ。」
「はいvv」
 食べる時は底の方にキリで小さな穴を空けるのだとか。なかなか芸が細かい女性陣たちである。




          



 さてとてと。ごくごく平凡なご家庭とは違うところもちょこっと…多々あるものの、その日常の風景にはさして大きな変わりはなくって。広っぱや雑木林などでお友達と元気に遊んで、お昼ご飯にと一旦お家に戻って来た子供たちは、そのまま少しの間、食休みと一番暑い盛りからの避難を兼ねて"お昼寝"に入る。とはいうものの、寝るのが仕事な年頃は既に過ぎているせいか、このくらいの暑さなんて平気なのにと、早くお外に遊びに行きたくって。縁側には簾が下がり、時折"ちりちりん"と軒先の南部鉄の風鈴が鳴る、風通しのいい広めのお茶の間。そこでやはり休んでいる両親の傍ら、絵本を広げてみたりお手玉やら手遊びのお道具を並べてみたりと、一応は大人しくはしているものの、ぱっちりお眸々はなかなか閉じてくれない様子。今日も今日とて、タンクトップに短パン姿の坊やの方は青々とした畳に寝転んで、お友達に借りた冒険物語の絵本を開いて眺めている。今ちょっとご近所へお使いに出ていて席を外しているお母さんが戻って来たら、ここからどれか読んでもらおうか、いやいや、いつもの海のお話をしてもらおうか…などなどと、何となく考えている模様。
「これは? 何のお話なの?」
 濃紺のストライプも鮮やかな、フリルのついた肩紐を結ぶ形のサンドレス風の短いワンピースを着た娘御の方は方で、作務服姿の父のお膝にちゃっかりと居座っていて。すぐ目の前に大きく大きく広げられた新聞の、あちらこちらの記事を小さなお手々で指さしては、父御のお顔を無邪気に見上げて、何のニュースなのかと訊いている。
「それは大町で昨日あった火事のお話だ。」
「かじ?」
「そう。お家が3つも燃えたそうだ。」
「怖いのねぇ。…んと、こっちは?」
「そっちは、ナツメの町で今度の日曜に映画館が開きますよってお話だ。」
「えいがかん?」
「ああ。大きな幕にな、色々なお話の"映画"っていうのを映して皆で観るんだよ。」
「ふうん。紙芝居みたいなの?」
「う〜ん、ちょっと違う…かな。」
 …大分違うって、お父様。
(笑)
「こっちは? こっちのお話は?」
「それは、明日の花火大会の準備が進んでいますよっていうお知らせだ。」
「花火っ! 観に行くのよね? ね? お父さんっvv」
 大いにはしゃぐ娘御に、父上も眸を細める。
「そうだな。だから明日は絶対お昼寝しないとな。」
 そんなこんな話しつつ二人が眺めていた新聞が、裾の方から不意にかさこそと音を立てた。
「んん?」
 気づいた父上がひょいっと腕ごと持ち上げると、
「えへへ♪」
 絵本に飽いたのか、それとも…楽しみにしていた"花火大会"の話に関心を引かれてか、坊やがめくり上げようとしていたらしくて。
「オレも"しんぶん"見たい。」
 にこにこと笑っているのを、よしよしともう片方のお膝によじ上らせてやった途端、

  「ダメーっ。」

 胸元という至近からいきなり上がった、それはそれは良く通る大きな声には、坊やだけでなく…さしもの怖いものなしな師範殿も少々びっくり。
「みお?」
 声を放った主を見下ろせば、
「お父さんはみおのだから、お兄ちゃんはダメっ!」
 さっきまでのご機嫌な様子はどこへやら。黒々と大きな眸をキッと鋭く尖らせたお嬢ちゃんが、すぐ傍らに来た小さな兄を睨みつけている。だがだが、
「違うぞ。みおだけのじゃない、お父さんは皆んなのだ。」
 お兄ちゃんの方も負けてはいない。藍色に染まった作務服の、頼もしい胸元にしがみついて主張するのへ、
「だってお兄ちゃん、いっつも道場でお父さんと一緒じゃない。」
 やはり"負けるもんか"という勢いで言い返しつつ、こちらはお父さんの首っ玉にしがみつく娘御で。
「道場では"お父さん"じゃないもん。師範なんだぞ?」
「そんなの知らないっ。お家のお父さんは みおのなの!」
 そうと言い切り、小さな手を伸ばして"あっちへ行ってよ"と押しのけようとまでするものだから、
「あー、えっと…。こらこら、止さないか。」
 まさかに自分の懐ろで小突き合いが始まろうとは。しかも、選りに選って"自分"を巡っての争いだけに、どう宥めたものかと何とも困惑気味の父上だ。これが単なる"喧嘩"であるのなら、それこそ力づくで引きはがせば良いところなのだが。双方ともに可愛い我が子なのだからして、どちらかだけの肩を持つ訳にもいかないし。さりとて両方共を引きはがすのも…なんだか忍びないし。
こらこら
「手を挙げるのはやめなさい。…こら、みお。蹴ったりしちゃあダメだろうが。」
 お行儀が良いからといって、いつもいつも"楚々としている"とは限らない。これで結構、お嬢ちゃんもやんちゃで気が強いから、そこはさすがにこの夫婦のお子である。小突き合いは叱られるとあって、両方で父御にしがみつき、まだまだ小さな仔猫同士の喧嘩のように、幼い毛並みを逆立てて睨み合っているところへ、
「あ、いーな。二人とも。」
 お使いから帰って来たルフィが庭の方から姿を見せた。陽射しの強さに汗をかいたか、途中の井戸端で冷たい水をかぶって来たらしく、頭からタオルをかぶっていて、
「ゾロ、モテモテじゃないかvv」
 腰を下ろした縁側でわしわしと髪を拭いつつ、お気楽なことを言うばかり。状況は判っているのだろうに小さく笑うばかりな彼で、対岸の火事よろしく、ちっとも助けてはくれないものだから、
「あのな…。」
 閉口して見せる旦那様だ。そうかー。いつもいつも余裕たっぷりに見える彼でも、困ることってあるんだなぁ。世界一の"大剣豪"でも、愛する子供らには形無しなのか。
(しみじみ/笑)…てなことを呑気に思っていたらば、
「なあなあ、お母さん。お父さんは皆んなのだよね?」
 坊やが母上へそんな声を掛けて来た。愛らしい見かけを裏切って、実は自分よりも一途で気の強いところがある妹の剣幕に圧倒され気味なものだから、ここはひとまず援軍にと声を掛けたらしい。つくづくと…父似・母似な外見と中身とが逆な子らだが、
「違うもんっ!」
 母御よりも先にお嬢ちゃんの声が、すかさずというタイミングにて上がっている。
「お母さんは、みおたちが寝た後のずっと、お父さんのこと独り占めしてるもんっ。だから、お昼間のお家にいる時のお父さんは みおのなのっ!」
「…そ、そうなのか?」
 こらこら、幼子の一喝にたじろいでどうすんだ、海賊王。
(笑) 半分くらいは意地もあろうが、相変わらずにどちらも引かず、これは困ったと来たもんで。どうにも手を打てない両親が、子供らの頭の上で視線を見交わして苦笑していると、
「あらあら、たわわですねぇ、旦那様。」
 お勝手の方から縁側廊下をやって来たのがツタさんで。
"…たわわって。"
 ブドウやビワじゃああるまいに、ツタさんたら豪気なんだからと、ちこっと呆れつつそちらを見やったルフィが、だが、
「あ、水羊羹だ。」
 庭ばきを蹴るように脱ぎながら、ワクワクとした声を上げた。ツタさんが抱えて来た大きめの塗り盆の上には、小さめの銘々皿と氷水を張った平たい桶と。桶の中には、笹の葉を蓋代わりにした例の竹筒が、目にも涼しく沢山浮かんでいる。
「さあさ、おやつになさいませ。よく冷えていて、美味しゅうございますよ?」
 明るい陽射しを受けて、きらきら・ゆらゆら。角っこがゆるく溶けて丸くなった透明な氷と一緒に、少しずつ色味の異なる翠色の竹筒が泳ぐ真新しい桶は、夏の昼下がりにはいかにも涼しげで、
「これで穴を空けるんだっけ。」
「はい。あ、先にお皿を置いて受けるようにした方が良いですよ?」
 お膳の真ん中に置かれた小さな池は、父御にしがみついていてはちょっと遠くて手が届かない。
「わあ、面白そう。」
 信条や気概の上での譲れないものや大事なことはさておいて、日常においては割とコロコロ気が変わりやすいところは母親似。目移りの早い坊やの方は、すぐさま気が変わったらしくって。母御のお隣りに立ってゆくと、お皿に開けてもらった淡い紫がかった筒状の冷菓をさっそく口に運んでいる。
「…みお?」
 こちらは…大人しく見えても実は頑迷なまでに一途なところが父親似。依然として父上の首っ玉にぎゅうっとしがみついたまま…ではあるものの、お顔はおやつの方へと向いている。ツタさんの手作りだから美味しいには違いなく、食べたいのだけれど…そんなことで大好きな父御を"二の次"扱いはしたくないらしい葛藤が見え隠れ。こんなに小さな子供からの深い深い思い入れ、何とも光栄なことだと噛みしめて、
「ほら。取ってあげるから食べなさい。」
 コアラのようにしがみついて離れないお嬢ちゃんをくっつけたまま、父御が世話を焼いてやる。黒文字のお匙でお口まで運んでもらった水羊羹は、それは甘くて冷たくて。
「美味しいvv」
 さっきまでの睨み合いもどこへやら。子供同士で顔を見合わせ、美味しいねぇなどと言い合ってたりするから、
"…ウチでの一番の権力者は、もしかするとツタさんなのかもな。"
 大海を制覇した海賊王が、そして世界一の大剣豪様までもがしみじみと思い知った、盛夏の昼下がりでございます。
おいおい

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